1969年7月、出張帰り
――さぁ、次はどんなものを持って帰ろう。
『1969年7月、出張帰り』/未来屋 環
「――ただいま」
「おかえりなさい!」
げんかんに走っていくと、お父さんが立っている。
夏休みぶりに見るお父さんの顔が、なんだかなつかしい。
あいかわらずぶすっとしているのは、つかれているからかも知れない。
「ねぇねぇ、おみやげは?」
わくわくしながら聞くと、お父さんは「あぁ」と思い出したようにかばんをひらいた。
「ほら美空、かるかん」
「やったぁ!」
わたしはお父さんからはこをうけとる。
お母さんから「美空、ごはん食べてから」と言われて、わたしは「はぁい」と元気におへんじした。
そわそわしながらごはんを食べてきちんとおふろもすませれば、まちにまった時間がやってくる。
茶色いはこをぱかりとあけると、中には白いふわふわしたかるかんが入っていた。
お父さんを見るとこくりとうなずくので、わたしはそれをそっと手にとる。
「いただきまーす」
一口食べるともちもちしていて、わたしは思わずにやけてしまった。
中には何も入っていないはずなのに、ほんのりあまい。
目の前ではお父さんもかるかんを食べている。
口元が少しだけ上がっているから、お父さんもおいしいと思っているのだろう。
「おいしいね!」
「……そうだね」
お父さんがぼそりとつぶやくので、わたしもなんだかうれしくなる。
あとは明日のお楽しみにとっておこう。
***
「ただいまぁ」
家に帰ると、下駄箱の上に見慣れない袋が置いてあった。
――あぁ、帰ってきたんだ。
ぴんときたところで、リビングのドアが開く。
「美空おかえり。お父さん帰ってるわよ」
「……はーい」
少しだけ気が重くなるのを感じつつ、靴を脱いで廊下を歩いた。
そのまま自分の部屋に入ろうとしたところで「美空」と低い声が響く。
「……何」
「帰りが遅いんじゃないか? 一体どこに行ってたんだ」
私はため息を吐いた。
「別にどこだっていいじゃん、もう高校生になったんだし」
「女の子なんだから、夜道は危ないだろう」
「いつも家にいない癖に、こういう時だけうるさく言わないでよ」
しんと静けさが空間に満ちる。
そのまま振り返らず部屋に入ると、それ以上声は追いかけてこなかった。
――たまに帰ってきた時だけ、父親面して。
できるだけ顔を合わせないようタイミングを見てお風呂に入り、その日はすぐに寝た。
翌朝起きると、お母さんがいつものように朝ごはんの準備をしている。
「おはよう……お父さんは?」
「もう行ったわよ。久々に本社に行かなきゃいけないとかで」
なんだか肩透かしを食らってしまい「へぇ、そう」とだけ返した。
その間にもお母さんが朝ごはんを並べてくれる。
――ふと、小皿がいつもより多いことに気付いた。
「何これ」
「お父さんのおみやげ。干しいもだって」
……おみやげがいもって。
他にないのかな。
その黄色い塊を睨んでいると、お母さんが苦笑する。
「ほら、早く食べちゃいなさい。遅刻するよ」
「……いただきます」
私はため息交じりに干しいもをつまみ上げ、口に放り込んだ。
そしてもぐりと歯を立てた瞬間――目を見開く。
「……ん?」
私は懸命に口の中のいもを咀嚼した。
なんというか――歯触りがねっとりしていて、口の中が穏やかな甘さで満たされていく。
思わずもうひとつ口に入れ、今度はじっくりと味わった。
「――おいしいでしょそれ」
テーブルの上にお茶を置いたお母さんがにやりと笑う。
「お父さんにお礼言っときなさいよ。わざわざおいしいお店まで買いに行ってくれたみたいだから」
「……わかったよ」
――まぁ、干しいもに罪はないし。
私はテーブルの上のメモ紙に「おみやげ、ありがとう」とだけ書いて、3つ目の干しいもを口に入れた。
***
「――お父さん、久し振り」
声をかけると、車椅子に乗ったお父さんが振り向く。
あいかわらず仏頂面のそのひとに、私はひらひらと手を振った。
スタッフさんが「娘さんが来てくれて良かったわねぇ」と話しかけると、お父さんは無言で頷く。
私はスタッフさんに許可をもらって、庭の方へとお父さんを連れ出した。
あれだけ暑かったはずの夏はどこへやら、秋を通り過ぎてもはや冬のような気温だ。
お父さんに「寒くない?」と訊くと、またもやお父さんは無言で頷いた。
「ねぇお父さん、手ぇ出して」
「……何だ」
ようやく口を開いたかと思えば、ぶっきらぼうな口調。
年齢を重ねる毎にひどくなってきた気がする。
私は苦笑しながら「いいから、ほら」と促した。
しぶしぶといった形でお父さんが手を差し出し――私はその上に、ころんと黒い欠片を載せる。
――瞬間、お父さんが驚いたように目を見開いた。
「――これは」
「先週まで出張に行ってたから、おみやげ」
顔を上げたお父さんの瞳がきらきら光っている。
それはまるで、少年のように。
「お父さんの代わりに行ってきたよ――ちょっと月まで」
1969年7月、アポロ11号が人類初の月面着陸を成功させた。
そのアポロ計画終了後暫く間が空き、2022年から始まったアルテミス計画。
何度か延期を繰り返しながらも、人類は月へと辿り着く夢をあきらめなかった。
残念ながら、宇宙開発に携わっていたお父さんは途中で引退してしまったけれど。
「――子どもの頃、万博で観たんだ」
お父さんがぽつりと呟く。
「私も観たよ、万博で」
「ん……あぁ、それは万博違いだな。同じ大阪万博でも、僕が行ったのは1970年のものだから」
そうか、お父さんが子どもの頃の万博も大阪だったっけ。
もっとも、私が万博に行ったのは大人になってからだけど。
「……本当に月に行ったんだな、美空」
手渡した月の石を見て、お父さんが少しだけ口元を上げる。
シャイなあなたがほんの少しだけ見せる、歓びの欠片。
――さぁ、次はどんなものを持って帰ろう。
「今度は火星にでも行こうかなぁ」
「それはいいが――僕が生きている間に帰ってくるように」
「だったらお父さん、もっともっと長生きしてよね」
「……努力する」
私たちは冬色に染まりかけた空を見上げる。
青く広がる海の中で、白い月が穏やかに輝いていた。
(了)
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
おみやげというテーマ、どうしようかなぁと何パターンか考えた結果、直近で「ヒューマンドラマを書いてみては」とアドバイスを頂いたので、自分なりのヒューマンドラマにチャレンジしてみました。
ちなみに私も万博行ってきたのですが、アメリカ館の月の石はむちゃくちゃ並んでいたので、中国館の月の石と日本館の火星の石を観て満足……。
いつか気軽におみやげレベルで手に入るようになるといいですね。
以上、お忙しい中あとがきまでお読み頂きまして、ありがとうございました。
【追記】
かぐつち・マナぱさんに素敵なイラストを頂きました!
銀杏の葉が降る中で見つめ合うふたり、父娘の絆が伝わってきます。
かぐつちさん、ありがとうございました(´ω`*)




