使徒の死
炎が城下町を焼いていた。
私は涙を流しながらその光景を目に焼き付ける。
もうこれで五度目になろうか。
私のずっと一緒にいてくれた幼馴染は見せしめに私の目の前で魔物に食わされた。
私と苦楽を共にした盟友は押し寄せる兵士たちに殺された。
私が尊敬していた師は張りつけにされた。
私についてきてくれた可愛らしい弟子は犯され殺された。
私の…
いかに神に祈ろうが目の前の武力には信仰は無力だ。
神を信仰しても何も報われず、奪われるだけ。
放浪の末に私はそれを悟る。
神を信じることは悲劇ではない。
神がいないことがすでに悲劇なのだ。
神がいないこの世に救いなどありはしない。
誰もが私を狂人とさげすむ中、神の奇跡は私に降り注いだ。
『加護』を得たのだ。それはまさに光明だった。
私たちを法螺吹きと呼び石を投げつけてきた者たちの舌を剥いだ。
私たちをおもちゃにしてきた王は民の前で無残に殺した。
私たちを異教と呼び虐げてきた者たちを一人残らず血祭りにあげた。
魂の穢れた不浄なものは等しく排除されなくてはならない。
この世に楽園を作るためにも。
こうして人は私を使徒と呼び、神の信仰するように心改めた。
私は確信する。これは人を惑わせるものから正しく導くための力なのだ。
我々を迫害する者はもういない。
そう思ったのも束の間。魔族が私たちと敵対してきた。
魔族たちの力は苛烈だった。
その力は個にして対抗できるものではなくワレワレの国はあっという間に消え去った。
ワレワレは住む地を転々することになる。
終わりの見えない旅に一人二人と毛が抜けるように脱落していく。
ある者が言った。ならば神をこの地上に降ろせばいい。
神を降ろし、本物の地上の楽園を作ろうではないか。
そしてワレワレはそれに向けて動き始める。
先ずは憑代を探すことから始まった。
半霊子半物質という特異な存在はこの世界では多くいる。
竜の王。上位魔族。エルフの上位種ハイエルフ。
彼らは皆共通して歳を取らない。
霊的な因子を持つがゆえに肉体が物質の法則を受けないためだ。
特にハイエルフは今現在ではその存在を確認すらできないが、
神代において神の憑代として使われていたという。
しかしハイエルフはこの世界のどこにも存在しなかった。
上位魔族もそれの一つだ。
極北を住処とし、魔力を媒介とした強大な力をもつ化け物たち。
しかし、連中は魔力で穢れていた。
穢れた器など神の憑代としてはふさわしくない。
そして最後に目をつけたのは圧倒的な力をもつ竜王と呼ばれる存在。
ただし竜王は神と同格の存在であるがゆえに、その討伐は加護持ちでも困難だった。
一度目の画策はうまくはいかなかった。
神の降臨に使われるはずの竜王の亡骸は魔族たちに奪われてしまった。
次の失敗は許されない。そこで私たちは考え方を変える。
神の器は作れないものかと。
すべてうまく運んでいた。
協力者を得、必要だった物も集め終えた。
魔族にも見つかった気配はない。
すべてがうまくいっている。
協力者の望む行動をしたのは女神が復活する前に、
身の回りの雑事をすべて終わらせておきたかったためである。
そのせいで厄介ごとが一つ増えた。
この地に楽園を築くために神はこの地に降りられる。
間もなくお前たちは神の前に排除されるのだ。
周囲が暗くなり始めていた。
間もなく空では月が太陽を呑み込むだろう。
オズマは片膝をつき剣にもたれかかっていた。
体にはいたるところに傷がついている。
近くにはカルナッハの亡骸がある。
カルナッハの体は血だまりの中にあった。
無数の貫かれた傷があり、目は焦点を結んでいない。
「まさか、あの伝説のカルナッハを倒しちまうとはな。これで俺の伝説がようやく始まりそうだぜ」
クラスタは満足げに大の字になって寝転がっている。
「緊張を解くな。少し休んでから主殿を追うぞ」
オズマはクラスタの頭を軽く小突く。
(まさかこの私があのカルナッハを倒すことがになろうとはな…)
オズマは戦いを思い返す。
ユウと別れた直後、
クラスタはオズマの指示で黒い竜巻を作り出した。
この黒い竜巻によりカルナッハは視覚を封じられる。
カルナッハの本体は見せ掛けの場所とは別にあった。
オズマはそれを見抜き、オズマの魔力である黒い霧による渾身の一撃を与える。
これにより結界は破壊され、オズマは自身の必殺の技、黒千槍をカルナッハに叩き込んだ。
カルナッハは本体にかなりのダメージを負った。
ただ、それを受けても王宮の戦いからこのままではカルナッハが回復するのは予測していた。
攻撃が命中した後、オズマはカルナッハを貫いた刃を解除し、魔力に戻した。
魔力はカルナッハの体内にある神力と反応し、カルナッハの肉体の中で弾けた。
カルナッハの肉体はこれによりさらに激しく損傷する。
また魔力と神力が反応してしまったためにカルナッハの神力が枯渇することになった。
神の加護を受けているとはいえベースは人間の体である。
加護により神力が戻るわずかな時間でも損傷が大きければ人間は死に至る。
神力の枯渇した状況で傷を負ったカルナッハは、回復が追いつかず死に至ったと言うわけである。
ユウから傷を負わされ、万全の状態からは程遠いもののカルナッハは手ごわかった。
ただ王宮で戦った時とは三つの点が明らかに決定的に違っていた。
一つ、カルナッハはユウの攻撃で手傷を負い、激昂し視野が狭くなっていた点。
そのためにカルナッハはこちらの罠に容易くはまってくれた。
これはカルナッハが戦術的に今まで苦戦を経験したことがないためだ。
それほどまでにカルナッハの受けた加護は強大だったのだ。
一つ、攻撃の精度が著しく低下していた点。
ユウがカルナッハの右腕を斬り飛ばしたことで空間攻撃の精度が落ちた。
一つ、手傷を負ったことにより、カルナッハが戦術を大きく変えた点。
手傷を負ったことにより、見せ掛けの偽物と本体を分けることにした。
それもユウが行った攻撃をもう一度された場合、傷を負ってしまうからだ。
相手には自身を傷つける手段がある。
これは強力な女神の加護である障壁に守られていたカルナッハには未知の経験である。
そのために目に見える偽物と本体を別々の場所に分ける選択肢を取ったのだ。
カルナッハは障壁に使う力を偽物:本体を7:3の割合で調整していた。
偽物の能力の方が割合が大きいのは偽物だと感づかせないためだ。
もし障壁が割れることがあれば偽物であることがばれてしまう。
そのために見せ掛けの偽物の方にも手を抜くわけにはいかなかったのだ。
カルナッハの思惑とはよそに
カルナッハ本体が別の場所にあることはオズマはすぐに理解した。
オズマは視覚よりも嗅覚が発達している。
ユウにより受けた傷から漂う血の臭いでそれを察知したのだ。
目に見えるカルナッハは偽物であると。
オズマは慎重に事を運んだ。
カルナッハの能力の最も怖ろしいのはその驚異的なまでの移動速度。
魔族の中でもそれを捕らえられるのは数人しかいないだろう。
大概の相手はその攻撃力と速さのヒットアンドアウェイで倒せる。
カルナッハは今回それが封じられていた。
それを使わないようにオズマが誘導したというのもあるが、
カルナッハは現在ここを死守しなくてはならない理由があった。
言うまでもなく実力的には加護を受けたカルナッハの方が格上である。
いくつかの条件と偶然が重なりうまく作用したのもあるが、
勝利を手繰り寄せモノにできたのは一重にオズマの戦闘経験によるものだ。
「そろそろいくぞ」
オズマはそう言って立ち上がる。
「ああ」
クラスタが立ち上がりかけたその時一人の女性の声がした。
「こんにちは」
オズマとクラスタはすぐに飛び退き、構えをとる。
白のローブを着た女性が真ん中に立っている。
(ここまで近寄られたというのに気配を感じなかった。この女、一体何者だ?)
オズマは休息を取っていたとはいえ周囲を警戒していた。
使徒を倒したとはいえここは敵陣である。
「なんだあんたは?」
クラスタがいきなり現れた白ローブの女を警戒する。
肌はおろかその口元すら隠されている。
見えるのはその緑の瞳だけ。
きつい香水をつけているために全く鼻が効かない。
(この臭いならばかなり遠くからでもわかるはず…。
カルナッハと同じかそれに近い移動方法を持っている。
ならば神の使徒?だが彼女から神力は感じられない。一体どういうことだ…)
オズマは思考を巡らせる。
「私はあなたたちと事を構えるつもりはありません」
白ローブの女は両手を上げる。
「…信用できないな」
クラスタがオズマと白いローブの女の間に割って入る。
「師匠、ちょっとまった。こいつからは敵意を感じない。
それに敵対するならさっきのタイミングでやってくるはずだろ?
むやみに敵を作るより話を聞いてみいてもいいんじゃないか」
クラスタの話す理屈は間違っていない。
オズマは嘆息し、構えを解いた。
「お前は一体何者だ?俺たちと事を構えるつもりがないならどうしてこんな場所にいる?」
「それは…」
白ローブの女が何かを言いかける。
「すげー、あんたら神の加護持ちを倒したのか」
緊張とは無縁の声がその女の中から聞こえてくる。
女性の懐から白い子狐のような精霊が顔を出した。
「精霊使い…」
クラスタが言いかけたその時、周囲を何かが包んだ。
世界そのものが変わってしまったと錯覚するぐらいの何か。
「なんだ…一体何が」
「…この感覚…まさか…」
オズマの脳裏に最悪の事態がよぎる。
もし思い描く最悪の事態ならばカルナッハなどかわいいものだ。
これはもはや自分たちだけでは解決できない。
「パールファダ…現界したわね」
白いローブの女性のつぶやきに二人は戦慄する。




