37 買収
そして、私はたった一人の妹が行方不明になっていることに気が付き、音をさせて椅子から立ち上がった。
「いけないわ! 私も探しに行かないと……! 馬車を用意して貰わないといけないわね……!」
執事シモンは私の言葉を聞き頭を軽く下げると、すぐに部屋の外へと足早に去って行った。
彼はジュストが何処からか雇い入れた若い執事なのだけど、優秀で私たちの意図を知るとすぐに手配してくれる。
そういえば……ザカリーは元クロッシュ公爵家の従者だけれど、シモンは何処の家に居たのかしら。これだけ実務がこなせるということは、間違いなく何処かの家で執事をしていたということになると思うけれど……。
「まあまあ、そういうこともあろうかと、僕はトレヴィル男爵のことを見張らせておりましてね。ミシェル……お気持ちはお察ししますが、どうか落ち着いてもらえませんか」
「……え!」
すぐ近くに居たジュストは私の腰に手をまわし、意味ありげな流し目をくれた。
また……僕にはすべてお見通しなんですよ、という表情をしているわ。
これまではこの得意げな顔を見るたびに、見蕩れると同時に少々の苛立ちを感じていたものだけど、今回ばかりは違う……もしかしたら、ジュストはオレリーの居場所を、既に確保していたということ?
「いえいえ。魅力的な婚約者を前にして、見蕩れてしまうお気持ちはお察ししますが、ミシェル……今は家族の一大事です」
こんな時にも真面目な顔をして私を揶揄ったので、私は彼の胸を叩いた。
「もうっ……! そういうのは、今は良いから! どういうこと? トレヴィル男爵がオレリーを連れ出したの……!? もし、そんなことをしていたなら、私は彼を許さないわ!」
「ですから、落ち着いてください。ミシェル。僕は先ほど『そういうこともあろうかと』と言いました通り、オレリー嬢がこういう事をするかもしれないという予測はしておりました。なので、トレヴィル男爵には見張りを……サラクラン伯爵家の使用人にも、オレリー嬢を見張るように、と」
そこで、にこやかに微笑んだので、私はいよいよ彼から離れた。
「もしかして……私の実家の使用人を買収しているの? ジュスト」
私は上目遣いで睨むと、彼はとても楽しそうにますます笑みを深めた。
「買収などと言葉が悪いですね。オレリー嬢が心配だっただけですよ。ええ。こういう事態になれば、姉のミシェルが駆り出されることも目に見えている。では、その前に前職場の知人に謝礼を渡すなりで、僕は対策を……とても自然な流れです」
どう考えても買収して情報を貰っているように思うけれど、ジュストがサラクラン伯爵家で他の使用人たちと上手くやっていたことを思えば私も何も言えなかった。
ジュストは人当たりも良くて、距離感も上手い。女性の使用人たちにも言い寄られていたと聞くけれど、彼女たちに恨みを持たせることもなく言葉巧みに上手く断っていたようだ。
だから、当時私の傍に付きっきりの護衛騎士であることを終えるまでは、彼は恋人を作ったり誰かと結婚することはないのだろう……そう思って居た。
今思えば私を妻にするために、夜も眠らずに色々と動き回っていたのだから、誰の誘いにも乗らなかったのよね。
「……もうっ……! それは、良いわ。とにかく、オレリーは今どこに居るの? あの子は私と違って、外もあまり出たことがないのよ……もしかして、誰か悪い人に何かされたら!」
私は曲がりなりにも乗り合わせの馬車に乗って、三日間旅して山奥のアンレーヌ村まで辿り着いたことがある。
後になって、すべてを護衛騎士ジュストから見られていたと知ったけれど、曲がりなりにも乗り合わせの馬車で人付き合い出来たのも、ある程度人と話すことや平民たちの常識を知っていたからだと思う。
健康な身体を持った私と違い、オレリーは病弱でこれまで、ほぼベッドの上で過ごして居た……それに、今はジュストのお父様が開発した新薬で身体は良くなっているものの、医師から激しい運動などは止められているはずだ。
それなのにあの子は、一人で家出をしたと言う。
「どうか、落ち着いてください。それに、久しぶりにサラクラン伯爵家の使用人に会うのも楽しいと思いませんか、ミシェル。シェフのジョンもミシェルがこの邸に来てから会えないから寂しいと嘆いておりましたし」
「買収したのは、ジョンなのね……!」
気の良いシェフの顔が思い出されて、私も寂しい気持ちはした。
ジョンは幼い頃から私が両親からあまり構って貰えていないことを知っていたから、一人だけの食卓になった時には喜ぶような好物をわざわざ出してくれていたのだ。
一人だからと貴族と使用人が食卓を同じくする訳にもいかず、近くにはジュストやメイドたちも控えていたけれど、彼らと話すことも出来ずに黙々と食べるしかなかった。
孤独な食事は味気ないけれど、ジョンの細やかな心遣いにはいつも感謝していた。
「いや、ですから……買収などしておりませんよ。メイドたちは休みがありますが、専属シェフのジョンはよっぽどの事がないと、サラクラン伯爵家を離れません。そういう理由でお願いしただけですので、どうか彼を責めたりしないでくださいよ」
ジュストは言外にこれは誰にも口外しないで欲しいと伝えたので、私はムッと口を尖らせた。
「もちろんよ。私があのジョンを、両親に売るとでも? それに、ジュストとジョンは仲が良かったものね。住む場所が離れてしまっても、彼を頼るのは理解出来るわ。けれど、ジョンはオレリーの居場所を知っているなら、どうして私の両親には何も伝えていないのかしら……?」
頬に手を当てた私は、それが不思議だった。
おそらくは、ジョンはジュストから『オレリーが家出するかもしれない』と聞かされていたはずだ。それとなく評判の悪い男性が近付いているという妹の様子を監視していただろうし、それは他の使用人だって同じだったかもしれない。
ジョンは自分を雇う私の両親には忠実なはずで、オレリーの居場所を知っているならば、どうしてまだ何も言わないのかしら?
「……さあ。それは考えても仕方ないことかと……ミシェル。僕らの持つ情報はあまりに少なすぎますので、頭の中の想像だけでは遠い場所で起こった事実は、永遠にわからないですね」
「これから、ジョンに会いに行くのね……?」
私がそう言えば、ジュストはにっこり微笑んだ。
「その通りです。そうすれば、ミシェルの知りたい何かは、彼がきっと教えてくれますよ。僕はトレヴィル男爵の動向も探らせているので、二つのカードが揃えば……それは、オレリー嬢の現在地となるはずです。ミシェルの言う通り、オレリー嬢が今一人で居るとは、とても考え難いですから」
私はまったく手がかりのないところから始めなくて良さそうだと、ほっと安心して息をついた。
もし、オレリーが王都に居るとしても、こんなにも人が多い中で、あの子一人を見付けるなんて、なかなか出来ることではないと私にだって理解出来るもの。
それに、私のように馬車に乗って、どこか違う街を目指していたら……? どこに向かったかもわからなければ、四方八方を闇雲に探し回ることになるし、それこそ砂漠の中から針を探すようなものだ。
「……それって、もっと早く言えなかったの? ジュスト」
「伝える隙間がなかったんですよ。僕は常にミシェルのことを最大限に尊重しておりますので」
両親の手紙を受け取った直後にこれを言ってくれたら良かったのにとじろりと睨めば、私の言葉を遮るなんて出来なかったとジュストは悪気なく肩を竦めた。




