29 遠乗り
次の日。さすがに乗馬用の服など王宮には持ち込んでいなかったので、昨日アネッサにお願いしてウェジントンのタウンハウスから持ってきてもらった乗馬服に身を包み、日差しよけのレースのかかる帽子をかぶって、ロザリンドは王宮の正門に居た。
本日の天気は少し雲が多いが、曇っているわけではない。
外に出るのであれば、夏はこれくらいのほうが日差しに晒されすぎなくて良いだろう。
相変わらず、ベリンダは近衛の制服に身を包んで涼しげな顔をしている。
二人で馬丁が引いてきてくれた馬を見上げていると、ほどなくしてセレスもやってきた。
「御機嫌よう」
「御機嫌よう、王女殿下。」
やってきたセレスは本日はくるぶし丈のシンプルなラインの青のドレスで、ツバの広い真っ白な帽子をかぶり、足には初日に見たブーツを履いており、動きやすそうな格好をしている。
出先で乗馬服などあるのかと心配したが、これなら馬でも乗れるだろう。
「相変わらずお一人ですの?不用心ですこと。」
人前ということもあり、ロザリンドがツンとして睥睨すればセレスも少し斜に構えて答える
「あら、わたくし王女として、なんでも一人で出来るようにしつけられておりますの。ロザリンド様の護衛の方はお強そうで羨ましいですわね。」
昨日ちゃんと顔をあわせて話し合ったのが良かったのか、今日の彼女には怯えがない。
これならまあ、様になるだろう。
「申し訳ありませんけれど、馬が一頭足りませんの。私は護衛騎士とゆきますから、セレス様はついてらして。」
ロザリンドはセレスには視線を合わさずにそう言って、ベリンダに手を差し出した。
彼女は何も言わずにロザリンドの手をとると、そのまま抱えあげて大きい方の馬に上げ、その後ろから乗ってくる。
夏に二人乗りは少し暑いが、事情があるのだから仕方がない。
後ろのベリンダは、用意された馬と挨拶をし、その毛並みに少しだけ瞳を輝かせていたが、じろりと睨んでやるとあわてて馬に飛び乗った。
「では、参りましょう。」
そう言うと、ベリンダが馬を走らせはじめる。
彼女は諸国漫遊の旅でも散々馬にのっていたらしいので、慣れたものだろう。
日差しをよけるために下ろしたレースのむこうで、夏の朝の、まだ熱くなりきらない真っ直ぐな日差しに照らされて城の前庭がすぎていく。
まだ夏ははじめの頃ではあるので、風が涼しい。
馬の歩調にあわせて帽子のレースを揺らす風に、ロザリンドは目を細めた。
マイゼンの丘まで来ると、行楽のためか薄着の人々が、思い思いにすごしている。
その横を抜け、静かな林の中にロザリンドたちは入っていった。
「この子、いい子だわ。とっても素直だもの。天気もよくてよかったわね。」
人がいなくなったのを確認して、後ろをついてきていたセレスが馬を横に寄せて話しかけてきた。
どうも彼女は黙っているのは性に合わないらしい。
瞳を輝かせてあたりを見回すセレスに、ロザリンドは息を吐いた。
「そうですわね。雨の中に置き去りにされたら風邪をひいてしまいますもの。王女殿下は馬にはよくお乗りになりますの?」
「ええ!ウルフベリングは農地が多いから、よくお兄様が一緒に城のまわりを視察ついでに連れて行ってくださいましたの!」
「まあ、王太子殿下が?」
随分と最初に聞いていたよりも仲が良いのだな、とロザリンドが驚いて聞き返すと、それまで楽しそうだったセレスの眉が下がった。
その表情の変化はせわしなくてロザリンドは目を瞬かせる。
「カミルお兄様も連れて行ってくださるけど…。最近はお急がしそうでダメね。」
ふう、と息を吐きながらいうセレスにロザリンドはどうしたものかとベリンダを見上げた。
彼女は口元に笑みをこぼしながら、馬が行く前方を見つめており、話に参加するような気配はない。
「まあそれは…。いろいろとおありになったのだから仕方がありませんわね。立太子なさるのにも、あれこれとやらねばならないことが有るでしょうし…。」
「そうね、わかっているわ。もう子供ではないのですもの。それにわたしも今はお仕事をいただいているのだもの!」
第二王子がセレスとあまり交流できなくなった理由についてはいろいろと思い当たる節はあったが、すべて憶測で、結局のところ何が正しいのかまだロザリンドには判断がつかない。
仕方なく、随分とふんわりとした答えを返したところ、セレス本人もふわふわしているおかげか、彼女は気にした様子もなく頷いた。
「お二人とも、そろそろ目的地につきますよ。」
ベリンダが、にっこりと笑って前方を指さした。
そこには、木々の葉が萌黄色の影を落とす林の中に、夏の日差しの淡黄と、小川の青色が、キラキラと輝いてぽっかりと光の穴をあけていた。
近づくにつれ、小川のせせらぎの音も聞こえてきて、耳に涼しい。
「素敵ね!」
その光景にセレスが歓声をあげ、馬を走らせてその光の穴に入っていった。
彼女はひらりと馬から降りると、小川を覗き込んでいる。
それを追うわけでもなく、そのままのペースで彼女の後ろまでベリンダが馬を歩かせた頃には、もうブーツを脱いでそっと小川に足をつけていた。
外で靴をぬぐなんて、子供の頃以来したことがなかったロザリンドは、その奔放な振る舞いに、アメジストの瞳を瞬かせる。
「まだ冷たくて気持ち良いわよ!」
「私はよろしいですわ。足元にお気をつけになって。」
「ええ!」
ドレスの裾をたくしあげ、楽しそうに笑うセレスに、ロザリンドはご一緒するのを謹んでご遠慮申し上げ、その様子を眺める。
帽子の影から抜け出したセレスの銀色の髪の毛が、夏の日差しを弾いて小川の水面のと供に輝いている。楽しそうに弾むそれは、彼女が抱える憂いとは無縁のように見えた。
「姫、私も川に入っていいですか!」
横から、セレスに負けないくらいキラキラした瞳のベリンダが声をかけてきた。
ロザリンドは肩をすくめて、好きにしなさいと視線で促すと、自分は近場の木陰に座りやすそうな岩を探して、ハンカチをひいてからそこに腰掛けた。
その先で、さっそく靴をぬいでズボンをたくしあげたベリンダが、腰をかがめて川の中を熱心に見つめていた。
何をしているのだろう、と首をかしげると、パシャン!とするどい水の音がして、なんとベリンダの手に魚が握られている。
まさか熊じゃあるまいし…とロザリンドが呆れていると、彼女は誇らしげにとった魚をかかげてこちらに振ってみせた。
それを、セレスがぴょんぴょんと水しぶきをさせながら飛び跳ねて称賛している。
まさか、と思ったが、次の瞬間からは、ベリンダはセレスに魚の捕り方を伝授しはじめた。
一国の王女になんてことを教えているのか、とロザリンドは額に手をあてる。
しかしまあ、今はまわりに人はいない。
今日の本番はセレスが王宮に帰ってからのエランとのお茶会であり、今は好きにさせておこう、とロザリンドは持ってきた本を取り出す。
木陰ではあるが、夏の日差しは明るく、風もヒンヤリと気持ちいい。
たまには外で読書するのも良いわね。と思いながらロザリンドはセレスとベリンダの笑い声をききながらページをめくった。
〇・〇・〇・〇・〇
「すごいわね、釣り竿が無くても魚が捕れるなんて、わたくし知らなかったわ。」
一通り遊んで満足したらしいセレスたちがロザリンドの元まで戻って着た時、丁度太陽は中天にあり、お昼ご飯の時間だった。
エランが手配してくれたお弁当のバスケットを開いて、中のサンドイッチをセレスにわたすと、彼女はさも感心した、と言わんばかりの顔で、頬をそめてそんなことを言う。
「…いえ、王女殿下。普通は道具が無くてはダメですわ。ベリンダは少しおかしいんですの。」
まさか、帰ってから竜王国の者は素手で魚を掴むなどと話されては困る、とロザリンドは首をふった。
それに、セレスは幾分かほっとしたような表情をする。
「そうですの?よかったわ。私結局一匹も捕まえられなかったのよ。やっぱりベリンダ様がすごいのね。」
「すごいのではありませんわ。おかしいんですの。」
大事なことなので、念押ししてもう一度言うと、横でベリンダが「違いない!」と笑う。
彼女は結局三匹魚をゲットして、持っていた小刀で器用に腸抜きをすると、魚を川の水で洗って枝に挿して焼き始めた。
横では、今まさに魚三匹が、焼き魚になろうとしている。
「私、捕まえた魚をその場で焼くのを見るのは初めてだわ。どんな味がするのかしら?」
「奇遇ですわね。わたくしも初めてですわ。竜王国でもなかなか無いことなんですの。」
「あら、では私は運が良いのね。」
引き続き、変な竜王国のイメージを抱かれないよう釘を指しながら頷くと、セレスは随分と前向きに瞳を輝かせた。
本当に大丈夫なのだろうか。少し不安である。
「ふふ、それにしても今日は楽しかったわ。わたくしはこれを頂いたらもう帰らないといけないのが少し残念。」
「お一人でお帰りになれますか?」
「ええ。私、一度歩いた道は忘れませんの。」
ベリンダの問いに、セレスは自慢げに胸をはってすました顔で答えた。
エランとのお茶の時間のためには、まずセレスは先に帰らないといけない。
彼女は今、お茶をするにはいささか不都合がある格好をしているので、まず着替えなくてはいけないだろう。
そのあと、ウルフベリングの使節団の面々が視察を終えて帰ってくる時間を狙ってロザリンドが庭の茶会に乱入して、自分が座るべき席にセレスが座っていることを攻める算段である。
~エラン様を攻めるのは少し気が重いわね…。
園遊会の後、大変な目にあったのを思い出して、ロザリンドはため息をつく。
今回は事前に打ち合わせしてあるのだから大丈夫だとは思うが、やはりなにも悪くない者を罵るという作業は少し気が重いものである。
本当はこのまま、楽しいピクニックだけで終わってしまいたいところだ。
そんな気持ちで目前の王女に目を向ければ、セレスはサンドイッチを一口食べてから、中身が気になったらしく自分の歯型がついたそれをまじまじと見つめていた。
ひょい、とパンとパンの間を覗いて、彼女の眉があがった。
「ロザリンド様、こちらはなんですの?」
サンドイッチの中身を見せて、セレスの長い指が指し示すものを、ロザリンドも覗き込む。
セレスの手の中のサンドイッチはナガウシのハムと、レタスにトマト、そして彼女が指し示した緑色の野菜だ。
「ああ、キューモのピクルスですわ。酢漬けはお嫌いでしたかしら?」
「いいえ、すごく美味しいわ。初めて食べる味だと思って。竜王国とウルフベリングは隣国同士で近いのに、たまに知らない物があって面白いわね。」
ロザリンドの答えに、感心したように頷いてセレスはもう一口サンドイッチにぱくつく。
美味しそうなその表情は、このサンドイッチを作った者が見たら喜ばしいものだろう。
「たとえ近くでも、国や人が変わると変化があるものですよ。私はいろんな国をまわりましたが、どこの文化も土地にあっていて面白いものです。」
焼き魚の準備が終わったのか、ベリンダもサンドイッチに手を伸ばしながらセレスに頷いた。
その言葉に、セレスはまた瞳を輝かせる。
「まあ、ベリンダ様はいろんな国へいらっしゃったことがありますの?どんな国に参りましたの?」
「いろいろ行きましたよ。もちろん、ウルフベリングにも参りました。あとはそうですね、エディンベニラ、マヌーク…ファイアンド共和国…」
「まあ、ファイアンドにいらっしゃったの!?エルフをご覧になった!?」
ベリンダの女性にしては角ばった手が、訪れた国を指折り数えるのを見ながら、セレスが一つの国の名前に食いついた。
ファイアンドは遠く西方の国だが、古き精霊の民、エルフがまだ人と共に住んでいる数少ない国である。
エルフといえば、見目麗しく、繊細で、女性ならば一度は憧れる種族だ。
「ええ。見ましたよ。王女殿下のように銀色の髪のエルフもいました。彼等はみな色素が薄いので、陶器のようで美しかったですね。」
「いいわね…私も見てみたいわ。とっても美しいでしょうね。…そういえば、ウルベルト殿下の横にいらっしゃった……アリィシャ様だったかしら。あの方はエルフの血を継いでいらっしゃるのではないの?とてもおきれいだったわね。」
「ああ、あの方はフェリンド伯のお嬢さんですからね。もしかしたらあるかもしれませんね。」
「まあ、フェリンド伯ということは、もしかしてフェアリンドの血をひいていらっしゃるの?どおりで儚げな見た目をしていらっしゃると思ったわ。」
アリィシャの実家のフェリンド伯爵家は、領地が小さい中級伯爵家だが、その血の由緒だけは正しい。
その昔、フェアリンド皇国という、妖精やエルフが多く住んでいた国が、蛮族の侵攻で滅亡した折に、その国の姫君が竜王国へ亡命して来たのを、ウェジントン侯爵家の三男坊が花嫁に迎え入れて、亡国の姫君のために領地をウェジントンから分け、伯爵位を下賜されたのがはじまりだと言われている。
おとぎ話のような昔の話であり、すでに亡国であるので、皇帝の血筋とは言えその権威は今はもう無いが、それでも亡国の姫君の血筋、ということにロマンがあるらしい。
まあたぶん、ウルベルトはそんなことは考えてもいないだろうが。
「王女殿下も、フェンリルの血を引いていらっしゃってお美しいでしょう。我が家は勲功で侯爵位を賜った家柄だから、わたくしはそういった血はひいておりませんもの。羨ましいですわ。」
ロザリンドの言葉に、セレスがぱちくりと目を瞬かせた。
何か変なことを言ったかと伺うと、さらりと銀の髪をすべらせて、セレスの首が傾げられる。
「ロザリンド様でも羨ましいことがあるのね。なにをとっても完璧にこなされるから、意外ですわ。」
素直な称賛の言葉に、ロザリンドは一瞬言葉に詰まった。
たしかによく欠点が無いと褒められ、ついでに可愛げが無いとも言われるが、こうやって素直な言葉で言われると照れるものである。
「そりゃ…わたくしにもいろいろと羨ましいものはありますわよ。」
正直なところ、好きな相手に素直に笑顔を返せるアリィシャや、こうやって奔放に振る舞えるセレスのことはロザリンドは眩しく思う。
ベリンダのまっすぐ物を見ることができる目だって羨ましい。
とは言え、自分は自分であり他人は他人だ。無いものねだりしても始まらないので、別に本気でそうなりたいと思っているわけでは無い。川の中で魚を掴むとかは絶対無理である。ただ、眩しく思うのだ。
「そうなの…。人からは完璧に見えても、やっぱり欲しいものはあるものなのね。」
ふふ、と笑ったセレスに、ロザリンドもつられて微笑むと、その前にズイッと美味しそうな匂いがする何かが差し出された。
見れば、満面の笑みのベリンダが、焼けた魚を差し出している。
「出来ましたよ姫君方!さあどうぞ冷めないうちにお召し上がりください!」
得意げにそういうベリンダに押され、ついその魚を受け取ってしまう。
正直、こんなものを食べるのははじめてである。
じっと銀色に焼き色をのせた魚の瞳を見つめていると、前方から「美味しい!」というセレスの歓声が聞こえてきた。
ちら、とそちらを伺えば、さきほどのサンドイッチを食べた時と同じ顔で、セレスが笑っている。
その笑顔に後押しされて、ロザリンドも焼けた魚にかじりつく。
その味は、見た目に反して素直で、あまり臭みも無い。
「…ベリンダ、あなた塩なんて持っていらっしゃったの?」
口の中に広がる味を確認しながら聞いてみれば、ベリンダは得意げに頷く。
「ええ、川といえば魚ですからね。もちろん持参しました。」
どうやら彼女は最初から魚を捕るつもりだったらしい。
そのたくましさは称賛に値するわね、と思いながら、ロザリンドはもう一口魚に噛み付いた。