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28 彼女のお願い

 エルランド王の肖像画の先、竜の彫刻が彫り込まれた扉の前で、少しだけ、ロザリンドは扉を叩くのを躊躇した。


 昨日、会議室で別れた後エランとは顔を合わせていない。

 自分をその胸に閉じこめて微笑んでいた彼の蜂蜜色の瞳を思い出し、扉をたたくために握った手に力が入る。

 しかしこのまま逃げ回っていては勝負にもならない。

 覚悟を決めて、息を吸い込むと、ロザリンドはその白い手の甲で、威圧感さえ感じる深い黒茶色の木の板をノックした。


 しばしして、中からエランが返事をした。

 心のどこかで、留守であればと思っていたが、彼は今日も自分の執務机の前に座っているらしい。


「エラン様、ロザリンドです。お時間よろしいでしょうか?」

「ええ。もちろん。」


 常と変わらない声音で了承の返事をもらい、ほっと息を吐くと、中の侍従が扉を開けた。

 その先の、夏の日差しを薄いカーテン越しに取り入れたほんのりと明るい室内には、三人の男性がこちらを向いていた。

 一人はもちろんエランだ。彼は今日も、自分の執務机の前に座り、頬杖をついている。

 そしてその前方横に、先ほど廊下で別れたクライムが立っており、それに向かい合うようにして反対側に珍しくウルベルトが立って居た。


「あら、お話中でしたのね。申し訳ありません。時間を改めたほうがよろしいかしら?」


「いえ、今話が一段落したところですよ。それじゃあベルト、よろしく頼む。」


「ええ、わかりました。ロザリンド嬢、どうぞ。」


 エランがひらひらと手をふってウルベルトにもう行って良い、と伝えると、ウルベルトは頷いて自分が立って居た場所をロザリンドに譲った。

 そのまま会釈をして、いつもの大股で部屋から出ていく。


「殿下、では私も調整にまわりますので失礼します。」

「ああ。ルミールにも礼を言っておいてくれ。」

「彼は肉がご所望らしいですよ。」

「ははは、厨房に奮発していいと言っておけ。」


 どうやら、クライムも部屋から退室するらしい。

 機嫌よく笑うエランに会釈をし、彼はロザリンドのほうへ灰色の瞳をむけた。


「ロザリンド嬢、先ほどはありがとうございました。」

「いえ、大したことではございませんわ。」


 礼をしたクライムに首をふると、彼はにっこりと笑って「それでは」と挨拶をし、美しい姿勢で扉に向かう。

 その後ろ姿を見送りながら、ちらり、とベリンダが部屋の横に控えているのを確認して、ロザリンドは視線を前に戻した。

 そこには、いつもの柔和な笑みのエランが居て、少しだけほっとする。


「お待たせしました。どうぞ座ってください。今日はどんなご用ですか?」


 エランが侍従に合図すると、彼はさっとロザリンドの横に、椅子を置いてくれた。

 それに座りながら、ロザリンドは話を切り出す。


「はい、エラン様は明日のお茶の時間はお暇でしょうか?」


 ロザリンドの言葉に、エランが少しだけ眉を上げた。そしてその顔に、ぱっと嬉しそうな笑顔が浮かぶ。


「おや、あなたがお茶に誘ってくれるのですか?珍しいですね。」


 そのご機嫌な返事に、ロザリンドはあわてた。

 少し、話の順序を間違ったかもしれない。


「それが、少し違うのですわ。実は王女殿下のことなのですけれど…。」


 そこから、初日にもらった手紙のことなどを説明する。

 エランは特に文句も言わずに聞いていたが、明日セレスとの計画に協力してほしいことをお願いすると、彼は案の定少し眉を潜めた。


「もう少し早くそういうことは相談してください。」


「申し訳ありません。でもエラン様であれば、だいたい察していらっしゃったのではなくて?王女殿下のお人柄も知っていらっしゃったのでしょう?」


 たしかに、手紙のことはもう少し早く報告するべきだったのかもしれないが、知っているものが少ないほうが真にせまるだろうと思っていたのだ。

 それに、エランもロザリンドにウルフベリングの王子と王女の関係については秘密にしていたのである。

 それを暗に責めると、彼は肩をすくめた。


「まあ、そうですね。なんとなくそうだとは思っていましたが、昨日のあなたの言葉を聞けばだいたい察するというものですよ。それにしても、演技とは言え、またあなたを放り出して他の女性と楽しく会話しろとは、なかなかに酷なことをおっしゃいますね。」


「…人とお話なさるのはエラン様のお仕事でしょう。」


「仕事にも気が進む物と進まない物がありますよ。それに、あなたがウルフベリングの王女にそのように協力する義理は無いと思うのですが…。」


 頬杖をついて、いかにも不満そうな顔で言うエランに、ロザリンドはしばし逡巡した。

 普段その顔に笑顔ばかり浮かべているエランが、このような顔をロザリンドに見せるのは珍しいことだ。

 彼に、あまり楽しくない仕事を頼んでいる自覚はある。

 もう残りの社交行事は最後の夜会のみなので、露払いの役目をまっとうするだけならば、セレスが働くのを、受動的に受け止めておくだけでも良かったはずである。

 ロザリンドの仕事の内に、ウルフベリングの過激派を捕縛するという内容は含まれていない。


「…そうかもしれませんわ。でもわたくし、心まで冷たい人間にはなりたくありませんの。エラン様にまでそれを強いることは出来ませんけれど…。」


 昔、顔がキツいせいで友達ができないと泣いたロザリンドに、優しい心を手放さなければわかってくれる人がいるわよ、と微笑んでくれた母の顔を思い出す。

 彼女はもう居なくなってしまったが、かわりに母そっくりの少女が、いまではロザリンドの親友だ。

 セレスは他国の王女ではあるが、彼女自身は心根のまっすぐな少女である。

 なんだかんだと文句は言ってはいたが、結局のところ、そんな少女が助けを求めているのを、ロザリンドはどうしても放っておけなかったのだ。

 しかしこの話は国同士の問題にもつながっている。王太子であるエランが否とするのであれば、それ以上を望んではいけないだろう。


 ロザリンドのアメジストの瞳を、金色の瞳がじっと見つめる。

 少しだけ開けられていた窓から風が吹き込み、レースのカーテンが揺れるのにあわせて、金色の視線の後ろで室内にふんわりと影が行き来する。

 その様子を視界のすみに捕らえながら、ロザリンドは金色の瞳を見つめ返した。

 しばしして、赤いまつげが瞬いたかと思うと、金の視線がロザリンドからはずれ、ふう、とため息がエランの口から漏れた。


「わかりましたよ。わたしはたぶん、あなたのそういうところも好きなんですから、仕方ありません。協力しますから、上手く行ったら後で褒めてくださいね。」


「ええ、もちろんですわ。」


 渋々と頷くエランに、ロザリンドが口元をほころばせ、花のように笑う。

 普段、愛を囁く時と違ってエランの顔はまったく甘くないのに、彼の口から漏れる好意を示す言葉が、ロザリンドを幸せな気持ちにした。

 いつもの反発心がわかないことを不思議に思いながらエランの顔を見る。

 この感情であるならば、素直にこれが恋であると認めてもいい。

 やはり彼の顔が、あの余裕な笑顔では無いところが得点が高いのだろうか。


 そうやってまじまじと眺めていたところ、不意に不本意そうだった金色の瞳が、パチリと瞬きをして、またロザリンドを見上げた。

 そしてロザリンドの幸せそうな表情をその瞳に映すと、とろり、と金色が溶けて蜂蜜色になる。

 いつもの甘い笑顔に戻った彼の顔が、やはり好ましく感じて、ロザリンドは驚きで思わず視線を下へ逃した。

 これは一体どうしたことだろうかと内心首をかしげながら、ロザリンドはぎゅっと胸の前で拳を握る。

 その手には、彼の蜂蜜色の瞳を一瞬視界にとらえただけだというのに、すでに少し早い鼓動が伝わってきた。


「では…。明日はわたくし、王女殿下と午前中は遠乗りに参りますので、馬を用意していただけますか?たぶん、私の馬は逃がすことになると思いますけれど…。」


「ええ。馬は自分で城に戻れるから大丈夫でしょう。しかしベリンダはどうするんですか?どうせ彼女もついていきますから、馬三頭になりますよ?」


 動揺をさとられまいと、努めて平静に明日についての相談をしたロザリンドの言葉を聞きながら、下ろした視線のむこうで、エランが体を起こすのが見えた。

 彼はロザリンドの様子を不思議には思わなかったのか、それとも気づかないふりをしてくれたのか、普段どおりの調子で返事をしながら机の引き出しを開けて紙を一枚取り出す。

 そんな彼に指摘された問題に、ロザリンドは扇子を口にあてた。


「まあ、たしかにそうですわね。ベリンダを巻いたりしてはいけないでしょうね。」

「そうですね…。そうするとさすがに彼女に始末書を書かせることになるでしょうね。」


 すっかり忘れていた護衛騎士の存在に、彼女が控えていたほうを振り返ると、ベリンダは自分の名前があがったのをきいて渋い顔をしていた。

 その顔が「始末書は嫌です」と言っている。


「どちらにせよ、彼女と別れるのは安全上の問題で許可できませんね。では、馬が用意できなかったという理由であなたはベリンダと一緒の馬に乗ってはどうですか。」


「そうですわね。そのようにいたします。」


 エランの提案に、ロザリンドが視線を戻して頷くと、彼は何か手元の紙に書き記しはじめた。

 レースのカーテンがまたふわりと揺れて、彼の上を柔らかい影が行き来する。

 シュ、サラスラとエランが握った万年筆が彼の顔によく似合う流麗な文字を紙面に飾る音が、一定のリズムを刻んで静かな室内に響く。その心地よい音を聞きながら、書面を追って伏せられた赤いまつげが筆先が踊るに合わせて揺れるのを、ロザリンドはじっと見つめた。


「遠乗りの目的地は決めておいでなのですか?」


「ええ、マイゼンの丘むこうの林にでも参りますわ。今は小川横がきっと素敵だと思いますもの。」


 書面から顔を上げずに問われたエランの質問に、ロザリンドもそのままの姿勢で答える。

 王宮にほど近い、マイゼンの丘のむこうには、林が広がり、小川が流れている。

 そのあたりは道もなだらかで女性でも馬で進みやすく、万が一の場合にもロザリンドは歩いて帰ってこれる自信があった。


「そうですか。昼食を準備させますので、侍女に取りにいかせてください。」


「あら、ピクニックのようで素敵ですわね。ありがとうございます。」


 夏の日差しが煌めく小川の横で、サンドイッチを食べる光景を思い描き、ロザリンドは礼を述べた。

 今の季節は、少し暑いがまだ木陰は涼しい。そんな陽気の中で、涼しげな小川の音を聞きながら昼食を食べるのは、とても気持ちが良いだろう。

 セレスに行楽に行くつもりかと呆れたのに、自分でも少しその光景に心が弾んでしまうのだから困ったものだ。


「…そうですね。私もご一緒したいところです。」


 ロザリンドの少しウキウキとした声に、それまで書面に視線を落としていたエランが顔を上げて苦笑した。

 それまで想像していた光景の中に、赤い髪の王太子が追加され、ロザリンドは少し頬を染める。


「……そうですわね、そのうち。」


 やや間をおいて答えたロザリンドの言葉に、エランが眉を上げた。

 思わず視線を下ろした先のエランの赤い髪が、さら、とゆれる。


「ベリンダ、君少し席を外さないか?」

「ダメに決まっているでしょう!」


 なんだかソワソワとしたエランの提案は、呆れたような護衛騎士の言葉に却下されたのだった。

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