6 情報
エランに使節団来訪の際にパートナーとして望まれたことを父に報告すると、若干憮然とした表情ながら、「好きにしなさい」と許可が下りた。
あとは当日までに着る物の精査と彼の国に関する情報収集が必要かと、ウェジントンのタウンハウス内にある図書室でウルフベリングについての本をロザリンドが探していると、侍女が見慣れた薄緑色の封筒を携えて持ってきた。
この封筒は、いつもアリィシャが使っているものだ。
中身を見なくてもだいたい内容を察し、ロザリンドは侍女に自室にお茶の準備をするように申し付けた。
持ち出す予定の本を机の上に置き、星鈴草の香りのする封筒をあければ、見慣れたセピア色の文字で、やはり本日の訪問の可否を問うている。
事前に侍女が準備してくれていた便箋に、短く了承の文句を書いて封筒に閉じ、自室に帰る途中でそれをメイドに預けると、1時間もしない内に親友はウェジントン邸の門をたたいた。
「御機嫌ようアリィシャ。」
「ローザ!あなた話を聞いた!?」
部屋に入ってくるなり訪ねてくる親友に、ロザリンドはにっこりと微笑む。
「ウルフベリングの使節団のことかしら。お聞きしましたわ。あなたもウルベルト殿下のパートナーをなさるのでしょう?」
「やっぱり知っていたの。王太子殿下のパートナーをローザが務めると聞いて驚いたのだけれど、よく承諾したわね?」
ロザリンドの返事をきいて、幾分かほっとしたような顔を見せたアリィシャをティーテーブルに誘う。
お気に入りのテーブルの上には、すでに湯気をたてる紅茶と茶菓子が用意されていた。
「ええ、直接王太子殿下にご指名いただきましたの。理由をきちんと説明していただいたので、わたくしも働かせていただこうと思いましたのよ。」
先日開華祭で、貴族の義務より私情を優先してしまいそうだと自己嫌悪に陥っていたロザリンドには、今回働けるのは自信を取り戻すためにも大変ありがたい話だと思っていた。
それに最近、夜会で変な男にばかりひっかかって辟易としていたのである。
踏んでくれと跪く男よりはまだ胡散臭い笑顔のエランのほうが好ましいというものだ。
機嫌よく答えるロザリンドを、意外に思ったらしいアリィシャは、その空色の瞳を大きく瞠っている。
また嫌々押し付けられたのだと思ってきたのだろう。
「私はローザが近くにいるのならとても心強いのだけれど…。ウルベルト殿下があなたが受けなかったら一人で出ることになるかもしれないとおっしゃっていたから私、少し油断してたのよ。」
「まあ、わたくしだって必要な時とそうじゃない時くらい見分けているつもりですのよ。それよりアリィシャ、あなたウルフベリングについてご存知なの?今関係書籍を集めて参りましたからご一緒に確認しませんこと?」
ロザリンドの問いかけに、アリィシャは眉を下げて頷く。
「言ったでしょ、油断してたって。まさか他国の王女殿下がいらっしゃる場所に参じることになるなんて…。私ヘマしないかしら。」
相変わらず自己評価が低い親友に、ロザリンドは嘆息した。
アリィシャはたしかに礼儀作法が完璧とはいいがたいが、普段からの所作が軽やかで、その見た目と相まって妖精のような動きをする。
そのせいで少しくらい正道を無視した動きをしても、見苦しくは見えないのだ。
それにちゃんと気を付けておけば淑女として振舞えるよう、ロザリンドの祖母から教えを受けている。
ちゃんと事前知識を備えて臨めば問題など無いだろう。
「アリィシャ、あなた日ごろからウルベルト殿下にあれだけ称賛されていらっしゃるのによくそんなことおっしゃいますわね。わたくしの親友はどうやったら自信がもてますの?わたくしあなたを信奉者の海に蹴り落とせばよろしいのかしら?」
「…やめて。血を見る気がするわ。仕方ないでしょう、周りの方がまぶしすぎるのだもの。」
なにやら大変な惨状を想像してしまったらしい友人が青い顔で首をふる。
無意識に惚気るのはやめていただきたいわ、と思いながらロザリンドは横の小ダンスの上に置いてあった本を手に取る。
「まあよろしいですわ。ちょっと今回は込み入った事情があって、あなたもウルベルト殿下がお一人で参加なさることにならなくて良かったと…」
本を机の上に広げてエランから聞いた、今回の使節団の事情について説明をしようとした時、部屋のドアがノックされた。
顔をあげてロザリンドが返事をすると、ドアのむこうから聞きなれた侍女の声がする。
「お嬢様、ゲイル様がいらっしゃいました。」
「ゲイルが?約束はしていなかったと思うのだけれど。」
「はい、あの…」
「ロザリンド!お前今度は何したんだ!」
侍女が答える前に威勢よく響いた友人の声に、ロザリンドは眉を潜める。
その横ではアリィシャが、目を丸くして身をすくめていた。
「アネッサ、入っていただいて。」
そう声をかければ、ドアが開いて藍色の髪の毛にアクアマリンの瞳の美青年が、腕を組み、こちらを睨んで立って居た。
本日は外出用のシンプルなコートを着崩して羽織っており、なかなかに洒落ている。
そのまま、何か言いながら入ろうとしたところで、その瞳にアリィシャを認めて一瞬動きが止まった。
そして何食わぬ顔で居住まいを正すと、あの胡散臭くも美麗な笑顔を顔に浮かべる。
エランの笑顔とどっちがより胡散臭いかしら、とロザリンドは内心で天秤を揺らした。
「失礼、先客がいらしたのですね。」
「もう取り繕っても遅いですわよ。お座りになったらいかが。」
半眼で空いていた席を進めると、彼は気にした様子もなく後ろに居た従者を引きつれ、優雅な動きでその席の前まで来て、アリィシャに礼をする。
「怯えさせてしまいましたか。申し訳ありません。私はゲイル=アウランドと申します。先日まで隣国におりましたので、お会いするのは初めてですね?」
「い、いえ…。先日アウランド侯爵家の夜会でお会いいたしましたわ。その、ちょっとウルベルト殿下の影で見えにくかったかもしれないのですけれど…。アリィシャ=フェリンドと申しますの。改めてお見知りおきくださいませ。」
戸惑いながらこちらも席を立ち礼をするアリィシャの言葉に、ゲイルは眉を上げ、天井に視線を泳がせた。
「…ああ、ウルベルト殿下の妖精姫ですか。」
かかわると命があぶないな。
そんな彼の内心の声が聞こえたようでロザリンドはこれ見よがしに大きくため息をつく。
「どうせあなたのことだから保身に走ってアリィシャのほうに視線を向けなかったのでしょう。失礼な男ですこと。もうよろしいですわ。とにかくお座りになって。一体何をしにいらっしゃったの?」
「俺はお前と違って平和主義者なんだよ。王太子殿下にお前にウルフベリングの現状を詳しく説明しろと寄こされたんだ。ついでにやたらと仕事を積まれた。」
取り繕うのはやめたのか、口調と顔を戻して話しながらゲイルが座る。
その前に、お茶を置いた侍女ににっこりと微笑みかけるのを忘れないのはさすがである。
「まあ、丁度よろしいですわね。アリィシャも今回の使節団との交流会には出席いたしますの。一緒にご教示いただけると助かるわ。」
「アリィシャ嬢も?」
せっかくだから二人で聞こうとロザリンドが提案すると、ゲイルは少し困ったような顔をしてアリィシャの顔をまじまじと見つめた。
アリィシャは何故見つめられているのかわからない、といった様子で、彼から視線を逃がすように睫毛をふせて縮こまっている。
「何か問題でもございますの?」
「いや…まあいいか。資料は一組しか持ってこなかったから二人で見てくれ。」
そう言って、ゲイルが従者を振り向くと、彼は持っていた荷物から一束の資料を取り出した。
ゲイルがそれを受け取り、机に置く。そして一つずつ説明をはじめた。
「まず、大前提として先の戦いでウルフベリングは第一王子を亡くしている。残ったのは身分の低い妾腹の第二王子と王妃の生んだ第一王女で…」
だいたい、先日の馬車の中でエランが話したことと同じようなことを説明した後、ゲイルはウルフベリングの第二王子派と、第一王女派が誰なのか、どのような勢力図なのかを事細かに説明した。
その内容をきいて、アリィシャが少し青ざめている。
「あ、あの…?もしかしてウルベルト殿下のお妃に第一王女殿下が押されるかもしれないということですの?」
あわあわと質問するアリィシャに、ゲイルが苦笑する。
「まあ…心配ないと思うけど、第一王女派はそれが一番好ましいと思っているだろうね。結婚してそのままうちの近衛連れてウルフベリングに乗り込めるだろ?第二王子ならそのまま婿にとれるし。」
ゲイルの言葉に、アリィシャは顔色を失って涙目になっている。
その様子は大変庇護欲をかきたてられるものであるが、ゲイルは触らぬ神に祟りなし、と言わんばかりに苦笑するだけに留めており、ロザリンドも慰める気はない。
やっぱりこの子、信奉者の中へ蹴りだしたほうがいいわね、とロザリンドは嘆息した。
「しっかりしなさいなアリィシャ。ウルベルト殿下を信じられませんの?あなたは殿下にしっかりくっついておけば問題ありませんわよ。あとは殿下がどうとでもなさるでしょ。」
ロザリンドの叱咤する言葉に、ゲイルも苦笑しながらうなずく。
本当はウルベルトこそアリィシャをそのような場所に出したく無いに違いないが、彼女が側にいたほうが災難をよけやすいのはたしかである。
一緒にさせておけば必死に彼の妖精を守るだろう。
むしろ問題なのはエランのほうだ。彼こそ決まった恋人がまだいないのだから。
先日は大丈夫そうなことを言っていたが、恋とはどこで落ちるものなのかわからないのだ。
彼が第一王女に躓いたら、それこそ自分に打つ手はあるんだろうかとロザリンドは考える。
「今は不安に思うよりまず知識をつけましょう。いざという時役にたってよ。ほら、ゲイル続けて頂戴。」
涙目ながらアリィシャが頷いたのを確認して、ロザリンドがゲイルに先を催促する。
ゲイルは少しアリィシャの表情を気にしていたようだが、ロザリンドにせっつかれて説明を再開した。
そのまま、夕方頃まで彼のウルフベリング講座は続いた。
「…だいたいそんなところだな。えーっとそれでだな…。二つ、連絡事項がある。」
話終えたゲイルが指を二本立ててみせる。
その指を、ロザリンドとアリィシャはまじまじと見つめた。
女性とは違う大きな手だが、手入れが行き届いており、指先まで貴公子なのね、とアリィシャはその指に感心する。
「まず一つ目だが。使節団の来訪は一か月半後、夏の避暑シーズンに入るくらいだ。そこから一週間滞在される。」
「あら、それはまた暑い時期にいらっしゃるのね…。」
春の社交シーズンの後、二か月くらいの間は夏の暑い日が続くため、貴族たちは王都での夜会から、湖沿いや、高原など涼しい場所の別荘で泊まり込みのパーティーをする社交に切り替える。
別にいつが始まりというわけでは無いが、だいたい暑くなってきたらうちの別荘にいらっしゃいませんか、と招待状が届くようになるのである。
竜王国の夏はそこまで暑くなる気候では無いがそれでもやはり夏の暑さの中で沢山の人が集う夜会というものは少々辛いものなのである。
「まあな。今回王宮の技術班が冷却魔術を敷いてくれるらしいからまあ…大丈夫だと思うが。俺も夏に王宮で社交をするのははじめてだな。アリィシャ嬢は大丈夫なのか?体があまり強くないと聞いているが。」
「まあ、ご心配ありがとうございます。わたくしこれでも今はもう健康ですの。暑いのもどうということはありませんわ。」
あっという間に熱中症で倒れそうな少女をゲイルは思わず心配した。
できればあまり言葉を交わさないほうが身のためだとは思っていても、目の前の少女があまりにも儚げで、言わずにはいられなかったのである。
そんなゲイルの心配に、アリィシャはどん、と胸をたたいてみせた。
その胸はやはり華奢で、それはよかったと答えるには若干心許ない。
「…まあ…ウルベルト殿下がなんとかなさるだろうな。それで話がそれたんだが、ロザリンドとアリィシャ嬢には、その使節団が訪れる少し前から後宮の部屋で寝泊まりしてほしいそうだ。」
「後宮…?」
「どういうことですの。」
よくその意味がわからない、という様子のアリィシャと、理解した上でどんな意図があるのだと聞くロザリンドの声が重なる。
「まあ単純に警備が楽だからだな。それ以上の意図は俺には聞くなよ。」
実際、ゲイルは警備の話しか聞いていない。
他にも理由は思いつくが、恐ろしくてこんな場所では口にできない。
「後宮とは、国王陛下のお妃様がお住まいになるところなのでは無いですか?王太子殿下のパートナーをするロザリンドはともかくとして、私が泊っても良い場所なのでしょうか?」
一人だけ、素直にその理由に納得した上でアリィシャが首をかしげる。
若干ずれたその質問に、ゲイルは苦笑した。
「まあ基本はそうだけど、王宮なんて使い方はその時の王様次第だからな。だいたいにして、竜王国では今は国王も側室を取るには色々と厳しい規定があるだろ。現国王陛下は王妃様お一人しかお側におくつもりは無いようだし、側室が多かった頃の名残で後宮の部屋があまりまくってるんだろ。」
「なるほど…。ありがとうございます。よくわかりましたわ。」
「それで、いつ頃からそちらに入ればよろしいんですの?」
素直に頷くアリィシャの横で、まだ少し不満顔のロザリンドが、それでも後宮に行くことには否は無いのか、日程について質問する。
「最低でも一週間前にはいてほしいそうだ。侍女は連れて行ってもいいが、王宮の者も世話にまわるのでその者たちと打ち解けておいてほしいらしい。希望であれば一か月前から使えるようにしておくと言っていた。」
「ロザリンド、あなた何時から行くつもりなの?」
「そうですわね…。お父様にお伺いを立てなくてはいけないけれど…早めが良いでしょうね。一か月前に入れるのであれば行っておいて損はありませんわ。会場の下見もすぐできますもの。……でもアリィシャは二週間前くらいにしなさいな。ウルベルト殿下がお可哀そうでしょう。」
「えっ…。早めに行くとお邪魔になるかしら?」
「お邪魔というか…。お喜びになるとは思うのだけれど、婚約もまだなのだもの。殿下は根は誠実な方でいらっしゃるからお辛いんじゃないかしら。ねえゲイル?」
「そのことに関して俺は発言しないぞ。話を振るな恐ろしい。」
ロザリンドとゲイルのやりとりに、だいたいどういうことか察してくれたらしいアリィシャは、顔を赤くして目を伏せた。
一応、この娘にもそういうことは理解できるらしい。
まあさすがに護衛騎士の手を散々煩わせていたという話だから、身に染みているのだろう。
「部屋のことは以上だな。それであと一つなんだが…」
ゲイルが、後ろで控えていた従者に目線を送ると、彼は静かに進み出てきて、一枚の紙をゲイルに手渡した。
一体何かとロザリンドがそれを目線で追うと、ゲイルが机の上にそれをぺらりと置く。
そこには文字では無く、男女が並んでポーズをとっている絵が並んでいる。
「ウルフベリングは社交の時のダンスが竜王国とは違うんだ。たぶん一回くらいは踊る機会があるはずだから、練習のために三日後に予定を開けておけと言づてだ。これは一応ダンスの型の絵だな。」
「あら、面白いですわね。」
興味深げにその紙を拾い上げるロザリンドの横で、アリィシャの赤かった顔色がすっと青くなる。
「だ、ダンスをこれから一から覚えろですって…?」
そういえば、彼女は竜王国の竜舞を覚えるのにも一苦労したのだったわ、とロザリンドがアリィシャをちらりと見る。
彼女は胸の前で拳を握り、ぷるぷると震えていた。
「ウルベルト殿下はウルフベリングへ遠征していたことがあるからもう踊れるんじゃないか?三日後呼び出されたのはロザリンドだけだから、アリィシャ嬢はウルベルト殿下の連絡を待てば…」
「ゲイル様!ゲイル様も踊れるのですわよね!たぶん日数が足りませんわ!今から教えてくださいませ!」
「……すみません、これから仕事がありますので。」
ティーテーブルに身を乗り出して請うアリィシャに、ゲイルはすっとあのうさん臭い笑顔を顔に張り付けて慇懃にお断りした。
それを受けてアリィシャはふらっとテーブルに手をついて、項垂れてなにごとか考えていたようだが、すぐに顔を上げロザリンドとゲイルに辞去の挨拶をすると急いで家へ帰っていった。
「見た目と違ってにぎやかな方だな。」
「あれでも夜会では見れるようになるんですのよ。あなたと一緒ですわね。」
面白そうに言うゲイルに、ロザリンドは適当に返事をしながらお茶を飲む。
アメジスト色の瞳を机の上の紙に落とし、絵の中の男女が動く姿を想像しながら。