第一話 拝啓、昨日の自分へ
「行ってきます」
誰もいない部屋にそう呟き、今日も重い足取りで学校へと通学する。
この繰り返しに意味はあるのだろうかと自分に問いかけるが無論、答えは出ないままだ。
「安全柵の内側までおさがりください。」
俺には親がいない。
高校一年の頃には既に姿を消して2年が経った。莫大なお金と家だけを残して。
当時は怒りと不安だけが募ったが、今となってはもう何も感じない。
逆に生活に困らないほどのお金を残してくれて感謝したいほどだな。
勿論、ナイフで刺してしまうほどのだ。
「おはよう!修一君!」
校門を抜けると、一人の女性に声をかけられた。
彼女は山本 未沙
唯一中学校からの知り合いだが未だに距離感が縮まったように感じたことはない。
「ああ、おはよう。」
そこからは思い返すようなことなどな無い。
いつも通り早送りの1日だ。
家に帰り、冷凍食品を食い、連続殺人事件のニュースを見て、安物の入浴剤を溶かした風呂に入り、寝床に着く。
不満はないが、欲望はある。
この日々が少しでも変わるのなら、何か一つでも変わってくれるのなら。
そんな実もない妄想を膨らましても意味のないことなど分かっている。
それでも、ただ。
今日もまた目を閉じた。
「起きろ。」
奇妙な声が聞こえる。
聞き覚えのない声だ。
「はっ、間抜けな顔だな。あいつとは大違いだ」
恐る恐る目を開けると、そこには赤い魂のようなものがただ暗闇の中宙に浮いていた。
夢だ。おかしな夢を見ているのだろう。
「ここは夢なんてものじゃあない。俺とお前との意識の狭間だ。」
意識の狭間?何を言っているんだ。
好奇心が勝ち、俺の口が勝手に動く。
「居心地が悪い。殺してでもいいから早くこの夢から醒ましてくれよ」
「いい度胸だな。昔のあいつみたいだ。」
あいつとは誰だ?
この夢は何を俺に示してる?
疑問だけが頭を渦巻く。
落ち着け、一つ一つ処理していこう。
「お前は誰なんだ?」
答えを待つ前にこの魂に吸い込まれるような感覚に陥る。
夢だと分かっているはずだ。それなのに、それなのにただ導かれるまま、手を伸ばす。
指先が触れた瞬間、眩い光が一面を包み込んだ。
「お前は俺だ。そして俺はお前だ。
忘れるなよ、これは宿命でもあり定めだ。
歴史が俺たちを結びつけた。」
不愉快な声と共にこの夢が終わるのだと自覚した。
見覚えのある天井。いつも通りだ。
大量の冷や汗をかいていること以外は。
はぁ…あの夢は何だったんだ。
窓に視線を移す。
久しぶりに見た真っ暗な夜だ。
闇に染まったこの街はどこか恐怖を感じる。
時計を見ると針は3時を指していた。
あの夢のせいだ。こんな時間に起きるつもりなんて微塵もなかったのに。
もう一度眠りにつこうと思ったが、既に体と脳は目覚めてしまい、拒絶された。
…そうだ。ウォーキングにでもいこう。気分転換だ。
ジャージを羽織り、イヤホンを付ける。
聴き心地の良い歌が流れるが、俺の頭はあの夢の事で一杯だった。
軽快とまではいかないがそれなりに軽い足取りで走り出す。
家の周辺はほとんど迷路のような暗い路地になってるから、迷わないようにしないと…。
それにしても、あの夢に意味はあるのだろうか。
…所詮は夢だ。考えても無駄ということは分かりきっているが何か喉に小骨が刺さっている気分だ。
悶々とした気分のまま人気の無い路地を走り、公園へと向かおうとしたその時、一人の女性の叫び声が聞こえた。
好奇心だろうか。考えるより前に俺の足が声のした方へと動いていることに気づく。
しかし、気付いたところで俺の足が止まることはなかった。
再び狭い路地へと引き寄せられていく。
息が切れ、焦りと興奮が脳を刺激し蝕んでいくのを感じた。
今日見た夢と、さっきの叫び声。
きっと何かが起きるんだ。
この日常に終わりが来るのなら、もし何かを手に入れることができるのなら。
しかし、現実は非情なものだった。
ゴミが散乱する路地、ナイフを持ち不気味に笑う中年の男、血を流しながらも痙攣しその場でうずくまっている女性。
脳が状況を整理する前に理解した。
殺人現場だ。
女は被害者で俺が唯一の目撃者。
じゃあ、次に殺人鬼が殺すのは誰か。
わかりきってることだ。
今さらながら恐怖が俺を襲う。
さっきの好奇心と、興奮はすでに冷め切っていた。
呼吸がままならない、足が震え、その場で尻餅をつく。
「おいおい、そんなにビビるなよ。一瞬で楽にしてやるからさ。」
ナイフを持った中年の男がそう言うと、一歩ずつ確かに俺の方へと距離を縮める。
「誰か!誰か助けてくれ!俺はここにいる!」
俺の日常が崩れる音がした。
何を言うんだ、非日常を望んだのは俺だろう?
「誰か!頼む!殺されるんだ!」
意味もなく、声が枯れるほど叫ぶ。
もう男は目の前にいるというのに。
「静かにしろ、人が来るだろ」
男はニヤリと笑いながらもそう言った。
もう時間は無い。
待っているのは死だ。ただ冷たくなり、土に還るだけ。
「誰か!誰か!誰かああ!!」
叫び声を遮るかのように男はナイフを振りかざす。
鈍い音と共に腹部の痛覚が激しく主張する。
「うがああああ!!」
思うように声が出ない。
視界がブレて、上手くこの現実を直視できない。
助けてくれ。それだけでいいんだ。
誰か、誰か、誰か。
「……助けが欲しいか?ならば…俺の名を呼べ」
聞き覚えのある声が脳内に響く。
こんな状況なのに俺はまださっきの夢が気にかかっているのか?
そんな余裕などもうないのに。
「…はっ…痛い…誰か、誰か俺を…」
「呼ぶんだ。俺の名前を。『ラディウス』とな」
呼吸がままならない。頭がおかしくなりそうだ。
二重に声が脳内で反響しあっている。
誰なんだ、お前は。
何がしたいんだ。
「うがあ…あぁ…誰か…」
「さぁ、ほら。呼べよ修一。俺の名前を。」
「黙れ…黙れ…俺の名前を呼ぶな!。喋らないでくれ…!」
口から血が溢れ出すと同時に、中年の男はニヤリと笑う。
死が近づくのを五感全てで感じた。
もう今はこの馬鹿げた声に縋るしか無いのか?
「呼ぶんだ。 『ラディウス』と…」
路地の静寂を切り裂くように俺は呟いた。
「助けてくれ…『ラディウス』」
その言葉と同時に俺の体は深紅色の怪物に包み込まれた。
宜しくお願い致します。
ダークヒーロー物を書かせていただきます。