Sixth Question “Past“
あのゴーストタウンでの一件から一週間後。病室のテレビでは、昨日行われていたIBAが主催するアマチュア世界ボクシング大会の予選の解説を行なっている女性アナウンサーと元プロボクサーのレジー・タピアがお互いの意見を交わしているところだった。
ベッドで寝ているのは渡辺、そしてその横では他人の病室であるのにも関わらず外で買ってきたビックマックを頬張っているクリスの姿があった。
「クリスさん……病人の隣でハンバーガーを食べるのはどうかと」
「栄養満点の朝飯の代表だぞ。お前もナースに言って用意してもらえ」
「はぁ……最悪だ……」
渡辺はこれ以上何を言っても意味がないと悟ったのか、うまそうにビックマックを頬張るクリスを横目に天井を仰ぎ見る。
「そういえばだ。お前、『ニイサン』とか『ネエサン』とか『ゴメンナサイ』とか言ってたが。あれ、どういう意味だ?」
「……」
「おい、あんなにお喋りだったのに急にダンマリか?」
ビックマックを食べ終えて包み紙を病室のゴミ箱に放り投げ、今度は袋の中に入っているフライドポテトに手を伸ばすクリス。だが依然として彼の言葉が聞こえないふりをしている渡辺に痺れを切らしたクリスはコートの中から油まみれの手でスマートフォンを取り出すとGoogleを開き、それぞれの単語を検索する。
「『ニイサン』日本語ではBroって意味か。『ネエサン』はその逆。『ゴメンナサイ』はSorryか」
「……」
「……ダンマリ、か」
天井を見たまま固まっている渡辺に軽くため息を吐くと、クリスは再びフライドポテトに手を伸ばす。しかし、中身がすでに空になっており、軽く舌打ちをしたクリスは、先ほどと同様、病室のゴミ箱に向かって空になったフライドポテトの箱を投げ入れるが、今度は外してしまった。
大きくため息を吐き、クリスは椅子から立ち上がると地面に転がっている箱を拾い上げゴミ箱の中へと放り込む。
「……渡辺家は千年以上続く、鬼狩りの一族です」
ぽつりぽつりと、渡辺は天井を見上げながら。独り言のように語り始めた。
渡辺家は、日本ではその道の者なら知らないものはいない、怪異退治のエキスパート、その名を聞いただけで魑魅魍魎を震え上がらせる渡辺 綱を祖とする鬼狩りの一族である。
その一族の四十七代目当主が、渡辺 綱紘であった。
その幼名を渡辺 ノリトシ。渡辺家では齢に関わらず、必ずとある流派をその体に刻み込まれるまで叩き込まれ、そして儀式を行い、その結果によって当主の座に着くことができる。
その儀式とは、まさに蠱毒のように残酷な殺し合い。与えられるのは一振りの刀、今まで一緒に過ごし、苦楽を分かち合った、そして血を分け合った、兄弟と夜の闇の中で殺し合いを行うのである。
ノリトシには、上に兄と姉がいた。兄の名前は、カツヒサ。姉はヒヨリ。二人とも、弱く、儚げだったノリトシにいつも優しい笑顔を向けてくれた、ノリトシにとって何者にも変え難い大切な人だった。
当主なんて、どうでもよかった。
ただ、ただ。この人たちと幸せに過ごせれば、
それでよかったのだ。
しかし、そんな願いはただの弱さでしかなかった。自分の命が、彼らに刈り取られそうになった瞬間、全身の細胞が生きるために脈動を始めるのを感じた。
気づけば、刀を握るノリトシの手は血まみれになっていた。
同時に、ノリトシの心は完全に死んだ。
当主として『綱』の一字を与えられ、渡辺家の奴隷として生きる証『鬼王丸』を手にした時に。
「……僕は、今でも後悔しています。兄を、姉を斬った、その決断を」
「……」
「……今まで、忘れようと思っていました。でも、あのミラクルに足を掴まれた瞬間『罪には罰を』という言葉と一緒に。全部の記憶が鮮明に蘇りました」
その言葉を聞いたクリスは、どこかバツが悪そうな顔をしながら頭を掻き、近くの椅子に腰掛けると深く息を吐く。顔の髭をなぞりながら、クリスは天井を見つめたままの渡辺を見る。その表情は、どこか泣きそうでこちらまでもその空気に飲み込まれそうになってしまいそうだった。
「……はぁ、その。なんだ、悪かった。お前の境遇も知らないで、勝手なことを言っちまって」
「……別に構いません。任務に支障が出ないように回復に努めます」
「……」
精神的な傷は長引く。たとえ、本人が強がっていたところでそれは事細かな動きに出てしまう。ましてや、命のやり取りをする商売をしているのであれば尚更だ。
渡辺の過去に触れた。
同時に、クリスの過去が問いかける。
『あの子を、助けてあげて』と。
「……心理学の世界では、互いの精神的傷……まぁ、トラウマってやつを共有することで回復を促すのに重要な要素があるらしい……って、まぁ。受け売りだがな」
「……誰のです?」
渡辺の問いかけに、クリスは自分の髭を触りながら答える。
「俺の死んだ、大事なカミさんのだよ」
「クリスさん……奥さんいたんですか?」
「まぁな、コレクターズで唯一の心理士。いい女でな、俺の髭をダサいって言いながらも、好きだって言ってくれたやつだ」
「……」
そう言いながら、クリスは腰のデザートイーグルを取り出すと、渡辺に向かって放り投げる。放り投げられたデザートイーグルを受け取った渡辺は、右手に感じたそのずっしりとした重さに少しだけ声を漏らすと、そのデザートイーグルのスライドに彫られた文字を見る。
「クリスチャン……とイザベル……?」
「今から、三年前のクリスマス。俺は、この仕事から足を洗おうとしてた。イザベルも賛成してくれてな。最後の仕事を片付けて家に帰った時だ」
家にはミラクル除けの呪いを張っていたはずだった。家に帰って目に飛び込んできたのは、イザベルがすでにミラクルに憑かれている姿とそれを囲んでいる他のミラクルの姿だった。
どこで足がついたのかはわからない。だが、自分の落ち度だったのは明白だった。
激闘の末、ミラクルを片付けて窓から逃げたイザベルを庭先に追い詰めた。
「俺は、その銃でイザベルの頭を吹き飛ばした、その瞬間に俺の中の時間は止まっちまった。あいつらを見るたびに反吐が出そうになる。だが、時々あいつらと人間の境界線がわからなくなっちまった」
「……」
「と、まぁ。そんな迷ってばかりの生活ももう少しで片がつく。テメェが一人前になったら俺はお払い箱だ。それまでは、仲良くやろうぜ」
片手をひらひらと振りながら、クリスは病室の出口へと向かって歩いてゆく。少し曲がったクリスの広い背中が寂しげに映ったのは気のせいだったのだろうか。
「クリスさん」
「あ?」
「……あなたのせいじゃない」
渡辺からでた言葉に、病室を出ようとしたクリスの足が止まる。だが、そのまま振り返ることなく、クリスは病室を後にした。
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「イレナ、どうしてあいつを俺のバディに選んだ?」
「理由なら、もうわかるんじゃない? 彼から聞いたでしょ?」
「……」
病院の外で待っていたのは、イレナだった。現在、彼女のアウディでテキサスの街をあてもなくドライブしている最中である。窓の外を歩いてゆく人混みを目で追いながらクリスはイレナへと質問を投げかけたが、彼女の回答は想像していたものと同じだった。
「同じ傷を持つもの同士。歪な組み合わせは、パズルのように噛み合うもの。お互いの痛みを知っているからこそ、お互いを理解することができる。そう思ったのよ」
「……ケッ。イケスカねぇ」
「あなたのお父様の言葉よ。私は、彼にとてもお世話になったわ。そんな彼の残していった忘れ形見だもの。大事にしてあげなくちゃ」
「……Fucker、余計なことを……」
過ぎゆくテキサスの街並みは、相変わらず黒く澱んでいるようにクリスは見えた。同時に、思い出すのは冬の冷たい空気の中を互いの温もりを頼りに歩いた、彼女との記憶。
イザベルは、要領のいい女性だった。いつ死体になって帰ってきてもおかしくない自分のことを、毎晩帰ってくるまで夕食を用意し待ってくれていた。そんな献身的な彼女のことを、少し大袈裟に思いつつも愛おしく感じていたのは間違いなかった。
あぁ、自分には帰るべき場所がある。
それがどれだけ、汚れ仕事をやっている自分にとって救いだったか。きっとわかるものは誰一人いないだろう。
だが、あの三年前のクリスマスの日。全てが終わりを迎えた。
今でも忘れることはできない。
自分の握ったデザートイーグルの引き金を引く瞬間に、彼女の目が一瞬だけ、微笑んだように感じたのは。あの、自分が生きて帰った時に見せてくれた、優しい眼差しに戻ってくれたような、そんな気が。
「クリス?」
「……あ? なんでもねぇよ。で、本題は俺たちの傷の舐め合いじゃねぇんだろ」
「あら、理解が早くて助かるわね。早速だけど、この資料に目を通してもらえるかしら」
「はぁ……」
冷笑を浮かべているイレナが手渡してきたファイルを乱暴に受け取るクリス。だが、ファイルの中身に目を通すクリスの目が大きく見開かれた。
「おい……、これは……っ」
「あのゴーストタウンで、何人かのミラクルを拘束したの。そこで断片的に得た情報をまとめ上げてリスト化した結果。ミラクルたちの最終目標が見えてきたわけ」
あいつらは、百八十年の間に積み上げてきた生贄を使って。この現実世界に、神を降臨させるつもりよ。




