崖を落ちて
「さあ、そのまま進んで」
弓を構えたマルガリータ夫人が徐々に間合いをつめてくる。
「いやです」
「いやも何もないわ、そのまま行きなさい」
「いや」
眉をひそめたマルガリータ夫人は矢を構えなおした。
顔をしかめている様子は本当は撃ちたくないのでは? と思わせたが、矢の切っ先はもう数センチで身体にあたる。
矢を放てば間違いなく身体を貫く、矢が当たらなくとも後ろに下がれば崖から落ちる。
なんでこんなとこで殺されないといけないの。
下げた右足のかかとが地面を触らず、何もないことがわかる。
このままだと本当に落ちてしまう。
その時。
思わず手を伸ばした私の身体に何かがぶつかり真横に倒れた。
地面に手をついた私。
まるでスローモーションのように矢が飛んでいくのが見えた。
「きゃあああ」
「クロ!?」
叫び声に視線を向けるとイカ耳状態のクロがマルガリータ夫人の腕に噛みついている。
「何するの!」
見ると、足にもくっついている薄茶の猫。
「きなこ?」
離れなさい! と腕を振り回し、手足をばたつかせた夫人。
瞬間、クロの身体が空に飛んだ。
その下に地面はない。
「クロ!」
地をけって手を伸ばした私は、クロの足を掴んでいた。
が、私の身体は空中に飛び出していて。
空中でクロの身体を抱きしめた。
ふわふわの毛並みが顔をくすぐる。
そのまま下へと落ちていく。
地面にぶつかったらクロの小さな身体はもたないだろう。ぶつからないようにとクロをぎゅっと抱え込む。
「クロ、ごめん。ありがとう」
このまま抱きしめていたらクロだけでも助かるかも。
ぎゅっと目をつぶった。
身体が空気を切って落ちていく。
走馬灯のように過去が見えるっていうけど、婚約破棄をされてやってきた世界でも婚約破棄され追放されて、森でクロに出会った。本当のお話とはどんどんかけ離れていったけど。悪いストーリーではなかったな。
それにしても走馬灯ってこんなに長いの?
落ちていく時間がやたら長い、ような気がする。
落ちてすぐはヒュンっと鳴っていた空気の音が止んで、今は緩やかな風を感じるのは何故?
それに、クロを抱っこしていたはずが、誰かに包まれているような。
もしかして天使が迎えにきたとか? もしかしてもう死んじゃって天国に向かっているとか?
私は力を入れて閉じていた目をそっと開けた。
目の前には日に照らされたシルバーブロンドの髪がさらさらと風になびく男性の横顔があった。
通った高い鼻に薄い灰色の目はまるでダイヤのようにきらきらと輝いている。
私を抱えた男性はこちらの視線に気づくとにこりとした笑みを浮かべた。
ゆっくりと空中を降りていく、私とその男性。
すとんと足を地面につけた私は、そのままその場に座り込んでしまった。
驚いた男性が、側に膝まづくと肩を抱き、
「大丈夫?」
と囁いた。
「あ、あの」
と顔を向けると、崖の上から、
「ミーガン様、大丈夫ですか?」
と声が降ってきた。
上を見上げると、レラとフェリシア、それにジュドともう一人、知らない男性がこちらを見下ろしていた。
「みんな」
ホッとした私だが、あることに気づいて血の気が引いた。
「く、クロは?」
あわててあたりを見回した。
「クロ? クロ!」
どこにも姿がない。私の腕の中からどこかに飛び出してしまったのか。
「そんな」
立ち上がってあたりをうろうろとする私に、シルバーブロンドの男性は、
「あの、それ、俺、なんだけど」
「はい?」
何言ってんの?
「クロって猫ですよ」
「いや、だからその猫は俺で、きなこはあいつで」
上を指さす男性。指差した先にはレラたちと並ぶ見知らぬ男性。
「あの人がきなこであなたがクロ?」
何を馬鹿なことをと思う間もなく、上からジュドが、
「ディーン! ディーンだよな」
と涙声になっている。
そばにいた男性が顔をあげ、嬉しそうに手を振った。
ディーン?????
ディーンって王子?
行方不明になった、もう死んでいるかもと思われていた王子?
「あの、まさか、ディーン王子?」
よく見なくとも、ディーンと呼ばれた男性は王子のような格好で。
にこりとするディーンは「きなこはデヴィッドなんだ」と指さした。
崖の上ではデヴィッドの肩を抱いたジュドが半泣き、いや泣いてるし。フェリシアとレラが背中をさすってなぐさめている。
「どうなってるの」
いきなり目の前がくらくらとして、私はそのまま気を失ってしまった。




