09 再会
「お母様。ご心配をお掛けしてしまって、本当にごめんなさい」
私の家出が原因で心配のあまり倒れてしまったという母ナディーヌへと駆け寄り彼女へ謝ると、妹オレリーに良く似た美しいお母様は涙を流して頷いた。
「……先ほど、ここに来たお父様からある程度の事情は聞いたわ。ミシェル。護衛騎士のジュストと、恋仲になったんですって?」
お父様……私がオレリーと廊下で話している隙に、父はこちらへとやって来て母へと事情を説明したらしい。それを聞いてすぐに怒っていた父とは対称的に、母は穏やかな笑顔で嬉しそうに微笑んでいた。
娘の私から正直に言わせると、この両親二人だって、恋愛結婚を選んだのに……という気持ちがどうしてもある。本来ならば祖母たちの願いを叶えるのは、この母のはずだったのだ。
ナディーヌお母様は、すでに中年と言える年齢に達しているにも関わらず、儚げで美しく生活感がない。お父様が夜会で一目見て恋に落ちたと聞いても、全く不思議ではなかった。
「そうよ……けれど、それは家出した後のことで、それが原因で私は家出をした訳ではないわ。お母様」
護衛騎士ジュストと結婚したいからという理由で家出をした訳ではないと私が言えば、お母様はすべてわかっていると言わんばかりに微笑んで頷いた。
「私はわかっているわ。ミシェル……」
その時、お母様は意味ありげに微笑んだけれど、その理由は言わなかった。
……ここには、私の家出の原因となったオレリーが居るからだ。
「お姉様! 待って。ジュストと恋仲なんて、駄目よ!」
オレリーは手を繋ぎ合っていた私と母の会話を聞いていて、後ろからそう叫んだ。
「オレリー……」
「だって、お姉様には婚約者ラザール様がいらっしゃるでしょう? 将来は皆が憧れるクロッシュ公爵夫人になれるのよ。申し分のない嫁入り先なのに……あんな一介の護衛騎士など、比べものにならないくらいの素敵な旦那様なのに、どうして……」
……それは、そんなラザール様が貴女に恋をしたから。
そんなことが、何の罪もないオレリーに言えるはずもなかった。
「ジュストはお父様が功績を認められて叙爵された貴族でもあるし、そんなお父様が結婚されたという義理のお母様から従属爵位を譲って頂けることになったそうよ。だから、一介の護衛騎士ではないわ。彼は未来を約束された貴族で伯爵なの」
私から話を聞いて、オレリーは信じられないと言わんばかりの、ぽかんとした表情になっていた。
「ジュストのお父様が、叙爵を受けたですって……? それは、確かに私は知らなかった。けれど、公爵と伯爵ではあまりにも身分差があるわ。お姉様は誰よりも、幸せになるはずの人なのに……」
これはオレリーがジュスト本人を馬鹿にしているといったわけではなく、貴族と平民の身分の違いは明確で、彼女はそれを言いたいのだと思う。
一時的な恋愛感情に流されてしまい、不幸になった人たちは多いからだ。
「オレリー。もういい加減にしなさい。ミシェルは家出から帰って来たばかりで、考えることが、たくさんあるんだから」
母はこの妹がそれを言うことが、私にとっていかに辛いかを理解しているらしく、オレリーを窘めた。
「だって! この前だって、親に決められた婚約を嫌がって駆け落ちした貴族二人が、お決まりのように不幸になったではないですか! 私は大好きなお姉様が、そんなことになるなんて……」
「オレリー。貴女は興奮し過ぎているようだわ。自分の部屋に戻りなさい」
「お母様……けど」
「良いから。戻りなさい」
いつもは体の弱い彼女に甘いけれど、ここはピシャリと言った母に逆らえず、オレリーは渋々ながら部屋を出て行った。
「……お母様。ごめんなさい」
「何も謝ることはないわ。貴女も言いたいことを言えず、辛いと思うけど……オレリーには、あの事は知らせない方が良いわ。わかっているでしょう」
ラザール様が私からオレリーへ、婚約者を変更出来ないかと聞いたあの件だ。
「わかっています……あの子が、何も悪くないことも」
オレリーは自分が原因で私が家出をしたと知れば、せっかく良い薬で段々と体調が良くなっていると言うのに、心が傷つき倒れてしまうかも知れない。
「貴女はジュストのことが、幼い頃から好きだったものね……」
しみじみとそう言ったお母様に、私は驚いた。
「お母様! 私がジュストを好きなこと……知っていたのですか?」
私がジュストのことを好きだと、彼は目を見ればわかると言っていた。けれど、周囲の人にもそれが、言わずとも漏れてしまってわかるくらいだったのかと驚いてしまった。
「ええ。それは知っていたけれど、貴女はラザール様と婚約することが決まっていたし……幼い頃に身近な異性へ向ける一時的な感情だと思っていたもの。けど、その後もずっと傍にいたジュストは身分の問題を解決してから、貴女に好意を打ち明けたのね。何だか、あの彼の愛は、とても深くて重そうで沼のようだわ。ミシェル」
お母様は心配顔をして、頬に右手を置いた。
「……けれど、お母様……ジュストはお父様に反対されて、何も言い返さずに荷物を纏めて出て行ったんです。どう思います? 私は彼の行き先も、何もわからないんですよ!」
先ほど未練など見せずに、サラクラン伯爵邸をあっさりと出て行ったジュストのことを母に訴えれば、彼女は苦笑して言った。
「きっと、ジュストのことだから、何か考えがあるのよ。あの子は幼い頃からとっても頭が良くて要領も良かったから、私やミシェルが考えつかないような再会の仕方をすると思うわ」
「……お母様も、そう思います?」
付き合いの長い私も、あのジュストのことだから、きっと何か作戦があって出て行ったとは思っていた。けれど、どうしても不安だったのだ。
これまでずっと一緒に居た私から離れてしまうというのに、ジュストは何の抵抗もなさそうだったから。
「貴女と結婚するためだけに、学問一筋のお父様を叙爵されるように仕向け、義理の息子になる自分へ従属爵位をくれるような高位貴族の未亡人と結婚させたんでしょう。そんなジュストが何も考えずにここを出て行くなんて、考える方が難しいわ」
お母様はなんだか、愛を誓ったはずの恋人に置いて行かれた娘の現状を聞いて楽しそうだった。
「お父様が功績を挙げられたことは、別にジュストが仕掛けた訳ではないでしょう?」
私はお母様が誤解をしていそうだから正そうと思って言ったんだけど、お母様は呆れた顔をしていた。
「ミシェル……貴女ったら、何を言っているの。勉強一筋の学者が、叙爵されるための根回しなんて出来る訳ないでしょう。すべて息子のジュストが代わりにしたことに決まっているわ。陛下の耳にまで功績が届くように調整し、平民が貴族になれるのよ。そんな器用な人なら、そもそも一人息子と離れたりしないわ」
「そっ……それは、そうですけど」
確かに学問しか能の無い生活不能者だと、ジュストは苦笑して言っていた。だから、彼は心配した親戚に連れられて、このサラクラン伯爵家にやって来たと。
「お母様。ジュストは本当に、私のために……そこまでしたんでしょうか?」
結果的にそうなっている訳だけど、その事がどうしても信じがたい。
「状況を見れば、そうよ。私は本音を言えばジュストを応援したいけれど、ラザール様の件は色々と面倒だものね。あの子はどうやってそれを解決するのかしら。楽しみね」
お母様はお父様と十何年も経った今でも語り継がれるくらいの大恋愛結婚をしたし、私だって二人を身近で見ていて愛し合う夫婦は素晴らしいと思っていた。
自分だって、そんな人と結婚したいと。
「ラザール様が健康になったオレリーを好きになったのは、ただの偶然ですけど……」
「ねえ。ミシェル……世の中には、偶然に起こることなんて、実は少ないのよ……ジュストのお父様がどんな功績を認められて叙爵されたのか、調べてみれば良いと思うわ」
お母様の意味ありげな微笑みを見て、私はその時にもしかしたらと思った。