30 好きになった理由(Side Just)
コミカライズ担当される漫画家『らっこちゃん先生』より「どうしてジュストはミシェルのことが好きなんですか?」というご質問に答えて書いたSSです。
今思うと「近くに居て自分を頼り続ける女の子は気になるので」で良かったのに……3000字も書いてしまった。
僕がサラクラン伯爵令嬢ミシェルに仕えるようになって、一ヶ月ほど経った時のこと。
「……ジュスト。ジュスト!」
「はい。こちらに。ミシェルお嬢様。何かご用でしょうか?」
名前を呼ばれた僕が扉を開くと駆け寄って来たミシェルは背中に隠れ、焦った様子で絨毯の上を指し示した。
「これ……! 早く退治して!」
「ああ。虫ですか。かしこまりました」
絨毯の上に居たのは、小さな虫だ。しかし、ミシェルは外遊びなどしたこともない、お育ちの良い貴族令嬢。これを見てさぞかし驚いたものと思われる。
僕はつかつかと歩み寄り机の上に置いてあった手紙用の便箋を一枚取ると、その上に載せて窓から放した。
「あ。良かったわ。殺さなかったのね……ありがとう。ジュスト」
僕が振り返るとミシェルは、胸を押さえて、ほっと安心していたようだった。
自分を脅かすような虫の命など気にすることもなかろうにとは内心思いつつも、優秀な僕はそんな優しい感性を持つミシェルの考えそうなことを予測して野に放った。
自分で言うのもおかしな話だが、主人の意向を完全に理解出来る素晴らしい護衛騎士だし、賃金を上げるように父上に進言してもらっても構わない。
よこしまなことを考えていることはおくびにも出さず、にっこり彼女へと微笑んだ僕は、手に持っていた便箋を折って屑籠へと捨てた。
「これはこれは、驚かれましたね。また何かありましたら、遠慮せずに僕をお呼びください」
僕は優雅に胸に手を当てれば、ミシェルは急にもじもじとして、言いづらそうに言った。
「あの……この後、ジュストが時間があればで、良いんだけど……」
「ええ。何かございますか。お嬢様のご希望を叶えるのが、僕の役目ですので」
厳密に言うとそれは護衛騎士の役割ではないのだが、ミシェルは何故か身の回りのことをする侍女などが長く続かないらしく、そうすることは僕の雇い主サラクラン伯爵からの命令だった。
「……一緒に街に出てくれないかしら。お父様の誕生祝いがもうすぐでしょう? お祝いの品を見に行きたいの」
正直に言うと、彼女のお願いを聞いて、僕は拍子抜けした。ミシェルはただ外出したいと言えば良いだけなのに、護衛騎士のこの後の予定を気にするとは。
育ちが良すぎるのも考えものだ。
「ええ。構いませんよ。ミシェル様に贈られれば、伯爵様も何でも喜ばれるでしょう」
「ありがとう。ジュスト。では、私は着替えをするわ」
血統の良い貴族令嬢はその場その場に合った、適切な服装が求められる。一日に何度も着替えることが当たり前なのだ。なんとも金のかかる贅沢な話なのだが、それはそれで不便なようにも思える。
僕は育ちの悪い、平民出身の護衛騎士ですので。
「かしこまりました。僕は馬車の準備を」
ミシェルはそれで良いと示し頷いたので、廊下に出た僕は髪結いメイドと着替えを手伝うメイドを捕まえ、彼女の部屋へと向かわせた。
貴族令嬢のお世話係は、高給なのに楽で、得がたい仕事ではある。仕える令嬢のミシェルも可愛いし、性格は真面目で我が儘を言わないし、それほど手間は掛からない。
しかし、やり甲斐があるかと言われれば、それは別の問題だ。
「あら……ジュスト。お姉様は外出を?」
ミシェルの妹オレリーは生まれつき病弱で、ほとんどの時間をベッドの上で過ごしている。珍しく体調が良いのか、外に出て来ていたようだった。
僕は馬車の前で準備万端でミシェルを待っていたので、彼女は予想することは簡単だったはずだ。
「はい。そうです。オレリー様は、お加減はいかがですか」
「今日はとっても体調が良いのよ。出掛けるなら、私も一緒に行こうかしら」
頬を染めて嬉しそうなオレリーに、僕はにっこりと微笑んだ。
ミシェルがそろそろ、外出着に着替えて、ここへとやって来るだろう……その上に、オレリーの着替えを待つ? ああ。帰りが夕暮れになりそうだ。
これはどうにかして、彼女の同行を阻止しなくては。
「……オレリー様。申し訳ありません。本日行く予定の店が、閉店時間が早い店なんですよ。また次の機会にご一緒いたしましょう……ああ。ミシェル。早く来てください。店が閉まってしまいますよ」
いつの間にか近くで立ち止まっていたミシェルを見て、僕は馬車へと入るように促した。オレリーは珍しく不満そうな表情を見せたが、僕は笑顔で会釈して馬車へと乗り込んだ。
僕の仕事はミシェルを世話することであって、オレリーについては業務外になる。何か希望することがあれば、自分の侍女だったり護衛騎士だったりに頼んで欲しい。
ミシェルの妹オレリーは外見は儚げで美しいが、僕は彼女が気が強そうな気配を察していた。
……大変面倒そうで、あまり近付きたくない。
「ジュスト。あの……閉店時間が早いの? 私知らなかったわ。別の日にすれば良かったわね」
向かいの席に座るミシェルはオレリーを避けるための嘘を、そのまま信じてしまったようなので、僕は軽く頷いて肯定しておいた。
この嘘がバレたところで、ほかの店と勘違いしていたと言えば良いだけだ。
「いえいえ。思い立てば……と、申しますよ。オレリー様は残念でしたが、またの機会があるでしょう」
「……そうね」
ミシェルは嬉しそうに微笑み、僕は窓の方向へと目を向けた。
祝日が続いているので、人出が多い。
これから行く高級店には貴族以外立ち入ることがないが、馬車が出てから店に入るまでは、どうしようもない。護衛対象のミシェルに何かあれば、すべて僕の責任になる。
扉を出て、周囲を確認して……彼女をエスコートして、急いで歩かせるか。店内も怪しい人物が居ないかを、確認して……。
「ジュスト」
窓を見ながら馬車を降りてからの手順を確認していた僕は、ミシェルに呼ばれたので慌てて彼女の顔を見た。
え……やけに、嬉しそうだ?
「はい。なんでしょう。ミシェルお嬢様」
「……ありがとう。連れて来てくれて」
「いえ……」
それは僕の仕事ですからと言い掛けて、ミシェルの潤んでいるような緑色の瞳を見て黙ることにした。
……この外出が泣くほど、嬉しかったのか?
まだ僕も仕えて短いし、彼女の気持ちを全部は推し量れない。良くわからない感謝の言葉ではあったのものの、意図がわからない以上、ここは黙って置く方が無難だろう。
店に着いたので、先に馬車を降りた。
周囲を見回して問題ないと判断し、僕はミシェルに手を差し出した。そして、彼女の手を取り店内へとエスコートした。
店内も特には、問題なさそうだ。小さく息をついてミシェルを見れば、彼女は僕を見てどうして良いものかと困っていたらしい。
「……ミシェルお嬢様。大丈夫ですよ。何か見られます?」
「えっ? ええ」
ミシェルは戸惑いつつも店内へと足を踏み入れ、そして、僕を振り返った。初めての場所だから戸惑っているのかもしれない。
僕は彼女の手を取って、紳士用の装飾品がある場所にまで進んだ。ここまで来れば勝手に見るだろうから、僕は少し離れて見守れば良いだろうと思った。
……しかし、そこで気が付いた。
ミシェルは常に僕の位置を確認し、そして、離れることを嫌がっている。不安なのかと思い、傍に寄れば安心したように目の前の商品を確認していた。
離れてもおかしくない場面でも、僕が居ないと慌てて確認している。そして、三歩以上は離れようとしない。
無意識の行動なのかもしれない。ミシェルは婚約者が決められていて、育ちの良い貴族令嬢は自分の役目を理解していて、身分の違う僕に恋心を抱くことはないだろう。
だと言うのに、彼女はまるで僕だけを頼りにしているかのように、常に位置を確認していた。
それに気が付いたその時から、ミシェルはただの護衛対象ではありえなくなった。
守るべき者、大事にすべき者、希望を叶えるべき者。
そして、彼女は愛すべき者だと……そのことに、僕は気が付いた。




