21 対等
私がオレリーの部屋の扉を叩けば、すぐに返事が返って来た。きっと、私がここへ来ることがわかっていて、待っていたのだと思う。
「……オレリー」
ベッドに座ったままのオレリーは、期待通りの私を見て微笑んだ。
私たちは仲が良くて部屋を行き来していて、こんな場面も、これまでにたくさんあった。
「ミシェルお姉さま。あの……ジュストとのことは、申し訳ないと思っているわ。けれど、お姉さまにはラザール様という婚約者が居たから……だから、私は」
「あら。ラザール様は、欲しくならなかったの? オレリー」
オレリーの言葉を遮って私が淡々と言えば、彼女は可愛らしく拗ねたように言った。
「……そんな、あの方はお姉さまの婚約者でしたもの。私は誰かの婚約者を取るような罪深いことを、考えたりしませんわ」
オレリーは頬に手を当てて、にこやかにそう言った。
私以外ならば、清楚で純粋そうなこの子の可愛らしい仕草に騙されてしまうはず……甘やかし過ぎて、妹をこんな風にしてしまったと後悔している姉以外は、きっと。
「では、ジュストだって、私が自ら選んだ結婚相手ですもの。要らないわよね? 嘘はいけないわ。オレリー。貴女が処女か処女でないかは、お医者さまならば判断出来るんですって。その芝居を続けるならば、今すぐに呼んでもらうわ。私はわからないけれど、貴族令嬢には屈辱的なことだそうよ……それで、構わないのね?」
いつもならば甘い姉の私が引くと思ったところで引かず、予想外だったのか、オレリーは立ち上がって叫んだ。
「……医者を呼ぶ必要などありません。私は嘘など、ついていません! ミシェルお姉さま。お姉さまはわかってくださるはずです。ジュストは口の上手い悪い男です。私たち姉妹を騙していいようにするなど、あの人にはとても簡単で……」
「もう一度聞くけど、ラザール様はどうして要らなかったの? オレリー。あの方は公爵家ご子息で、いくつかのことを見なかったことにすれば、誰しもに自慢出来る夫になるはずの人よ。未来の公爵ラザール様よりも、護衛騎士だったジュストが欲しかった理由は、一体何なの?」
彼女の言い分を無視してそう言い切った私に、オレリーは眉を寄せて面白くない顔になった……幼い頃、この子がこういう顔をするたびに、私は無言で欲しがるものを与えていた。
今はただ、見せかけだけの『成長した振り』を見せるのが上手になっただけで、オレリーの中身は幼い頃から変わっていない。
私たち二人は見つめ合い、部屋には長い沈黙が流れた。
オレリーも私も、目を逸らさなかった。今までずっと、目を背けてなかった振りをしていたことから。
……こうして、一目瞭然の確執として、私たち姉妹の目の前にあるものなのに。
「……だって、お姉さまが好きなのは、ジュストではないですか。ラザール様は決められた婚約者だから一緒に居るだけでしょう。お姉さまの中での価値は、ジュストの方が高い……だから、ラザール様よりも欲しくなったんです」
オレリーは処女であるかどうかを確認するための医師の診断も受けたくないし、私を言いくるめるのももう無理だと思ったのか、ふてくされたようにそう言った。
身体は大きく成長して、私たちはオレリーが成長したと思っていた……いいえ。オレリーが都合が良いと判断して、そういう風に見せていただけ。
この子は産まれて来てからのほとんどをベッドの上で一人時を過ごし、会う人と言えば自分を甘やかす家族とその使用人や医者だけ。
そんな状況下で、人としての精神的な成長を得ることは難しかった。
逆に素直に甘えたり可愛く見せることにかけては、より得意になっていったはずだ。だって……それしか、することがない。
けれど……この子に我慢を覚えさせなかったのは、まぎれもなくオレリー以外の私たち家族の罪。
「貴女の言う通りに……私がこれまでに好きになったのは、あのジュストだけよ。お母様も知っていると言っていた。オレリーにもわかっていたのね」
私が一番に欲しくて、けれど、幼い頃からの婚約者と結婚すれば、手放さなければいけなかったジュスト。自覚すると辛くなるからそうしようと思わなかっただけで、私は彼のことがずっと好きだった。
だから、それを知ったオレリーはジュストを敢えて欲しがった。
「あれで……わからないと思う方が、おかしいと思います。ミシェルお姉さま。お姉さまの視線は、いつもジュストを追っていたもの。身分を持たぬ、護衛騎士なのに。本来であれば絶対に……叶わない恋であったはずなのに」
オレリーは悔しそうにそう言い、私を睨み付けた。こんな風に感情を露わにするオレリーを見たのは、なんだか久しぶりだ。
幼い頃は私が持っている物を欲しいと言われ、あげるのを渋ると『ミシェルお姉さまはずるい。私と違って健康な身体を持っているのに、私の欲しいものまで自分のものにするの!?』と言って泣いていた。
そうだ。今は……この子も、健康になった。
すべて、ジュストのおかげで。
「ねえ……オレリー。すごく健康になったわね。あの特効薬を、誰が開発してくれたのか、知っているの?」
興奮しているのか、荒くなって来た息を落ち着かせるように、オレリーは胸を押さえて深呼吸していた。
「……いいえ? 誰か高名な学者では、ないのですか?」
「ジュストが私の妹が苦しんでいるから助けて欲しいと、お父様に言ってくれたそうよ。彼のお父様は学者で難病を治す研究してたんだけど、何を研究するかは無作為に決めていたそうだから、オレリーが今健康なのならば、それは偶然ではないわ。すべて……ジュストが、私のためにしてくれたことなの」
ジュストのお父様で現リュシオール男爵は、自分の好きな研究だけ出来て居れば良いと思うようなそんな欲のない人らしい。
陛下からの叙爵の話だって、自分にはどうでも良いと話していたというのに。
ただ、息子の頼みを聞いてオレリーの掛かっていた先天性の病が良くなるような特効薬を、彼は作ってくれただけなのだ。
「それは……」
オレリーもジュストが自分の病を治すために動いてくれていたなんて、これまでに思っても居なかったようだ。
たとえ、姉の私を愛しているからという理由からだとしても、少し動けば呼吸が苦しくなり、ほぼ動けないオレリーの身体を楽にしてくれた恩人だ。
私だって、とても感謝している。
「前々から貴女の言っていた通り、健康な身体を持っている私には、オレリーがこれまでにどれだけ苦しかったかなんてわからない。けれど、恩人のジュストにこんなことをしてしまって良いの? 私とジュストの結婚を邪魔して、それで満足なの?」
私の問い掛けにオレリーは呆然としていた。本来ならば、優しい子なのだ。身体さえ病魔が巣くわなければ、こんなことなんて、絶対にしないと言い切れるくらいに。
「ミシェルお姉さま……」
「私……オレリーが健康になれば良いって、ずっと願っていた。ずっとよ。貴女のことを自分の妹として、とても愛していたの。苦しそうにしている時は、自分も苦しくなるくらいにすごく辛かった。貴女のことを、心から愛していたから」
私が我慢できずに涙を流していることに気が付き、オレリーはとても悲しそうな表情になった。
「オレリーが健康になれば、ずっと言いたかったことがあるの……ジュストのおかげで、今それが叶ったわ」
ずっと言いたかった。けれど、運悪く病弱に産まれた妹には、これだけは言ってはいけないって思っていた。私は健康で運が良かった。だから、我慢しなくてはいけない。
オレリーが儚くも亡くなってしまうか、オレリーが健康になるまで、ずっと。
「ミシェルお姉さま……」
私はいつでも、何もかもオレリーに譲って来た。可哀想なオレリー。普通の子どもが楽しむようなことが何も出来ない。少し油断してしまえば、命がすぐに尽きてしまう。
可哀想なオレリー……けれど、そんな妹に何もかも奪われてしまう私はどうなの……?
「オレリー。私も貴女も、健康よ。だから、今ここで姉妹として対等の立場で、物を言わせてもらうわ。私が持っている物を取らないで。もし、欲しいと思ったならば、お父様に自分の口でお願いして、同じものを買ってもらいなさい」
「はい。ごっ……ごめんなさい。お姉さま」
大きなショックを受け震えているオレリーは、もし身体が弱いままなら倒れていたかもしれない。
けれど、健康になった妹はこの程度で倒れたりしない。
……本当に、良かったわ。
「私の愛する人を、取らないで。ジュストは私と結ばれるために、これまでにどれだけの努力を重ねたと思うの? あの人は、私と結婚するの。絶対に貴女に譲ったりなんかしない。オレリーは自分で愛する人を見付けなさい。もっと健康になれば、誰にも甘やかしては貰えないわよ。一人でも生きていけるようになりなさい。私だって、もう甘やかさないわ」
「ミシェルお姉さま……そんな」
「そんな風に、泣いても駄目よ。オレリー。だって、貴女はもう可哀想な病弱の女の子ではないもの。健康で誰かに同情されるような子ではなくなったの。対等なのよ。私たち……もしこれ以上、何か言いたい事があるのなら、こうして二人きりではなく、誰か第三者を入れて、また話し合いましょう。そこで通用するような言い分を用意しなさい」
私はそう言って、呆然としている妹オレリーを置いて部屋から出て行った。
もう病弱ではないのならば、ここからはすべての人と対等になる。これまでの私のように、健康な姉だからと何もかも許してはくれない。
だから、そんなあの子から縋りつかれても手を離す……これが、私があの子の姉として今してあげられる最大限のことだった。




