空はどこまでも澄んで
「セリア、忘れ物はないか?」
「ええ」
セリアはそう言って頷いた。
俺たちは滞在した部屋を後にした。
あの後明け方、ぼろぼろのまま帰るとそのまま倒れるように寝てしまった。
二日間ぐらい寝ていたらしい。
気が付けばセリアが寄り添うように寝ていた。
目を覚ますと体は包帯がまかれ、手当てがされている。
血の跡はあるが傷が嘘のように消えている。
かなりの裂傷や骨もいくつか折れていたはずだが…。
魔族の体質にちょっと感動する。
セリアが目を覚ますと何かを言いかけた後、無言で服を用意してくれた。
食事を取った後、セリアに事情を話すと呆れられた。
セリア嬢曰く、キミって本当に常識ないよね。だそうだ。
そのあと北限での魔族の伝説を延々と語られた。
「約束。もし次こんなことがあったら私に必ず言うこと。いいわね」
そう言うセリアは一歩も引かないと言った表情をしていた。
俺には了承以外の選択肢はなかった。
「出ていくんだね」
宿の出入り口でラムばあさんが声をかけてくる。
「ああ。世話になりました」
残りの代金は昨日渡してある。
ラムばあさんはセリアを抱きしめる。
俺が寝ていた二日の間に何があったのかは知らないが二人ともやけに親しくなってる。
俺は何があったのか聞きたいが、セリアが怖いので聞けないままだ。
「あんた」
「…?」
「セリアちゃんにあまり心配かけさせるんじゃないよ」
こちらを見据えてラムばあさん。
かなり怖いんですが。
「セリアちゃんも、この男が嫌になったらまたもどってくるといいさ」
「はい、ありがとうございます」
うん、セリアの保護者としての責任はきちんと果たしていかないとな。
俺は荷物を持ちセリアの後を追うように通りを歩く。
魔族の騒動が収まり街に人も急速に戻りつつある様子だ。
街の被害も街の外壁が一部壊れただけだという。
「そもそもキミはやることが極端なのよ。そのくせ暴走するし」
俺の前を歩きながらセリア。
「反省してます」
根に持っているらしく未だ愚痴られる。
馬車のターミナルは人であふれていた。
魔族の脅威が無くなった出戻りである。
馬車が所狭しと停車している。
そんな中、王都方面行きの馬車を探していると横から声がかかる。
「カーラーン行の馬車は隣だぞ」
「ありが…ダールさん」
振り向くとそこにはダールがいた。
「もう行くのか」
「お世話になりました」
俺は頭を下げる。
村に避難させていた奥さんと娘さんは昨日戻ってきていて、
夕食を御馳走になった。
「また来てね。歓迎するよ」
イアルが微笑む。
「今度来たら釣りを教えてやるからよ。とっておきの穴場もな」
ルーカスがこちらの肩を叩いてくる。
「また飲もう」
ルジンの差し出してくる大きな手を俺は握り返す。
今ならわかる。あの時の決断は決して間違ったものではなかったと。
ラクターが走ってやってきた。
「おー、間に合ったな」
「ラクターさん?」
例の魔族の一件で未だギルドは忙しいはずだ。
「ほらよ。残りの金貨だ」
ラクターは金貨の入った袋を手渡してきた。
アルミラージの魔石と角の代金の残りの金貨をうっかり忘れていた。
ラクターには教えてはいないはずだが。
「ダールの奴が払えって聞かなくてよ」
「おいおい、ネコババするつもりだったのか?」
ダールが茶化すように言ってくる。
「ダール、こんな人の多いところで人聞きの悪いこというんじゃねえ」
ラクターのあわってっぷりにその場にいた皆で笑った。
その最中ダールは横から俺に小さく声をかけてきた。
「魔族の件、ありがとうな」
「…」
思いがけない言葉に俺は顔を強張らせる。
誰にも知られていないはずだ。そもそも信じられる話ではない。
人間が魔族と戦ったなどと。
「あんまり無茶するなよ」
そう言ってダールは俺の肩を叩いてくる。
本当にこの人には頭が上がらない。
ユウたちの乗った馬車が少しずつ遠ざかっていく。
「本当に何者だったんだ?」
遠ざかる馬車を見つめながらラクターは一人つぶやく。
投石の件といい只者ではなかった。
「案外、英雄だったんじゃないか。本物の」
ダールは晴れやかな表情で馬車の後をみていた。
「英雄?あの坊主が?」
ラクターは信じられないような顔をみせた。
「さて俺たちは警備に戻るぞ」
ダールは三人に呼びかけ、踵を返す。
ドルトバの空はどこまでも澄みきっていた。
北限のドルトバ近郊のエンダ村でのレッドベア討伐。
これがユウ・カヤノが歴史に登場した始めの事件とされる。
近年、同時期に起きた魔族騒動とは関係ないとされているが、後にそれを疑う学者も多い。
彼の登場により今まで澱み停滞していた世界が動き出すことになる。
誰も知らない世界の最果てで世界はその歯車を動かし始めた。