28 賞品(Side Just)
「……王手」
僕が難攻不落だったはずの陣を築いていた敵側の息の根を留める手を指すと、敵側だった彼は両手を挙げて首を横に振り白旗を揚げた。
そこで僕の大会優勝が決まったので、周囲から大きく拍手が巻き起こった。
チェスは複雑な駒の動きで頭を使う貴族の嗜みのひとつであるし、社交場である紳士クラブで大会自体は良く開かれるのだ。
これは、各大会を勝ち抜いた優勝者のみの争いであったので、僕が今現在この国でのチェス一位ということになった。平民はチェスを嗜まないので、隠れた名手が居ない限りはそうなるだろう。
大きな箱に包まれていた優勝賞品を受け取って、僕は軽く壇上に上がり感謝を述べて礼をした。
「おめでとう。アシュラム伯爵。君は本当に、優秀な男のようだ」
「……いえいえ。滅相もありません。僕は単に、運が良いだけですよ」
「おいおい。そんな謙遜など要らないだろう。運だけでここまで来られるなど、誰も思ってはいない」
ええ。ここで僕が謙遜しなければしないで、若造が何を生意気なとそちらが不機嫌になってしまうと思うので、それを避けるための社交術です。
僕が何も言わずに黙ったままで微笑めば、主催のケンネル公爵が僕の名前の元、もう一度の大きな拍手を求め、それで今夜のチェス大会は締めくくられた。
盛り上がった後のざわざわとした喧噪の中で、僕は小さなテーブルに腰掛けた。優勝の喜び覚めやらぬ今、一杯だけ飲んで帰ろうと思ったのだ。
貴族たちは僕のような新興貴族について、あまり良くは思わない。新入りを嫌う事はどんな集団でもあるのだろうが、歴史ある国の貴族のせいかより排他的で礼儀作法を重んじている。
とは言え、新入りが元々の顔見知りであれば別だ。
顔見知りには点が甘くなるものだし、それは僕自身だってそうだった。話したことがあるとなれば親密度は増してくる。
僕はこの高級紳士クラブには、色々と情報収集をしていた頃から、良く出入りしていた。こういう場は貴族しか入れないと思い込んでいる者も多いだろうが、実はそういう訳でもない。
貴族が気心の知れた侍従や使用人を伴ってここを訪れることは、良くあったからだ。サラクラン伯爵は仕事には厳しいが、余暇にはあまり口出さぬ金払いの良い雇用主だった。
無料で飲める高い酒ほど、美味しいものはない。
「……ジュスト。ザカリーは、何処へ行った?」
「さあ? ……僕は、何も知らない」
店員に酒を受け取ったついでにザカリーについて質問されたが、僕は本当に彼の行方は知らないのでその通りに伝えて肩を竦めた。
店員はまあそうだろうなといた表情で頷いて、用無しだと言わんばかりに去って行った。
……さて、ザカリーは何処に行ったのだろうか。しかも、この調子では探されているのか。あの朝、ラザールの話を聞いて以来、一切接触はなかった。
ザカリーは前々からクロッシュ公爵家を辞めたがってはいたが、どんな風に彼が辞めたかは知らない。
彼が逃亡に使ったであろう大金を彼に渡したのは確かに僕だが、あれはザカリーの僕のやりたかったことについての貢献に対する謝礼であって、別に逃亡しろと唆した訳でもない。
しかし、わざわざ僕にあれを聞いたということは、クロッシュ公爵家はザカリーの行方を探している。
……もしかしたら、ロザリーとラザールの子どもを連れて逃げたことが問題になっているのか?
だが、平民の家庭教師と生まれた子であれば、庶子として公爵家の継承権は与えられないはずだ。高い継承権を持つ者がすべてが居なくならない限りは、順番は回って来ない。
……はずだが。
その時、ふと僕の頭にはとある仮説が浮かんだが、今更あの家に関わって何か得がありそうに思えないので、首を横に振ってそれを忘れることにした。
たかだが……あの程度の事で、裏の裏まで考え過ぎだろう。
僕は手の中にあった強い酒を呷って一気に飲むと、帰宅することにした。
「おかえりなさい! ジュスト。持っている箱は何なの?」
寝室へと入ると、ミシェルは湯浴みしたところのようで、化粧を落としてしまい、まだ髪が湿気を帯びてしっとりとしていた。
可愛らしい彼女はこうして化粧をしていないと、とても幼い顔に見える。僕らが出会った当時の幼かった彼女を思い起こさせた。
すべてを与えられた贅沢な家猫のはずなのに、ミシェルは勝ち気で孤独な野良猫のようだった。
「ああ……これは、チェスの大会の優勝賞品だそうです。何でしょうね。大きな割に軽いですけど」
僕は軽い大きな紙箱を振りながら、手を差し出していた彼女に渡すと、興味深そうにそれをまじまじと見て居た。
「ジュスト。チェスの大会で優勝したの!? 貴方って本当に頭が良いわね。お父様が学者だからかしら?」
大きな赤いリボンで飾られて、仰々しい割には、あまり中身は期待出来そうもない軽さだった。
そういえば……優勝賞品の中身が何であるか、何も聞かなかったかもしれない。
「どうでしょう……父はあまり、関係ないと思いますよ。僕が単に紳士クラブでサラクラン伯爵をお待ちしている間、チェスで時間を潰していただけですからね」
嬉しそうなミシェルは包み紙を破り箱を開けていたので、苦笑した僕は上着を脱いでタイを外していた。ふと見えた窓の外には、白い雪がちらちらと降っていた。
寒い寒いと思っていたら、とうとう降り出したらしい。
こんな寒い日に……ザカリーは、何処に子ども連れで行ったのだろうか。明かされていない隠し子だろうが、ロザリーたちを連れて行った事がいけなかったのだろうか。
それとも、もしかして……。
「きゃっ……きゃー!!!」
いきなりミシェルの高い悲鳴が聞こえたので、僕は彼女の元へと駆け寄った。
「ミシェル?」
「……何、これは何? ジュスト。もしかして……浮気なの?」
彼女が何を言い出したのか全くわからなかった僕は、箱の中にあった物をまじまじと見た。
そこには、色っぽい真っ赤な女性用下着。身体を覆う部分が極小で大人が楽しむような形状のもので、とてもとても子どもにはお見せできないような用途の下着だった。
……なるほど。金が有り余っている者の集う紳士クラブの優勝賞品は、実用的なようだ。
「ミシェル。違いますよ。これは、紳士クラブでの、一種の……悪い冗談のようなものです。これを使って夜に楽しめということでしょうね」
僕がそれをつまみ上げると、ミシェルは自分がようやく大きな誤解をしていたことに気がついたらしい。
「そっ……そういうこと。もうっ……信じられない。悪趣味なんだから。最低。こんな物が優勝賞品だなんて……」
「そうですか? ミシェルに似合いそうですよ。良かったら、今から着てみます?」
僕がそう言って下着を渡そうとすると、近くにあったクッションが顔に向かって飛んで来たので、咄嗟に彼女が掴んだ物が柔らかなそれであったことに僕は感謝するしかなかった。




