7 友人
「まてまてまて!そこで止まれクライム!」
使節団が訪れる日程の市街の警備についての調整のため、王立騎士団に書類をまわしに訪れていたクライムを、元気の良い声が呼び止めた。
聞きなれたその声に振り向くと、そこには淡い金髪をゆるくみつあみにして、背中でゆらしながらこちらへ駆け寄ってくる儚げな少女…ではなく青年がいた。
アリィシャの兄の、ルミール=フェリンドである。
春先から縁あって何度か会っているにも関わらず、いつまでたっても彼を一瞬少女だと見間違ってしまうのはいかんともしがたい。たぶん本人に素直にそう言ったらそのことを一番気にしている彼はその見た目を裏切って烈火のごとく怒るだろう。
「ルミール殿。どうしましたか。」
「どうしましたもこうしましたもさっき僕に近衛への編入の辞令が来たんだけど!?なんとかしてくれ!」
渡されたばかりらしい辞令の紙を指して、自分を見上げながら華奢な肩を怒らせてキャンキャンと文句を言う青年に、クライムは困ったように眉を下げた。
「すみません…。提案したのは私なので…」
「よし、そこになおれ。一発殴らせろ。」
拳を握り、本当に殴りそうな勢いのルミールに、クライムは思わず一歩ひく。
幾分か護身術の心得はあるが、さすがに生粋の騎士であるルミール相手だと分が悪い。
彼は細くて儚げな見た目をしているために、一見本一冊持ち上げられないのでは無いかという印象を人に抱かせるが、その実その細い腕のどこにそんな筋力があるのか衣装ダンスくらいなら持ち上げて放り投げられるだけの力がある。
彼に本気で殴られたら昏倒する自信がクライムにはあった。
「な、何か問題なんでしょうか?近衛への編入はご希望であれば期間内だけで構いませんし、一般には栄転だと思うのですが…。」
「大いに問題だ。編入先が近衛の第一部隊だって言われたんだぞ。第一部隊ってあれだろ、王宮の各所でぼーっと立ってる仕事だろ?お前あれが僕にできると思うのか?」
本気で殴る気はなかったのか、拳から人差し指をたてて、クライムの胸につきつけてルミールが問う。
近衛と言えば騎士の花形の部隊である。
家柄、容姿、実力で選考され、王家のそば近くで仕え、時には彼等のために戦うエリート部隊だ。
もちろん、給金も普通の騎士より高く、近衛に入りたいと憧れる騎士たちは多い。
王宮内で任務にあたることが多いために制服も一般の騎士よりも装飾傾向が強く、ご令嬢からの人気も高い。
中でも第一部隊は主に人目につく場所の警護にあたる者であり、式典でも最前列を任されるので特に容姿に厳しい。
それを王宮で立って居るだけとは斬新な解釈をするものである。
白く細い指を胸に突き付けられながら、クライムは頷いた。
「…ルミール殿は伯爵家のご子息ですし、礼儀作法に問題があるとは思えませんが…?」
「そりゃあ夜会の間だけならどうとでもなるけど、数日間は無理だよ!僕は日がな一日つっ立っているために騎士爵を賜ったんじゃないんだぞ。あんな仕事は人形にやらせるべきだと僕は思うね。」
「…人形では警備になりませんよ。」
あなただって黙っていれば人形に見えるでしょう、とは、言った瞬間意識が暗転することになりそうなので飲み込む。
たしかにルミールはよくしゃべり、よく動き回る青年なので、じっと立って居るのは性にあわないのかもしれない。
しかし別に王立騎士団でだって護衛任務を遂行する場合もあるだろうに、とクライムは嘆息する。
「今回ルミール殿に担当していただくのはアリィシャ嬢の警護なので…。たぶん立って居るだけにはならないと思いますよ。」
「アリィシャの?王宮で?」
妹の名前に、ルミールが方眉を上げた。
彼は妹のことを至極大事にしているようなので、その名前は聞き捨てられなかったのだろう。
どういうことだと丸く大きな草原色の瞳が問うてくる。
どうも彼はまだ仕事内容をキチンときいていないらしい。
上司が説明しなかったのか、彼が説明される前に飛び出してきたのかは定かではない。
「近くウルフベリングの使節団がいらっしゃるのですが、少し事情がありまして…両王子殿下のパートナーを務めていただくアリィシャ嬢とロザリンド嬢には王太子殿下が後宮に部屋を用意するよう指示なさいました。ですのでそこでの身辺警護ですね。」
「後宮!?ちょっとまて、妹は婚約もまだなんだぞ!そんなとこ行ったら狼の前に羊を差し出すようなもんだろ!」
「はい、なのでルミール殿が警護していただければ。たぶんぼーっとしてる暇は無いですよ。」
クライムの言っている意味を正しく理解したらしいルミールの顔から血の気が失せる。
普段から白いのにさらに白くなるのだな、とそんなことを考えながらクライムはそれを眺めた。
「いや…それはベオルフ先輩の仕事じゃないか?」
「ベオルフ殿かルミール殿か検討したのですが、ベオルフ殿は庶民出身でいらっしゃるでしょう?さすがに他国のお客様がいらっしゃる場所ですと、最低限の作法では心もとないので今回はルミール殿にお願いすることになりました。」
ベオルフは先日まで任務で近衛と行動を共にしていたし、アリィシャの警護でちょくちょく王宮に上がっていたため、手続き事態は問題なく通ると思われたが、庶民出身の彼ではさすがに使節団到着までの間に所作を修正するのは難しい。
所作を気にして警護がおろそかになっても困るし、彼は元々騎士らしからぬ性格をしているため、近衛の中だと更に浮いてしまうだろう。
その点ルミールは普段はこのような感じではあるが、夜会ではしっかり貴族の子息としてふるまうことができる。どうふるまっても少女に見えてしまう点はこの際目をつぶってもかまわない。
どうせ後宮の警備で、女性騎士が居てもおかしくない場所なのだ。
「…なるほどわかった。」
腕を組み頭を垂れ、肩を落として静かにルミールがうなる。
なんとかわかってもらえたかとクライムがほっと息をはくと、ルミールは顔を勢いよく上げ、キッとクライムの灰色の瞳を睨みあげてきた。
「お前僕が開華祭の時失恋の傷をえぐったのを根に持ってるんだな!?」
全然わかってくれていなかった。
先日、アリィシャにクライムが告白して、見事玉砕した後にテラスで黄昏ていたところをこの青年がやってきて虐めて…いや、慰めてくれたことをいっているらしい。
小さい男め!と相変わらずキャンキャンと騒ぐルミールをクライムは片手をあげて制した。
「…それは無いとは言わないですけど、そもそもあの時一年前のことを根に持ってつっかかってきたのはルミール殿では…。」
「そんなことはもう忘れた!」
腕を組み、男らしく言い切るルミールに、クライムはそれ以上文句を言う気を吹き飛ばされて黙る。
こういう潔いところは真似できるとはまったく思わないが、うらやましく思う。
「…とにかく、最終的に決定されたのは王太子殿下ですので、腹をくくってください。」
「お前…友達がいの無いやつだな…。」
「…友人でしたか…」
「友達だろ!」
何時の間に…と思っていた気持ちを、またしても吹き飛ばされてクライムは目を瞬かせる。
この青年は本当に見た目と違って男らしいな、と思いながら。
まっすぐ見上げてくるルミールの目には裏を感じさせない力強さがある。
嬉しかったのか、おかしかったのか、思わず口元が緩んだせいで、ルミールに「なにが可笑しいんだよ!」と怒られてしまったが、どうやらクライムには一人、友人が増えたようである。