Ninth Question “Overture”
一回の実戦の経験が、百回の訓練を凌駕する。
常に上官に言われていた言葉だ。最初の頃は、意味は理解はしていても実際に経験をしたことがなかったため、なんとも言い難かったが今になってその言葉の真の意味を理解することができた。
「三時の方向から敵襲!」
「っ!」
構えた銃の先に見えたのはこちらに向けて疾走してくる、黒い狼の集団。まるでドロドロのタールに覆われたような姿をしているそれは、逃げ惑う人間に次々と飛びついて喉笛を噛み切っている。
ニューヨークの街は悲鳴と怒号、銃撃の音に包まれていた。
輸送車に乗っていた部隊員と上官、そして自分を合わせ合計九名の隊員が市民を護衛しながら建物への避難を促している。だが、圧倒的な人員不足と補給不足により、すでに消耗戦に持ち込まれている。
敵の正体も目的も不明。だが、確実に言えるのは空に浮かんでいる巨大な黒い繭が原因だと言うことだろう。
「くそっ! 一体なんだって言うんだっ!」
隣で発砲している仲間が混乱しながら敵を処理している、突然のことで混乱しているのは自分も同様だった。銃弾が狼に当たっているのか、それとも逃げている市民に当たっているのか最早見分けがつかない。まるでSF映画の登場人物にでもなった気分だ。突如現れた、空に浮かぶ正体不明の物体。そこから生み出された謎の生命体が人々を襲い、必死に抵抗するも虚しく滅ぼされる寸前までゆく人類。
「っ! 頭上警戒っ!」
突如響いた指示に思わず上を向く。黒い煙が空に舞う中、霞んで見えたのは鷲のような姿をした物体が集団でこちらに突撃してゆく姿。目の前の地面に鷹が着弾した瞬間、大きな炸裂音と共にコンクリートの地面に穴が開き、真っ赤な炎と噴煙が次々と舞い上がる。
ビルのガラスが爆風で割れ、ガラスが降り注ぎ着弾した箇所にいた車が宙を飛ぶ。
「退避っ!」
上官の指示の怒号にも似た指示が爆発音を切り裂いてヘルメット越しに耳に届く。
だが、その時。
組んでいた陣営の中心で大きな爆発が起こる。
空中に投げ出される体。世界が反転し、その次の瞬間に襲ったのは投げ出された地面に打ち付けられた衝撃と鈍痛。歪んだ視界と酷い耳鳴りの中で体と脳が必死になって生存を促している、無理やり体を起こし目の前に転がっている自分のアサルトライフルに手を伸ばす。
だが、手が触れた。その感触はアサルトライフルのグリップの感触ではなかった。
「……は」
呼吸が止まる。
自分が手にしたものは、誰かの吹き飛んだ腕だった。
「は……っ、はっ」
自分の呼吸が浅く速くなるのを感じる。しかし、そんなことはお構いなしと言わんばかりに、周囲では爆発音が鳴り響く。同時に、地面の振動が新たな敵の接近を否応がなしに知らせていた。
もしこれが本当にSF映画なのだとしたら、自分はきっとエンドロールの中盤の最後に出てくる小さな文字で書かれたエキストラの一人だろう。きっと、誰の記憶にも残らない、あっけなく宇宙人に殺される軍人Fに過ぎないのだろう。
誰の記憶にも残らない、本当に脇役。いや、脇役と言うのすら烏滸がましいただのやられ役。
「く……そぉ……!」
右手にある、誰かの腕を放り捨て、少しだけ明瞭になった視界の端に映ったアサルトライフルを拾い上げ、銃口を地面に突き立て体を持ち上げると、腰に装備してある手榴弾の安全ピンを引き抜く。
「グレネードっ!」
勢いよく叫び、手榴弾を正面に投げる。地面にあたり、数秒後に炸裂した手榴弾が接近してきた狼の集団の一部を吹き飛ばす。黒い肉塊になって吹き飛んだ狼の体が周囲の建物に飛び散りシミとなる。
続け様に、発煙弾を投げ煙で周囲の視界が遮られている内に転がっている車の影に隠れ、まず自分の体の状態を確認する。
軍の支給した装備は多少故障はあるものの、まだ戦闘を継続させるには問題はない。だが、右脇から感じる激痛から肋の骨に異常があることがわかる。続けて、周囲の状況を確認。自分と同じく車の後ろに身を屈めている仲間の姿は二人ほど確認できたが、動けない仲間の救助をできる余裕はない。
正面で目が合った仲間がハンドサインで、後退すると指示を飛ばす。軽く頷くと、相手が指でカウントをし合図すると同時に、素早く車の影から飛び出し煙幕の向こう側に向けて弾幕を張りながら移動をする。
目標地点は、市民が避難しているビルの地下まで。その距離、おおよそ二百メートル。普段であれば、そこまで遠くない距離であるはずなのに援護をしながらとあれば、途方もなく遠く感じてしまう。
「……嘘だろ」
目の前の煙が晴れてゆく、そこであり得ないものを目にする。先ほど、手榴弾で吹き飛ばしたタールのような狼の肉片が、まるでビデオの逆再生のように一箇所に集まったかと思うとグニャリと姿を変え、別の生き物に変化しようとしている。
明らかにこの世のものではない。
まともに戦って勝てる相手ではない。
思わず銃を放り出して逃げ出したい衝動を抑えながら、弾幕を張り後退する。銃のマガジンの弾が切れ、素早く腰のマガジンポーチからマガジンを取り出し装填。それを繰り返しながら、必死に後ろの仲間を援護する。
目標地点まで、残り六十メートル。ビルの入り口が見える、すでに仲間はビルの出入り口で待機をして付近では発煙弾が焚かれており、すでに自分を迎え入れる準備は整っている。
あとはビルの中に入るだけ。
そう、それだけだった。
だがふと。瓦礫の横に、見てはいけないものを見てしまった。
「っ!」
弾幕を張っていた、手が一瞬止まる。視界に映ったもの、それは今まさに狼が飛びかかって襲おうとしている避難先とは反対側の道路にいる子供の姿だった。
思考が結論に辿り着くよりも先に、体が動いていた。
弾幕を張り続けていた正面から左に百二十度、銃口を狼に頭に向けて撃ち抜く。頭部が吹き飛んだ狼は子供の小さな体を軽々超えて、地面に叩きつけられて転がって行くが、足が立ちあがろうとバタバタと動いている。
「グレネードっ!」
煙幕の向こう側に手榴弾を放り投げる。大きな爆発音を確認するのと同時に、子供を保護するために駆け出す。子供は狼に襲われた衝撃で尻餅をついているが、生きてはいるようだ。
「おいっ! 大丈夫かっ!」
膝をつき、子供のそばに近づくと目に涙をたっぷりと浮かべ、こちらを見ながら首を小さく横に振る。見れば足を怪我しており膝から血が出ている。しかし、この場で応急処置をするわけにはいかない。
素早く子供を抱き抱えようと、アサルトライフルを背中に回した、その時だった。
地面を爪で鋭く蹴り付ける音が背後から聞こえてくる。危険を感じ後ろを振り返ると、頭部を失った黒い狼が片腕を上げて、こちらに向けて振り下ろそうとしている。
咄嗟に左腕で防御を取るが、振り下ろした狼の爪は最も容易く丈夫な軍の隊服を切り裂き、切り裂かれた皮膚から血が吹き出た。
「く……っ、そっ!」
すかさず腰の装備から拳銃を取り出し反撃、しかし片腕のみで撃ち出された銃弾は狼の体をスレスレで掠め、距離を取られてしまう。
「あ……あ……」
ふと、子供の口から悲鳴が漏れる。拳銃を狼に向けたまま、顔を後ろに向けると、すでに煙は晴れており、車の瓦礫の上、道路には黒い狼たちが並んでおり憎しみの籠った眼光でこちらを睨みつけている。咄嗟に避難先のビルの入り口の方へと目をやると、すでに狼たちに囲まれており逃げることは不可能となっている。
「っ……」
拳銃を投げ捨て、アサルトライフルを構えるが、これだけの量を捌けるほどの弾薬は残されていない上に、今引き金を引けば確実に狼たちは一斉に襲いかかってくるだろう。
死は確実。
「はぁ……っ……はぁ……っ……!」
防塵マスクから息が漏れる、思考が回らない、右手で支えるアサルトライフルが震える。視界が熱くなった血流で揺らぎ始めた時、ふと止まっていた思考がスリップして過去の景色を映し出す。
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『大学をやめたら、どうするつもりなの?』
「米軍に入隊しようかなって」
『やめなよ。大学も途中でやめちゃう人が続く訳ないでしょ』
「じゃあ俺がセラに教員の仕事もミュージシャンも向いてないって言ってもイイ訳だね?」
『その話か……』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんな些細な会話が、今まで忘れていた会話がふと頭の中で再生される。少しだけ失望したような彼女の顔を、なぜか思い出す。
売り言葉に買い言葉。どうして、あんなことを言ってしまったのだろう。
でも、彼女の言う通りだった。
中途半端な人間だったから、中途半端なことしかできなかった。
中途半端な人間だったから、中途半端に死ぬことになるんだ。
SF映画のやられ役がお似合いの人生だった。でも、今自分の足を必死に掴んでいる、この子は自分の命に変えてでも救わなくてはいけない。
中途半端な軍人が抱いた中途半端な正義感か?
いや、これは意地汚い人間のエゴだ。この子が生き残れば、ここで死んだとしても、この中途半端な人生を生きてきた俺にも何か意味があったと思えるんじゃないか。そう思えるんだ。
「……君、俺が合図をしたら。隣のビルの入り口に向かって走るんだ」
「え……」
「大丈夫。俺が、全力で援護する。いいかい」
防塵マスクを外し、地面に投げ捨てると震えている少年に向かって微笑む。
3、
2、
アサルトライフルの引き金にかけた指に力を入れる。正直、死ぬ覚悟なんてものはないが、
今、この瞬間だけ。
俺は、主人公だ。
「One……!」
と言ったその時だった。
狼のいる向こう側から、車の大きなクラクションが鳴り響く。けたたましく鳴っているそれは、ものすごいスピードでこちらに近づいている。狼の注意もまた、その音の方へと向いているようだった。
次の瞬間、ボコボコになった道路の向こう側から黒のマスタングと思しき車が車体を軽く浮かせながら、こちらに向かって勢いよく突っ込んでくる姿が目に飛び込んでくる。
「な、マジかよっ!」
突然のことに行動が遅れる、しかしマスタングは陥没した道路に車輪を取られ、狼の群れをスリップして轢き飛ばしながら、建物に向かって突っ込もうとしている。だが、狼の群れが一部轢き飛ばされたおかげで、ビルへの逃走経路が確保できた。
マスタングを運転している奴は間違いなくイカれてるが、これは千載一遇チャンスだ。
「今だっ!」
勢いよく少年の手を引きビルへと向かって駆け出してゆく。だが怪我を負っている二人の足は狼の足よりも圧倒的に遅い。この隙を逃さんとばかりに残りの狼が二人に向かって襲いかかる。
一かバチか、右手に抱えたアサルトライフルを狼に向けて発砲しようとした瞬間、突如引き金を引いていないのにも関わらず、目の前の狼が何かの攻撃を受けて、その場で弾けて消滅する。
「な、」
咄嗟に後ろを振り返る。狼を消滅させた者の正体、その目に映ったのは悪魔のような形相で、放送禁止用語を大声で連発しながらアサルトライフルの銃口をこちらに向けて突進してくるトレンチコートを着込んだ無精髭の男の姿がそこにあった。
こちらに人がいるのにも関わらず、何の躊躇いもなく発砲してくる、一見すれば街中で会うことがあれば絶対に関わりたくないような男だが、その狙いはあまりにも正確で確実に狼の頭部を射抜いていることから、男の技量は凄まじいことが窺える。
「馬鹿野郎っ! こっちには子供がいるんだぞっ!」
「ウルセェ、Motherfucker! こちとらテキサスから一日中休みなくバカみたいにポップなアニソンばっか聞かされて頭のネジが吹っ飛びかけてんだよっ! しかも、あのJap、クソ親父の車を『ワイルドスピード』みたいに雑に扱いやがって。この仕事が片付いたら、ぶち殺してやるっ!」
何を言っているのかさっぱりわからないが、大変ご立腹であるのは火を見るより明らかだ。しかし、怒り心頭であるのにも関わらず、構えたアサルトライフルから放たれる弾丸は正確に狼の急所にあたっている。
「おい、ビリー・ジョーっ! ボーッと突っ立ってねぇで、そのガキさっさとビルの中に押し込めておけっ!」
「は? ビリーっ?」
「テメェしかいねぇだろうがArmy! 死ぬ気でそのガキ守れっ!」
ものすごい剣幕で男が捲し立てる、そのあまりに形相に自分の足を掴んでいる少年は再び泣き出しそうである。とてもではないが子供に見せていい大人の姿ではない、少年から男の姿を隠すように前に出る。
自分に何かできることはないだろうかと、援護をしようとしたが男の立ち回りに付け入る隙は全くない、むしろここで援護に入ってしまったら邪魔になる。
「クソッ! めんどくせぇっ!」
次々と襲いかかる黒い狼の群れをアサルトライフルとデザートイーグル交互に使い分け、さらにアサルトライフルの先端に装備されたミリタリーナイフを狼に突き立て、確実に命を刈り取ってゆく。
男は腰から手榴弾を取り出し、空中に放り投げる。同時に集団でこちらに飛びかかってくる狼たち。デザートイーグルで狙いを定める男。放たれた銃弾は空中に投げ込まれた手榴弾の安全ピンを掠め、同時に大きな爆発が空中で炸裂する。
一掃された道路には狼たちの姿はない。
大きくため息を吐いた男は雑にアサルトライフルの空になったマガジンを地面に投げ捨て、コートのポケットに押し込められたマガジンを取り出しアサルトライフルに装填する。
「その、えっと……。助かったけど……何者だ、あんた」
「おい、そいつは5.56か?」
男は自分の質問を無視し、装備している軍用アサルトライフルのHK416を指差している。無言で頷くと、男はもう一度コートのポケットに手を突っ込み、取り出した一つのマガジンをこちらに放り投げる。
「こいつを使え。鉛よりこいつの方が効果がある」
「……助かる」
「それと、この建物の屋上に用がある。エレベーターは使えるよな?」
「……わからない、けど仮に使えなくても、使えるようにすることはできるはず」
「よし、あとはあのクソ野郎だが……」
と、男がボソリと呟く。その言葉をまるで聞いていたかのように、男のそばにもう一人、黒いリクルートスーツを着込み、腰には日本刀らしきものを装備したアジア人が現れる。その瞬間青筋をこめかみ浮かべた男はアジア人の胸ぐらを掴み上げ前後に揺さぶっている。
まさかとは思うが、先ほどの暴走イカれマスタングを運転していたのは、この人畜無害そうなアジア人だったというのか。
「この大馬鹿野郎っ! テメェっ、確かに大急ぎで突っ込めって言ったが限度があるだろっ! 俺を殺す気かっ! それにだっ、来るのが遅ぇんだよっ! 何したんだっ!」
「すみません、駐車場がなかなか見つからなくて」
「こんな状況で駐車場探すバカがどこにいんだよっ! テメェ『アベンジャーズ』見たことねぇのかっ! 撃ち殺すぞっ!」
話していることは確かに男の言っていることは至極真っ当である。二人の関係はよくわからないが、相性は悪くないように見えた。だが、このままでは陽が暮れてしまうのも時間の問題だろう。
「あの別に言い争いは続けていてもいいけど。ここの上に用事があるんじゃないのか?」
「……はぁ、確かに。体力の無駄だ、案内してくれビリー・ジョー」
「あのな……。俺はビリー・ジョーじゃないし、今回は目を瞑ってやるが、本来は軍関係者以外フルオートの銃火器の使用は……っ」
言いかけた言葉を遮るように突如として響く猛獣のような雄叫び。思わず飛び出して道路を確認すると、明らかに生息している馬よりも二回り大きい黒い馬のような生き物が蹄を地面叩きつけながら、こちらを睨みつけている。
次の瞬間、アスファルトの地面を砕きながら猛スピードで接近してくる黒い馬。転がっている車を跳ね飛ばしながらやってくる、その恐ろしい姿に思わず先ほどもらったマガジンをアサルトライフルに装填し、狙いを定める。だが、発砲しようとするよりも先に、ノールックで構えた男のデザートイーグルから一発の銃声が響く。
もろ急所に銃弾を喰らった馬は、その場で倒れ込み、バランスを崩したまますごい勢いで吹き飛ぶと空中で爆散して消えた。
「で、フルオートが何だって?」
「……何でもない」
何も言うことができなくなった自分は大人しくアサルトライフルを下ろし、ビルの中を完全に空気と化してしまった少年と一緒に進んでゆく。
「おい、Army。名前は?」
「イーサン。イーサン・ジョブス」
「……どっかで会ったか? お前と」
「……は。あんたみたいな髭の似合わない男。会ってたら、すぐに思い出してるさ」
アサルトライフルに装備されたライトでビルのホールを照らしながら進んでゆくと、正面にエレベーターのドアが見える。扉の横のスイッチを押すと、スイッチが点灯したため、電気は通っているようだ。
「俺はここまでだ、地下に避難してる民間人のところにこの子を連れてゆく」
「あぁ、死ぬんじゃねぇぞ」
ぶっきらぼうに男は言うと、到着したエレベーターにアジア人と一緒に乗り込んでゆく。結局、彼の正体はわからなかったが、きっとここだけの縁ではないだろうということがなぜか普段は当たりもしない直感がそう告げていた。
「なぁ、あんた。名前は?」
扉が閉まる直前、思わず尋ねてしまった。男は自分の目をまっすぐ見ながら答える。
「クリスチャンだ、クリスチャン・ジョンソン」
エレベーターが閉まり、二人を連れて上へと上がってゆく。
「……握手くらい、するべきだったかな」
ボソリと、イーサンは呟くと少年を連れてビルの地下へと向かう。とにかく、今は自分にできることを。きっと彼らにも、彼らの物語があって何かの役割があるのだろう。
まだ、物語は動き出したばかりだ。
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今回の話は、こちらの作品のセリフを引用させていただいております。




