氷上の秘密の恋人ー4
「マリーさん、デヴィッド様にお茶を運んでもらえる?」
マリーが顔色を変えた。
「……む、無理です」
「え?」
「はい……ごめんなさい」
頭を下げて断られてしまった。
「あ、じゃあ、サリー……」
「すみません!」
これまたいきなり頭を下げられた。
何なの、いったい。
私はお茶のセットをデヴィッド様が執筆作業をしている部屋へと運んだ。
トントントン
ノックの音に「どうぞ」とデヴィッド様の声が返ってくる。
ドアを開けると、デヴィッド様とテーブルを挟んでクララさんとマルガレータ様が座っている。
今では慣れたものの、二人そろってデヴィッド様の書き物に参加されているようなのも謎だった。
「長く生きてるからね、歴史的なことっていうのかねえ、年寄りから聞いて書き残すことがあるんだとさ」
クララさんはそう言って「この子も村育ちだから」とマルガレータ様に目をやる。
郷土史みたいなものなのか。
奥様が言っていた、王室の資料ということか。別に秘密にするようなことは何もないと思うんだけど。
「ありがとう、メイベルさん」
お茶を淹れ、給仕を終えた私が部屋を出ようとすると、デヴィッド様に声をかけられた。
王室の方は皆さん、整ったお顔をしている。
もちろんレラ様も負けてはいないが。
庶民の女の子たちがキャーキャー言ってるのもわかるけどね。
あっ、だからか、マリー&サリーが遠慮したのは。たぶん緊張してお茶を淹れるどころではないのだろう。
確かにきれいなお顔立ちだけど。
私はぺこりと頭をさげるとさっさと部屋を出た。
屋敷の掃除、料理の補佐に、マルガレータ様のお仕事のお手伝い。雑用も多岐にわたり、寂しいなんて言っている暇はなかった。
が、ある日、デヴィッド様の侍従ジェラルドさんに引き留められ、裏庭に連れていかれた。
「あの、何でしょうか? ご用事でしたら」
「メイベルさん、デヴィッド様を嫌っているよね」
「え?」
いきなり厳しい顔を向けられた。
「あ、あの、私、嫌ってなんて」
あわてて遮ろうとしたが、
「だいたい失礼なんだ、君の態度は。デヴィッド様に対してだけムッとした顔で対応しているじゃないか」
「いえ、そんな」
「デヴィッド様は下々のものにもお優しい方だ。あなたのようなメイドにすら気を使われて」
え? お優しい方がリラ様にあんなこと言うとは思えないんですけど。
ムッとしてしまった私は、
「そんな気を使わなくても」
「なっ!」
つい言ってしまった。まじで怒らせた、よね。
見ると、顔を真っ赤にしたジェラルドさんが、手をふるふると震わせている。
「あの」
だけどすみませんとは言えなかった。
私なんかに気を使われるならレラ様にあんなこと言わなくてもよかったのに。
口の端を曲げうつむいたままの私に、ジェラルドさんはふうっと息を吐きだした。そして。
「君にもご主人がいるだろう。その主人が君のような態度をとられていたらどう思う」
「あ」
レラ様の顔が浮かぶ。
そうか、そうよね。
私がレラ様が怪我されたことで怒っていた。デヴィッド様の態度に怒っていたのだ。それと同じようにジェラルドさんも怒っている。
デヴィッド様はレラ様に謝罪したというのに。
「何してるんですか」
いきなり声がかかり驚いた。
顔を向ける私とジェラルドさんに、木陰からデヴィッド様とクララさんが現れた。手には草を何本も持って。
「ジェラルド、女の子相手に何を怒ってるんだ」
いつにない強い物言いにこちらまでもびくりとなる。
「す、すみません。ですが」
焦っているジェラルドさんにデヴィッド様は「言い訳はいい」と厳しく言うと、こちらに顔を向けた。
「悪かったね、メイベルさん。ジェラルドは思い立つと冷静に考えることができないところがあってね。本当に申し訳ない」
謝ってくるデヴィッド様に何と返していいかわからない。クララさんが、
「女の子を泣かすのはよくないね」
と注意して自分が泣いているらしいことに気が付いた。
「あの、あの、すみませんでした」
頭を下げた私は、踵を返すとその場から走って逃げだした。
庭をどう走ったのか、木々の間を走り抜け赤い野ばらや銅葉の茂みの側にしゃがみこんだ。
ジェラルドさんの言っていることは正しいのに。正しいから、怒られたから泣いてるのか、なぜ涙がでているのか。色々なことが頭の中でごっちゃになっていた。
レラ様の顔を思いだす。仲のいい様子のクララさんとマルガレータ様、デヴィッド様の側に仕えるジェラルドさん。フェリシア様と町で暮らすと聞いて、おめでとうございますと笑顔で送り出した。そのときから泣いてはいない。ずっと。
私、寂しかったのかもしれない。
ずっとそばでお仕えできる思っていた、勝手にそう思っていた。レラ様が頼りにしてくれるのは私だと思っていたし。
誰かが横に座った。
薄く茶色がかった金髪が葉の間から差す光でうっすらと透けて、薄く青い瞳が前を見ている。
「……デヴィッド様」
「辛いとき、寂しいときは泣いていいんだよ。誰かに話してラクになるなら話したらいい。自分の中だけでいっぱいにしてしまうのはダメだよ」
こちらに顔を向け、静かにほほ笑むデヴィッド様。
デヴィッド様にもご事情があったのよ、とレラ様が辛そうなお顔で言っていたのを思い出す。いったいどんな辛いことを乗り越えてきたんだろう。
また涙があふれてきた私をデヴィッド様は黙って側についててくれた。




