Episode 6
(たぶん)最終回の今回は、Pippoの人語のおしゃべりについて書きたいと思う。
インコ達が言葉を覚えるのも、もちろんルーチンから。こういう時にはこう言うんだというパターンから、である。
訓練的なことは一切しなかった飼い主(=私)だが、Pippoはルーチンだと思うシチュエーションから勝手に覚え、いくつかはアレンジして(長いと後半がインコ語と化して)飼い主とのコミュニケーションに使おうとした。
それは決して「おうむ返し」ではなかった。
一例をあげると、「何してんの?」と「どうした?」という違いが微妙な言葉を見事に使い分けていた。
例えば、飼い主がカゴの前を行ったり来たりしている時には「ナニシテンノ?」
飼い主はその度に「洗濯」とか「掃除」と、短く答えていたのだが、排水管清掃中に「ドウシタ?」と言ってきた時には、
――「ナ二シテンノ」ではなく「ドウシタ」ときたか~
と、使い分けに関心しつつも、排水管清掃の人の手前、Pippoの問いかけを無視してしまった。
そしたら、以後、Pippoは「ドウシタ?」と言わなくなってしまった!
ウケなかったか、間違ったと思い、二度と使わないようにしたらしい。
あのときも問いかけにちゃんと答えてあげるんだったと、後に飼い主は軽度に後悔した。
複数飼いすると人語を喋らないことが多いのに、最初のたったニ週間の一羽飼いのせいか、元々の性質と才からなのか、Pippoは勝手に人語ボキャブラリーを増やしていた。
(なお人語を喋るようになるのは基本的には雄のインコ。雌も一羽飼いでは少し喋るコがいるだろうけども、かなり少数派だと思う)
……ということは、私がもっとマメで、インコに人語を喋らせようという気持ちがあったなら、Pippoはマスコミに取り上げられるほどのお喋りインコになっていたのかもしれない……
しかし、私にはそんな気がさらさらなかった。
意志疎通に必要な言葉だけ覚えてもらいたいとは思っていたが、喋って欲しいとは全く思っていなかったのだ。
というのも、私は決してマメではなくいい加減なところがあり、平日と休みの日の起床時間はかなり違う。決して優秀な飼い主ではない。マシな方だとは思うけども。
そういう自覚はあるので、放鳥タイムだけでなく、夜にカゴカバーをかける時には翌朝のおおよその起床時間を決まった言葉で言うこともルーチンにしていた。遠慮なく飼い主は睡眠時間を確保でき、鳥達の感じるストレスが少しでも少なくなるようにと。
そのパターンは、基本的には二つ。「明日は(も)仕事だから朝早いよ」と「明日は(も)お休みだから、朝遅いよ」である。
そうしたらば……
Pippo達を飼い始めて何年後かに、飼い主が暫く無職だった期間があったのだが、無職になって三週間くらいたった頃のこと。
放鳥タイムに肩に止まってきたPippoがこんな言葉を繰り返した。
「アシタシゴティdkrpspghgp…… 」
後半はインコ語になっていたけれども、聞こえた子音の並びから「アシタハシゴトデアサハヤイ?」(=明日[こそ]は仕事に行かないの?)と尋ねているつもりなのが、飼い主には明々白々だった。
そのツッコミに次の仕事探しに精を出し始めた……ということはなかったけれども、言葉を意味と共にしっかり覚えていて、最近飼い主が「明日も朝遅いよ」ばかりなのを不思議に思っていたのだなと、改めてセキセイインコの知能に感心した飼い主であった。
そんなPippoだから、簡単かつ気に入った言葉は一発で覚えてしまうという、場合によっては恐ろしい面もあった。
ある日の放鳥タイムでのこと。とある場所(その時、一時的に置いていた家具かなにかの上)にPippoをおろす時に飼い主の口が回らず「はい」と言うつもりが「ほい」と言ってしまった。
その時点でいや~な予感はした。
翌日の放鳥タイムで、Pippoは自主的にそこへおりる時にのたまわった。
「ホイ!」
「言い間違いだから、忘れて!!」と、飼い主は心の中で切に願いながら、無反応を装ったのは言うまでもない。
「気をつけて」も一度か二度聞いただけで覚えていた。たぶん母親が帰る時に飼い主が言ったのを耳にして。
飼い主が出かける時のルーチン、「行ってくるね」と声をかけた直後に「キヲツケテ」とPippoが言ってきたのは、たった三回だったのだが、いずれも飼い主の体調が恐ろしく悪かったという……
そんなPippoが七年半の生涯で一番良く口にした人語は「ツカレタ」だった。
最初の頃はPippoが元気そうに「ツカレタ」を連発するのを不思議に思っていたのだが、そのうちPippoが人語を喋るときは語尾が常に下がることに気付き、「ツカレタ」は「ツカレタ?」と飼い主に尋ねているのだとわかった。しかも明るい雰囲気で。(←ココ大事)
そんなに家で「疲れた」と口にしたつもりはなかったから、「気をつけて」と同様に、Pippoにとって「これだ!」と思うコミュニケーションの言葉だったのだろう。
そして、Pippoが最後にはっきりと喋った人語は「ピッポ、ツカレタ」だった。
食いしん坊のPippoは、体重が変わらないことに飼い主が油断していたら、いつの間にか筋肉が脂肪に変わり、六歳になった頃には肥満鳥になっていた。
病院で食餌制限するように言われたが、鬼貫八郎さんを見てもわかるように(ドラマだけども)、食いしん坊に食事制限は限りなく難しい。
シードの量を減らしてペレットの割合を増やしたら、放鳥タイムに目の色変えてシードを探し回り、飼い主との間で壮絶な(傍目からはおそらく超コミカルな)戦いが繰り広げられた。
(ペレットを与え始めたのが二歳くらいだったことともあり、なかなか食べてくれず……)
……ので、飼い主はあっさり降参した。
すでに癌を発病していると思えたことと、自分自身に置き換えても、食べたいものを食べる方を選ぶだろうなと思ったもので……。
(コロナ禍での在宅勤務のせいか、現在、飼い主もまたPippoと同じように、体重はほとんど代わっていないけれど、いつの間にか筋肉が脂肪に変わってしまい、やや肥満気味体型に……。ええ、食べたいものを食べてますよ)
Pippoの晩年は、もうすぐ寿命が尽きるのを覚悟しながら、表面的にはそれまで通りに過ごした日々だった。
昼間は働いていたうえに複数飼いしていたから、Pippoに限らず、どのコの晩年もかかりきりにはなれていないけれども、それが良かった面もあったと、振り返って思う。
アールで経験済みだったので、Pippoでは驚かなかったが、セキセイインコの場合、癌が進行すると、メチャクチャ食べるようになる。
元々大食いだったPippoだから、最期の方では一日に三羽が食べるくらいの量を食べた。
皮肉にも、そんな最期の頃にはペレットもそれなりには食べるようになった。
(Pippo以外のコの例からも、年を取ったり病気になるとペレットを食べるようになる傾向がある。一粒に色々な栄養素が入っているので身体が欲するのか、砕くだけなのが食べやすいのか……)
夜の放鳥時に飼い主の肩に止まり「ピッポ、ツカレタ」と明るく言った翌日、飼い主が用事で外出した、たった二時間の間にPippoはこの世を去った。
前夜の、初めて自分の名前に続けて「ツカレタ」と言ったことに、悪い予感がしていたから、朝、カバーを外した時にまだ生きていたことにホッとして出かけた飼い主は、まさかたった二時間外出した間に死んでしまうとは思っておらず、帰宅してPippoがカゴの底に横たわっていることに強いショックを受けた。十数年前のことなのに、今、思い出しても涙が出てくる。
死期を悟り、それを人語で教えてきたことも、わずか二時間外出した間に落鳥したことも、振り返ってみたら、Pippoらしいと思う。
(ちなみに甘えん坊のコは飼い主に最期を看取らせるというのが、私の経験則)
その後もそれなりにセキセイインコを飼い続けたので、飼っていたコが死んだ時はそれはそれは悲しいのに、どうして飼い続けることができるのか、尋ねられたことがある。
どうしてかというと……
残る一羽をそのまま一羽だけで飼うことをしたくなかったというのが一番だったけれども(前回にも書いた、いわゆる「ベタ馴れ」を避けるため)、もうひとつの大きな理由は、死んでいったインコ達は皆、私という飼い主と暮らしたことを決して不幸だと思ってはいないという確信があったから。勝手な思い込みではなく、毎日彼らの態度や目を見ていればわかること。
でなければ、それまで苦しんでいたのが、私が手のひらに乗せて包むようにしたら、安らかな呼吸になり、暫く後に眠るように死んでいった……なんてことが起こるはずがない。(Pippoの死後に迎えた甘えん坊のコの実話)
Pippoはその七年半の生涯に楽しい思い出をいっぱいくれた。ココに記したのは、そのごくごく、ごくごく一部である。
だからこそ、死んだ時にはとても悲しかった。今でも涙が出てくるくらい……
もっとこうしてやればよかったと思うことは色々あるけれども、出てくる涙は後悔の涙ではない。
気持ちとしてあるのは、Pippoと巡り会えた幸運を感謝する気持ちだ。
飼い主を慰めるのにも、優しく寄り添うのではなく(そんなセキセイインコエピソードを見聞きしたことがあるが……)、拘らない、引きずらない性質らしく、Pippoは「なーに暗くなってんだヨ!」という感じで、飼い主が嫌がる頭に乗ってきたり悪戯をして、飼い主が「こら!そんなことしたらアカン!」と追いかけ回しているうちに元気になってくる……というやり方を(結果的に)使うコだったから、思い出しては涙している飼い主をもしも見たならば、「なーにいつまで泣いてんだヨ!」とさらにパワーアップした悪戯を(やり過ぎない程度に)しかけてくることだろう。
そんなやんちゃなコだったが、私が誤って手にとまっているPippoの足の上に何かをぶつけた時には「ピャッ!」と悲鳴をあげただけで、飼い主を攻撃することはなかったことを最後に記しておく。(もちろん飼い主はすぐに謝った)
なにせあの細い足である。人間にはどうということはない衝撃だったのだが、かなり痛かったらしく、暫くぶつけられた足を舐めていた。……というような、八つ当たりはしない、理解力の高いコだったのだ。
セキセイインコとの出会いも一期一会。
今、インコを飼っている方には唯一無二のそのコとの限られた日々を大切に過ごしてもらいたいし、これから迎えようと思っている方には、縁あって迎えたコに安定した愛情を注ぎ、最後まできちんと世話をしてほしいと思う。彼らは飼い主の言動をよく観察し、その心を理解しようとするのだから。
―― 完 (たぶん) ――
最後までお付き合いいただきありがとうございますm(_ _)m
軽い思いつきから無計画に書いてきた本シリーズ。今、小鳥を飼っている方やこれから飼おうとする方のなんらかの助けになれば、幸甚ですm(_ _)m