黒薔薇姫と月白の精
ケンプフェルト侯爵令嬢エレオノーラは高位の令嬢らしく実に高慢な少女だ。
いつも下位の令嬢や令息を我儘一杯に振り回しては、その反応を見てにんまりと扇の向こうで笑うのだ。
「良いからわたくしに従いなさい!」
左手を腰に当て顎を反らし、右手でばさりと胸の前で扇を開いて威張り散らす。人呼んで黒薔薇姫だ。
どんな無理難題もその一言で全て通そうとするエレオノーラは、午前のみで授業が終わった今日もお約束の如くお気に入りの黒レースの扇をばさりと開き、とある少女にビシッと突き付けて高らかに宣った。
「良いことユリア・レーデ。つべこべ言わずにわたくしに従いなさい!」
周囲の空気がぴしりと固まる中、突然扇を突き付けられた小柄な少女は柔らかく微笑み「はい」と十代も半ばの令嬢にしては少々たどたどしく膝を折った。
ユリア・レーデは学園入学前まで故あって市井で暮らしていたレーデ子爵家の令嬢で、非公式ながら毎年学園の有志たちによって選ばれる『当代の三美姫』にも入っている一部から月白の精と呼ばれる美少女だ。
どんな微風にもさらりと揺れる絹糸のような真っ直ぐな銀の髪。少し垂れたこぼれ落ちそうに大きな目。けぶるようなまつ毛に囲まれた瞳は月の光を固めたような蜜色。淡い色彩でも印象がぼやけないのは白い肌を際立たせる頬の朱と艶やかな唇の薄紅ゆえだろう。
対するエレオノーラは波打つ漆黒の髪に猫のようにきゅっと吊り上がった目の色は赤。陶器のように白く滑らかな頬に紅になど頼らずとも血の色に濡れた唇はぽってりと厚い。出るところは出てくびれるところはくびれる見事な均整の取れた体つきも相まって、すでに十代半ばとは思えない貫禄すら感じさせる。
実に、エレオノーラとユリアは正反対の存在なのだ。
「エレオノーラ!ユリアをどうするつもりだ!」
見つめ合うエレオノーラとユリアの間に異物が紛れ込んだ。金髪碧眼、物語に王子様と書かれていたら誰もが想像しそうな見事な美しい王子、第三王子のフリードリヒだった。
「ごきげんよう殿下。挨拶もなく割り込むなどずいぶんな不調法ですこと」
「うるさいぞエレオノーラ!俺の問いに答えろ」
「お断りいたします」
「何だと!?」
まるで汚物でも見つけたように顔を歪めるとエレオノーラは口元を扇で隠して顎を上げフリードリヒをねめつけた。
「殿下はお呼びではございませんのよ。わたくしは今、ユリア・レーデと話をしておりますの」
邪魔だと言外に伝えれば、フリードリヒの顔が見る見るうちに赤くなっていく。
「不敬だぞエレオノーラ・ケンプフェルト!」
「では不敬罪で罰しますか?ただ話をしていただけのわたくしたちの間へ無理やり割って入ってきて何も知らぬくせに騒ぎ立てた御当人が?」
「この……っ!だから俺の問いに答えろと言っているだろうが!!」
「人にものを問うならばそれなりの礼儀を通してはいかがです」
「お前が言うな!」
「さぁ、ユリア・レーデ。参りますわよ」
「はい、エレオノーラ様」
「おい!話を聞け!!ユリアも行かなくて良いから!」
ごちゃごちゃと騒ぎ立てるフリードリヒを放置して、エレオノーラは風を切り音もなく歩き、ユリアは少し小走りになり制服のロングスカートの裾を乱しながらも何とか遅れず着いて行く。
ケンプフェルト侯爵家の馬車にふたりが乗ると、追いかけて来たフリードリヒの目の前でばたりと扉が閉められた。
「主人が主人なら使用人も使用人だな!」
「恐れ入ります。それでは御前、失礼申し上げます」
閉じた馬車の扉の前で執事服に身を包んだ赤髪の青年はにっこりと微笑むと、慇懃無礼に一礼してさっさと御者台に乗り込み手綱を取った。
「おい!俺も乗せろ!!」
「危のうございますので一歩お下がりくださいませ」
「おい!エレオノーラ!!ユリアを返せ!!」
走り出した馬車に飛びつくと第三王子はランブルシートに飛び乗った。後ろからどんどんと馬車の壁を叩いているが無視して馬車は速度を上げた。
「うるさいですわね…しつこい男は嫌われましてよ」
車内では不機嫌そうに眉をひそめたエレオノーラが口元に扇を広げ、対面に座るユリアは「はい」と柔らかく微笑んだ。
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一面の青の中で銀が揺れる。
その様子をエレオノーラは屋外用のテーブルセットに座り黒レースの扇をひらひらと揺らしながら目を細めてじっとりと眺めていた。邪魔なのは、その横に目障りな金があることだ。あれさえなければまさしく絶景だというのに。
「あれ、邪魔ね」
「消しますか?」
「余計面倒になるから放置で良いわ」
小さくため息を吐いたエレオノーラの視線の先、金が銀に近づいていくのが見えて「ほんと、邪魔ね」とエレオノーラは盛大に舌打ちをした。
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「あの高慢ちきがユリアをどこへ攫うのかと思ったら中々良いところだな」
あいつでもたまには役に立つ、と面白くなさそうに、しかしきょろきょろと周囲を見回しながらフリードリヒが言った。楽しそうなユリアに目が止まり、途端にフリードリヒの眉間の皴が消えて一気に目尻が下がる。
「本気で仰っているのですか?」
真っ青な花に埋もれたユリアが美しく振り返った。
陽の光に輝く銀の髪が風にふわりと揺らめき、まるで一枚の名画を眺めているようだ。きっと天国があるならこんな風景に違いない。
「どういうことだ?」
「さきほどエレアノーラ様が仰っていましたよね?『毎年この丘のどこかで群生するのよ!毎年場所が変わるから見られるか見られないかは運ですのよ!わたくしに感謝しなさい!!って」
「ああ、言っていたな。それがどうした?」
少し強めの風に青の花弁と銀の髪が舞い上がる。ユリアは踊る銀糸をそっと手で押さえると、少し離れた小高い場所に座るエレオノーラを振り返った。
執事服の青年と何事かを話しているようでエレオノーラの視線はユリアに向かない。ユリアはため息を吐くとフリードリヒに向き直った。
「運だっていうのにエレアノーラ様、迷わずここまで来ましたよね?」
「そういえばそうだな」
「エレアノーラ様は突然思い立ったように仰いましたけど…本当は、事前にご自身で下調べをしてここに導いてくださったのだと思いますよ。だって、ただ使用人に調べさせただけで王都育ちの御令嬢があんなにひょいひょい障害物を避けながら進めると思います?」
フリードリヒも何かに気づいたように「ああ」と何度も瞬きをした。
「あいつ、ここまで来たのか?わざわざ俺たちに見せるために?」
「いいえ、違います」
「違うのか?」
「違います。エレオノーラ様は『私に』見せるためにここまでしてくださんです。本当は、私とエレオノーラ様だけだったのに……」
ユリアが言外に「邪魔だ」と言ったのが分かったのか、フリードリヒは目を見開いて固まった。
誰もがユリアの外見だけを見て清楚で可憐な守ってあげなければいけない幼気な少女だと判断する。
誰もがエレオノーラの外見と表面だけを見てエレオノーラを権力をかさに着た傲慢で鼻持ちならない令嬢だと判断する。その向こう側を見ようともしない。
「ユリア・レーデ!」
ユリアを呼ぶ声に振り向けば、仁王立ちしてユリアを見るエレオノーラの漆黒の髪が風に靡いている。
エレオノーラの手には大きな籠。その後ろではそんなエレオノーラに肩をすくめながら、エレオノーラ専属執事のマルクがやれやれという顔で茶器を用意している。
「お茶が飲みたいのだからさっさと来なさい!愚図なんだから!!」
エレオノーラが手にする籠にはきっとまたユリアが幸せになってしまう何かが詰まっているとユリアには分かる。
エレオノーラの傲慢はいつだって弱い誰かに向けられる。悲しんでいる者、苦しんでいる者、独りぼっちの者、貴族社会に馴染めない者。そういう誰かに向けられる。
そんなことも知らないくせに正義の味方気取りの連中の何と多いことか。
黙ったまま何とも言えない顔をしているフリードリヒなど始めからいなかったように、ユリアは勢い良く立ち上がった。
「はい、エレオノーラ様!すぐに参ります!!」
駆けだしたユリアの足元で青の花弁が舞い上がり、風に攫われていく。
それはそれは幸せそうに、ユリアは笑った。
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「良かったですね、エレオノーラ様。ユリアちゃんに喜んでもらえて」
「知ったことではありませんわ。作法もままならず茶会にも出られない貧乏人が勝手に楽しんでいるだけでしょう。なぜこの私が喜ばねばならいの」
私は花が見たかっただけよ!とエレオノーラはそっぽを向いた。
「じゃぁエレアノーラ様、何でもっと楽しまないんです?二度目の花畑」
「もう十分楽しみましたわ!今の私は花などよりお茶が飲みたいの!」
「そうですね、ユリアちゃんもあれだけ喜んではしゃいでいたらきっと喉も乾くでしょうしね。籠の中の綺麗な青の花ジャムとブルーベリーのパイもすっきり甘くて花と同じ色で、もっともっと喜んでもらえますね」
「私が食べたかったのよ!!」
「そうですね、良かったですね」
「うるさいわよマルク!」
ぱちん!と扇を閉じるとエレオノーラが籠を持ってテーブルから離れた。
「おや、どちらへ?」
「……椅子、二脚しか持ってきていないでしょう。敷物を敷いて座るわよ」
「ああ、結局邪魔者にも手を差し伸べるんですね」
「不敬だなんだと色々面倒だからよ」
「はいはい、そうですね。王族内でも存在感が薄くて気の毒な王子様ですもんね」
「どうでも良いのよ!とにかくお茶!」
「はいはい、まずは敷物を敷きますからね」
「『はい』は一回よ、礼節はどこに置いてきたのよこの失礼執事!」
「はいはーい」
「この……!」
花畑から銀の髪を靡かせて少女が満面の笑みで駆けてくる。
「エレオノーラ様ー!!」
「淑女が走るんじゃありませんわよ!!」
「はーい!」
「返事は伸ばさない!お茶が冷めますからとっとと来てくださいませ殿下!」
ユリアの後ろをしょんぼりと肩を落としてとぼとぼと歩いてくる金の髪の少年にも声を掛けると、エレオノーラはぷいっとそっぽを向いて籠を片手にマルクが茶を準備する敷物へと向かった。
ぽかぽかの昼下がり。一面青の花畑の中。金と黒の言い合いを銀が微笑ましくも羨ましそうに眺めるのを、赤髪の執事は日が傾くまで大きなあくびをしながら見守った。
ご通読ありがとうございました。
またお目にかかれましたら幸いです。




