アルテイア(2)
マサトは少しの間だけ解放された。
皇太子殿下がこれから教授の授業を受ける予定だからだが、この少しの休息が今はありがたかった。
まだ少し息が乱れている。
ほんの少し動いただけなのに、こんなにも息が上がるとは少し怠惰が過ぎたのだろうか。
思えばノール公の下にいた最後の1ヶ月は勉強ばかりしていた。
勅命が出てから、図書館で王城のしきたりや習慣を勉強していたのだが。
「思ったよりも役に立たないな・・百聞は一見に如かずってことか」
少しだけ自嘲して呟く。
まだまだ自分の未熟さを痛感しながら自室へと戻った。
「着替えなくては・・・」
汗まみれになった服と下着。
沐浴もしなくてはならないだろうが、ともあれ着替えをしたかった。
着替えを求めて自室に戻る。
この自室はマサトにあてがわれたものだが、一介の教育係に対しては少し豪華であった。家具や寝具、服や下着までもがマサトにあつらえたようにぴったり揃っているのだ。
「期待されているということか・・」
少し反省した。
自室に戻ると、ベッドの上に着替えが丁寧に折りたたまれていた。
「アルテイアさん?」
きっとそうだろう。彼女くらいしかこの部屋にはやってこない。もちろん殿下やメルビン様も来ない訳じゃないがこんなことをするのは彼女くらいしか思いつかない。
「優しい女性なんだな」
よく気がついて、優しく、温かく包み込んでくれるような女性。
女性としては欠点は無いように見える。
フェルとは何もかも違っているが、そもそも比べることが間違っている。育った環境がまるで何もかも違うのだ。
「そんな彼女がどうして離婚することに・・・?」
マサトは少し不思議に思った。彼女なら引く手数多だろう。
望んで離別を選ぶ男が愚かにさえ思う。
深く詮索はしないほうがいい。
フェルやジェスの言っていた、アルテイアの婿という話はあくまで想像でしかない。
そんな話になるのかどうかはそのときになってみないと何とも言えなかった。
ベッドに横になる。
いろいろと考えを巡らせていくうちマサトは眠りに落ちていった。
赤い髪の少女が泉のそばで佇んでいる。
木々の木漏れ日が彼女の髪を照らして、キラキラと輝いていた。
暖かな日差しとさわやかな風が少女のを包む。
髪がサラサラとなびいていた。
「アルテイア・・・」
マサトは呟く。
遠くからその様子を眺めているだけの自分。
少女は裸足で泉の淵をくるくる舞っていた。
飛び散る水飛沫。
風に靡く赤い長髪。
木漏れ日がそのシルエットを彼女に映しこんでいる。
マサトはあまりの美しさに見とれてしまっていた。
不意に辺りが暗くなる。
日が陰ってきたのだろうか。
少女はきょろきょろ辺りを見渡している。
何かに戸惑っているように見える。
空は今にも降り出しそうな黒天になっていた。
少女は陸に上がり今にも降りそうな天を見つめながら雨宿りが出来そうな大木のそばに寄る。
「あ!だめだ!」
雷や稲妻の出る日は高い木のそばは危ない。
しかし遅かった。
天が一瞬光る。
死神の鎌が少女を襲う。
走り出したマサトの目の前で鎌が振り下ろされた。
赤い髪が空を舞った。
「・・・マサトさん!」
そこで目が覚めた。
「大丈夫ですか・・?」
アルテイアだった。
「とてもうなされておられました・・・大丈夫ですか?」
覗きこむようにマサトの顔を見ている。かなりうなされていたのだろう。アルテイアはとても心配そうにマサトを見つめていた。
「あ、はい・・・大丈夫です・・・」
大粒の汗が額に浮いていた。
「お疲れになったのでしょう・・今日は剣技修練もされましたし・・」
「あ、いえ・・・」
「もうすぐ食事の時間ですが、大丈夫ですか?」
だいぶ寝込んでしまっていた。3時間ほどだろうか。
「あ、はい。大丈夫です」
夢の内容・・アルテイアのおぼしき少女の最期を見ていたとは到底言えない。赤い髪だってだけで、アルテイアとは限らないのだが。少なくとも赤い髪の男性女性を見たことはない。
「今日は私が料理したのです・・お口に合えばいいのですが」
アルテイアは少し安心した様子で微笑んだ。
「それは期待してしまいますね・・どんな料理なのですか?」
「それは後でのお楽しみです。皇太子殿下と父様も来られますから」
「殿下とメルビン様も?それでは正装に着替えなくてはなりませんね・・」
「いえ。殿下はお忍びで。『私服で構わないから!』と」
「分かりました」
「まずは沐浴なされてから着替えられるとよろしいですよ」
アルテイアが微笑む。
「何度もうなされておられましたから・・・」
そう言われてはっとする。アルテイアの手にはハンカチが握られているが、きっとそばで看病するように見守っていてくれたのだろう。
「何か・・・私は言いましたでしょうか?」
マサトは恐る恐る尋ねてみた。
「いえ。苦しそうにされてただけで・・・」
「そうですか・・・」
「それではわたしは給仕の準備をして参りますね」
「はい。着替えてすぐ参りますので・・・」
「お待ちしております」
そう言って、微笑みながらアルテイアは部屋を出て行った。
「おいし~~~~~!」
アークが無邪気にはしゃぐ。
ここはアルテイアの部屋。比較的大きなテーブルを持ち込んで今は4人の晩餐中だった。
ラムセス=デ=アーク皇太子。ラムセス2世国主参謀メルビン=ラピス。
それからその娘アルテイア=ラピスと教育係マサト=アールティアス。
4人は和やかに晩餐についていた。
「ねぇねぇ!これ何て言うの?これ美味しいよね♪」
アークが楽しそうにアルテイアに尋ねる。いつもは専任女官がだだっ広い宮廷の晩餐間に持ってきて1人で黙々と食べるだけだが、今日は4人で食事というのが楽しいのだろう。いつも以上にはしゃいでいた。
「アルテはいいお嫁さんになれるよね~~ね、そう思わない?マサト~」
急に話を振られて、マサトは少し戸惑う。
確かに料理の腕前は結構なものだ。どれを食べても美味しいものばかり。
「そうですね」
今はそう答えるしかない。何を言っても何かやぶへびになりそうな気がしている。
「うんうん♪」
メルビンがかっかっかと高笑いをする。
「殿下。アルテイアはそんなに魅力的ですかな?」
「父様!」
「うんうん♪とても良いお嫁さんになれると思う♪」
再び高笑いする。
「・・・では、このマサト殿にはいかがでしょうかの?」
メルビンが唐突に核心をついてきた。
思わずスプーンを落としそうになる。
「父様!!!」
ちらりとアルテイアの方を見るとほんのり顔を赤らめているように見えた。
「そんなの・・・マサト次第じゃないの」
不思議とアークは不機嫌そうに答えた。
アルテイアを取られたくないのだろう。誰から見ても魅力的な女性のように見えるからだ。
ずっと傍にいた女性を失いたくないという思いはマサトには痛いくらい分かる。
「ではそのときはマサト殿に期待するといたしましょうかの」
「父様。少し飲みすぎてるではないですか?お水を差しあげましょう」
アルテイアは水差しに冷たい水を入れに行こうとして立ち上がった。少し気恥ずかしいのだろう。
「あ、私も参りましょう」
所在なさげなマサトも同行を申し出る。話の中心に据えられて言葉を挟む雰囲気ではなかったからアルテイアとこの場を抜け出すのは好都合だった。
「ごめんなさい・・あまり気にしないでください」
アルテイアは申し訳なさそうにしていた。
「いえ・・少し飲みすぎておられるのでしょう。楽しそうな御様子で良かったです」
「そう言って頂けると幸いです・・・」
「あまり気になさらずに」
アルテイアとマサトは宮廷の調理場に戻っていた。
「そういえば料理はどうでしたか・・?お口に合えば良かったのですが・・」
「とても美味しかったです」
「良かった」
アルテイアの顔がぱぁ~と明るくなる。少し沈んだ表情よりも明るく微笑んだ顔のほうが彼女には似合っている。その笑顔は木漏れ日の泉で見た少女の笑顔にそっくりだった。
「・・マサトさん?私の顔に何かついていますか?」
少し見とれてしまっていたのだろう。我に返るとアルテイアがまじまじとマサトの顔を見つめている。
「あ、え~と・・・目と鼻と口が」
「ふふ。面白い方」
水差しに新しい冷水を注ぎ終わったのだろう。アルテイアは静かに進んでいく。
「今日は楽しかったです。とても美味しかったですし。またアルテイア様の料理を頂く機会があるとうれしいですね」
「あら・・そんなの毎日でも作って差し上げますよ?」
「え・・・?」
「あ、いえ、あの話ではなくって、その・・・」
顔を赤らめるアルテイア。
「い、一緒に食事する機会はあるってことです」
「はは。そうですね。そのときはお願いいたします」
「お任せください。腕によりをかけて作りますから」
2人が談笑しながら部屋に戻ると、アークが不機嫌そうに声を上げた。
「お~~~~そ~~~~~い~~~~~」
見ればメルビンが椅子に腰掛けたままうたた寝をしている。
「メルビン寝ちゃうんだもん」
「あらあら」
「あんまり遅いから、2人でどこかに抜け出したのかと思った」
「そんな訳ないじゃないですか」
微笑みながらアルテイアが答える。
「今日はアルテの部屋で休んでもいいかな?」
アークが無邪気に尋ねる。余程暇を持て余していたのだろう。少し駄々っ子になっている。
「御付の者たちへは連絡しました?」
「アルテの部屋で寝るって言ったら、そのまま午前の勉強をしてくださいって言われた~」
「ですか。それならそういたしましょう」
「わーい♪」




