Third Question “Fate”
男の病室には、タコスの独特の酸味がかかった臭いと、昨日の野球観戦リプレイ映像の音で充満していた。テレビの向こう側では、今年のMLBの覇権を握っている大月翔太とトッド・ステアーズの熱い試合が昨日行われていたことをテレビニュースで報じているのだが、それを見る男の目は少し冷めている。
「映画の一本もやってねぇのか」
「昼の番組なんてそんなものよ、クリス」
「あのアナウンサー、もし会ったら引っ叩いてやる」
クリスの病室にはもう一人、ブロンドの髪を後ろでまとめ上げたキャリアウーマンのような出立ちをした線の細そうな四十代の女性がいた。ちなみに、クリスが今目の前で食べているタコスを用意したのは彼女である。
「それにしても、あなたが珍しいわね。こんなドジを踏むなんて」
「俺も歳ってことかな」
「それは現役で動いてる私に対しての当てつけ?」
「さぁな」
そういってタコスの最後の一口を口の中に放り込み、雑に口元についたサルサソースをナプキンでふくクリス。そんな様子を彼女は呆れた様子で見ていたが、今回の一件はクリスにとっても予想だにしていなかったことが伺えた。
「イレナ。今日あんたが来たってことは、とうとう俺をお払い箱にしてくれるって話か? だったら喜んでサインするぜ」
「残念ながら違うわね」
「そうか、そりゃ残念」
「ねぇ、いい加減あなたも蒐集家としての自覚を持ったら? 何も悪いことをしてるわけじゃない。私たちは、人を救ってるのよ?」
そんなイレナの言葉を聞き、初めてクリスの表情が歪む。普段は腑抜けたような視線の奥からは確実に怒りのようなものをイレナは感じていた。
「人を救ってる? バカを言うなよ、イレナ。俺たちがやってることは人殺しだ。そこに誇りも何もありゃしない。神様だが、なんだか知らんがそう言う奴に取り憑かれたやつを見境なしに殺して回ってるだけの話だ。俺は何回だって言うぞ、イレナ。もし、今度こういう状態になったら、俺は抜けさせてもらう」
そういってクリスは自分の病院着の上着のボタンを乱暴に開けると、そこに現れたのは先週腹部に負った傷の縫合跡だった。修羅場なら何度か超えてきたクリスではあったが、その度に積み重なるのは、自分の両手で殺してきた罪のない人間達の命の重みであった。
「俺は、正直この国がどうなろうが、どこの誰かが死んじまおうが知ったこっちゃない。ただ、俺をそこに巻き込まないでくれ、俺はもう……、二度とあいつのように自分の手で……」
「……わかったわ。クリス、貴方の意見は尊重させてもらう。けど、最後にしてもらいたいことがあるの」
「これ以上俺に何か頼むつもりかよ、イレナ」
「そうね。少なくても、貴方が今まで散々使って来てくれた『コルト』の飲み代のツケと銃弾代くらいは働いてもらうわよ」
その話を持ち出されてしまっては弱い。今までの飲み代は換算すればかなりの量にはなっているはずである。仕事で利用していたとはいえ、仕事の中での唯一の楽しみであったのも事実ではある。
二人の間にしばしの沈黙が流れる。
そして、
「っ……、はぁ。わかったよ、何をすればいい」
「貴方に、同行調査をお願いしたいの。同時に、貴方の後継にあたる人物の育成ね」
「後継? どいつの話だよ」
そう言いながらイレナのことを見るクリス。イレナのその視線は病室の出入り口へと向いている。しばらくすると、コツコツと廊下を硬い靴で歩くような音が聞こえてくる。一定のリズムで刻まれているそれを聞いたクリスの第一の感想は、
『絶対に、自分と合わない』
だった。
「入っていいわよ」
「失礼します」
扉の向こう側から聞こえた、流暢な英語。だが、あまりにも綺麗すぎるその発音から、相手の人間はこの国の出身ではないことが窺える。
「……お前は」
「どうも、ご無沙汰しております。自己紹介はすでに済ませていましたが、あの時の貴方は正常な状態ではなかったので、改めてご挨拶を。この度、日本から派遣されました。蒐集家の渡辺 綱紘と言います」
先週の夜、すでに自分の命を諦めていた時にクリスの前に現れた背の小さいアジア人の男が目の前に立っていた。
「おい、イレナ。まさか、後継って……」
「そう。彼のことよ」
どこか冷めた笑みを浮かべクリスのことを見ている渡辺の表情が、やけにいけすかなかった。
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「おい、なんでついてくる」
「貴方の仕事ぶりを、ミス・イレナからよく見ておくようにと指示を受けています」
「そうか、で。本当の目的は?」
「貴方がサボらないかどうか、ミス・イレナからよく見ておくようにと指示を受けています」
「……Fucker……」
クリスが病院を退院してから一週間。クリスの後ろをまるで雛鳥のように四六時中ついてくる渡辺のことに嫌気がさしていた頃合いだった。何度か、人混みの中で渡辺のことを撒こうとしたこともあったが、いつの間にか後ろにいるので余計にクリスは苛立ちを隠せないでいた。
「おい、チビのJap。その背中のギターケースには何がはいってるんだ?」
「僕の仕事道具です。あと、その呼び方はやめてください。不愉快です」
クリスは一瞬立ち止まり、後ろで礼儀正しく立っている渡辺の姿をまじまじと見る。黒のコートに、黒のリクルートスーツ。黒のネクタイ。そして背中には、その姿に不似合いな背負うタイプのギターケース。身長はだいたいクリスより頭一つ分小さいため、約170cmくらいだろうか。渡された情報によれば、二十四になったばかりだというが、顔はまだまだ幼い様相で学生と言われても信じてしまいそうになる。
「僕の顔に何かついてますか?」
「あぁ、ついてるぜ。イケスカねぇ、何にもしらねぇクソガキの顔がな」
「そう言う貴方は、歳の割には随分と老けているように見えますね」
「これでも気に入ってるんだ。この髭はな」
「はっきり言いますけど。似合ってませんよ」
「……余計なお世話だ」
冷静に痛いところをつかれたクリスは軽く渡辺を睨みつけると踵を返して、再び歩き始める。時間帯はまだ昼過ぎで、まだミラクルたちが活動を始める時間帯ではない。
街の大通りを外れ、人通りの少ない路地へと入ってゆく。
そして、
咄嗟に腰からデザートイーグルを引き抜いたクリス。その銃口は渡辺の眉間に押し付けられており、引き金を引けば最も容易く彼の脳髄を木っ端微塵にできることだろう。
「どういうつもりですか?」
「どういうつもりもこうもねぇよ。目障りだ。うせろ」
「それはできません。僕は、ミス・イレナに頼まれて貴方を監視しています」
「……Jap、テメェが殺してるのは人間か? それとも化け物。どっちだ?」
「当然化け物です。温情のかける余地のない、この世から排斥すべき悪です」
「……」
澄ました表情で淡々と語る渡辺にますます嫌気が差してくるクリス。思わず、引き金を引きそうになった、まさにその瞬間だった。
渡辺のもつギターケースが勝手に開き、渡辺の左手に刀が収まると、そのスラリとした刀身がクリスのデザートイーグルを握る右手にかかる。
「接近戦では、銃よりも刃物の方が有利の場合があります。覚えておいた方がいいですよ」
「……なんだ、その気色の悪い剣は……」
渡辺が握っている刀。その刀身には余すことなく、さまざまな文字が彫り込まれており、日本語から英語、果てはヒンドゥー語、梵字まで彫り込まれていおり、それは刀と呼ぶにはあまりにも気味の悪い、呪物のような代物であった。
「我が家『渡辺家』に代々伝わる宝刀。鬼王丸です。どうです? もう一度病院送りになりますか?」
まっすぐ、こちらを見る渡辺の目に曇りは一切ない。ここでクリスが引き金を引こうとすれば、彼は迷うことなくすぐさまクリスの右腕を切り飛ばすだろう。
軽く舌打ちするクリス。
「……テメェを殺すのに無駄玉使うくらいなら、一杯やったほうがマシだぜ」
諦めてデザートイーグルをしまうクリス。このまま勝負をしても負けるのは目に見えている。再び、渡辺に背中を向けて歩き出すクリス。
「どこに行くんですか?」
「言っただろ。一杯やりに行くんだよ、憂さ晴らしにな」
「そういえば、自分。『コルト』に入ったことないんですよ、よければ一緒してもいいですか?」
「……好きにしろ」
バー『コルト』は、アメリカの至るとこに点在しており開拓時代から、コレクターズの後方支援を行ってきている。日本では『刃』という名前のミシュランで星一つを取っている寿司料理店がコレクターズを支援しているという話をクリスはどこかで聞いたような気がしたが、どうでもいいことだった。
基本的に、コレクターズの活動範囲は広い。クリスが任されているのはテキサス州のヒューストン都市部である。そこをほとんど一人で任されているわけだが、ミラクルの発生条件と目的が現段階でわからない以上、彼らを引きつける方法としては自分が撒き餌なって彼らを引きつけるしか方法はない。
そこから溢れて殺されてしまった人間は、まさに気の毒としかいえないだろう。
しばらく細い道沿いを歩いていくと、コルト銃のネオンの看板目印のバーが目に入ってくる。
「……いらっしゃい」
「ウィスキーを、ワイルドーターキーをストレートで。あとレーズン」
「……かしこまりました。お連れ様は?」
「こいつは適当に」
「……何か飲まれますか?」
いつ来ても、顔色の悪い同じ顔をした店員が渡辺に向けて声をかけるが、声をかけられるとは思っていなかったのか、慌ててカウンターに置かれたメニューを開いて、そこから必死にドリンクを選ぼうとしている姿を見たクリスは、彼に付き纏われて初めて頬が緩んでしまった。
「え、えっと。はいっ! カルーアミルクをっ! ミルク多めで!」
「ぷ……っ!」
あまりにも、シックなバーに響いた可愛らしい注文に思わず吹き出してしまうクリス。
「……かしこまりました。カルーアミルクでしたら塩気のあるナッツをお勧めしておりますがいかがいたしますか?」
「あ、はいっ! お願いしますっ」
「……かしこまりました。少々お待ちください」
そう言って店員は、少し奥の方でドリンクを作り始める。その様子を珍しげに眺める表情の渡辺を見たクリスは、バーに来たのはきっとこれが初めてなのだろうと勝手に想像した。
「クリスさん、あの人、ミラクルじゃ……」
「……なんだ。一発でわかったのか?」
渡辺の言う通り、コルトにいる店員は全員ミラクルである。その正体はシェイプシフターと呼ばれる、どんな姿にでも見た目を変えることのできる化け物で、訳あってコレクターズに協力をしている。だが、その事実を知っているものはコレクターズの中でも一握りである。
「ま、バーに来て初っ端にカルーアミルクを頼むお子ちゃまにはわからねぇ裏話が色々あるんだよ」
「……悪かったですね。そういうお酒が好きなだけです」
少し不貞腐れたような顔をする渡辺に、先ほどまでの緊迫した空気は感じない。
「……お待たせしました。ワイルドターキーのストレートとレーズン。カルーアミルクとソルトナッツです」
店員から運ばれてきた飲み物のグラスをそれぞれ手に取り、クリスは渡辺と向き合う。ちょうどカルーアミルクに口をつけようとしていた彼だったが、後ろを振り返った彼に少しだけ驚いたような表情を見せる。
「……はぁ、とりあえずだ。まずは、このどうしようもない運命に」
「……そうですね。このどうしようもない運命に」
乾杯。




