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02 親友の裏切り

02 親友の裏切り


 わたしは泣いたことがない。きっとこれからもずっと。

 なんて思った数秒後に、わたしは号泣しそうになってしまう。

 そして這いつくばったまま、涙目でえずいていた。


「うっ……うえっ……! うええっっ……! こ、こんなマズい食べ物が、この世にあるなんて……!」


 メラ・ゾーマスは、このトリステイン王国の、いや、このアースガルド大陸で広く食べられているスープだ。

 子供の頃から食べてきたもので、まわりのみんなは顔をくしゃくしゃにしながら無理して食べていたけど、わたしはなんともなかった。


 というか、いままでは何の味もしなかったから平気だったんだけど……。

 まさか王家のメラ・ゾーマスが、わたしの無味の壁を突き破るほどのマズさだったなんて……!


 わたしは生まれて初めて『マズい』という言葉の意味を思い知り、二重の意味でショックを受けていた。

 もう成婚の儀どころではなく、顔をくちゃくちゃにしていると、


「大変、フレイアちゃんを助けなきゃ! アイシス・ユルスマージュ、いまこそ勇気を出して! えい、えい、おーっ!」


 へんに芝居がかった声とともに、参列者たちをかき分け、くるくる巻き毛のアイシスが飛び出してきた。

 彼女は、わたしの友人としての参列のはずなのに、なぜかピンクの派手なウエディングドレスを着ている。


 なんだかよくわからないうちに、壇上にあがったアイシス。

 いつの間にか、祭壇にはメラ・ゾーマスが盛られた新しい金杯があった。


「この、アイシス・ユルスマージュがやります! フレイアちゃんのかわりに、メラ・ゾーマスを飲み干しまーっす!」


 アイシスは宣誓とともに金杯をガッと掴むと、一気にグイッとあおった。


 その細い喉が、ごく、ごく、ごくと動く。

 唇の端から血のような筋が垂れても、彼女は拭いもしない。


 息継ぎすらせず、エビ反りになってまで飲に続けるその姿は、さながら大道芸のようだった。

 参列者の間からも、「おおーっ」と歓声が起こっている。

 わたしはこんな大変な時だというのに、よくあんなマズいものが飲めるなぁと感心してしまう。


 やがてアイシスは反っていた身体を起立させると、「ぷはーっ!」と金杯から口を離した。

 そして、参列者たちに向かって笑顔を振りまく。


「きゃはっ! この、アイシス・ユルスマージュが! ちゃんと、全部飲み干しました! だからフレイアちゃんとロキ様の結婚を、認めてあげてくださいねっ!」


 参列者たちの間から、感嘆の声が漏れる。


「おおっ……! なんという女性だ……!」


「友人のために、王家のメラ・ゾーマスを飲み干すだなんて……!」


「しかも、あの見事な飲みっぷり……!」


「そして飲み終えてもなお、あの笑顔とは……!」


「身も心も美しい女性というのは、あの人のことを言うに違いない……!」


 パチ、パチ、パチと手を叩く音がする。

 その主は他ならぬ、ロキ王子だった。


「ふ~ん、キミ、いいね! 情けない友達のために、トーゼンのように成婚の儀に乱入するだなんて、最高にいいよ!」


 ロキ王子は両手を広げて参列者たち、特に親族席のほうを見ながら言った。


「僕は決めたよ! 僕の愛が得られるとトーゼンのように思っている、怠惰で無愛想なフレイアとの婚約は破棄する! そして、こちらの美しくて愛想のいいアイシスと成婚するって!」


 その宣言に、聖堂内は大歓声に包まれた。


 親族席にいたわたしの一族、パパやママたちが青ざめた顔で立ち上がる。

 ヒステリックな表情でなにかを叫んでいたが、歓声によってかき消されていた。


 かたや参列席の最前面に陣取っていた、アイシスの一族たちは大喜び。


「やった! 長きに渡る婚姻の座を、ついにジュエルバーン家から奪ったぞ!」


「ずっとジュエルバーンには煮え湯を飲まされてきたんだ! でも、これからは我々の時代だ!」


「アイシスは我が一族の誇りだ! それにひきかえ見ろよ、鉄仮面のあの顔!」


 新しい花嫁には祝福の笑顔が向けられ、わたしには嘲笑が向けられていた。

 ふとアイシスが、わたしの目の前にしゃがみこんでくる。


 彼女は、わたしが知る彼女とは別の人格のような、邪悪な笑みを浮かべていた。

 それは、ずっと天使のような微笑みをたたえていた悪魔が、正体が現した瞬間のようだった。


「きゃはっ! 引っかかった引っかかった! 昨日、アンタにあげた薬は、味覚を鋭くする薬だったんだよ!」


「あ、アイシス……? あなた、なにを言って……」


「えっ? まさかまだ、アイシスちゃんのことをお友達だと思ってるぅ? そんなわけないじゃん! アイシスがアンタと友達のフリをしてたのは、すべては今日のため……。アンタから、ロキ様を奪うためだったんだよ!」


 近いはずの歓声が、まるで水の中で聞いているように、遠くで鳴っていた。


「けっこう大変だったんだよぉ~! 学校にいる頃から根も葉もない噂を流して、アンタに友達ができないようにしてぇ。お城でもアンタが孤立するように仕向けてぇ、誰からも助けてもらえないようにしたのぉ。まわりのみんなをアイシスちゃんの味方に付けてぇ、今日の作戦に協力してもらったんだぁ!」


 ケラケラ笑う彼女の声だけが、やけにハッキリと聞こえる。


「きゃはっ! やったやった! やっとその顔が見られた! アンタの鉄仮面、ずっと気に入らなかったんだよねぇ~! 男を奪われたのってどんな気持ち? ねぇどんな気持ちぃ~? きゃはははははははっ!」


 わたしはすべての言葉を忘れてしまったかのように、なにも言えなくなっていた。

 それどころか鉛を詰められたように全身が重くなり、指先すら動かすことができない。


 彫像のように固まったまま、ただ頭のなかで、かつての友人の笑顔がグルグルと巡り、けたたましい笑い声だけが、いつまでもいつまでも鳴っていた。


 そのあとのことは、よく覚えていない。

 聖堂の片隅にある、ゴミ捨て場のような場所に追いやられ、ヒザを抱えたまま、他人の成婚の儀を目に映していた。


 たったひとつの生きる目的を、わたしは失ってしまった。

 いや、それよりも……ただひとりの友達がいなくなったことが、なによりもわたしを打ちのめしていた。

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