09 新たなる旅立ち
09 新たなる旅立ち
この世界のオオグルミは、固めた砂を食べているような食感と味だった。
でもフェンちゃんのオオグルミは歯触りも楽しく、噛むと香ばしさがあふれてくる。
わたしは思わず、カッと目を見開いてしまう。
「お……! おい……しいっ……!」
そして、視界が滲んでいることに気づいた。
「あ、あれ? なんか、目が変……」
瞳から熱い雫があふれだし、頬をしとどに濡らす。
わたしは慌てて目をこすった。
「え……えっ? ええっ? これってもしかして……」
それは、生まれて初めてのもの。
赤ん坊の頃、メラ・ゾーマスを与えられても、一滴もこぼさなかったもの……。
「う、うそ……!? わ、わたし、泣いてる……!? わたしにも、涙があったんだ……!」
わたしに味覚があったことも驚きだったし、おいしいなんて感じられたことも信じられない。
しかしこの頬を伝うあたたかい感覚はまぎれもなく、わたしに血が通っているという証拠だった。
涙を流せたこと感動してしまい、わたしはむせび泣く。
そんなわたしをフェンちゃんは、ナチュラルに押し倒してきた。
「ひっく……! ふぇ……フェンちゃん?」
フェンちゃんは馬乗りになったまま、嗚咽を漏らすわたしの両手を掴み、地面に押さえつける。
「えっ!? な、なにを……!?」
戸惑うわたしの頬に顔を近づけ、長い舌でベロンとひと舐め。
身体を起こしてわたしを見下ろしながら、おいしいものを食べた後みたいに、口のまわりを舐め回している。
「人間の姿でのペロペロも悪くねーな」
そのいたずらっぽい笑顔に、わたしの心臓が肋骨を突き破るかと思うほどに、ドキンと跳ねた。
反対の頬を舐めてこようとしたので、たまらず叫んでしまう。
「ふぇっ……フェンちゃん! おっ……おあずけーーーーーーーーっ!!」
ふたりだけの草原、オレンジ色に染まりつつある空に、わたしの絶叫が轟く。
再びわたしの前でおすわりさせられたフェンちゃんは、不満たらたら。
「なんだよ、スリスリだけじゃなくて、ペロペロもおあずけかよ!? 意味わかんねぇ!? 昨日までどっちも当たり前みてぇに、好き放題やらせてくれたじゃねーか!」
わたしのせっかくの涙も、どこかへ吹っ飛んでしまっていた。
「誤解を招くような言い方しないで。昨日まではフェンちゃんは犬だったでしょう?」
犬のフェンちゃんにスリスリペロペロされるのは、くすぐったいけど気持ちよかった。
でも男の人に同じことをされたりしたら、気絶しそうになってしまう。
ふとフェンちゃんが黒いオーラに包まれたかと思うと、犬の姿に変わっていた。
どうやら人の姿と犬の姿は、自由に変えられるらしい。
「これで文句ねーだろ」と迫ってくるフェンちゃんは、しっぽがパッタパタだった。
フェンちゃんはたしかにわたしが知るフェンちゃんで、白くてモコモコだったんだけど……。
あの男の人の顔がよぎってしまい、どうしても無理だった。
「や……やっぱりダメ! フェンちゃんは今後一切、スリスリもペロペロも禁止っ!」
「くっ、クソがっ! 今後一切ダメってどういうことだよ!? なら、モフモフは……!?」
モフモフというのは、寝転がったフェンちゃんのお腹を撫でさすること。
「あ、モフモフもダメ」
「くっ……クソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
フェンちゃんはショックのあまり、わたしに背を向け駆け出し、遠くの岩に登って「あお~ん!」と遠吠えしていた。
なんだかかわいそうだけど、しょうがない。
わたしは時に、フェンちゃんのお腹の毛に顔を埋めたり、フェンちゃんをベッドがわりにしていっしょに寝たりしていた。
それを、人間の男にやっていると想像してしまったら……それだけでもう、脈が乱れてしまう。
フェンちゃんは夕陽に向かってしばらく吠えまくったあと、スッキリした様子で戻ってきた
「よし、フレイア、出発するぞ」
「えっ、出発するってどこに?」
「知るかよそんなの。でもこんな所にずっといるわけにはいかねーだろ」
それもそうだ。衛兵たちはきっとわたしたちを捜しているだろうから、ここにいると見つかってしまう。
でも、どこに行けばいいんだろうと考えていると、フェンちゃんは焦れた様子で言った。
「つーか、とりあえず乗れよ」
「えっ、背中に乗ってもいいの?」
「なに言ってんだよ、昨日まで当たり前みてぇに乗ってたじゃねーか。それともまさか、チンタラ歩くつもりだったのかよ」
男の人の背中に乗っていると考えるとちょっと嫌だけど、たしかに歩いて行くわけにもいかない。
わたしはしょうがなく、フェンちゃんの背中に横乗りした。
「よぉーし、しっかりつかまってろよっ!」
その声すらも置き去りにする勢いで、地を蹴るフェンちゃん。
わたしは勢いあまってのけぞり、落ちそうになったけど、なんとかフェンちゃんにしがみついた。