氷上の秘密の恋人ー10
庶民の間で流行っているロマンス小説。
貴族令嬢と船乗り、メイドと騎士等々、特に身分差のある恋愛ものは庶民には大うけで、貴族のご婦人や男性の間までも読者層を広げていた。
作者はミュリエール・ホンステッド、という名前以外は秘密のベールに包まれ、その素性は何一つわかっていなかった。
その人の正体が、まさか奥様だなんて。
「それはご主人様は?」
「お父様もご存じよ。私は最近知ったんだけどね。ほら、お母さまのお部屋の本棚の奥に秘密のお部屋があるのよ」
そこが執筆場所らしいが。さすがに侯爵夫人がロマンス小説を執筆しているとは公にはできないと秘密にしているらしい。
そんな作家ミュリエール、ミランダ・ヴェルミリオ侯爵夫人の最新作「氷上の秘密の恋人」が私の体験したことと類似していたのは何の不思議でもなかったようだ。
「奥様……」
さすがに名前や脚色はしているものの、読み進めるうちに顔から火が出て倒れそうになった。
そんな私の様子を察してか、レラ様が
「ごめんなさい、メイベル、一応話はしとかないととは思ったんだけど。お母さまったらやたら詳しく聞くからおかしいわねえとは思っていたのよ」
その場にフェリシア様もいたらしく、
「たぶん、新しい話のネタで困ってらっしゃったみたいなのよね」
「本当にごめんなさい、お母さまは叱っておくから」
口をへの字にしたお嬢様が手をぎゅっとしてこぶしを作る。
レラ様、お強くなったんだなあ。
今日も手ずからお茶を淹れてくださって手作りと言うケーキまで出してくださった。
何ともたくましくなられた姿に感動していたのだ。
「いえ、いいんです。もう出版されてるし、誰も私のことだなんて思わないですし」
途端ににやっとしたフェリシア様は、
「でもデヴィッド様にもこの本読んでると思うわよ」
「え!?」
一瞬、血の気が引いた。
レラ様も本を手に取ると、
「そうでしたわね。こちらにいらしたときに、テーブルに置きっぱなしになっててそれを読まれてて」
「真っ赤になってたわね」
二人してうふふふと嬉しそうに笑うのはやめてほしい。顔から火が出そうというか出てる気がする。
「まあまあ」
と背中をさすってくださったフェリシア様が、
「そのお話はもうすぐ動くと思うからね」
「それはどういう」
レラ様が、
「たぶんお母さまからお話があると思うわ」
とほほ笑んだ。
お二人の言う通り、屋敷に着くと奥様から呼ばれた。
「メイベル、もうわかってるわよね」
と「氷上の恋人」をテーブルに置いた。
「はい」
「ごめんなさいね。でもとっても助かったわ」
「はあ、それはよかったです」
「それでね、またあなたにハームズワース伯のお屋敷に行ってほしいのよ」
「お屋敷にですか?」
「そうなの。デヴィッド様もまた行かれるのでね」
ちょっとドキリとする。
「……お世話ですか」
うーんと唸った奥様は、
「ともかく行ってらっしゃい。デヴィッド様は既に行かれてるのよ。もう準備は整っているから、あなたは馬車で行けばいいだけよ」
「は、はい」
何が何やらわからないが、身一つで大丈夫と奥様に背中を押され、馬車に乗ると、
「うわっ、何この荷物」
私が座るスペース以外は荷物が詰め込まれ、どっちが荷物だかわからないような状況だ。
デヴィッド様と一緒に馬車で行けたらよかったのに。
って! 何考えてんだ、私!
デヴィッド様に少し待っててと言われ、お嬢様にも待っていたら大丈夫と言われた。言われたけど。
あの地での出来事はやっぱり夢だったんじゃないかなあと思い始めていた。
それに魔法の存在も、もしかして私は長い長い夢を見ていたのかもしれない。
メイドと王子様だなんて、ロマンス小説じゃないんだから。
だから、今ハームズワース伯のところには純粋にお仕事で向かっているのよ。
ちょっと寂しい気もするけど、いい夢だったよね。
なんて思いつつ窓から外を眺めた。
森を抜け、丘を越え、馬車はハームズワース伯のお屋敷に向かっている。
それにしても、こんなに荷物が必要だなんて、デヴィッド様のお仕事の資料かもしれない。
「メ、メイベルさん」
馬に乗ったクロードさんが車窓の外からなぜか焦り気味に声をかけてきた。
「どうしました?」
窓から乗り出し気味にして声をかけると、
「あ、あの、デヴィッド様が」
「へ? まだお屋敷まで距離ありますよ」
「いえ、だから」
と前方を指さした。
そちらの方へと顔を向けると、まさに馬に乗った王子様がこちらに向かってきていて。
「メイベルさん、迎えに来たよ」
馬車をとめたデヴィッド様は私を抱え降ろすと、馬に乗せてくれた。
けど、御者さんもクロードさんもこっちを凝視してるし、頬が熱くて顔が上げられない。
「クロード、先に行くから、あと頼むよ」
「は、はい」
デヴィッド様はどちらかというとおとなしく活動的ではないという噂だったのに。剣の扱いといい、馬で登場した今といい、全然噂と違う。ただ、お優しいという噂は本当だったみたいだけど。
「あの、デヴィッド様」
デヴィッド様に挟まれるように馬に乗せられ、背中に頭に感じる息使いにドキドキ感が拭えない。
「何?」
「あの、わざわざお迎えなんて」
「早く会いたかったんだ」
「!?」
とんでもなくロマンス小説のような言葉になんて返していいかわからない。
「ごめん、急すぎたかな」
「あ、あ、あ、いえ」
「もっと急すぎる事態になるかもだけど、ごめんね」
「え?」
いきなり謝られ訳がわからなかった。
だが、大きなお屋敷が見えてきて、本当に「急すぎる!」と叫ぶことになろうとは思っていなかった。




