腹を決めました
ドルトバの街が夕焼けに照らされている。
あの魔族の行軍速度ならば明日の午後にはドルトバに到達するだろう。
人間の街などなすすべもなく蹂躙される。
今日一日で近隣の村々へと退避が終わっており、一部の人間しか残っていない。
これがこの風景を見る最後になる。
瞼にその光景を焼きつける。
ラムばあさんは頑なにドルトバに残ると言っていた。
ラムばあさんに説得を試みたが豪快に笑い飛ばされた。
「はっはっは、魔族がなんだってんだい」
ほんの数日だがこの人の事は何となく
ぶっきらぼうに見えるが情が厚いのだ。
セリアも俺のいないところで何度か相談に乗ってもらっていたらしい。
「…いつかはこんな日が来るんじゃないかと思っていなかったわけじゃないさ」
どこか達観したような横顔に俺は言葉を失う。
「でも」
なおも引き下がるセリアにラムばあさんは困ったような表情を浮かべる。
「それにね。逃げたところで老い先短いばばあなんぞどこにいけばいいっていうんだい?
…ここは旦那の残した形見なんだ。ここを残していけるもんかい」
「あんたらはカーラーンに行くんだろう。いいかい、ここは通過点なんだ。
もし私らに何かあっても振り返るんじゃないよ」
泣きそうなセリアの頭を優しくなでながらラムばあさん。
次にドルトバの通りでダールの奥さんと娘さんに会った。
両手にはかばんが握られていた。
「セリアちゃん」
ダールの娘さんとセリアは喜んでいた。
セリアと娘さんは歳も近く、昨日バーベキューで二人で仲良くなった様子である。
「これから私たちは隣村の主人の知り合いのところに行くんです。ユウさんあなたもどうですか?」
ダールの奥さんがにこやかに笑いかけてくる。
そのほほえみに思わず俺は見とれる。
異世界に来てから出会った中で一番美人といっても過言ではない。
本当にリア充なんだよな、ダールさん。
もう少し嫌味のある性格なら妬みようもあったんだが。
「せっかくですが…」
俺たちの向かう先はカーラーンである。
行先は真逆の方向なのだ。
「私にあなたほどの力があれば主人と一緒に戦うこともできたのですが」
口惜しそうに奥さん。
やはりダールは戦うつもりなのだ。この街を守るために。
彼女たちとは馬車のターミナルで別れた。
この街を守って戦う人間。この街と運命を共にする人間。
だがあの魔族たちには等しく無力だ。
実際に見てきたからこそ分かる。
人間など蟻同然に蹂躙されるだろう。
自分の力ならもしかしたらどうにかすることができるかもしれない。
だがあの六体の魔族に確実に勝てるとは思えない。
もし俺に何かあったらセリアはどうなる。
夕焼けが俺の頬を照らす。
「ユウ」
背後からセリアに呼び止められ俺は振り向いた。
セリアは険しい表情でこちらを見ている。
「キミが何を我慢しているのかは知らない。
…けどそれでキミは本当に納得してるの?」
「な、なんでそう思う?」
小さい子供に胸中を言い当てられ俺はたじろぐ。
「昨日からずっとキミはひどい顔をしてるよ」
セリアは俺の顔に触れてくる。
「…私はキミが思うほど弱くはない」
俺はセリアと真正面から向き合った。
そこで俺は間違いに気づく。
ああそうか。俺は戦えない理由にセリアを使っていたのか。
俺はセリアの頭を撫でる。
決意は固まった。
「なあ、セリア。ラムばあさんの宿で待っててくれるか?
行かなくちゃいけない場所ができた」
俺は進行方向とは真逆に足を踏み出した。
「ユウ」
「必ず帰る」
もう迷いはない。
魔族を倒しに行こう。
それを決断すると嘘のように体が軽くなる。
どうやら自分を縛っているのは自分自身らしい。
しんと静まり返った森の中。
ここに来るのは二度目だ。
黙々と木を縫うように俺は走る。
森の中に昨日見た軍勢が行軍している。
昨日からずいぶんとドルトバの街に近づいてきている。
背後には遠くのドルトバの街の光が見えた。
放っておけば明日ドルトバは蹂躙される。
作戦はここに来るまでに考えていた。
自身正面から当たれば勝ち目は薄いだろう。
投石を用いたゲリラ戦である。
森の中を駆け巡り、投石をして、相手をかく乱しながら一つ一つ頭を潰していく。
この方法はおそらく自分にしかできない。
始まれば根競べだ。
肩に下げたバックには入るだけの石をかき集めてきた。
俺が石を握りしめると行軍がぴたりと止む。
貴族の身なりをした男がこちらをじっと見ている。
「出てきたらどうです?」
大きくはないが透き通る声が森の中に響き渡る。
その声に俺は体を硬直させる。
ばれた?嘘だろう。暗闇の森の中で百メートル以上離れてるんだぞ。
頭の中で警鐘が鳴り響く。
「出てこないならこちらから参らせていただきますが」
老人のような魔族は何かの魔法式をこちらに向けて数個展開する。
俺は深呼吸をして今の状況を冷静に分析する。
相手にはこちらを見つける何かしらの方法がると思っていい。
このまま隠れていても無駄だろう。
だが、会話が成立するならもう一つの選択肢がある。
俺は両手を上げて相手の目の前に歩いていった。
魔族たちの行軍が止まり、視線が一斉に俺に向けられる。
「俺はユウ・カヤノ。あんたらと話し合いに来た」
俺は大声を出し胸を張る。虚勢でもいい。
対等な立場であることが交渉の最低限の条件でもある。
もし見下されれば交渉にもならない。
「これはこれはご丁寧に。私の名はゲヘル・カロリング」
老人のような魔族が仰々しく頭を下げる。
「このまま行軍をつづければ人の街にぶつかる。ぶつかればどうなるかぐらいわかるだろう。
あんたらの目的はわからないが引き返してくれないか?」
表面は平静を保ってはいるが心臓はバクバクいっている。
「我々に命じると?」
「違う。頼んでいる」
「…あなたはあの街の人間なのですか?」
「違う。だが放っては置けない」
その俺の言葉の後、ゲヘルという魔族は少しだけ思案する。
「縁もゆかりもないもののために我々の前に立ちはだかるということですか?
立ちはだかるという意味がどういうことかわからないあなたではないでしょう?」
諭すように威圧してくる。要は命が惜しければでしゃばるなと言うことだ。
「…あんたらの目的はなんだ?」
「ホッホッホ、あなたに教えるとでも?」
「…ならどうすれば引いてもらえる?」
「簡単です。我々にいうことを聞かせたければ、この群れを率いている我々を倒せばいい」
ゲヘルがぱちんと指を鳴らすと六人の魔族が前に進み出てくる。
昨日一番やばいと感じた六人だ。
対峙するだけで肌がピリピリする。
「結局は暴力かよ」
軍隊を相手にすることは無くなったがこれはこれで厄介だ。
「それが我々魔族です」
仮面の奥でにやりと微笑んだような気がした。