#3 もう一つの姿
A区はそのほとんどの地をビルで埋めている。これはA区の区知事である『一条空華』の政策が原因である。
一条空華は合理的な経済でありながらも区民の提案等を積極的に取り入れていき、A区民の多くの支持を得ることになった。
「とりあえず二時間後だ。二時間後にA区駅東口に集合だ」
亜美と話し合った結果、手分けした方が効率的だという結論になった。
俺が東口側、亜美が西口側での聞き込みとなり、集合場所はじゃんけんの結果だ。
よし、それじゃあ行こう。という時にポケットから着信音が鳴った。誰からだろうと思い画面を見てみれば、つい十数分前に連絡したユウちゃんからだった。
「あーい、ソウちゃんですよー」
「あーい、ソウちゃんお望みの栗崎健介についての情報よー」
さすがユウちゃん仕事はやーい、とメールの受信ボックスから件のメールを探し出す。そこには栗崎健介の写真と最後に訪れた場所の名前がこれでもかと書いてあった。
「毎度毎度のこと随分と詳しくあってありがたいわ」
「ま、仕事だからねー。じゃあ、報酬の方はいつも通り入れといてー。あ、あと、亜美ちゃんに本の続き楽しみにしてるって伝えといてー」
あいよー、と挨拶して通話を切る。最近は、事務的なものしか話さないがアイツとはこれくらいがちょうどいい。苦手というわけじゃなく、むしろ仲は良い方である。俗に言う、無駄に話さなくても分かり合える関係、というやつなのだと自惚れている。
「亜美、お前のスマホにユウちゃんからのデータ送っといたから後でそれ見て聞き込みしてくれ」
亜美は、
「はいはい」
と、何か気に食わないことでもあったのか素っ気ない返事だった。
「なんだよ」
「べっつにー?とにかく、これ頼りにすればいいんでしょ?楽勝よ」
亜美はバッグからスマホを取り出し、こちらに見せた。
「まぁいい、仕事はしてくれよ?」
「わかってるわよバーカ」
そう言って、亜美は西口側へと歩いっていった。
「本当に大丈夫かよ…」
一抹の不安がよぎったが、今までも亜美には助けられているし、信頼している。それに今はそんなことより、早急に依頼完遂を目指すべきだ。A区には今、顔無し殺人事件が多発している。そんな危険な場所に長居はしたくない。いや、俺は構わないが曲がり形にも亜美は女だ。いざとなったら、俺がなんとか連れ帰らなくてはならない。それだけは意地でも御免だ。この仕事をしていて感じるのは五体満足で生活できるのは本当に素晴らしいということだ。
「ま、アイツなら大丈夫か。さて、まずは…っと」
スマホに映る行き先に向かって、歩き始めた。
*
数軒、栗崎健介が訪れたであろう場所を探してみたが知っているというものには会うことができたものの皆口を揃えて「最近連絡が取れてない」と言った。
「あー、絶対死んでるよもー。でも、死んだ証拠もないしー。もー、いい加減にしてくれよ!」
今は休憩がてらたまたま見つけた公園のベンチで休んでいる。踏ん反り返りながら空を見上げてみれば鬱陶しいほどの蒼。雲はちらほら見えるが曇りってほどではない。これが蒼天か…と詩人のようなことを考えてしまう。
あーダメだダメだ、と髪を掻き毟り、鬱な気持ちを蒼天に投げ捨てた。
調査の基本は図太くしぶとく根気強く、である。まだ、件の場所は終わっていない。まだ生きている可能性はあるのである。如何に死んでいる可能性が高くても生きていて欲しいと願う依頼人の気持ちを踏み躙るわけにはいかない。探偵として、また誰かの願いを受けた者として最後まで希望を捨てない。
「さ、次行ってみようかな」
ベンチから立ち上がり、少し伸び。
約束の時間まで残りはそう多くない。しかし、急いで回れば二件か三件くらいは回れるだろう。
スマホを見て、一番近くの場所を探す。幸い、歩いて数分のところにあったので急いでそこに向かう。
背後に何か気配を感じた気がしたが、まぁ気のせいだろう。
*
それから、根気強くしていたおかげで有力な情報が取得できた。
それが『つい数日前に栗崎健介を見た』というものだった。
それは栗崎健介がよく訪れていた喫茶店での情報だった。
「あぁ、栗崎さん?それなら数日前にうちでいつも通りお茶飲んでったけど?」
さも当然といったように言うので、危うく聞き逃すところだった。
「え?マジですか。あの、その時のこと詳しく教えてもらえません?」
正直言って、ここまでくると諦めムードだったのでガッつくようになってしまったのはしょうがないことだと思う。
「うん?詳しくも何も、他のお客さんと同じようにお茶してっただけだよ?あー、でもなんか、様子はおかしかったかもなぁ…。なんか、げっそりした感じで」
老年のベテラン店主は顎に蓄えた髭を触りながら答えた。
なぜこの喫茶店にだけ栗崎健介が立ち寄ったのかはわからないがとにかく情報は情報だ。時間を見れば約束まで残り少しというところだ。これは深追いせずに一旦落ち合ったほうがいいか。
「ありがとうございました。僕はこれで失礼します」
「あ、そういえばここら辺で殺人事件起こってるらしいから気をつけなさい」
恐らく顔無し殺人のことを言ってるのだろう。まぁ、今はまだ昼時だし、襲ってくることはないだろう。
「はい、ご心配ありがとうございます。失礼します」
そういって、喫茶店を後にした。
喫茶店から駅まで結構な距離がある。少し急がないと間に合わないかもしれない。少し早歩きになる。コツコツと歩く音を鳴らし、進んでいく。
なぜだろう、とそこでふと気づく。今は昼時、一般人でも外出していておかしいわけはない。それもA区であれば尚更だ。なのに、今は周りに誰一人としていない。先程まで確かに少なからず一人はいたはずだ。
それがいきなり消えた。いつ消えたかわからない。しかし、確かに消えたのだ。
「…もしかして、ヤバイやつかな?」
周りに気配はない。自分以外の吐息は聞こえない。しかし、なぜだろうか。ここはヤバイ。何かヤバイという感覚だけはある。
少しも油断できない。眼だけじゃなく、身体全体で異変の位置を探す。
その時だった。
視界の隅。本当に一瞬だった。見えたのだ。異変が。
それは人型であった。逆に言うと人型でしかなかった。ぱっと見は甲冑を着込んだ人間に見えなくもないが、肩や腰、太もも辺りに刃のような趣向が見て取れた。そして、手元には殺意を具現化したかのような刀。ただの刀ではなく、禍々しいデザインになっていた。
「コイツは…!」
ポケットに入っているメモ帳を甲冑に向けて投げる。しかし、甲冑は当然どうってことない風にこちらに突っ込んで来た。メモ帳は甲冑にぶつかりそのまま後方へ。甲冑の刃は一瞬で俺の身体に近づいた。
しかし、刃が俺の身体を切ることはなかった。まぁ、切れないようにしたんだからそれは当然なんだが。
甲冑が切ったものは俺の身体ではなく俺が持っていたメモ帳だ。
甲冑の動きを上回る速さでメモ帳と俺が"入れ替わった"のだ。
甲冑は当然、何が起こったかわからない様子でしばらく固まっていた。その隙に、大きく飛び退き距離を離す。
「あんた、アナザーだろ?白昼堂々と仕掛けてくるなんて男気あんじゃねーの」
甲冑に向かって語りかけるが、ゆっくりとこちらを向いただけで特に反応はない。
「なんだよ。無視か?ちゃんと言葉のキャッチボールしようぜ、にいちゃん」
服に付いた汚れを払いながら、言葉は止めない。
「見たところあんたの能力は強化系…。その中でもスピード特化ってところかな、どう当たってる?」
おちゃらけた感じで話しかけて見るが依然動きはない。だが、こちらの読みも概ね当たりだろう。間合いの詰め方、剣の振り。明らかにパワー系の動きではない。
「オマエ、モ、アナザー、ナノカ…」
甲冑から加工した声が聞こえてきた。アナザーはデフォルトの能力として身体を異形のものへと変化させる能力がある。その際には声帯も変化しているためか声も加工されたように高くなったり低くなったりする。これを多くは"アナザーフォルム"と呼ばれていた。
「ご名答。俺もちょっとばかしあんたと同じ特異体質でね。望んでもねーのに能力持ちだ。勘弁願いたいよ」
甲冑はがしゃりと音を立てながら、こちらに向き直った。和解する様子はなく依然として刀は握りしめている。
「デ、アレバ、ソノ、能力、ヲ、確認、スル」
甲冑はこちらに向かって歩み始めた。甲冑の隙間から見える眼には殺意が見て取れ、和解する気がないのは容易に想像できた。
「待てったら、俺はあんたとやりあう気はないし、あんたを売る気もない。俺は探偵で人探ししているだけだ。あんたには無害だろ?」
「アナザー、デ、アル時点、デ、敵対対象」
律儀に返答してくれるだけまだマシか。と考えていたら甲冑は大きな音を立てながら再度突っ込んできた。
「…"ブースト"」
その声と同時に甲冑の身体は目で捉えられないほどのスピードに達した。
「ったく、しょうがねぇな!」
再度、こちらも能力を発動させる。対象は俺とさっき切られたメモ帳。
俺の身体は一瞬でメモ帳と入れ替わる。
「なら、こっちもちょっとばかし本気出させてもらうぞ」
甲冑はブーストをかけたまま方向転換し、こちらに剣を振り下ろしてきた。それに合わせてこちらも右手を剣に合わせる。
鈍い衝撃が走る。しかし、振り下ろされた剣は対象を切る事なく、黒と赤の色をした獣の腕に受け止められていた。右腕から徐々に身体へ赤と黒は侵食してくる。
俺の身体はものの数秒で赤と黒の獣に変化した。
背骨は曲がり、足は犬や狼に似た形状になり、頭部は狼に近いものになった。
二本脚の赤と黒の狼人間。それが創咲ハジメのアナザーフォルムだった。
「オマエガ死ンデモ恨ムナヨ。コッチモ命懸ケテンダ」
低く、いくつもの声が重なったような声で甲冑に言った。