別れの挨拶
ルタ川の上流でせき止められていた水が濁流となりアウヌス軍を襲った。
春先の雪解け水。その水はそれは未だ冷たく、兵士たちの体温を奪う。
連日の疲労とこの水計によりほぼ崩壊する。
サルアの軍勢がは逃げ惑うアウヌスの軍勢を背後から蹴散らしていく。
既に戦争の体を成していない。相手は陣形などお構いなしに蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「驚かないのだな」
エドワルドは俺の表情を見てつぶやく。
「まー、お前ならやると思っていたよ」
エドワルドに『黒蜥蜴』を使ってエドワルド王に成りきっていたためにこの手は既に知っていた。
ここはサルア国である。アウヌスにしてみれば敵地なのだ。時間をかければかけるほど不利になる。
エドワルドは俺たちが手を出さずとも三日後には増援がサルアの領主たちから派遣され、
アウヌスの軍勢がルタ川の対岸まで後退することまで織り込み済みだった。
つまりはこの戦場で俺たちが手出しする必要などはなかったのだ。
ここに来たのはあくまでこいつに別れの挨拶するためだ。
「…敵が貴公ならわからなかったな」
「それは無いな。俺ならば先ずお前とは真っ先に同盟を結ぶぞ。
そもそも俺は王になんぞなるつもりはない」
この他にも策は用意されていた。その数はおよそ百通りほど。さすが稀代の賢王である。
ただし、ファルカッソ砦が落されたならばかなりきわどいものしかなかったが。
俺に自分の変わり身になってほしいと頭を下げたのはそういう意味もあったらしい。
「クックック、同盟か。貴公のような者とならばそれもいいかもしれんな」
まんざらでもなさそうにエドワルド。
「さて、そろそろ頃合いか。おしゃべりもここまでにしよう」
エドワルドは少しだけ名残惜しそうに言う。
「相手はもう形無しだ。これより残党狩りを始める」
エドワルドが号令を下すと皆大声を上げながら、アウヌスの軍勢に向かっていく。
「エドワルド、暗殺者のことだけどな。利用する気だろうが、あまり手荒な扱いはするなよ」
俺の一言にエドワルドは少しだけ表情を動かした。
「…知ったような口を聞くな。だが一考はしよう」
「俺たちはこのまま戦場をつっきって真っ直ぐ南に向かう。じゃあな王様」
俺はエドワルドに背を向け、手を振る。
「さらばだ、魔族。お前との時間なかなか悪くなかったぞ」
エドワルドは背を向け、馬を走らせていく。どうやらエドワルドはすべてお見通しだったようだ。
なんだかんだ言って悪くない出会いだったと思う。
背を向け俺とエドワルドは違う明日に向けて歩き出す。
俺の前にいるのは四人の仲間。あれだけの兵士を相手にして誰も傷を負ってはいない。
俺を信じてついてきてくれる自慢の仲間たち。
「主殿、挨拶は終わりましたか?」
オズマが俺に声をかけてくる。
「ああ、みんなすまない。俺の我儘に付き合ってもらって」
俺は皆をねぎらう。
「いいぜ、結構楽しめた」
クラスタの肩にはいつの間にかアタが戻ってきていた。
「こういう戦も悪くないな」
エリスは表情が緩んでいる。
「後で何か驕ってね」
笑いながらセリア。
「俺たちはこのまま南に向かうぞ」
「はい」
「ええ」
「ああ」
「了解だ」
「おう」
俺の掛け声に仲間たちが呼応する。その顔は皆晴れやかだった。
ファルカッソの砦の戦い。
これはエドワルド王の後の治世を決定づけた戦いになった。
その後、サルア王国は賢王エドワルドの元、繁栄を謳歌することになる。
それとは対照的にアウヌス国はこの戦い後、没落の一途をたどることになる。
なおここで現れた冒険者の一団は彼らは騎馬兵を蹴散らし、そのまま南に向かったと記述されている。
奇しくもそれが彼らが歴史の表舞台に出てきた初めての事件となった。
アタ
クラスタと行動を共にするカラス。
一節では人語を語り、神族とも言われるが定かではない。
クラスタ
オズマの直弟子。長剣二本を軽々と扱い、まるで風の様な身のこなしだったという。
一節では魔族と言われている。気まぐれな性分で解散後は各地を転々とする。
情に厚く、義理堅い性格のために世界各地で彼を讃える伝説は事欠かない。
やがて『黒翼の双牙』と呼ばれ、歴代最強の剣士に数えられるようになるがそれはずっと先の話だ。
オズマ
元七星騎士団『黒獅子』。当代最強の騎士とまで謳われる存在で謎が多い。
彼についてはさまざまな伝説が語られる。
一説によれば猛将バルハルグと決闘した、東方の竜騎士と戦った。
さらに巨大な狼を飼っていたとさえ言われる。
その絶対的なまでの強さに惚れ込み彼を手に入れようとする王侯貴族は多かった。
ただ、どんな立場に置かれようとも彼が主と呼んだものは一人だけであったという。
後に武神とまで言われ崇められる存在となる。
エリス・ノーチェス
デリス聖王国第十二代勇者。輝くような美貌をもち、白銀の姫騎士とも呼ばれる。
剣術と法力に秀で、オズマに次いで当時最強と言われる。
千を超す大軍と単騎で渡り合ったという逸話まである。デリス聖王国と反発していたが後に和解。
後に人類の初にして未曽有の災害『魔帝』との戦いの際に中心的な役割を担うことになる。
セリア
ハイエルフに酷似した姿をした『先祖返り』であり、絶世の美女とまで言われる美貌の持ち主。
後にカロリング魔法大学に進学する。
当時、第二十五代学長ポテン・リークハインから不世出の天才とまで言われる。
圧倒的な魔法力を誇り、すべての属性の魔法を扱えたという。
またあの太祖ゲヘルの弟子だという噂もある。
さまざまな王侯貴族から誘われるも本人はそれを拒否し続ける。
彼女と同年代の著名な人間は彼女のことを皆記述しており、彼女の影響力の高さがうかがえる。
『魔帝』との戦いにおいて傍らでエリスを支えることになる。
ユウ・カヤノ
パーティのまとめ役だと言われている。
エリスやオズマ、セリアたちから比べるとその人物に関しての記述が圧倒的に少なく、
謎の人物として語られることが多い。
一節には神の化身だとか、魔族だったなどとささやかれている。
ウォルゲン渓谷の手前のファルフ街道沿いの街では商隊が立ち往生していた。
サルアとアウヌスが交戦状態に入ったという話が舞い込んできたためだ。
情報を集めようと皆躍起になっていた。
もし本当に戦争になっていたとしらそんな場所に向かうのは命がいくつあっても足りない。
商人たちは皆一様に足踏みをしていた。
「王都カーラーンで化け物が暴れたって聞いたよ?」
「俺はファルカッソ砦にアウヌスの騎馬隊が攻め込んだって聞いたぜ?」
街道沿いの街の酒場はその噂でもちきりだった。情報は商人たちの生命線になる。
彼らにとっては噂だとしても必要なものだからだ。
「あの『災害』のカルナッハが出たって聞くし…」
『災害』の伝説は多くの人間が知っていることだ。
「あんたたちカーラーンから来たんだよな。今の噂本当なのか」
皆の注目がカウンターの端にいる一人の青年に向けられる。
「そうですね。少し前に『災害』と化け物は確かに出たみたいですが、
カーラーンは変わりありませんでしたよ。
それとアウヌスのことですが、サルア軍の前にほぼ壊滅したと聞きました」
「それは本当の話か」
商人の一人が立ち上がる。
「だとしたらサルアの賢王の名は伊達ではないな」
「戦争があったのなら物価も上昇しているはずだ。カーラーンに行って一儲けだ」
停滞していた商人たちは我先にとカーラーンへ向かい始める。
またたく間に街道沿いの酒場は空になった。
「あんたらはどこまで行くんだ?」
酒場のマスターが片づけながら一人残された青年に聞く。先ほどサルアからきたといった青年だ。
「カロリング魔導国まで」
その青年は答えた。
「そりゃずいぶんと遠いな」
「ユウ、置いてくよ」
少女が入口からその男に声をかける。
髪は金色で誰もが羨むような鮮やかな流れるような髪。
まるで昼の薄暗い酒場に太陽でも出てきたような印象すら受ける。
「すぐ行く」
青年は立ち上がり、銀貨一枚を置くと酒場を後にした。
窓から見える北の空はどこまでも青く澄みきっていた。