34 最終日1
遠乗りに出た日、王宮に帰った後のウルフベリングの使節団は上を下への大騒ぎだった。
なにせ、使節団の中で、三番目の地位にあった男が滞在国に罪人として投獄された上に、死んだと思われていた第一王子が笑顔で帰還したのである。
本国への連絡やら、竜王国との調整やらで、情報が錯綜して混乱を極めており、結局、使節団についてきていたハウンズ公爵と数人の文官はそのまま滞在日程を変更して竜王国に残ることになった。
とは言え、セレスにはそのような仕事は回ってこないので、予定通りに帰国する。
予定通りではないのは、その横にロランジュがいることだ。
カミルはロランジュが生きていたことを知っては居たらしいが、まさか使節団と一緒におおっぴらに帰ってくるとは思っていなかっただろう。
本国でも、たぶん大変なことになっているはずである。
帰ったらまた慌ただしい日々が待っていそうね、とそんなことを思いながら、セレスはソワソワと、最終日に使節団を送るために催されている、夜会のホールを見渡した。
高い天井に吊るされた大きなシャンデリアがキラキラとさざめく紳士淑女の波を照らし出している。
着飾ったご婦人やご令嬢、紳士たちが、その波から抜けて時折こちらへ来ては、挨拶をしてまた去っていく。
その中に、目当ての人物がいないかと、セレスは銀色の瞳をさまよわせる。
ぴったりとセレスの横にくっついていたロランジュが、その様子を妹と同じ銀色の瞳でみとめて眉をひそめた。
「セレス、何度も言うがエランはやめておけ。あれはパッと見優しげに見えるがとんでもないぞ。お前の手にはおえぬだろう。まったく、なんでカミルはそんな恐ろしいことを許したんだ。帰ったら少し仕置してやらねばなるまいか?」
「もう…。何度も言わないで。それに、カミルお兄様もロランジュお兄様と同意見でしたわ。わたくし、国のためならこちらに嫁いでも構わないと申しましたのに、お前に躓く男はいないだろうとおっしゃったのよ。まったく失礼しちゃうんだから!」
「ははは、そうだな、しばらくそのまま兄の腕の中にいてくれ。お前にはまだ早い。」
「ひどい!ロランジュお兄様も同じ意見でいらっしゃるのね!」
先ほどまでの不機嫌そうな表情を隠して、機嫌よく笑い声をあげる兄の胸を、セレスが拳でたたく。
しかし軍人でもある彼の胸板は固く、セレスの白くか細い拳程度では、笑う兄の障害にもならなかった。
仕方なく、セレスはまたホールのほうへ向き直り、人々の波の中に視線を泳がせる。
しばらくそうやって眺めていたが、彼の姿は見当たらなかった。
ウルフベリングの使節団が忙しいように、竜王国の人たちも、今回の件に関わっている者は忙しいに違いない。
特に彼は、その中心で働いていたような人物だ。
随分と忙しいようで、あの日から結局今日まで、顔を合わせては居ない。
最終日くらいは挨拶に来てくれるのではと思っていたのだが、それも叶わないのであれば、このまま顔を見ることができないまま帰ることになるのだろうかと、セレスはしょんぼりと肩を落とした。
〇・〇・〇・〇・〇
「おいクライム、起きろ!」
ペシペシと頬を叩かれて、クライムは重いまぶたを持ち上げた。
霞む視界の上には、淡い金色の髪に、草原色の瞳の青年が、こちらを見下ろしている。
自分の部屋では無い場所で目覚めて、一瞬どこにいるのか混乱したが、そこはエランの執務室の大きなソファの上だった。
仕事が一段落したのに安堵して、少々寝てしまっていたらしい。
普段よりいささか強い重力が身体にかかるのを感じながらのそりと起き上がり、眉間の下あたりに未だ重くわだかまっている眠気を指で揉みほぐして深く息を吐く。
「ルミール殿…。今何時ですか。」
「19時を過ぎたところだよ。王太子殿下にお前の様子を見てきてくれって言われたんだ。寝てるようだったら起こすなとは言われたんだけど、なんか用事があったんだろ?」
「そうですか…。ありがとうございます。」
仕事中に寝てしまうとは、常には無いことである。
さすがに最近忙しかったので、疲れていたようだ。
ドミヌク伯爵を捕縛してからその後、関係者の取り調べや、容疑者の受け渡し条件等、多岐にわたって調整等の仕事があったため、最近はなかなか家にも帰れていない。
とはいえ、今日の夜会まではエランの手も空いていたため、随分と彼も仕事をしてくれたのでまだマシだった。
ロランジュもなかなかに仕事が出来るらしく、エランと共にサクサクとあれこれと取り決めて指示を出してくれたおかげで寝る時間は死なない程度に確保できたのである。
もしあの二人が居なかったらと思うと恐ろしい。
まだまだ、主人に学ぶものが多いようだと再認識させられた数日間だった。
クライムは眠気を払うように首をふって、ソファを立ち上がった。
「はあ、着替えてきます…。私の従者は隣室でしょうか?」
「ああ、たぶん。ていうか着替えるのか?別に今の格好でもよくないか?」
執務室を見渡すクライムを、ルミールがまじまじと見る。
彼は今は普段どおりのジュストコール姿だが、普段からきちんとした格好をしているので別に夜会に出てもそこまで見劣りしない服装だ。
いささか居眠りをしていたせいで乱れてはいるが、整えてやれば問題ないだろう。
「いえ、さすがに下手な格好で外交の場に出るわけにいかないでしょう。私は軍服などは持ち合わせていませんしね。」
「ふーん…。全然下手な格好じゃないと思うけど。まあいいや。早くしろよ。」
「…別にルミール殿はもうお戻りになっても構いませんよ?」
「夜会の警備って暇なんだよ!それにこれでも友人を心配してるんだ。その辺で倒れても困るだろ?」
「……わかりました。ではお茶でも持ってこさせます。」
どっちが本音なのかわからないことを言う友人に、クライムはため息をついて隣室に向かう。
その途中で、通りがかったメイドにルミールにお茶を出すように指示して、さっさと着替えにとりかかった。
紳士の準備は、淑女のそれよりはずっと短い。
ほどなくして着替えを終え、エランの執務室に戻ると、先ほどクライムが横になっていたソファにルミールが座ってお茶を飲んでいるところだった。
彼は戻ってきた友人の長身を足から頭へ見上げると、淡い金糸の髪を揺らして首をかしげる。
「…さっきと見た目変わってない気がするんだけど。」
「変わりましたよ。ルミール殿も軍服ばかり着てないでもう少ししっかりと装ったらどうですか。ほら、いきますよ。」
丸い瞳をぱちくりさせて、感想を述べる友人に立つよう促して、クライムは夜会のホールへ足を向けた。
ルミールはぐいっと残っていたお茶を流し込んでそれに続く。
「はー、それにしても長かったな。これで明日から王立騎士団に戻れるよ。」
藍色の薄闇を、ぽつぽつと灯りが灯る静かな廊下を歩きながら、ルミールが伸びをする。
彼は近衛の職を今日で辞して、明日からは王立騎士団に復帰である。
近衛のほうが随分と待遇が良いというのに、彼にはそれよりも警備の任務のほうが辛いようだ。
「殿下が、またルミール殿にしかできない仕事があれば来ていただきたいとおっしゃっていましたよ。」
「……もっとさ、合言葉とか作っておけよ。僕にも傷つく心ってもんがあるんだよ?」
「合言葉なんてものは漏れるものですから。いいじゃないですか。ある意味才能ですよ。」
王太子からの栄誉ある声かけに、盛大に顔をしかめるルミールがおかしくて、思わず笑うとべしっと小突かれた。
少女のような見た目を気にしている彼には申し訳ないとは思うのだが、本当に今回は助かった。
さくさくと偽物を捕まえられたおかげで、相手に気取られなかったのである。
そのまま進んでいくと、程なくして夜会の賑やかな声が聞こえてきた。
ホールはもう目の前である。
藍色の廊下の薄闇に、夜会の明るい光が滲んで翠色に色を変えると、少しばかり、クライムの足が重くなった。
今日は別に、参加をしなくても良かったのだが、未だに彼のポケットには王女殿下からの預かり物があるのである。
結局、あの後どうやってピアスを返すのかについて、ルミールとエランに相談したのだが、ルミールは『そのままもらっといたら?』と言い、エランは『別にお断りするならむこうのルールに従う必要はないだろう。侍女にでも渡して返しておいてもらったらどうだ』と言ったのである。
ルミールは論外として、たしかにエランの言うことはもっともだ。
そう思って、クライムも侍女にピアスを渡そうとしたのだが、ピアスが青銀色に光を反射すると、なんだかセレスのキラキラした銀色の瞳を思い出してできなかったのである。
侍女からこのピアスが返ってきたら、楽しそうに笑っていた彼女は随分とがっかりするに違いない。そしてその後、あの笑顔がクライムに向けられることは無いだろう。それは寂しいことに思われた。
そういうわけで、今日返すことができなかったら侍女に渡そう、と最後の挑戦をすることにしたのである。
ホールの入り口にいる侍従に名前を言って入り、ぐるりと中を見渡す。
とりあえず、主催席に挨拶に行こうと足を向けると、その手前に、銀髪の王女と王子が並んでいた。
セレスはクライムを見つけると、ぴょん、と小さく跳ねてから瞳を輝かせてこちらへ歩み寄ってきた。
その後ろから、ロランジュがいぶかしげな瞳をこちらに向けてついてくる。
まさか彼女の兄の前でこんなものを返すことになるとは…。
夜会などという衆人の目がある場所なのである程度は覚悟していたが、ロランジュは随分とセレスを大事にしている様子だった。
国際問題にならないだろうかとクライムは口元が引きつりそうになるのをなんとかこらえる。
「クライム様!今日はもうお会いできないかと思っておりましたわ。良かった、最後にご挨拶したかったんですの。これ…ハンカチをどうもありがとうございました。」
そう言いながら、セレスはきちんと洗濯をされて折り畳まれた、クライムのハンカチを差し出してきた。
先日彼女が捕まった時に、お貸ししたものである。
別にそのまま捨ててくれても構わなかったのだが、律儀なその様子に灰色の瞳を細め、クライムはにっこりと笑って差し出されたハンカチを受け取る。
「どうもありがとうございます。先日は泣いていらっしゃったのにお助けできず申し訳ありませんでした。」
「いえ…。おかげで大罪人を捕まえることができたのですもの。感謝しております。」
女性が泣いているというのに手を出してはいけないというのは随分と辛い仕事だった。
ロザリンドはクライムの声に気づいてくれたようだったが、セレスはさすがに付き合いが短いせいで難しかったようで、安心させることは出来なかった。あそこでセレスが狼狽えたからこそドミヌク伯爵からの言質も取れたのだが、どちらにせよ気持ちの良いものではない。
またこうして、セレスの顔に笑顔が戻って本当に良かったとクライムは思う。やはり彼女にはこの無垢な銀のように輝く笑顔がよく似合う。
さて、そして本題だ。
クライムは懐から、ピアスが包まれたハンカチを取り出した。
それを見て、セレスの銀の瞳が少し見開かれる。
「…飴玉ではありませんよ。お預かりしていたピアスです。」
「わ、わかっておりますわ!では教えてくださる気になりましたの?」
セレスの頬が少し赤くなったのを見て、訂正を入れたクライムに彼女は唇を尖らせた。
眉を寄せて答えをきいてくる彼女に、クライムは息を吐く。
「いえ…。その、とにかく、色々と………王女殿下のお耳に入れるには随分と……下世話な話だったのです。本日が最終日ですし、これでご容赦頂いて受け取っていただけませんか…。」
かなり努力したが、やはりクライムには難しかった。
これが限界だ、と降参の意を表すクライムを、後ろからルミールがじっとこちらを眺めている視線を背中に感じる。
彼が見守ってくれているのは、友人が心配だからでは無く、十中八九、面白がっているだけだろう。
セレスも、そんな困り果てた様子のクライムをあの悪戯っぽい笑顔でじっと見つめたあと、にっこりと、輝かんばかりの笑顔をうかべた。
「ふふ、やっぱりダメですわね!でももうよろしいですわ。私、そのピアスはクライム様に差し上げます。」
「ええ!?」
突然大変なことを言いだしたセレスに、クライムは声を上げ、ロランジュは眉を潜め、ルミールは笑った。
「だってわたくし、もう身軽でしょう?ロランジュお兄様が帰っていらしたのですもの。とってもぴったりだと思いますの!」
「いえ、まあたしかにセレス殿下のお悩みが解消なさったのは大変よろこばしいことですが、わかっていらっしゃるのですか?こちらは想いをお寄せになる男性に贈るべきかと思いますが…。」
風習としては、告白代わりに渡したり、恋人同士が交わす物なのだ。
それを一国の王女が軽々しくその辺の男に渡していいのかと心配するクライムに、セレスは銀の目を瞠り、頬を薔薇色に染めた後、視線を下に落とした。
もしかして、その意味に気づいてなかったのかとクライムは眉を下げ、そんな王女を見下ろす。
セレスは銀のまつ毛を伏せ、指先をいじりながら、なにやらモジモジとしている。
恥ずかしい思いをさせてなんだか申し訳なく思いながら、クライムは今一度ピアスを受け取ってもらおうと、少し腰をかがめた。
しかしまわりの人に聞こえないよう、次は少し声を落として話しかけようとしたところで、セレスが勢いよく顔を上げる。
先ほどより真っ赤に染まったセレスの顔に見上げられて、クライムはかがめていた上半身を思わずひいて、驚きに灰色の瞳を丸くした。
そんなクライムの腕を、セレスの白い手がガシリ、と掴む。
「わかっておりますわ!クライム様、わたくしをお嫁さんにしてくださいませ!」
「ダメだ!」
セレスの告白を、両断したのはクライムでは無く、後ろに居たロランジュだった。
彼は身を大きく乗り出してセレスの細く白い腕を捕まえると、そのままグイッとひっぱって彼女を腕の中に抱え、クライムをギラリと睨んで頭の上からつま先まで検分する。
「余が帰ってきたのは妹を嫁に出すためでは無い!セレス、こんなひょろっとしたのではお前を守れないぞ!」
「もう!邪魔しないでお兄様!私真剣なんですの!」
「一体どこがいいんだこんな男の!」
「匂いよ!すっごくいい匂いがするもの!」
「匂い…?」
固く閉ざされた兄の腕の中で、もがきながら力説するセレスの言葉に、ロランジュがすん、と鼻をならす。
その間、クライムはと言えば、いきなりの告白の上にマニアックな理由を告げられ、その上隣国の王子にまで匂われるはめになり、どうしていいのかわからず、目眩がする気がする頭がぐらぐらと傾ぐのをなんとかこらえるので精一杯だった。寝不足の頭には少々、難しすぎる問題である。
クライムの匂いを確かめたらしいロランジュが、憮然とした顔をしつつ、「いや…でも…しかし…」とこちらをを苦々しげに睨んでくる。
呆然としていたところで、その射抜くような銀の視線に晒されて、クライムは思わず後ずさった。
その背中を、ルミールが受け止めてそのままぐいっと前に押しだす。
「ル、ルミール殿!?」
「いやお前、女の子に告白させといて逃げるとかダメだろ。受けるにしても断るにしてもビシッとやれよ。そしてあのおっかない王子に抹殺されてしまえ。」
「に、逃げませんよ!少し混乱していただけです!というかなんなんですか最後のは!」
「はー、春先にもっと虐めておけばよかった…。」
前半はもっともなのだが、後半は八つ当たりとしか思えない言葉を吐きながら、ルミールがぐいぐいと押してくるため、クライムはロランジュに抱えられたセレスの前まで押し出されてしまった。
それをキラキラと期待に満ちた銀の瞳と、威嚇する狼のような銀の瞳がじっと見つめてくる。
そこでようやく、セレスが初日に、フェンリルの血を引く者は好ましい者の匂いがわかる、と言っていたようなことを寝不足気味の頭が思い出した。
なるほど、つまりエランが言っていた竜の血の話のような物か。
「その…先日匂いについてのお話を伺った時は我が国の王太子殿下のお話だったように思うのですが、もうそちらはよろしいのですか?」
「エ、エラン様に告白申し上げたのは政治的な駆け引きというやつですわ!私、初日からクライム様は良い匂いがすると思っておりました!」
「な、なるほど…。」
真剣な話だとは思うのだが、匂いを褒められるというのはなかなかに新鮮な体験である。
セレスとは忙しくてあまり話は出来ていなかったが、心根のまっすぐな方だということはわかっている。
クライムは、改めてキラキラ輝く瞳でこちらを見上げる、銀色の王女を見下ろした。
兄王子とそっくりな、まっすぐで癖の無い青銀色の髪の毛は、シャンデリアの光を弾いて輝いている。
陶器のように真っ白で輝くような肌は、彼女が大切に育てられた深窓の姫君であることをよく表しているようだ。
その上に乗った切れ長の銀の瞳はキラキラ輝きながらこちらを見上げており、同じ色の長いまつ毛が上下する度に、星が散るように光が反射する。
全体的に寒色で纏まった中に、薔薇色を落とす唇は鮮やかだ。
さすがに、ウルフベリングが誇る姫君なだけあって大変美しい。
というか…なんかまあ、全体的に輝いているような気もしなくもない。
しかし彼女は白と銀色で構成されているので、竜の血とか以前に物理的に輝いているのではないだろうか。ダメだ、寝不足で頭が働かない。
しかしルミールの言う通り、伝えてもらった心には誠意を持って答えねばなるまい。
そもそも一国の王女の告白をここで気軽に頷くわけにもいかないのだが、王女であるセレスをそういう対象としての次元で見ていなかったので、ここから見直しが必要である。
こちらを見上げてくるキラキラとした銀の瞳が、今思えばとても可愛らしいのではないだろうか。
なにせあのキラキラが全部好意なのだろう。なんだかそういう対象だと思ったら鼓動が早くなってきた気がする。
なんとか思考を回そうとするクライムを、激しくなる動悸の音が邪魔をした。
婚姻を結ぶにしてもまず各所に根回しをして…いやまて、その前にそもそもお受けするかどうかだ。大きな問題が片付いたとは言え、相手は一国の王女なのである。
まず、二国が縁を結ぶことにより出る影響と彼女がどういう人物かの報告書をまとめて…。いや違う、なんだか仕事の話と混ざっている。これはエランの相手として彼女を受け入れた場合の手順ではないか。
そうじゃない。この話は先ほどまでクライムが奔走していた政治的な話ではないのだ。
個人的な。そう、まずは個人的な気持ちの問題だ。
「…セレス殿下とはまだ付き合いが短く…今はっきりと私の気持ちをお伝えすることは出来ないのですが、いただいた言葉は大変うれしく思います。ですので…その、私にあなたを知る時間をくださらないでしょうか。」
「ええ!もちろんですわ!」
寝不足も手伝って混乱を極めた脳内から、なんとか絞り出したクライムの返事に、セレスは瞳を輝かせて頷いた。その笑顔は、やはり眩しい。
なんとか、合格点の返事を出来たようだ。やはり彼女には笑顔がよく似合う。また涙を見ることにならなくて本当によかった。
そう思ったら、クライムもセレスにつられて、灰色の瞳を細めて微笑んでいた。
「お兄様、私竜王国に残りますわ!」
「ダメに決まっているだろう!まずは文通からだ!」
また仕事が増えそうなことを言い出したセレスの提案を、ロランジュが却下する。
彼は未だにクライムに剣呑な視線を投げてきており、これは後でエランにも相談しないと国際問題になりかねないかもしれない。
そんなことを考えていたクライムの後ろで、ルミールが残念そうな声を上げた。
「クライム…。お前、また文通からとか、横から掻っ攫われるなよ…?ちゃんとやれよ?」
「ルミール殿…。もうその話を掘り起こすのはやめてください…。」
相変わらず古傷をえぐってくる友人に、クライムはため息をつく。
そんな彼の耳に、ウルフベリングのダンスの楽曲が聞こえてきた。
今日は最終日なので、竜王国とウルフベリングのダンス曲が、交互に流れているのである。
「セレス殿下、一曲お相手願えますか。」
手を差し出し、セレスをダンスに誘うと、彼女はぱっと輝くような笑顔を見せて、その手をとった。
頬は薔薇色にそまり、銀の世界に可憐な花が咲いたようである。
喜びを一杯にその輝きに乗せて伝えてくる笑顔の可愛らしさが、クライムの胸に温かく灯を灯して、灰色の瞳が微笑みを描いた。
彼女の気持ちに答えるかどうかは、クライムの一存だけで決められることでは無いが、どうころんだとしても、次こそはこの笑顔を守れるだろうか。
ウルフベリングの楽曲が軽快に響く中、ロランジュの不本意そうな視線に見送られて弾むような足取りのセレスを連れたクライムは、ダンスホールの真ん中へ進み出たのだった。