Ⅱ、真実は、踏みにじられた
汚れた学生服を着た少年が、歩いている。
周りにはタバコを吹かしながら犬の散歩をしているおじいさんや、家の前を掃き掃除しているおばさんしかいない。
彼が通り過ぎるとみな渋い顔をし、鼻を摘んだ。
そんなことなど気にもせず、彼は緑豊かな山に囲まれた、山間部にある星間高校へと足を踏み入れた。
「ふぅー 下駄箱異常なし。上履きは… 異常なし」
彼はこうして、毎朝玄関ホールで指差し確認をすることを怠らない。
まるでその様は、交通安全教室で小学生に横断歩道の渡り方を指導をしている警察官の如き動きで、まさに模範を体現しているかのようである。
なぜこんなことをするのか。
彼を知るものなら即座に答えられるだろう。
彼、故運 森男はいじめられているのである。
はっきり言って、誰がどういじめているのかは彼自身にもわからない。
彼をはめて、影で笑うものが大半だからである。
その点、今朝遭遇したいじめっこはまだいい方。
決して褒められる奴らではないが。
彼はふぅっ、と短く息を吐き、更衣室へ向かった。
◯ ◯
森男が教室に着く頃にはすでに10:30を回ろうとしていた。
授業はすでに開始され、廊下は静寂に包まれている。
そんな中、彼は教室のドアを静かに開き、中に入る。
その様子を気に留めるものはおらず、まるで何もなかったかのように授業を受け続けている。教師は一瞥をくれ、すぐに視線を黒板に戻した。
「うわー… 雅ちゃんやっぱりジャージに着替えてる。パンツ覗いたのバレたのかな…」
森男に嘔吐物を吐きかけられたからである。
いつも魅力的な輝きを放っている黒髪も、今は心なしかそのなりを潜めていた。
森男は珍しくしょんぼりしながら自分の席に向かう。
「机よし。イスよし。異常なし」
確認を済ませ、彼は教室の空気の中に溶け込んでいった。
◯ ◯
時刻はお昼。
森男は朝の件で雅ちゃんにちゃんと謝ろうと、弁当を引っ掴み席をたった。
もちろん、初めて雅ちゃんに声を掛けるので緊張を隠せない。
茹でダコのようになった彼。湯気を纏わせたその身体は、うまく言うことを聞いてくれず、視界はノボセた時のように歪んだ。
その時、
「おい」
クラスきっての熱血男、柔道部の80キロ級選手である高田が、鋭く尖った銃弾を飛ばすスナイパーライフルの発砲音の如き声を飛ばしてきた。
「ん? えっと、何でしょう?」
目を宙に漂わせながら森男は答える。
調子がいい時以外の彼は、いつもこの調子だ。
うまく目を合わせられず、狼狽えるように身体を落ち着かせない。
「お前、春川呼びつけていきなりゲロ吐きかけたらしいじゃねぇか」
「え? 声を掛けたのは僕じゃなくてあいつらなんだけど…」
「何言い訳してんだ! 男のくせに罪をなすりつけようとかふざけんのも大概にしろよ!」
ドンッ
高田は森男の肩を思いっきり突き飛ばす。
森男は急に発生した後ろへのベクトルに耐え切れず、支えを失った身体は一瞬宙へと放り出され、後頭部辺りから床に叩きつけられた。
拠り所を失くした弁当箱は、後方へ回転しながら吹っ飛んでいき、緑色から白へのグラデーションをもつ物体を、周囲にまき散らした。
「てめぇ謝りもしないで… 何ノウノウと飯食おうとしてんだよ! あぁ?!」
意識が朦朧とし、さっきとは違う意味で宙へ視線を漂わせる森男の胸ぐらを掴み、マウントポジションをとりながらその身体を強く揺すった。
「う… ち…がう… 僕は…あやま」
「見苦しいって言ってんだよ! なんでてめぇはいつもいつも人に迷惑ばっかかけて、知らず存ぜぬ言い訳ばっか! もう許せねぇ… 制裁だ!」
森男の話を強引にぶった斬り、唸る右腕を森男の頬に叩きつけた。
◯ ◯
森男は今、海底に漂う海藻のような、あまりにも支えが少ない覚束ない足取りで教室に散らばったキャベツを拾い集め、雑巾でその場所を拭いている。
高田に殴られ、今日二回目の時間の空白が訪れる前、まさに汚物を見るような目で自分を見ていた雅ちゃんが視界に入った。
無理もない。
まだ謝ってもいないし、謝っても許されることではないことは、森男だってわかっている。それでも、黙ってないで、高田なんかに任せてないで何か言って欲しかった。
森男は常日頃思っていることがある。
みんなは自分をいじめたり、理不尽な絡み方をしてくるが、何かあるならその理由なりを『言って欲しい』ということだ。
自分では何も言わず、あれこれ変な理由をつけ、あるいは他人が自分に対してしている仕打ちをみて、笑う。
今回もそうだ。
なんで関係ない高田がいきなり出てきて、僕が殴られなきゃいけないんだ。
本当は雅ちゃんが僕を罵り、張り手一発食らう、というのが正解ではないのか。
その後で話を聞いていた高田が、僕を殴りつけたのなら、納得がいく。
むしろ、そうされても当然のことをしたと思ってる。
「もういいや… こんなこと考えても、誰にも理解できるはずないからな…」
真実は踏みにじられ、使い物にならなくなった今では、どうでもよくなってしまった。
まだ地球での生活が続きます。
正直自分では面白いかどうかわかりませんが(笑)
のんびり続けていこうと思います。