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いつも空を見ている③  作者: 汪海妹
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頭の中で好きと言う













頭の中で好きと言う

























コンコンコン


ドアノブをたたく。ほんというと、自分用の鍵を持ってたんだけど、まだ。いきなり開けると千夏さんが困るかな、と思った。なんか人に見せられないようなことしてるかも。ぱたぱた足音がして、ドアが開いた。


「よく確かめないで開けて、僕じゃなかったらどうするの?」

「ええ?こんな夜遅くに訪ねてくる人なんていないもん」

「変質者がいるかもしれないじゃない」

「はいはい」


パジャマに着替えて、すっぴんで、ほんと不用心だな。


「思ったより早かった」

「僕にとっては思ったより遅かったよ」


出張で来て、みんなでご飯食べて、その後部長につきあわされて飲んでた。小一時間ほど。


「ホテルに朝方帰るの?」

「そう」

「変な人じゃん」

「うん」


歯磨きしてる。


「じゃあ、千夏さんがホテル来る?」

「そんなん」


その後うがいしている。


「それこそばったり見られたら言い訳できないよ」

「まぁ、たしかにね」


今度は化粧水つけてる。


「寝る気満々だね」

「さっさとシャワー浴びなよ。樹君」


冷たいなぁ。近寄って抱きしめてキスした。


「酒臭い」

「すみません」


でも、止められない。


「もお」


そのままベッドに押し倒して彼女をむさぼった。終わって一息ついていると、千夏さんが僕の髪を撫でた。


「何かあった?」


どうしてわかるんだろう?何も言っていないのに。


「なんで?」


彼女の透明な澄んだ目が僕の目を覗き込んだ。


「なんとなく。あなた、泣きそうな顔してる」


きれいな人だなと思う。顔だけじゃなくて千夏さんって生き様がきれい。僕は、だめだ。汚れてる。僕の汚れを見たら、きっと彼女は僕を軽蔑するだろうな。そっと頬に触れた。


「別に何もないよ」


何も言わずに隠して、生きていきたい。彼女に見せることなんてできない。


「8月は何したい?」

「えーっとね。花火みたいな」

「それから?」

「車でどっか連れてってくれるんでしょ?」

「どこがいいの?」


笑ってる。


「それはあなたが調べてよ。わたし日本なんてもうずいぶん住んでないんだからさ」

「うん」


無邪気に嬉しそうにしてる。ほんとに仕事してるときと全然違うよな。彼女があくびをした。


「もうそろそろ寝ないと。明日仕事だし」


彼女が目を閉じて眠っているのを眺めた。しばらく眠れなくてそうしていた。













夏美













「お母さん?」

「ああ、千夏。久しぶり。どうしたの?」

「あのね。8月なんだけど」

「うん」

「ごめん。顔は見せられるんだけど。うちには泊まらないから」

「え?日本に帰ってこないってこと?」

「いや。違う。日本には帰るけど、お父さんとお母さんの家には泊まらないから」


娘が妙なことを言っている。なんだ?


「じゃあ、どこに泊まるのよ。ホテル?どうして?」

「ええっと」

「?」


30も過ぎて、この娘もなんで言いよどむのか。


「あ!」


急に気づいた。昔はやたら突っ込んでたわたしもこの子聞いても聞いてもいつも彼氏がいないもんだから、いつか聞くのをやめていた。


「もしかして……」


でも、娘も結構年取って来ちゃったから、聞いて外すと目もあてられないくらい気まずいんだよなぁ。


「千夏ちゃん」


ごくりと唾をのむ。


「彼氏とかできたの?」


どきどき


「うん」

「じゃ、彼氏の家に泊まるってこと?」

「うん」


心臓が止まるかと思った。ほんとういうと盛大な歓声をあげて、踊りまわりたかったんだけど。たぶん、この子に対してこういうことをしてはいけない。


「そうなんだ。わかりました。お父さんにも伝えときます」


思わず電話切りそうになって、いや、ちょっと動揺しすぎか、と少し持ち直す。


「ていうか、どんな人?」

「そう来ると思った」

「会ってみたい」

「そう来ると思った」

「8月まで待てないから写真送ってよ~」

「やだよ」

「なんで?」

「だって、紹介しといて別れたりしたらやじゃん」

「なによ」


もう、まどろっこしいわね。


「あんたの年考えて結婚がどうのとかいう段階ではないってこと?」

「そうですね」

「なんだよ。でも、見たい。とにかく」

「もう、お母さん」


しばらく言い続けてやった。


「お母さんだけだったら、彼に聞いてみてもいいけど」

「なによ。お父さんはだめなの?ま、いよいよってときまでお父さんはあんたの彼氏なんか会いたくないと思うけどね」

「なにそれ。中学生や高校生じゃないんだよ。三十路の娘でも会いたくないとかってあり?」

「ありあり。特にせいちゃんはだめだわ。昔っから。あ、でも、女親はね。会いたいから。見てみたい」

「はいはい」

「ていうか、かっこいいの?」

「絶対、それ言うだろうと思った」


相手にしてくんない。千夏。


「ねぇ。お母さんもさ、とうの昔に結婚とかしちゃって、こう、ときめきとかないわけ。テレビや映画の中にしかさ。だから、娘のときめきわけてほしいだけだって」

「お父さんにはもうときめかないわけ?」

「やすらぎはあるわよ。やすらぎは」


夫婦ってそんなもんだ。長くなってくるとさ。


娘はのらりくらりとわたしの追及をかわすと、8月に彼がオッケーだったらわたしにだけ会わせると約束した。

電話が切れた後も茫然とした。夢じゃなかろうか。千夏はこのままいかず後家になるかと思って覚悟を決めてたのに。無駄に美人だよ。おいと思いながら。それが、彼氏できたって。嬉しい。嬉しい。盆と正月が一気に来たみたい。ついでにクリスマスも。もう、このまま一気に結婚してくれればいいのに。でもって赤ちゃん産んじゃえばいいのに。のんびりしてられないって。


1人で黙々と考える。とりあえず、誰かに教えたい。


「ねぇ、せいちゃん大変!」

「なつ、俺、これから会議なんだけど」

「それより大事なことだって!」

「……」

「千夏に彼氏できたって」


言ってしまった後にふと思う。お父さんに話してもいいってあの子言ってたっけ?


「え?」

「ああ、ごめん。会議だったわね」


あまりぺらぺら話しといて怒られたらやばい。


「え?ちょっ、なつ」


ぷつ、電話切った。千夏ちゃん、太一と違う。あまり騒ぎ立てちゃいけないかも。だから、いろんな人に話したいけど。このはちゃんとか。やめよう。我慢。ずっと待ってた千夏に春が来るのを。ここで外野が騒いで、うまくいかなくなったら、それこそご先祖様に顔向けできないわ。


「ただいま」


超珍しい。旦那が早く帰って来た。夜、リビングでテレビ見ながらお茶飲んでた。


「どうしたの?」

「どうしたのも何も、お前が変な電話かけてくるから一日集中できなかったよ」

「ああ、あれね」


そっけなく目をそらした。


「とりあえず、なかったことに」

「は?」


上着脱いで、ネクタイ外してから隣に座ってくる。


「どういうこと?」

「う~んと」


なんて言おうかな。


「夏休み、うちに泊まらないんだって。日本には帰ってくるけど。だから、彼氏の家に泊まるんじゃないかと……」


ずずず、お茶を飲む。


「わたしが思っただけです」


せいちゃんが疑わしい目でじっとこっち見てくる。わりと嘘ばれちゃうんだよな。


「どこ泊まるか聞かなかったの?」

「30過ぎの娘だよ。女子高生とかじゃないんだよ。わざわざ聞かないわよ」


また、じっと見られる。


「うちの千夏は、親に言えないようなことする子じゃないし、心配もかけないよ。もし百歩譲って親に言えないことするにしても、その場合は心配かけないように適当な嘘ついてくるだろ。友達の家に泊まるとかさ」

「そうそう。友達の家泊まるって言ってた」


また、じっと見られた。


「なつは嘘がつけない人間だなぁ」

「……」

「つまり彼氏の家泊まるって言ったんだ。千夏が」

「……」

「そんで、お前のことだから会わせてとか言ったんだろ?」

「……はい」


ふうと息吐いた。


「俺にもお茶ちょうだいよ」

「はいはい」


立ち上がった。


「そう言えば、ごはんって食べたの?」

「食べてない」

「なんかあったかな?」


ごそごそ冷蔵庫かきまわす。


「なぁ、なつ。会わせてってもう言っちゃったからしょうがないけど。向こうから会わせたいっていうまで待ったほうがいいんじゃないの?」

「あなたなしならいいけどって千夏は言ってたよ」


しかめつらでこっち見た。ぱたん。冷蔵庫しめる。とりあえずビール出してみた。


「お茶じゃなくてビール飲みなさいよ。ほら、祝杯」

「お前は、いつも気が早すぎる」

「あなたは、いろいろ考えすぎよ」


返事待たずに栓抜いてやった。


「俺はずかずか踏み込まれるの、自分はやだからな」

「あのね、せいちゃん」


グラスにビール注いでやった。


「世の中にはたしかに図々しく心に入り込もうって人間がいるわよ。わたしもその一人だけど。でも、そういう人間も必要なわけ」

「そうなの?」

「入り込まれたくない人だけで世界が構成されてたら、人間は子孫残せず絶滅するわよ」

「なんだそりゃ?」


ふふふと笑う。


「教えてやんない。みなまでは」

























今度は僕が空港まで迎えに行く番。到着ロビーで彼女が乗った飛行機のフライトナンバー確認して、予定通りついたの確認してから出口をずっと見ている。好きな人が出てくるのを待つ時間が僕は嫌いじゃない。たくさんの他人の中に突然、大切な人が紛れ込んでくる。その時、不思議なんだ。ごちゃごちゃ人がいる中でその人だけすごく目立ってる。別に取り立てて派手な服を着ているわけでもないのに。


目でわかるんじゃなくて、それは全身全霊で感じるような、霊感があるような、そうだな、ゲゲゲの鬼太郎の妖怪アンテナじゃないけど、人間にも自分にとっての生命維持に近いような部分では第六感とかあるんじゃないだろうか。大切な人がいるとすぐに気がつく。大切な人というのは生命維持のごくごく近いところに位置しているんじゃないだろうか。


出てきた。のんびりと。


この人に対する気持ちが冷めたら、このアンテナは立たなくなるのかな?

彼女が端っこから僕を探す。泣きそうになった。会えたけど、また。でも、悲しい。僕に行き当たったときに、無防備に笑う。この人は言葉で語らない。でも、この人の笑顔は僕を好きだと言っている。


スーツケースごろごろ転がしながら、僕に向かって歩いてくる。

僕の全てを知っても、この笑顔は曇らないだろうか。自信がない。だから、悲しい。ほんの少しだけ。


「待った?」

「かなり」

「そうなの?」

「待ちきれなくて、早く来ちゃったの。行こう」


彼女の荷物を片手で持って、彼女の手を片手で握る。


「どっち行くの?電車とかバスとかじゃないの?」

「こっち」


駐車場へ行く。


「え~?車?」

「うん。会社の車、借りちゃった。休みの間」

「公私混同」

「千夏さんに言われたくないよ。それにガソリンはちゃんと自分で持つし」


荷物を載せる。彼女が助手席に座る。


「うわ~。初めて。なんか新鮮」

「シートベルトしめてね」


車を発進させた。嬉しそうにきょろきょろして、それから、途中からじっと僕を見ている。


「千夏さんに見られると」

「うん」

「さすがにそんなにじっと見られると事故りそうだからあっち見ててよ」

「そうなの?」


すごすごとあちら見た。


「千夏さんって」

「なに?」

「ときどき思うけど、子供みたいな感性だね。彼氏の運転で車に乗るのがそんなに楽しいの?ありふれたことじゃない?」

「けなしてる?」

「いや、けなしてはない。どうしてそんなに純粋なのかなって、大人なのに。思う時がときどきある。いい意味でだけど」


そういう純粋さが、仕事でも生きてるんだろうな。アニメを売り込んでいる瞬間、ときどき周りをはっと感動させることがある。この人。


「わたし、全部新鮮だよ。だって、30過ぎまで好きな人とつきあったことなかったもん」


なんか、いま、すごいこと言った。聞いちゃった。窓のほう見ながら、背中でだけど、めったにないこと言ってるじゃん。


「僕のこと好きって言ったの、初めてじゃない?」

「え?」


振り向いた。


「さすがにそれはないでしょ?」

「いや、僕の記憶がおかしくなければ、初めてです」


ほんとに事故りそうだよ。


「いや、いつも言ってるよ」

「じゃあ、なんで僕が聞いたことないの?」

「ああ、そうか」


ふいに思い当たったらしい。


「頭の中で言ってるんだった」


なんだそりゃ。


「もう少し言葉にして言ってよ。そうじゃないと意味ないじゃん」

「そうなの?」

「そうだよ。本人に言ってよ。伝わらないじゃん」


何かじっくり考えてる。


「そうなのか」


いや、ほんと変わってる。この人。


「千夏さんって、一見普通そうに見えるけど。標準装備の人間」

「うん」

「包装紙やぶったら、宇宙人だったみたいなとこあるね」

「は?」


怒った。


「なにそれ?」

「いや、自分で不良品だって言ってたじゃん。包装紙破る前に」

「そうは、言ったけど。なんかむかつく」


くくくくく。笑いが止まらない。


「なんで笑ってるの?」

「大丈夫。僕はもう千夏さんマニアだから。返品なんかしないって」


そう。返品なんかしない。手放したくない。


***


「予想はしていたけど」

「うん」

「やっぱりこぎれいにしてるね」

「普通でしょ」

「女子力高いな。樹君」

「それ、男女差別だね。掃除ぐらい男女関係ないって」


ソファーに寝っ転がった。


「疲れた~」


誘ってるわけじゃないよね。この人の場合。男ってやだな。考えないようにしてもつい考えちゃうんだよな。こういうこと。


「夕飯は、もう出かける元気とかない?」

「歩きたくない」

「じゃあ、何か作ったげる?」


顔あげた。


「久しぶりに会った彼女のために手料理用意してるって展開なの?」

「いや。用意してない。家にあるもので簡単に作ろうと思えば作れる」

「神対応じゃないんだ」

「あなたが、何もしないのにそこまでしたら、バランスとれないでしょ」


ちえっと言って、顔伏せちゃった。髪の毛に触った。ちょっと触って、やめた。だめだめ。立ち上がって、キッチンへ行く。


寝っ転がってた彼女が立ち上がって、ベランダへ出た。夕日が見える。


「眺めいいね~」

「うん。眺めが気に入ってここにしたんだ」


しばらく外眺めていた後、戻ってきてスーツケース開いた。


「はい。お土産。里香から。芋焼酎のお返し」


テキーラだった。


「今夜飲もうよ」

「ライムがないよ」

「じゃあ、買いに行こう」

「歩きたくないんじゃなかったの?」

「ちょっと寝っ転がったら元気出た。樹君の住んでる街見てみたい。スーパーとか」


家の鍵を閉めて、2人で出かける。スーパーでゆっくり買い物する。久しぶりの日本でアメリカでは簡単に手に入らないものとかカートに入れながら、おしゃべりしながら買い物する。ライムだけのはずだったけど、結局2人で半分こして持たなきゃいけないほど買いこんで。


「わたしが出すって言ったのに」


食べきれないほどの食品買いたがったのは千夏さん。


「このくらい出させてよ。変なところで潔癖なんだから。大体、女の人にお金出されるの嫌い」

「そういうの似合うのに」

「似合うから嫌いなの」


言いながら歩いてたら、マンションのエントランスのところに、


「お兄ちゃん」


梨花がいた。


梨花が千夏さんを見て、僕と手をつないでいるのを。2人でスーパーの袋一個ずつ持って、まるで恋人というより夫婦みたいに歩いて帰って来たのを、見た。見られた。


「妹さん?」


横で聞いてくる千夏さんの声。普通の声。いつもみたいな温かい彼女の声。温かい僕の世界。僕の手に入れた、大切な物。出会ってしまった。僕の歩いてきた冷たくて薄汚い過去と、僕の大切な失いたくない物が同じ次元で、同じ世界で、同じ国で。


「父親の再婚した人との間の妹」

「こんにちは~」


そう言って笑顔で近寄ってくる。


「どうも、妹の上条梨花です」

「初めまして。中條です。中條千夏」

「お兄ちゃん、彼女なんていないって言ってなかった?」

「いや。お前に関係ないって言ったんだ。いないとは言ってない」


にやにやしている。千夏さんが僕と梨花の顔を交互に見ている。


「あの、こんなところで立ち話もなんじゃない?」


彼女の顔を見た。普通の顔していた。ちょっと疲れていたけど。


「来いよ」


梨花を初めて部屋に入れた。


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