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「ロザリンド嬢をパートナーになさるのですか?」


 約束を取り付けた次の日、使節団の出迎えについての調整をしているクライムにそのことを告げると、彼は灰色の瞳を細めていぶかし気に問い返してきた。


「何か問題でも?」


「いえ、政治的には何もありませんが、先日振られたとお聞き及びしておりましたので。」


 こりてなかったんですね、と語る彼の目に、エランはにっこりと微笑む。


「別に、正式に書類を結ぼうとして断られたわけでは無い。囁いた言葉をあしらわれただけだ。まだまだ私にもチャンスはあるさ。」


「はあ…。」


 胡乱な目をして納得していないらしい側近に、エランは必要書類を渡しながら続ける。


「本当にお前はまっすぐだね。そうやって遠慮しているから件のご令嬢を横から攫われるんだよ。せっかく私が自分の利を横に置いて手を出さないでおいてやったのにお前まで手を出さないのでは意味がないでは無いか。」


「そ、それは今関係ないでしょう!」


 渡される書類を丁寧に重ねなおしていたクライムが、エランの言葉が進むにつれ、顔を上げ、珍しく顔を赤くして動揺した。

 こういう顔をすると年相応な顔に見えるな、とエランは思う。


「関係ある。いいか、政治劇なんてものは壮大な愛憎劇だよ。それを相手に遠慮して自ら身をひいてしまうのでは勝てる戦も勝てないというものだ。」


 クライムはアリィシャ=フェリンドのことが好きだったのだが、元々彼女の婚約者であったクライムの兄がアリィシャフェリンドに対して不貞を働いたことに引け目を感じ、彼女を見守っている間にエランの弟で第二王子であるウルベルトに持っていかれてしまった。

 正直なところ、アリィシャはウルベルトとくっついてもらっていたほうがエランには何かと都合が良い。

 アリィシャ=フェリンドはロザリンドの親友だ。

 彼女はロザリンドの今は亡き母のイサイラに瓜二つであり、ウェジントン侯爵家からも随分大切にされている。

 そんな彼女が王太子であるエランに婚約者が居ないという理由で想い人である第二王子のウルベルトとまだ婚約を結べていない。

 このことは少なからず、ロザリンドに対する手札になるだろうとエランは思っていた。

 しかしそれでも、この側近が彼女に恋をしているらしいので手を出さないで静観しておいてやったのに、この側近ときたらアリィシャの評判を傷つけまいとして、足踏みしているばかりだったのである。


 エランの言葉に、クライムは苦しそうに眉根を寄せた。彼もエランが言っていることの半分くらいは理解しているのだろう。


「…兄がしたことを考えれば私が彼女にあれ以上望むのは高望みだったかと…。」


「そういうところだよクライム。そこを裏から手を回して同じ高さまでもっていくのが策略という物だろう。お前はもう少しそういう駆け引きを覚えたほうがいい。素直なだけではあっという間に足を踏み外すよ。」


 この年若い側近は今まであまり政治にかかわってなかったせいか素直でいけない。

 それは彼の美点ではあるが、それだけではこの先不安が大きい。

 彼は失脚した兄よりも役に立つと大口を叩いてエランに自分を買わせたのである。もう少ししごいてやるか、とエランは彼の手に書類を更に重ねた。


「まあ、まだベルトとアリィシャ嬢は婚約には至ってないわけだし私もかわいい側近のためなら少しばかり手を回してもいいよ?」


「…いえ、お心づかいは嬉しいのですが遠慮いたします。その件についてはもう過去のこととして整理はついておりますので掘り返さないでください。今は使節団を迎えるにあたっての殿下のパートナーの話です。」


 先日窓に向かって黄昏ていたくせによくいうものだ、とは思ったが、クライムの言う通り今の問題はそちらではない。

 側近の教育については後にすることにして、まずは目前の問題を片付けるか、とエランは頷いた。


「たぶんウルベルトはアリィシャ嬢を選ぶだろう。母上からの命令だからね。それで、万が一のことを考えてロザリンド嬢とアリィシャ嬢に、期間中は後宮の部屋を用意してくれ。そのほうが警備しやすい。」


「後宮の部屋ですか?用意はできますがそこまで警戒なさるほどでしょうか?」


 自分の手に積まれた書類をとりあえず横に避け、クライムがウルフベリングに関する報告書にもう一度目を通す。

 その様子を楽し気に眺めながらエランは頷いた。


「ああ、必要なことだよ。…あれだね、アリィシャ嬢の貞操のために件の騎士も呼んでおいたほうがいいだろうね?彼は今王立騎士団に戻ったのだったか?」


 エランの問いかけに、クライムは視線を巡らせて、アリィシャの護衛だったばっかりに、恋慕が暴走しがちな第二王子のブレーキ役などという恐ろしい役回りを賜ってしまった騎士の姿を思い浮かべる。


「ベオルフ=スマスのことでしたら、元の第二騎士団勤務に戻ったとウェジントン子爵から聞き及んでおりますが、近衛に編入させますか?」


「彼は庶民出身だったか…。近衛に入れられるのか?」


「まあ…できなくは無いですが。苦労はするでしょうね。ルミール=フェリンドが先日騎士爵を賜りましたので、彼でも良いですが。」


「…それは面白そうだなぁ。」


 ルミール=フェリンドはフェリンド伯爵家の次男であり、アリィシャの3歳年上の兄で、妹のアリィシャと瓜二つの顔をしている。

 まるで少女のようなその姿は、エランも何度か夜会で見たことがあった。

 護衛対象とまったく同じ顔の騎士というのはなかなかにシュールな絵面であろうなと思ったのである。


「…殿下、できれば面白いか面白くないかでは無く、実用面で考えていただけると…。」


「よし、ではルミールを近衛に借りよう。彼は伯爵家の者だし見目もまあ、ある意味良いから近衛の基準を満たしているだろう。身内の視線の中で愛を囁くというのはなかなかに精神を削りそうだしな。」


「…ウルベルト殿下であればやると思いますが。」


「……あの子のそういうところは見習うべきだと私も思っている。まあいい。どちらにせよ行動に移すならだれも一緒だろう。」


「承知しました。ではロザリンド嬢の護衛はいかがなさいますか?」


「そうだな…引き続きデニスとフレッドでもいいんだが…。彼女の寝室近くに男がいるというのは喜ばしくないことだな。」


 デニスとフレッドはここ最近、ロザリンドを影から護衛させていた近衛である。

 結局彼女は自分の身は自分で守ったので、ただただ見守るだけにはなっていたが。


「では女性騎士をどなたか選びますか?」


「女性騎士ね……。」


 現在、王族の中で女性は王妃だけなので、女性の近衛騎士という者は彼女の身辺警護をする者以外はいない。

 となると、女性騎士で構成される王立第三騎士団から、ルミールのように誰か編入させるべきだろうと考え、エランは一人の女性騎士の名前を思い出した。


「そうだ。ベリンダ=グレネイルは王都に戻っているのか?」


「いえ、まだそのような話は聞きませんね。」


「よし、ではついでにもう一度呼び戻すように言え。少しばかり脅してもかまわない。これで最大のライバルの息の音も止められて一石二鳥だ。あの男は思いの他誠実なようだが小さな芽でも潰しておいて損はない。」


「……承知しました。一応グレネイル子爵家に連絡してみますが…。二週間前までに戻らない時は再選しましょう。」


「それでいい。まあそんなところかな…。ああ、そうだ、ゲイルを呼んでおいてくれ。話がある。」


 クライムの腕にすべての書類を積み終えて、自分の執務机に向かいながら言うエランに、クライムが少し非難めいた視線を投げた。


「…彼はロザリンド嬢とは何も無いと申しておりましたが。」


「ははは、別にそのことではないよ。ちょっと協力してほしいことがあってね?お遣いを頼むだけだ。あとこれを。」


 クライムの視線をわらって流したエランが、机の中から書類をひっぱりだしてクライムのほうへ差し出す。

 両手が書類でふさがったクライムは灰色の瞳を走らせて内容を確認した。


「デーツ伯爵子息の配置替えですか…。」


「いい場所だぞ。少し遠いが自然が豊かで。」


「…関係部署に回しておきます。」


 にこやかに答えるエランに、クライムは少し眉根を寄せただけで、それ以上は詮索してこなかった。

 この手のことに関して文句を言わなくなったことは成長の一つだな、とエランは側近の評価を加点する。

 最初の頃は何故そのようなことをするのかと説明を求めてきて煩わしかったが、最近は意味があることだと理解できたようでなによりである。


「さて、それで本題なのだが。」


「今までのは何だったんですか!?」


「前座だ。」


 そろそろ話は終わりなのだろうと書類をさばきに背を向けかけていたクライムが、エランの言葉に驚いて声をあげる。

 書類が重そうだったので、とりあえずそれを下ろせと視線で指示すると、あきらめたようにため息をついて綺麗に積まれた書類を机の上に置いた。

 わりと雑に積み重ねてやったのに、彼の腕の中に入ると書類がきちんと角を揃えるのはなかなか面白いなとエランは思った。


○ ○ ○


「クライム、今回の使節団来訪に乗じて、ロザリンド嬢を口説き落とすにはどうすればよいと思う?」


 楽しそうに金色の瞳を細め、執務机に頬杖をつきながら問いかけてくる自らの主人に、クライムはなんだか気が遠くなってきた。

 何故この王太子は自分にこのように恋愛相談をしてくるのだろうか。

 そういうことはもう少し、相談しがいのある相手を選んでほしい。

 今までの真面目な話がこの話の前座だったのかと思うと頭を抱えたくなる。


「かのご令嬢のお心は殿下には無いかと思いますので、やはり政治的に対話なさるのが良いのではないかと…。」


「それはもうやった。だから彼女は今回のパートナーを受けてくれたんだよ。クライム、お前先日のアドバイスは及第点ギリギリだっただろう。名誉挽回のチャンスをやるからもう少し考えなさい。」


 50点を賜ったあの話のことか…とクライムは春先にした彼との会話を思い出す。

 あの後色々とあってバタバタしていたため、忘れかけていた。


「…ロザリンド嬢を口説き落とす方法など私には少し荷が重いのですが…。」


 かのご令嬢はほとんど欠点が無くて付け入るスキがない。

 そこが彼女の欠点だともいえる。

 あまりに高値の花過ぎて、まともな男は足踏みしてしまうのである。


「そういうところだぞクライム。さきほども言っただろう。高い場所にある花も自分の足元に足場を作って同じ高さまでもっていくんだよ。まあ、花を落とす輩もいるが、私はそれはあまり好まない。」


 楽しくないだろ?と笑うエランに、クライムは肩を落とした。

 何度もしたり顔で聞き覚えのあるフレーズを使ってくる主人が、先日の自分の返答を根に持っているのはよくわかった。

 次はもっとうまくやろう。


「そうですね、まずロザリンド嬢がどのような男性をお好きなのかを知る必要があるでしょうね。私には皆目見当もつかないのですが…。」


「それについてはなんとなくわかっている。ここ最近観察していたのだが、どうも彼女は優し気な男がお好きなようだね。それでいて、ちゃんと空気を読んで仕事ができる男が良いようだ。」


 言ってエランは少し宙に視線をさまよわせる。

 そしていかにも納得しかねる、という顔でクライムを見た。


「この条件なら私でも良いと思うのだけど、やはり王太子妃という面倒な立場が足かせだな。」


「……空気を読める、という点に減点が入ったのでは。」


「ははは、面白いことを言うな。ベルトがもう少し曲がっておいてくれれば王太子なんていう立場は渡しても良かったんだけどね、あの弟は金剛の筋金でもはいってるんじゃないかというくらい真っ直ぐに育ってしまったからなぁ。」


 上が曲がりすぎてて、もう曲がる余地が無かったのだろう、という言葉をクライムは飲み込む。

 間違っても今更王太子位を返上などされては困る。


「殿下は私には曲がれとおっしゃるのに弟君にはそのようにおっしゃらないのですね。」


「ああ、ベルトは横に見た目も中身も黒いのがついているからな。お前もぜひ彼を見習って私がまっすぐ生きられるようにしてほしいね。」


 見た目が黒いということはロザリンドの兄のウェジントン子爵のことだろう。

 彼はウルベルトの補佐官をしているが、無口なためにいまいち何を考えているのかわからない。

 奔放なウルベルトに振り回されそうなところ、しっかり地に足をつけているように見えるのは素直にすごいと思っている。

 中身も黒いとはクライムには想像もできないが、エランが言うのならそうなのだろう。

 そしてクライムが彼のように黒くなったところでこの王太子がまっすぐ生きるとは思えない。

 彼は好んで曲がってる気配がする。


「…とりあえず、優しい方がお好きだというのであれば期間中ロザリンド嬢のことをよく気にかけて優しく接して差し上げればよろしいのではないでしょうか。」


「ふむ、なるほど。」


 エランはクライムの言葉を咀嚼するように小さく頷きながら、赤いまつげを伏せて何事か考える。

 そしてすぐに、視線が上がった。


「65点だなクライム。」

「…加点いただきありがとうございます。」


 なんかもうどうでもいい。

 高いのか低いのかわからない点数に、クライムはぞんざいに礼を述べた。


「…参考までに、王太子殿下の思う最良の回答はどのようなものなのでしょうか。」


 なんとなく、そんなもの無いのかもしれないと思いながら問いかければ、エランはいたずらを考える少年のような瞳でにやりと笑う。


「その答えあわせはまた今度だな。私が思う最良が、何点なのかについては私も知りたいところだ。」


「採点者はロザリンド嬢ということですか…。」


 少しロザリンドに同情したクライムだったが、去年の夏にグレイン侯爵邸に押しかけてきて、王太子が煩わしいから婚約しろと迫った彼女を思い出す。

 その直前までアリィシャとクライムの兄の婚約の話でウェジントン家と揉めていたグレイン家になんの気負いもなく乗り込んでくるのだから彼女も相当なものだ。

 これくらいのことでへこたれるような女性では無いだろう。そういう奔放さは自分には無いものであるので眩しくも思う。

 申し訳ないがここは諦めて採点を頑張ってもらおう。

 そんなことを考えながら、クライムはようやく解放されて山積した書類をさばきに王太子の執務室を辞したのだった。

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