35 最終日2
ドミヌク伯爵が投獄されてから先、エランはとても忙しそうだった。
なにせ、使節団として来訪していた者が、罪を犯して捕まったのである。
それだけであったなら、両国にとって大変な溝になりかねない事態だっただろう。
幸いだったのは、死んだと思われていたウルフベリングの第一王子が存命で竜王国に亡命しており、彼がドミヌク伯爵の罪を認めたこと、そして伯爵がウルフベリングにとっても罪人であり、両国共通の敵だと証言してくれたおかげで、二国共同で罪人の取り調べを行う体裁となったことか。
とは言え、彼をどちらの国の法で裁くのか、ウルフベリングに渡すのであればどのような要求をするのか、そしてそれは通るのか…等、話し合うことは多かったので、王太子であり、伯爵を捕らえた張本人でもあるエランはずっと仕事にかかりきりだった。
ウルフベリングの者たちももちろんそちらに手を取られており、外交の仕事も無かったため、ロザリンドはアリィシャと共に、王宮でそんな慌ただしく行き来する人たちを眺めながらのんびり過ごしたのである。
「アリィシャ、あなたよろしかったですわね。あの場にウルベルト殿下が居なかったら、そのままお持ち帰りされていたんじゃなくって?」
夜会がある最終日の前日、ロザリンドとアリィシャ、セレスは城の中庭の東屋で、お茶をしながらおしゃべりをしていた。
セレスはもう誰に遠慮することも無いと思ったのか、積極的にこちらへ話しかけてきて、今もニッコニコの笑顔を浮かべて向かいでお茶を飲んでいる。
夏の眩しいくらいの日の光の中でも、いまだ冷却魔術がひかれたままになっているそこは冷風が優しく肌を撫で、部屋の中よりもすごしやすい。
お茶会をする三人のために、今日は王妃がお茶菓子を用意してくれたらしく、ティーテーブルの真ん中にのったケーキスタンドの上には、少女が好みそうな可愛らしいお菓子が行儀よく並んでいた。
「そんなことはさすがになさらないでしょう。もう、やめて。私だってちゃんと自分でも断れるのよ。ちょっと驚いただけじゃない。でも反省しているわ。ウルベルト殿下のお顔怖かったもの。」
先日、ロランジュが馬車を降りるなりアリィシャを抱えあげて求婚してきた時のことを思い出したらしいアリィシャは、お茶を片手に眉を下げた。
とっさにお断りの文句を言わなかったせいで、ウルベルトが怒っていたと思っているらしい。
たぶんあそこですぐにアリィシャが断っていたとしても、ウルベルトの表情はさほど変わらないだろうとはロザリンドは思っていたが、それはあえて言わないことにする。
「ごめんなさいね。ロランジュお兄様は思ったことはすぐにお口に出す方なの。そして美しい物がお好きなのよ。アリィシャ様もロザリンド様も本当に美しくていらっしゃるから仕方がないわ。」
「そういう物かしら?高位の貴族の方には美しい方が多いでしょう?だから美しい方なんて見慣れていらっしゃるものでは無いの?」
ふふふ、と笑って兄を擁護するセレスに、アリィシャが首を傾げてみせる。
彼女にしてみれば、セレスもロランジュも随分と美しく見える。
「…なんでも楽しむことができる方なのよ。飽きるという言葉を知っているのかわからないわ。いろんな花が咲いていても、どれもそれぞれ美しいでしょう?まあきっと、そういうことだと思うわ。」
「…そうね、それはなんとなくわかるわ。」
握った銀のフォークの上の茶菓子に乗った花の飾りに視線を落として言うセレスの言葉に、アリィシャが素直に頷く。
彼女はなんだかんだとその見た目を裏切らず花が好きなのだ。
この一ヶ月の間も、よく王宮の庭でその姿を見かけた。
「だけれど、ロランジュ様には妃様がいらっしゃったのではなくって?その方は今どうなさっているの?」
紅茶を持ち上げながら、眉を潜めて問うロザリンドに、セレスは口に運んだ茶菓子の甘さに少し頬を染めながらも、うーん、と首をまわす。
「…たしか修道院に入っていらっしゃるわ。兄が連れ戻すとは思うけれど。たぶん、あの告白は本気では無かったと思うの。だっていかにも恋人同士と言わんばかりに並んで立っていらっしゃったんだもの。さすがの兄もウルベルト殿下と事を構えるなんてことはなさらないはずよ。」
「…それはそうでしょうね。それにしても、戯れでもすでに心に決めた方がいらっしゃるのに他の女性に求婚なさるなんて、薄情でいらっしゃること。」
「…それは弁護できないわね。わたくし、そのうち兄に無理なことを言われたら、お妃様にこのことを告げ口すると脅してみますわ。いい薬でしょう?」
お茶を飲みながら隣国の第一王子の悪口を言うロザリンドを、その妹は嗜めずに頷いた。
その様子に、アリィシャが口に手をあて少し考える素振りをする。
「でもロランジュ様はその内、王になられる方でしょう?竜王国ではあまり推奨されていないけれど、側室の方を娶るのは普通なんじゃないの?ウルフベリングの国王陛下には側室がいらっしゃるのよね?」
「アリィシャ、あなたウルベルト殿下がもう一人お妃様を娶られても良いと思うの?」
「…絶対嫌だけれど。」
「そういうことですわよ。法が良くても気持ちの問題でしょう!やむを得ない事情があるならともかく、許しがたいですわ!」
ウンウン、と二人で頷くロザリンドとセレスに、アリィシャもなるほど、とつられて頷く。
恋する乙女の気持ちは一つだ。
「…ところで、今日は何か話があったのでしょうローザ。」
今日は、ロザリンドがアリィシャとセレスをお茶に誘ったのである。
その理由を思い出したアリィシャがロザリンドにどうしたのかと促すと、彼女は扇子を口元に当て、眉根をよせて視線を落とした。
このなんとも難しい顔の親友を、アリィシャは先日も見た覚えがある。
「…中庭で大丈夫だったのかしら、今からでもお部屋に移動する?」
取り乱していた親友の姿を思い出して提案したアリィシャに、ロザリンドは薄いため息をついて首を振った。
「いえ…大丈夫ですわ。エラン様はお忙しくて今このような場所にはいらっしゃらないもの。」
「あら、何、恋の話なの?聞きたいわ。」
飛び出したエランの名前に、セレスが身を乗り出してくる。
その後ろにいたベリンダも気持ち寄ってきた気がして、ロザリンドは渋い顔のまま彼女たちを見上げた。
「…王女殿下、あなたエラン様のことがお好きだったのではないの…?」
「誤解だわ。あれはあくまでも政治的な駆け引きというやつですもの。わたくしお二人を応援してよ。どうしてまだご婚約されていないのか、気になるところですわ。私がお聞きしても良い話なのかしら?」
「政治的駆け引きね…。」
あの晩餐会での告白は駆け引きと呼ぶにはとてもまっすぐ過ぎていたような気がするが、今ここでそれを指摘すると問題がそれてしまう。
ロザリンドは出かかった言葉を飲み込みながら、セレスがエランを慕っていなかったということに少し安堵した。
別に、嫉妬などでは、けっして無いが、彼女はもうエランに輿入れしてもなんの問題もないのだ。
本気で来られるといろいろと面倒なことになる。
今日はそのことについても聞こうと思っていたので、これで議題が一つ解決だ。
「…話せば長くなるのだけれど、わたくし今エラン様とは真剣勝負中ですの。」
「勝負…?恋のお話では無いの…?」
「どちらが相手を狼狽えさせる程魅惑できるかという勝負なのよ。」
「まあ、ここまでずっと黒星続きですけどね!」
予想していたものと少し違う話題に、首をかしげたセレスに、アリィシャとベリンダが補足を入れる。
アリィシャはともかくとして、ベリンダのほうをジロリと睨むと、彼女は少し乗り出していた身を起こして、にっこりと笑いかけてきた。
無駄に爽やかなその笑顔がムカつく。
その笑顔の手前で、セレスが少し不安げに青銀の髪を揺らして眉を下げた。
「…なにそれ、竜王国の儀式か何かなの?竜王国の方に婚約を申し込むには必須なのかしら?」
「そんなことないわ。ローザと王太子殿下はちょっと特殊で。」
「そう、ちょっとおかしいんですよ。」
先日の遠乗りの時の仕返しとばかりにしたり顔で頷くベリンダをさらに睨む。
すると彼女はやはりにこっと爽やかな笑顔を返してきた。
本当にムカつく。
「…とにかく、ちょっと敵が手強くて、わたくし、自分の不勉強を随分痛感いたしましたの。だから、先人の知恵をお借りしようと思って、お祖母様にお手紙を送っておりましたのよ。」
「レディに?まあ、どんなお返事が返ってきたの?」
ロザリンドの口から出た恩師の名前に、アリィシャは空色の瞳を輝かせた。
若い頃、老若男女問わず魅了したという逸話のある女性のアドバイスは、同じく恋する乙女であるアリィシャにも興味深かったのだろう。
「そうね…これなんだけれど…。」
ロザリンドは、持参していた祖母からの手紙を二人に差し出した。
真っ白な便箋に、美しい文字で綴られた手紙からは、かすかに白檀の香りが漂っている。
アリィシャはそれを受け取ると、セレスと一緒に顔を寄せ合って読み始めた。
その後ろからは、ベリンダもそれを覗き込んでいる。
あまり長い手紙では無いので、すぐに読み終わったのだろう。
顔を上げたアリィシャの顔は、少し苦笑気味だった。
その横で、セレスは頬を染め、ベリンダは後ろで面白そうに笑っている。
「ふふ、これは私が今試すにはちょっと危険な気がするわね。でも、たしかに効果はあると思うわ。」
「……。」
別に、ロザリンドも祖母の言葉を疑っていたわけでは無い。
しかし、内容が少し、難易度が高すぎるのではないかと思っていたのだ。
手紙を手にした親友にもお墨付きを頂いた内容を、明日自分に実行できるのだろうかと、ロザリンドは重い溜息をついた。
〇・〇・〇・〇・〇
「ローザ、疲れましたか?」
シャンデリアの光を受けて、大理石の上に自らの姿を映しながらキラキラと輝く紳士淑女の波を、ぼんやりと眺めていたロザリンドの視界の上から、赤と金色が降りてきた。
自分が物思いにふけってしまっていたことに気づき、ロザリンドは姿勢を正してその瞳を見つめ返す。
「いいえ。申し訳ございません。エラン様のほうがお疲れですのに…。」
「私は大丈夫ですよ。ローザはこの一ヶ月程、よく頑張ってくださいましたからね。もし本当に疲れているのでしたら、早めに退散しても構わないので言ってください。」
にっこりと優しい笑みを浮かべて、エランがロザリンドを覗き込んでいた顔を起こす。
赤い髪の毛が、自分の視界を横切っていくのを追って、ロザリンドは彼を見上げた。
ここ数日、寝る間も無い程忙しいように見えたのに、今日も彼はキラキラとした王子様然としており、その言葉の通り、疲れを感じさせない。
クライム等は、少しみかけただけでも疲れている様子が伺いしれたというのに、この王子はこの秀麗な見た目に反して、体力もあるようだ。
この間にも歩み寄ってきて話しかけてくるウルフベリングの文官へ言葉を返す様も、まったくほころびがない。
本当に、欠点が少なすぎてどこから切り崩していいのかわからない。
そんな彼の横にいるのに、上の空では見劣りしてしまう。
ロザリンドは背筋を伸ばし、顔に乗せた笑顔をしめ直して、自分もエランとウルフベリングの文官との会話に参加した。
しかし、やはり先ほどから気になっていることが頭の中をチラついてしまう。
というのは、一体いつ、どうやって、祖母の言葉を実行するか、ということなのである。
その内容は、実のところとても簡単だ。
アリィシャなんかであればひょいっとやってのけるかもしれない。
しかしロザリンドにとっては大変むずかしい内容だった。
まず、どのタイミングを狙うべきなのかが重要だ。
今のように人が話しかけにきているようなタイミングでは、ダメだろう。
しかし王太子であるエランは常に人に囲まれており、誰かと喋っていないことのほうが少ない。
たぶん、先ほどダンスを踊った時が一番良いタイミングだったように思うのだが、二の足を踏んでいる内に終わってしまった。
どうしたものか…と、またロザリンドが思案に耽っていたところ、横からなんだかひや、とした空気が流れたのを感じて、驚いてロザリンドは顔を上げた。
まさか、また考え事をしていたせいでエランを怒らせてしまったのだろうかと見上げれば、彼の金色の瞳はロザリンドでは無く前方に向けられていた。
そちらにロザリンドも目を向ければ、人々の波の中から、紫銀色の髪の青年がこちらにやってくる。
それは、セドリムだった。その横には、今日はセレスが居ない。
「こんばんは、最後の夜に相応しい、素晴らしい夜会ですね、殿下、ロザリンド様。」
にっこりと愛想の良い笑みを浮かべるセドリムに、エランも柔和な笑みを向ける。
そこにはもう先ほどの冷たい気配はなく、ただの気のせいかとロザリンドはほっと短く息を吐いた。
「ええ、ハウンズ公爵とは今少し、お付き合いいただくことになりそうですけどね。」
「そうですね。もうしばらくご厄介になることになりそうで…。両国にとって、より良い結果が残せるといいのですが。」
「そうですね。そうであってほしいものです。」
セドリムは、仕事のために明日からも竜王国に居残り組だ。
ここ数日もなかなかに忙しそうだったが、彼もまた、そんな様子を見せないのはさすがである。
ロザリンドが感心しながらそんな貴公子を見上げていると、彼の銀色の瞳がロザリンドを向いた。
「ロザリンド様、幾度か機会はありましたが、まだダンスをご一緒できていませんでしたね。もしよければ一曲いかがですか?」
そう言って、にっこりと微笑んで差し出された手を、ロザリンドはまじまじと見つめた。
そういえば、先日の夜会では結局最後までエランと踊っていたので、セドリムに関わらず他のどの男性ともダンスを踊っていない。
来訪しているお客様相手に、なかなかな失礼をしたわね、と思いながら微笑んでその手を取る。
「もちろんですわ。」
そう言ったところで、エランのことを思い出してそっと横を伺う。
そこには相変わらず柔和な笑みの王太子が立っている。
まさか、外客相手にまでパートナーのダンスを断らせるなんてことはしないでしょうね?とロザリンドが思っていると、エランが一つ頷いた。
行ってきても良い、ということらしい。
ほっとして、視線をセドリムに戻して、ダンスホールへ進み出た。
よく考えれば、ロランジュが無事だった時点でもうロザリンドの露払いの仕事は終わっていたのである。
だから、別にそこまで仲が良いということを周囲に見せつけなくても良いのだろう。
そこまで考えて、なんだか胸に重い痛みを感じてロザリンドはかすかに眉をよせる。
~嫌だわ…。
先日まで、自分を横から離さなかったのは、外交のための駆け引きだったのかと、自分ががっかりしていることに気づいてしまい、ロザリンドは閉口した。
口ではちゃんと社交をこなせと彼を嗜めながら、こんなことを考えてしまうのは随分と勝手なものだ。
自分に失望して瞳を伏せたロザリンドを、銀色の瞳が覗き込んだ。
「申し訳ありません、お疲れでしたか?」
さきほどのエランにされたのと同じ心配をされてしまい、あわてて視線を上げる。
「いいえ。大丈夫ですわ。失礼いたしました。」
「ふふ、そうですか。申し訳ありません。せっかく竜王国で美しい方を見つけたのに、ダンスの一曲もご一緒せずに終わるというのはなかなか惜しいものだと思ってしまいまして。」
首を振ったロザリンドに、セドリムはにっこりと笑うとロザリンドに肩を寄せる。
次の曲はウルフベリングの楽曲だ。
エランと練習した動きを思い出しながら、ロザリンドも彼に身を寄せた。
「まあ、そのように褒めて頂いても何もでませんわよ?ハウンズ公爵はずっとセレス様の横にいらっしゃったでしょう。今日はよろしいんですの?」
「ええ!今はロランジュ殿下がべったりですよ。あんな番犬がいては大抵の男は近づけませんね。私も王女殿下のエスコートという大役から降りることができて今日は身が軽いです。」
曲が始まり、ステップを踏み出しながらセドリムが機嫌よさそうに笑う。
たしかに、彼は今回随分セレスに振り回されていた。
ロザリンドとのダンス勝負の時も、なんだかんだ言いながらすべての曲の王女のお相手を勤めたのである。
「そうですの…。ハウンズ公爵は王女殿下と随分親しくしていらっしゃったから、残念に思っていらっしゃるのかと思いましたわ。」
「…やめてください。私はまだ死にたくありません。それに、王女殿下は昔からの付き合いですので、畏れ多いことですが妹のようなものです。カミル殿下にも重々頼まれておりましたのでね。色々な意味で無事に国にお帰りいただけることになりそうでほっとしてます。」
意外に思いながら言ったロザリンドの言葉に、セドリムは顔をしかめた。
どうやら本気で遠慮したいと思っているらしい。
公爵ともなれば王女が降嫁するのにまったく問題ない家柄だと思うのだが、本日ずっとセレスの横で睨みをきかせているロランジュの様子を思えば、彼がそう言うのも仕方がないことなのかもしれない。
それに、今ここには居ないが第二王子もどうやら随分とセレスのことは大事にしているようである。
彼女を嫁にしようと思う者は、王子二人を相手にしなければならないということなのだろう。
それは随分と、骨が折れそうな立場である。
「…それよりも、私はあなたに興味があるのですが。」
「わたくしに?」
不意に告げられた言葉に、ロザリンドは首をかしげてセドリムを見上げた。
すぐ上にある銀の瞳がロザリンドのアメジストの瞳をまっすぐに見下ろしている。
「ええ。王太子殿下とのご関係は、王女殿下への露払いのようにお見受けいたしました。だからまだご婚約をされていらっしゃらないのでは?もしよければ私と共にウルフベリングへ参りませんか?」
こちらに向けられていた銀の瞳が甘く細められるのを眺めながら、ロザリンドは感心した。
どうも冗談を言っているわけでは無いらしい。
やはりウルフベリングの人々は、多かれ少なかれまっすぐ物事を伝えてくる者が多いようだ。
「…残念だけれど、お受けすることはできませんわ。わたくしの心は他にございますの。」
「そうですか…。本当に残念です。王女殿下があのようなことを言い出さなければ私ももう少し健闘できたと思うんですが…。」
こちらも率直にお返事申し上げれば、元より良い返事がもらえるとは思っていなかったのか、セドリムは銀のまつ毛を伏せてため息をつきながら肩をすくめてみせた。
セレスの暴走もなかなか大変だったが、セドリムからのお誘いをエランの露払いをしながら捌くというのもなかなかに面倒な仕事に思える。
どっちが良かったのかしら…と考えながらロザリンドはにっこりと微笑んだ。
「ハウンズ公爵であれば、わたくしでなくても素敵な女性を捕まえられるかと存じますわ。」
「やめてください、失恋した相手に言われるには随分堪えるセリフです。」
「あら、そうかもしれませんわね。ごめんなさい。」
ふふふ、と笑いながら、ロザリンドはセドリムの腕を軸にふわりとまわった。
その視界を、夜会の会場がくるりと回っていく。
その中に、赤い髪の毛が見えた気がして、ロザリンドは目を細めた。
「まあ、狼の視線も怖いですが、竜の眼光も恐ろしいものです。ロザリンド様に愛を乞うのも、王女殿下に愛を乞うのも同じくらいの苦労はありそうですね。」
ターンを終わったロザリンドとまた手をあわせながら、セドリムがちらり、とどこかに銀の瞳を向けた。
その先にいるであろう人物に、ロザリンドは先ほどの胸の痛みがぶり返す。
「どうかしら…。」
視線を落としたロザリンドに、セドリムが眉を上げてこちらに顔を向け直した。
「もしかしてまだ私にもチャンスはありますか?」
「それはありませんわ。」
「はあ、残念…。」
ばっさりと両断したロザリンドの言葉に、セドリムは眉を下げてため息をつく。
そこで楽曲は終わり、彼はロザリンドをエランの元へ戻すため、腕を差し出してエスコートをする姿勢をとった。
それに素直に手をのせ、会場の中に赤い髪を探す。
彼はさきほどと同じ場所に立っていたので、戻る場所を見つけることはすぐに出来た。
その横にはいつの間にか銀髪の王子が立っており、何か話し込んでいる。
~お仕事のお話かしら。
もし、込み入った話のようだったら少し離れた場所で待っておこう。
そう思って歩を進めたロザリンドの耳に、二人の会話が聞こえてくる。
特に、ロランジュの声はよく通るので、何を話しているのかがよく聞こえた。
「はあ、まったく、本当に妹をこの国に嫁がせることになるとは…」
耳に飛び込んできた言葉に、ロザリンドは目を瞠って足を止める。
その横で、セドリムも同じような表情で足を止めていた。
「ふふ、王女殿下も、もう立派な大人でいらっしゃいますから、あまりそのように過保護にしては嫌われますよ。大丈夫、何時でも迎えいれられるようにしておきますから、ご心配なさらないでください。」
「馬鹿言え!すぐにはやらんぞ。すくなくとも一年は…」
「エラン様!」
銀髪の王子に答える柔らかい声を耳にして、思わずロザリンドは声を上げた。
それに気づいて、こちらに金色の瞳が向くのを見ながら、セドリムの腕を離し、はしたないと知りつつも赤い髪の王太子に駆け寄る。
「ローザ、おかえ…」
駆け寄ってくる黒薔薇に眉を上げながらも、エランが口にした出迎えの文句は途中で途切れた。
ロザリンドが、その胸の中に飛び込んで、彼を抱きしめたからだ。
ぎゅっと回した手と、寄せた頬から、エランの体温を感じながら、ロザリンドは意を決して顔をあげる。
「エラン様、わたくし、あなたをお慕い申し上げておりますわ!」
ものすごく恥ずかしかったが、それどころではない。うかうかしていると攫われてしまう。
そんな危機感の中、見上げたエランの顔は、眉を上げ、金の瞳を丸くして、少し口をあけてポカン、としている。
そしてかすかにその眉が寄ったかと思うと、みるみる彼の顔は赤くなった。
まるで、彼の髪の毛のような色だ。
その変化に、ロザリンドも思わずポカン、と彼を見上げてしまった。
普段何をしていても余裕に見えた王太子が、自分の言葉で狼狽えている。
「ふふふっ」
次の瞬間、嬉しいのか、愉快なのか、面白いのか、幸せなのか、もしかしたらそれ全部なのかわからない、そんな感情がうずうずと胸を渦巻いて、思わず笑い声が漏れる。
「まあ、なんてお顔ですの?いつもの余裕な態度が、台無しですわね!」
そう言って高笑ってやれば、彼は困ったような表情をした後、額に手をあてて天井を仰いだ。
「余裕なんて少しだってよこしてくれなかったくせに、どの口が言うんですか。私はあなたを口説くのに必死ですよ。」
言いながら手を額からどけると、金の瞳がロザリンドを見下ろす。
その瞳が、蜂蜜色に溶けているのをロザリンドがみとめた瞬間、次はロザリンドがぎゅっと抱きしめられた。
エランの頬が、ロザリンドの頭にすり、と寄せられ、自分を包む彼の体温は随分と高い。
どうやら恋しい者を横取りされる事態は回避できたようである。
そんな安堵感に、ロザリンドもエランに身を寄せれば、その横から呆れたような声が聞こえた。
「一体なんだというのだ?余は一体何をみせられている。」
隣国の王子の言葉に、きつく回されたエランの腕の隙間から伺うと、ロランジュは憮然とした表情でこちらを見つめていた。
「申し訳ありません、ロランジュ殿下。わたくしエラン様を王女殿下にお渡しするわけには参りませんの。」
ぎゅっとエランの服を握ってそう言うと、ロランジュはあからさまに顔をしかめた。銀の眉が寄ってその間に深い皺を刻み、苦虫でも噛み潰したように口元が引きつる。
「恐ろしいことを申すな!誰がこんな男に妹をやるものか!そんなことになるくらいなら余は戦争も厭わんぞ!」
「あら…。」
てっきり、エランとセレスの話かと思っていたが、どうも違うようである。
「では、ウルベルト殿下ですの?」
「いえ…どうやら王女殿下はクライムをご所望のようでして…。」
相変わらず、ロザリンドを腕に抱くことに忙しいエランは、顔も上げず短く説明しながら、ロザリンドの頭に頬を擦り寄せる。
その腕の中で、随分と忙しそうだったクライムが、セレスと話す機会なんてそんなにあったかしら…とそんなことをロザリンドが考えていると、はあ、と頭上で湿ったため息が聞こえ、次の瞬間ロザリンドの体は床から離れた。
「休憩室に行きましょう。」
「はい、ダメですよー。理性締め直してください殿下。今仕事中ですからね。婚約前ですからね。」
「兄上も少しは私の気持ちを知るといいですよ。」
ロザリンドを横抱きにして、そのままホールの出口に向かおうとする王太子の肩をベリンダが掴んで止め、少し離れた場所で見守っていたウルベルトが胡乱な目でこちらを見てくる。
その横で、目を輝かせたアリィシャが、ロザリンドに小さく拍手を送っていた。
祖母からのアドバイスを実行することが出来た親友の勇姿への、称賛の拍手である。
あの手紙には、こう書かれて居た。
『腕の中に飛び込んで、あなたの気持ちを伝えれば、どんな男もイチコロよ』