三橋とから揚げレモン
三橋宇良は、から揚げにレモンをかけない。
食べ物の中で最もから揚げが好きな三橋である。
そして、にんにくと生姜の効いたから揚げに、レモンの酸味は邪魔だと考えて生きてきた。
だが、最近の三橋は、ある悩みを抱えていた。
「それでな、宇良君。あの件についてだが……」
夜、本城課長に強引に飲みに誘われる。
それはまあいい。
本城課長は、ふたつ歳上の女性上司であるが、シゴデキだしとても美人だ。
ビールで乾杯した後、から揚げが出てくる。
流れるように、課長がから揚げにレモンをかける。
三橋は、心の中で、ため息を吐いた。
「さあ食べたまえ宇良君。から揚げが好物なのだろう?」
「はい……大好物です」
レモンをかけたから揚げは嫌いですとは言えない。
会社の上下関係ではあるが、三橋は本城課長には逆らえなかった。
「はむ……美味しいです」
「うんうん、宇良君はいつも頑張っているからな。こんなことしかできないが、お礼だと思ってくれ」
本城課長に悪気はない。
それどころか、とてもいい人である。
から揚げを食べる三橋を笑顔で見守る本城課長に、とても本当のことは言えなかった。
そんなことが何度も続き、最近の三橋はレモンをかけたから揚げしか食べていない。
レモン抜きのから揚げに、三橋は飢えていた。
その日、三橋は帰宅後揚げ物鍋を取り出した。
外食で食べられないなら、自分で作る。
鶏もも肉は買ってきてある。
準備は万端だ。
まず、鶏もも肉を包丁で切る。
一人暮らしではあるが、三橋は料理が好きだ。
課長に拉致られなければ、自炊するくらいには料理男子である。
次に、にんにくと醤油を入れた生姜汁にもも肉を漬け込む。
それから冷蔵庫に入れて、待つこと二時間。
キッチンペーパーを敷いたパッドに鶏肉を並べ、水分を拭き取る。
「ふふ……いいツヤだ」
ちょっと人には見せられない顔で涎を垂らす三橋。
そんな自分の顔には気づかぬまま、次のパッドに片栗粉を用意し、鶏肉をぶち込む。
片栗粉を程よくまぶした後、さらに冷蔵庫に一時間。
時計はもう九時を過ぎている。
三橋の空腹は限界に達していた。
鍋に米油を入れ、熱する。
菜箸を入れると、大きな泡がポコポコと湧き出てくる。
頃合いだろう。
丁寧に鶏肉を鍋に入れ、強火で三分。
ジュワジュワと美味しそうな音が食欲を刺激する。
鶏肉を取り出し寝かせた後、再度一分揚げる。
ようやく完成したから揚げを、三橋はわくわくしながら箸でつまみ上げた。
「ふふ……台所で食べるのがまた美味いんだぜ」
カリッとしたから揚げの食感。
そして、じゅわっと広がるにんにくと生姜の効いた醤油の風味。
最高のから揚げ──。
だが、どこか物足りない。
「あれっ……?」
思わず、首をひねる。
これが自分が食べたかった味のはずなのに。
何かが足りない。
「まさか……」
首を捻りながら、レモンをから揚げにかける。
恐る恐る口に運ばれるから揚げ。
酸味が加わったその味は、眼鏡をかけきりっとした本城課長の顔を思い出させた。
「課長にから揚げ……。そのギャップのせいか……?」
レモンをかけたから揚げが好きになっているのかもしれない。
三橋はため息を吐いて残りのから揚げを口に運んだ。