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「どうして?」
「店の前にいつもの配達の青年がいて、まだ開店前だけど、入ってやってくれって。まさか真琴がいるとは‥‥‥。」
「龍が?お父さんを?いや、そもそもどうしてお父さんがここに‥‥‥。」
私は混乱しすぎて訳が分からなかった。もはやダムが決壊したように十何年ぶりの「お父さん」を連発していた。
先生は、まっすぐにお父さんを見つめて優しく言った。
「中村さん。私は今日ここで中村さんと真琴が偶然会ったことは運命だと思いますよ。」
お父さんは一瞬困った顔をして、それからしっかりと私を見た。お父さんと目が合うのは一体何年ぶりだろう。見つめられたのなんて、病院が最後かもしれない。
「真琴、今まで本当にすまなかった。」
「‥‥‥えっ!?」
「伊藤先生が、手紙をくれたんだ。真琴ともっとちゃんと向き合ってやってほしいって。」
「先生が?」
驚いて先生を見ると、優しくて少し悲しい顔をしていた。
「学校を辞めてしまう私が真琴のために出来ることは、そのくらいしかなかったから。」
「真琴がそんなに苦しんでいるなんて気づかず、本当にすまなかった。伊藤先生に真琴の話を聞いて、ちゃんと向き合わなければと思っていたんだ。」
「真琴、真琴のお父さんはたまにこうして食堂に真琴の話を聞きに来てくれていたの。いつか真琴と向き合うために。」
「‥‥‥お父さんが?」
「必ず向き合うつもりだった。遅くなって、しかも偶然になってしまって本当にすまない。知らなかったで許されないことは分かっているが、これから真琴のために出来ることをさせてほしい。」
知らなかった?そうだ、お父さんは知るはずない。
お母さんは完璧だったから。
お父さんの前ではいつも完璧だったから。
美味しいご飯を作って、私に笑いかけて、お父さんがいるときは、ピアノだって弾かなくて良かった。
そうだ。私が伝えなきゃ、お父さんが知るはずなんてなかったんだ。
私が、伝えなくちゃ。
「お父さん。私のことはもういいの。
私はもう大人だし、先生に出会えて生きていれたから。だけど、桜ちゃんは、今の桜ちゃんにはあの時の私みたいに何にもなくて。
お父さんお願いします。桜ちゃんを助けてください。」
私はお父さんに頭を下げた。
「桜ちゃんって真琴の妹の?あぁ、なんで気付かなかったのかしら。そうよね。真琴のお母さんは妹さんにも同じことを。」
お父さんより先に反応したのは先生だった。
先生はとても苦しい顔をしていた。
先生の顔を見ていたら堪らなくなって、私は涙が出そうになった。
だけど、泣いちゃだめだ。私が伝えなきゃ。
「私、あんなに辛かったのに。辛くて苦しかったのに。今まで桜ちゃんを助けてあげられなかった。
お母さんが怖くて。お母さんには何も言えなくて。だから、ずっと桜ちゃんの気持ちに気付かないふりしてた。だけど、今日の桜ちゃんは私と同じ目をしてた。お父さんに訴えたときの私と同じ目を。
私は桜ちゃんに言ってあげたいのに、あの時私が一番ほしかった言葉を。才能なんかなくても良いんだよって、桜ちゃんが楽しく弾ければそれが一番なんだよって、言ってあげなくちゃいけないのに。
私は、お母さんが怖くて、言えないの。
お父さん、お願い。桜ちゃんを私と同じにしたくないの。」
私は一気に伝えた。
涙を堪えているからかすれる声ではあったけど、お父さんと先生はとても真剣に私の話を聞いてくれた。
先生が私の前からいなくなってから、私の話を真剣に聞いてくれる人なんてどこにもいなかった。
「中村さん、私は分かっていませんでした。いつか真琴と向き合えるようになんて、無責任なことを言ってしまいすみませんでした。いつかでは遅かったです。真琴と、真琴の家族と話をしてください。」
「あぁ、ありがとう。
真琴、今から一緒に帰ろう。
桜に言ってあげたい言葉を言ってあげなさい。」
もう涙は止められなった。
「お父さ、ん。っく。あり、が、とう。」
私が泣くのをお父さんも先生も優しく見守っていてくれた。
こんな日がくるなんて。
私にこんな奇跡みたいな日がくるなんて。
私がひとしきり泣き終わったあとで、
「会社に電話だけしてくる。」
と言ってお父さんは一旦お店を出ていった。
「真琴、本当に良かった。」
先生は、私の大好きな、いつもどの瞬間も見たかった、優しい笑顔で私を見つめてくれた。
「龍くんにいつも真琴の話をしていたの。龍くんといつの間にか知り合いだったのね。真琴を連れてきてくれたお礼をいわなくちゃ。」
「龍はお父さんのことも?」
「真琴のお父さんだと話したことがあるわ。
あっ、でももちろん真琴の家庭のこととかそんなことは決して話してないから安心してね?」
「もちろんです。先生?私はもうこれから先生を疑うことなんて絶対にないです。
先生は私を両親よりも心配してくれて、大切にしてくれた。先生と出会えて本当に幸せでした。」
「私はいつでもここにいるからね。何かあったらいつでも来てね。」
先生はやっぱり優しく微笑んだ。
私は生きていて良かったと心から思った。
だって今日という日が訪れたから。
これから先どうなるかなんてわからないけれど、今からお父さんと家に帰ってお母さんと向き合って、結果次第でまた堪らなく辛くなるかもしれないけど。
それでも私は生きていくんだ。
私を生かすのは、先生のたった一度の口づけではなくて、私は、私の意思で、これからの人生を生きていくんだ。




