03 聖女になったわたし
03 聖女になったわたし
わたしは一族の恥さらしとして縁を切られ、そのまま聖堂に入れられる。
婚約者どころか身よりまで失ったわたしは聖女になる他なく、神であるオーディン様に仕えた。
女が神に仕える。これは神との婚約のようなもので、そのかわりに聖女となった女は、神の奇跡の力を行使することができる。
しかしいちどでも奇跡の力を使ってしまったら最後、人間の男とは結婚ができなくなるという決まりがある。
オーディン様は神殿で、多くの聖女たちをはべらしているという。
ようは、そのひとりになるということだ。
でもわたしにとっては、ロキ様と結婚するのとなんら変わりはない。
相手が王子様から神様、いるところが側室から神殿になっただけの違いでしかないからだ。
わたしはその時を待ちながら、今日もひとり、光の聖堂のまわりを掃き掃除していた。
ある日ふと、緑々しい芝生のなかに、キラリと光るものと、ボロ雑巾のようなものを見つける。
近づいてみるとそれは、草刈りガマと、ズタボロになった仔犬だった。
わたしはまだ知らない。
この時の、この出会いが。
そしてこのあとに下す、わたしの決断が。
わたしの人生を、これまで以上に大きく変えることになるだなんて。
わたしの足元でうずくまっていたのは、生まれて数日も経っていないような、赤ちゃん犬だった。
おそらく、生まれてすぐに鳥にさらわれ、獲物として巣に運ばれている途中で、誤って落とされたのだろう。
赤ちゃん犬は、身体じゅうをついばまれたのか傷だらけで、全身に赤黒い血が滲んでいた。
目もまだ開いていないようで、いまにも途絶えそうな虫の息を繰り返している。
いまから聖堂に連れ帰って手当しても、助からないだろう。
「でも聖女の癒しの力を使えば、もしかしたら……」
わたしはそうひとりごちる。
しかし同時に、聖女のトップである、聖機卿様の声が頭のなかに響いていた。
「オーディン様より授かりし奇跡、その癒しの力は、上等なる人間にのみ与えるのです。決して、下等な獣やモンスターに与えてはいけませんよ。もしケガをした獣やモンスターに救いを求められたなら、かわりに安らかなる死を与えなさい。聖女の手にかかることにより、下等なる魂はオーディン様の元へと導かれるのです」
これは、わたしが聖女になったその日に、聖機卿様から教えられたことだ。
「下等なる獣には、癒しよりも死を……」
わたしは反芻しながら、赤ちゃん犬の隣に落ちていた草刈りガマを手に取る。
これはおそらく、定期的に庭の芝刈りにくる庭師が落としていったものだろう。
よく手入れがなされており、陽光を受けて滑るような輝きを放っていた。
「これだけ鋭ければ、ひと思いに……」
わたしは草刈りガマの柄を両手で握りしめると、頭上にめいっぱい振りかぶる。
「この仔犬はどうせ助からない。遅かれ早かれ死ぬ運命なんだ。苦しみ抜いて生き続けるよりも、いますぐ死んだほうが、よっぽど幸せに……」
そう口にした瞬間、草刈りガマはひとりでに手からこぼれ落ちていた。
「わたし、何言ってるんだろう。わたし自身が、ずっと苦しみ抜いて生きてるくせに……」
そっと、仔犬に両手をあてがう。
「何年も生きてるわたしが命を絶つ度胸もないのに、生まれたばかりのあなたは、もっと死にたくなんかないよね。生きたいよね、生き続けたいよね……」
「きゅぅん……」
そんな声が聞こえた気がした。
もしかしたら空耳だったかもしれない。風鳴りを聞き間違えたのかもしれない。
でもわたしはもう止まらなかった。
「我ら崇める御空、我ら崇める御国、我ら崇める御名。我らの全智、我らの全能、全神オーディン様。この者に、すこやかさをお与えください……!」
わたしの両手から春の日差しのような、あたたかな光がうまれる。
指の間からホタルのような光の粒子があふれ、天へと昇っていく。
聖女になって初めての癒し。
まさかいきなり、禁忌を破ることになるだなんて。
でも、後悔はしていない。
だって両親の操り人形だったわたしが、初めて自分の意志でした『選択』なのだから。
なにもなし得なかったわたしが、初めて誰かの役に立とうとしているのだから。
手のひらの光が収まると、今度こそハッキリと聞こえてきた。
「きゅぅぅん……!」
命の産声が……!
見ると、赤ちゃん犬はさっきまでの死に体はどこへやら、くぁーと大きなアクビをひとつ。
まるで昼寝を終えたばかりで、さっそく母親を捜すかのように、フェンフェン鳴いていた。
おへそを天に向ける無防備ポーズで、両手をパタパタさせる小さな存在を、わたしは抱きかかえる。
「よかったぁ……! 元気になったんだね……!」