女神が復活しました
私がそこに入ってきた時、セリア殿は女神教の信徒らしき者たちの手に
捕まろうとしていたところだった。
私はセリア殿と信徒たちの間に飛び割って入り、それらを文字通り一蹴する。
ただの一般人相手では法力を持った私とでは戦いにすらなりはしない。
私はセリスに駆け寄った。
「無事か、セリア」
「エリス」
セリアは私を見て表情を緩める。
「大丈夫か?」
セリアの右腕が
やはり法力を使ったらしい。セリアの右腕
あまり慣れないうちに使えば骨折や筋の断裂などを起こすために
あらかじめ絶対に使用はひかえるように釘を刺していた。
ただ今回は緊急事態だ。仕方がなかったと思う。
「平気」
セリアの表情には余裕があった。
セリアの右腕をすぐに回復してやりたいところだが、今はこの状況を確認するのが先だ。
「おい、これは一体何をやっている」
私は近くにいる男の胸倉をつかみ問いただす。
「…神にふさわしいモノだけが溶かされることなく残る。そしてそれが神の憑代となるのだ」
その男の目は焦点があっていない。
まるで狂信者だなと私は思った。
私は水槽を見つめる。
底には人の体の一部らしきものがいくつか見えた。
それに生理的な嫌悪感を覚える。
「『聖別の檻』か。文献では読んだことがあるが、本当に存在しているとはな。
女神復活も出まかせでは無いようだ」
『聖別の檻』というのはデリス聖王国に伝わる話だ。
百年ほど昔、ある一人の不老不死に憧れた領主がいた。
不老不死の肉体を手に入れる必要がある。
不老不死に耐えられるだけの肉体を手にするために男は一人の魔術師に依頼し、
肉体を選別する水槽を用意させる。それを『聖別の檻』と言った。
その領主は夜な夜なその水槽に人々を誘い込む。
領地の大半の領民が消えたことにより、それは中央に発覚してしまう。
その後その男と魔術師は『聖別の檻』とともに処分されたという話だった。
ただこの話には後日談がありその中にはいくつかの人間の臓器があったと。
私はそれから目をそらす。
窓の外に見える外は夜のように真っ暗だった。
日蝕が始まったようだ。
世界が変わった。
空気が鉛のように重い。呼吸すらまともにできない。
大型獣の巣にでも迷い込んでしまったのかのような錯覚すら受ける。
「早くここを出ましょう。ここの空気、何かおかしい。それに何かものすごく悪い予感がする」
セリアはそういって私の袖を引く。
何かがここで起きている?
私は振り返りその違和感の元に目を向けた。
先ほど見た水槽の中には人間の体の一部があった。
それらが動くのを目の端で捉え、注視する。
するとひとりでにそれらが集まり形を成していった。
その異様ともいえる光景から私は目をそむけることができない。
それらは意志を持ったようにやがて形を成し、
ゆっくりとそのおぞましい肢体が水槽から姿を現す。
大きな竜のようでその躰にはムカデのように人の手がつきそれらが蠢いていた。
それらには複数の目がついており、複数の目の一つ一つが意志を持っているかのように動く。
バシャ
その何かが水槽の中で跳ねた音がした。
世界が塗り替えられたように錯覚するほどの圧迫感が周囲を包みこむ。
できることなら騎士の矜持をすべて投げ出して逃げ出したい。
だが足がすくんでそれもできない。
ネイアと呼ばれる魔族よりもはるかに異質な何かがそこにある。
事前にあの深淵をみていなければ、意識ごと飲まれていたかもしれない。
金縛りにあったように体が動かず、声すらも上げられない。
気を失えたのならばどれほど幸運なことか。
そんな私の視界に一人の男の背中が入ってくる。
いつも見知った男の背中だが、その背中が世界中の何よりも頼もしく思えた。
俺はセリアとエリスを守るようにその化け物の前に立つ。
この圧は以前、魔族と対峙した時の状況に近かった。
ただそれよりも俺は変わらぬセリアの姿を確認し、心の中で安堵していた。
どうやらこの化け物はオズマの話していた女神か?
ただどう見てもただの化け物にしか見えない。
これは女神と言うよりは邪神だぞ。それもクトゥフ系の。
俺は免疫があるが、こんなものを浴びたらネイアさん一人でも大変なことになっていたエリスが
今度は心にトラウマでも抱えかねない。
一刻も早く早く二人を連れてこの場から逃げ出したいが、この化け物の隙が全く見当たらない。
「女神よ我らの進むべき道を照らしたまえ」
その場にいる信徒が一斉に跪く。
「…肉を持ったのは久しいの。カルナッハはおらぬのか」
その化け物が言葉を発した。どこから発音しているのか。
ただカルナッハのことを知っているということで女神確定。
「ほう、余の加護が途切れておる。
邪竜戦争の後の混乱でも死ぬことがなかったあのカルナッハが倒されたか」
こいつはカルナッハに加護を与えた本人…つまりパールファダという女神らしい。
口ぶりによればオズマ達がカルナッハを倒した様子。それに俺は少し安堵する。
「人間と魔族とハイエルフか…」
無数の目が俺たちを見下ろす。
セリアが俺の背後にしがみついてきている。セリアが無事のようでちょっとだけ安心。
問題はエリスだ。果たして大丈夫だろうか。
こちらに気づいた様子でパールファダは視線を向けた。
敵意をつゆほども向けられていないはずなのにとてつもない存在感。
そこにいるだけで空気が鉛のように重い。
「余が生まれて見る者が魔族とはの」
パールファダはこちらを観察するようなしぐさを見せる。
気色悪い。背後のセリアたちは大丈夫だろうか。
「お主、わしの信徒ではないな。お主たちがカルナッハを倒したのか?」
パールファダは興味深げに俺を見る。
「いや、俺じゃない。俺の仲間がだ」
「…このわしを見て堂々としている胆力、魔族とはいえ気に入ったぞ。
わしの側につく気はないか?わしの配下になるのならばお主にわしの加護を授けよう」
これは女神の気まぐれ。
「断る」
「そうか残念じゃ。ならば生かしとく理由は無いな」
そう言うとパールファダはゆっくりと空に上がっていく。
建物の天井は女神が接近すると嘘のように消滅する。
俺は我に返り、セリアを抱き上げる。
「きゃっ」
突然俺に抱かれたことでセリアが変な声を出す。
セリアの顔を見れば顔が真っ赤だ。
後でどんな仕打ちを受けるかわからないが今は非常事態だ。
容認してもらうしかない。
セリアを抱いた俺はエリスに向き合う。
エリスの焦点は像を結んでいない。やっぱりなと思う。
「エリス、エリス・ノーチェス」
俺は大声でエリスを叫ぶ。
「あ、ああ」
俺の声に反応し、エリスの焦点が戻る。その目には俺の姿が目が映っていた。
よかった。エリスに俺の言葉が届いた。どうやら大丈夫のようだ。
俺が前にいたことがよかったのか、ネイアさんの圧を一度浴びていたのがよかったのか。
結果でしかないが。
「エリス、オズマたちのところまで走るぞ」
俺の声にエリスは頷く。
オズマ達のいる場所に向かって俺たちは全力で駆ける。
背後の力がどんどん膨れ上がっていく。
それを感じ取ってか俺の第六感がずっと警鐘を鳴らしている。
正直、振り返るのが怖い。
俺たちを消すだけの力にしてはあまりにも強大過ぎる。
あの化け物ここを俺たち諸共、消し飛ばすつもりらしい。
俺たちには結界があるが、オズマたちはそんなものは使えない。
まともに受ければ文字通り骨すら残るまい。
あの女神の奴は終始、殺意も威圧も俺に向けてこなかった。
そして生かしておく理由と言った際も、
まるで蟻でも踏み潰すかのようにその瞳からは感情すら読み取れなかった。
俺たちを殺すのはあの女神にとってそのぐらいのことでしかないということだ。
俺はあまりの理不尽さに舌打ちする。
あの角を曲がればオズマ達と合流できる。
そのとき背後から声がした。
「カルナッハを倒した褒美じゃ、とくと受け取るがよい」
女神の体が発光しはじめる。
パールファダが攻撃を放つ前準備に入ったと見るべきだろう。
もう間に合わない。
俺は反転しエリスの手を引き、セリアとともに胸に抱き寄せる。
あれだけの攻撃を自身の結界ですべて防ぎきれるとは思えない。
出来るだけ結界の範囲を狭める必要があった。
「ひゃ」
俺に抱き寄せたエリスが妙が声を上げた。
セクハラとか言われてもこの場合仕方ない。
後で幾らでも殴られよう。それも生きていてのモノだねだ。
今はアレを防げるかだ。
力を凝縮された光が女神の口から放たれる。
俺は両手に魔力を集中させ、全力で結界を形作る。
日食の暗闇の中、女神から放たれた光が王都を切り裂いた。
それは大臣邸をほぼ呑み込み、射線上にあった建物を焼きつくし、
一部城壁を破壊し、山を薙いだ。
「ほう、我が信徒ごと消し去ってしまったか。生まれたばかり故、加減できなんだ。
…だがまんざらでもない。ここまで集めてくれた信徒どもには感謝せねばなるまいな。
…これならば奴を…クックックックックック…はっはっはっはっは」
狂ったような笑い声とともに女神はそのまま西の空に消えて行った。
蝕が終わり、大地に日の光が戻る。
この日、カーラーンの人々の多くが笑いながら、西の空に向かう化け物の姿を目撃したという。
多くの犠牲者を生み、カーラーンを恐怖のどん底に陥れた。
後にこの出来事は『蝕の大事変』と呼ばれ長く語り継がれることになる。




