氷上の秘密の恋人ー2
「メイベル」
奥様に呼ばれてハッとする。
「はい」
「あなた、レラが出てから元気がないでしょう?」
「え、いえ、そんなことは」
ついうつむいてしまう私に、奥様は、
「だからね、これはちょっとしたお休みとでも思ってちょうだい」
「お休み、ですか?」
まさか、そのまま自然退職ってことになるのでは。
またもや、目を見開いた奥様は、
「やだ、違うわよ」
と吹き出した。
「メイベル、はっきり言うわね。これはあなたなら任せられると思うから頼んでいるのよ」
「は、はあ」
身体をテーブル越しに乗り出した奥様は手招きをした。
顔を近づける私に、
「あなた、秘密は守れるわね」
「は、はい」
声を潜めた奥様は、
「これはある資料を作るための仕事なのよ」
と言った。
「その資料は王室の資料として残されるもので、デヴィッド様が担っているの」
「デヴィッド様」
もしかしたらレラ様と一緒になったかもしれない、王家の血筋の方だ。
「でね」
奥様は「お屋敷の女中頭がやめてしまってね」と言う。
「長いこと勤めていたらしいんだけど、娘さんと暮らすことになってお屋敷を出たのよ。ほら、バロワン様たちがいらっしゃるからタイミングがいいと思ったのかもね。でもねえ、バロワン家からはお二人だけで他には誰も行かないのよ。執事さんたちもそれぞれ田舎に帰ったり、他の勤め先を決めていただいたりしたのよ」
「でしたら、ハームズワース伯のお屋敷には」
「若いメイドさんを数人雇うことになったの。あと、馬の世話や従僕の男性は何人かいるけど。だからね、デヴィッド様が滞在中にきちんと過ごせるように、それとできたら若いメイド達に色々教えてやってほしいのよ」
あなたならできるわ! 期待してるわよ!
なんて言われてしまい、その時は大きな仕事を任されたことに気分はぐーんと上がっていた。
が、
遠すぎる。
いや、馬に乗って突っ走ればそんなこともないかもしれないが。
馬車に揺られて既に何時間だろう。
しかも、目の前には、デヴィッド様と侍従のジェラルドさんが座っている。
それだけでも緊張感があるのに、長いこと馬車に揺られると身体の具合が非常によろしくない。ついもじもじとしつつ気をそらそうと車窓に目をやっていた。
「ジェラルド」
「はい」
「ちょっと休みたいんだが」
「は? はあ。ですが、先ほど休まれたばかりですよ。効率から考えても」
年齢が近そうだがまるで友人のような物言いにちょっとビビる。レラ様とそんな風なやり取りなんて。
つい凝視していたようで、デヴィッド様がくすりとしながら、
「ジェラルドは昔からこんな風だから気にしないでいいですよ」
「はい?」
ジェラルドさんが目を剝いたが、窓から顔を出すと、御者に停めるように声をかけた。
「メイベルさん、少し身体を動かすとラクになりますよ」
「え? あっ、はい」
デヴィッド様のアドバイス通り、草原に降り立った私は外の空気を思いっきり吸ってはいて。
外は涼しい風が心地よかった。
見ると、デヴィッド様はあちらこちらへと歩き回っているようだし、ジェラルドさんと、馬でついてきていた兵士のクロードさんはデヴィッド様を守るように立って周りに目を配っている。
「メイベルさん」
「はい」
あわててデヴィッド様の近くに行くと、にゅっと小さな白い花がたくさんついた草を突き出してきた。
「あの」
「これカラミンサというハーブでね、ミントのような香りがするんだ」
そういわれて、鼻を近づけると、確かにすっきりとした香りが漂ってくる。
「すっきりするし、緊張や不安にもいいらしいよ」
にっこりとしつつ、ミーガンさんに聞いたというハーブの効能を教えてくれた。
私が馬車で疲れているのを察知してのことだったのかしら。
「あの、デヴィッド様、もしかして」
言いかける私に、兵士のクロードさんが、
「そろそろ出発いたしましょう」
と声をかけてきた。
また馬車の中に入り込む。目的地まではあと少しらしいが、デヴィッド様からもらったハーブのおかげで、少しだけリラックスした気分になっていた。
それにしても、もっと嫌な人だと思っていたのに。
レラ様に宝玉のなる木を持ってきたら、王太子妃になることを考えてもいいと言ったとか言わないとか。とにかくそれでレラ様は怪我したし、私はそれを聞いて激怒していた。
レラ様は「かすり傷だし、フェリシア様が助けてくれたから」と妙に嬉しそうに報告してくれたけど。
それに、後日、デヴィッド様はレラ様に謝罪しにいらした。
「デヴィッド様にもご事情があったのよ」
とレラ様は仰っていたけれど。
大事なお嬢様にひどいことを言うなんて、いくら王族でも嫌な人なんだわ、と思っていた。
なのに。
もしかして、レラ様つきのメイドだったから、気を使われてるのかしら。
そんなわけないか。
今はおつきのメイドではないんですもの。
大きく息を吐きだした私は、今は奥様に頼まれた仕事をきちんとこなさなきゃ、と手にギュっと力を入れた。




