#4 チェンジ
燃えるような悪意があった。
メラメラと周りだけでなく、自身そのものすら燃やし尽くすかのような悪意が。
甲冑からすればただ狩られるだけの鼠だと思っていたものが本当は狩人に憎悪と悪意を持った狼だったのだ。
甲冑は眼と思わしき部分を見開き、至近距離にいる化物を直視していた。
アナザーはアナザーフォルムというもう一つの形態を有している。これは本人の深層心理やイメージが具現化される。
甲冑が有している刀などの祭具や武器も生み出すことは可能だが、本物ほど威力も切れ味もない。これはその人の精神力によるものが大きい。精神力が強ければ強いほどアナザーフォルムの力は強まり、弱ければ弱いほど力は弱くなる。当然、能力も精神力が強くなければどれだけ強くても扱えない。
詰まるところ、アナザーの強さは精神力と能力が釣り合っているかが重要なのである。
その点で言えば、甲冑の精神力と能力の釣り合いはかなり絶妙と言えた。ハジメが言ったように甲冑の能力はブースト。ものの動きを一時的に加速させる能力だ。今までもこれで幾度となくアナザーを葬り去ってきている。
だからこそ、目の前の光景が信じられなかった。自分の剣を見切り、瞬時に変身した青年が。
甲冑は動揺する。なぜ、今まで通りにいかないのか。こいつはおかしい、と。
刀を急いで引き抜く。刀は掴まれていた手を裂き、赤黒い瘴気を放った。
そのままの勢いで距離を取る。赤黒い人狼の手を見てみれば、裂いたはずの手は何事もなかったかのように治っている。見れば赤黒い瘴気は人狼の周りを少量だが漂っていた。
「ダメージハ、アル。ナラバ殺セル…」
刀を振り、構え直す。
「予告シヨウ、瞬キ、ヒトツノ、間ニ、オ前ハ、ズタズタニ、斬リ、裂カレル、ダロウ」
身体を深く沈め、突進の構えを取る。刀は身体の横へ。準備は万端、後はアクセルを踏み込むだけだ。
「俺モ予告サセテモラウゾ。オ前ハ指一本俺ニ触レルコトハデキナイ」
人狼も半歩進み、構える。
ハジメの能力は物と物の交換、チェンジ。触れたもの同士を入れ替える能力を持つ。相手を殺すことのできるような能力ではないが、その分汎用性は甲冑のブーストより高い。
先程行ったメモ帳との交換もこの能力によるものだ。あの時、ハジメは自分自身の身体とメモ帳を入れ替えることで瞬間移動したのだ。
ひたすらの沈黙が辺りを埋める。甲冑も人狼も一歩を踏み出すタイミングを見計らっている。少しでも行動を間違えれば命を落とすことを両者共経験から知っている。
数秒後、空気が変わる。
甲冑が遂に一歩を踏み出したのだ。ブーストを使い、一気に己の間合いに入れる。
構えた刀を振るう。だが、手応えはない。
ハジメは先程と同じように瞬間移動をしている。今度はメモ帳ではなく、交戦する前に触れていたポイ捨てされていたゴミと交換していた。
ハジメはそのまま先程曲がった曲がり角まで走る。
甲冑も逃すまいと後を追う。甲冑のブーストには一回の発動の後、数秒のールタイムがある。ハジメもしっかりと何秒くらいかは理解していないがクールタイムがあるのは予想していた。それを考えての行動だ。
さっき訪れた喫茶店の方まで全力疾走。愚痴をぼやいた公園を抜け、停車している車の横をすり抜け、ひたすらに走る。
甲冑も土地勘がないのか、そもそも回り込むという考えがないのかはわからないがバカ真面目にハジメの後を追ってきている。
数分間の鬼ごっこの末、とうとう甲冑のクールタイムが終えた。待ってましたと言わんばかりに即刻発動。数十メートルあったであろう距離は一瞬にして数メートル、数十センチと少しずつ縮まっていった。
しかし、今度は刀を振るわなかった。狙ったのは脚。ブーストの勢いのまま足払いを放つ。
ハジメはこれに脚を取られ、前のめりに倒れる。が、今度はハジメがそのままの勢いで前に転がる。
バランスを崩したのを見逃さなかった甲冑は態勢を即座に立て直し、立とうとしているハジメに刀を突きつける。
「予告通リ、デハ、ナイガ、鬼ゴッコ、ハ、私、ノ、勝チ、ダ」
相変わらずの片言のような日本語で語る甲冑。その言葉の端々には勝利を確信し、満足感と愉悦感が滲み出ていた。
「アァ、確カニ予告通リニハイカナカッタナ」
今まさに死の淵に立っているというのにしたり顔で話す。明らかにこの状況、立場。誰がどう見ても勝者は甲冑だ。
しかし、人狼は嗤う。生への諦めでも死への覚悟でもない嗤い。赤黒い体毛と底の見えない憎悪の瞳がさらにそれをより一層不気味さを与えていた。
なにか身体にまとわりつく不快感を甲冑は感じていた。しかし、早くトドメを刺してしまえばそれで済む。そう考え、突きつけた刀を振り上げる。
「サラバ、ダ。名、モ、知ラヌ、能力者、ヨ」
目を見開き、刀を振り下ろす。ハジメを真っ二つに裂く一刀。
「アァ、サヨナラダ」
ハジメは能力を発動させる。今度は逃げるためのチェンジではない。相手を、甲冑を倒すチェンジ。
目の前に突如現れる車体。それは甲冑を押し潰し、下敷きにしていた。
「忘れたのかよ、俺はアンタの刀にも触れてたんだぜ」
変身を解きながら、目の前の光景に一言。
ハジメはここへ逃げている最中にこの車体にも触れていた。そして、甲冑が刀を振り上げる瞬間を今か今かと待っていたのだ。
「…死んでなきゃいいんだけど」
腕時計で時間を確認しながら呟いた。