01 成婚の儀
01 成婚の儀
「見て、鉄仮面よ」
「うわぁ、明日は成婚の儀だっていうのに、ニコリともしてないなんて」
「あんなのと成婚させられるなんて、いくら国のためとはいえ、ロキ王子も可哀想よね」
「どうせすぐに側室入りして、クモの巣だらけの人形みたいに捨てられるのがオチよ」
「そうそう、アッチにはとっくの昔にクモの巣が張ってるだろうしね」
わたしはお城の廊下を歩いていたんだけど、どこへ行っても、ずっとこんなヒソヒソ話が聞こえてくる。
成婚の儀が近づいてくるにつれ、彼女たちの陰口は容赦がなくなり、また日の目を見るようになった。
でも、わたしは気にならない。
鉄仮面、っていうのもその通りだと思う。
わたしは生まれた時から、人より感情が乏しかった。
母親のお腹のなかに、喜怒哀楽を置き忘れてきたんじゃないかと言われるほどに。
喜ぶ、怒る、哀しむ、笑う……。
喜ぶと笑うは正の感情で、怒ると哀しむは負の感情、そのくらいは知っている。
「……笑うのは正の感情なのに、みんなはおかしくもないのに笑っている。それはなんの感情?」
「きゃはっ! フレイアちゃん、また独り言ぉ?」
気がつくと隣に、弾ける笑顔のアイシスがいた。
アイシスはくるくる巻き毛に派手なドレスで、年の割に幼い顔立ちをしている。
表情豊かで、子供が甘えるようなしゃべり方をする。
彼女はこのお城でも人気者なのに、こんなわたしとも仲良くしてくれていた。
「フレイアちゃんってば、本当に独り言が好きだよねぇ」
「そうかな」
わたしは素っ気ない返事をするけど、アイシスは慣れているのか気にしていない。
「きゃはっ! あ、そうそう、明日のためにいいもの持ってきたよ! はいこれ!」
アイシスはニコニコ笑顔で、小瓶を差し出してくる。
「なにこれ」
「味覚が鈍くなるお薬だよ! 明日は成婚の儀で、メラ・ゾーマスを飲み干さなくちゃいけないんでしょ?」
メラ・ゾーマスというのは、動物の血で食材を煮込んだスープのことだ。
成婚の場では、新郎が作ったメラ・ゾーマスを新婦が飲み干すという決まりがある。
メラ・ゾーマスは、世間的にはすごくマズい料理とされている。
というかこの世界にある料理は、ぜんぶマズいらしい。
しかしわたしにはどれも、砂を噛んでいるようにしか感じない。
感情だけでなく、味覚も母親のお腹のなかに忘れてしまったように。
アイシスは、立てた人さし指をクルクルさせて巻き毛を絡ませ、目をまん丸にしてわたしに訴えた。
「きゃはっ! アイシスちゃん聞いちゃったの! トリステインの王族に伝わる、秘伝のメラ・ゾーマスはとびっきりマズいんだって! だから成婚の儀に臨む女の子は、こっそりこの薬を飲んでたんだって! フレイアちゃん、知らなかったでしょ!?」
「うん、知らなかった」
わたしは、お城じゅうの人たちから嫌われている。
だから成婚の儀で必要な手順や心構えなどは、最低限しか教えてもらっていなかった。
アイシスは「やっぱりぃ!」と、わたしの手に小瓶を握らせる。
「もしメラ・ゾーマスを飲み干せなかったら大変なことになっちゃうよぉ! だからこれを飲んで、ねっ!?」
正直なところ、成婚の儀で出されたメラ・ゾーマスが、どんなにマズくても飲み干せると思う。
でもアイシスがわたしのことを心配してくれて、薬を手に入れてきてくれた。
わたしのことをこんな風に心配してくれるのは、もはや彼女しかいない。
その気持ちに応えるためにも、わたしは薬を飲むことにした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
成婚の儀は、光の聖堂と呼ばれる、海沿いの小高い丘にある聖堂で行なわれた。
海原のように集まった参列者たちは静まりかえっており、潮騒の音だけが響いている。
わたしは質素なウエディングドレスに身を包み、壇上で清廉なる朝日に照らされていた。
目の前には、タキシード姿の新郎がわたしを見つめている。
ロキ・トリステイン王子。
金髪に浅黒い肌で、遊び慣れた感じはいかにもお坊ちゃまという感じのお方だ。
派手好きらしく、本来は純白のはずのタキシードをダイヤモンドで飾っており、白く輝いている。
ロキ王子は静寂を打ち破るように失笑しだした。
「ふ~ん、見れば見るほどつまらないウエディングドレスだなぁ。でもまぁ、トーゼンかぁ」
ならばなぜ成婚するのだろう、なんて言ったりしない。
だってわたしの人生は、ロキ王子のためにあるのだから。
『ロキ王子と結婚して王族との繋がりを保つことが、一族の幸せに繋がる! そのためにお前を生んだんだからな!』
わたしは生まれてからずっと、そう両親に言い聞かされ、そのとおりに生きてきた。
いまわたしの傍らにある祭壇には、金杯に盛られたメラ・ゾーマスがある。
父の期待に応えるためには、あとはこれを飲み干すだけだ。
成婚の儀の進行役である、聖機卿様が言った。
「それでは新婦、フレイア・ジュエルバーン。メラ・ゾーマスを飲み干すのです。そして健やかなる肉体と、病めることのない精神があることを、いまここに示すのです」
人は生まれてすぐに、台所を預かる父親の作ったメラ・ゾーマス飲む風習がある。
それで大泣きする赤ん坊は、強くて立派な子に育つという。
新婦が、新郎の作ったメラ・ゾーマスを飲み干すということは、父親から夫にその身を移すという意味があるそうだ。
ロキ王子が作ったというそれは、茹でてもいないのにグツグツとたぎり、目玉や臓物が浮き沈みしている。
この地獄の血の池のようなスープを飲み干せば、わたしの人生は完了する。
あとは側室の片隅で、壁の花のように過ごす。
それこそが、わたしにとっての幸せなんだ。
わたしは両手で金杯を持ち上げると、顔に近づけ、唇をあてがった。
父が言うには、わたしは生まれて初めて食べたメラ・ゾーマスにも、泣き声ひとつあげなかったという。
そして成婚の儀では、多くの新婦が泣きながらメラ・ゾーマスを飲み干すという。
たぶんわたしは一生、涙を流すことはないだろう。
まるで他人事のような感覚で、わたしは誓いのメラ・ゾーマスを口に含み……。
「うっ……うっげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
次の瞬間、わたしは顔面をブン殴られたような衝撃を覚え、もんどり打って倒れてしまう。
ガランガランと音をたてて、白亜の床にぶちまけられるメラ・ゾーマス。
「まっ……まっずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
わたしは生まれてこのかたあげたことのない大絶叫を、静謐なる聖堂内に響かせていた。