27 やる気
「御機嫌よう、王女殿下。」
薔薇が咲くような華やかな笑顔でそう挨拶をすれば、セレスは青い顔で後ずさった。
昨日、エランに向けて放った言葉が、彼女をも随分怯えさせてしまっているらしい。
しかし、ロザリンドは昨日までのあれこれで彼女に情けをかけるつもりは無かった。笑顔のまま、扇子を口にあてる。
「わたくし、王女殿下に少しお話がございますの。よければご一緒にお茶でもいかが?」
「え、遠慮いたしますわ。わたくし、これから少し用事がありますの…。」
「まあ、残念。でもほんの少しだけですから。お話だけでもきいてくださる?どうぞこちらにいらっしゃって?」
逃げ腰のセレスの腕をつかんでにっこりと微笑めば、彼女は小さく悲鳴をあげた。
たしかに少しばかり怒ってはいるが、それにしても失礼では無いだろうか。
ベリンダに目で合図をすると、彼女も頷いて、セレスのもう片方の腕をつかんだ。
そしてそのまま、最寄りの部屋に引きずり込む。
そこは、夜会等の時に使われる、休憩室だ。
中にはソファと丸いテーブル、そして奥にベッドが置いてある。
カーテンが窓にかかっており、中はほんのりと青白い薄闇に包まれていた。
バタン、と扉の前に待機したベリンダが扉をとじれば、もうセレスは涙目だった。
「ちょっと、なんであなたがそんなお顔をなさるのよ。というか、人に頼み事をしておいてやる気はあるんですの?」
ドアがしまったのを確認して、窓のカーテンを明り取りに少し開けながら、ロザリンドは微笑みを消し、イライラとしたその内心を隠しもしないでセレスを睨む。
それに、セレスは握った拳を口にあて、威嚇する子犬のような目でこちらを見てくる。
「う、うるさいわね!あなたもご自分のお顔に睨まれてみればよろしいのよ!わたくしだって努力はしたのよ!ただちょっと…その道のプロには敵わないというか…。」
最初だけは勢いがよかったのに、どんどんとしぼんでいって、最後には眉とまつ毛を下げてカーテンをいじりはじめるセレスに、ロザリンドは聞こえよがしにため息をついた。
「もう!ヘタレるにしてももう少し頑張ってくださいませ!あなたね、わたくしにも挟持というものがございますのよ。なんなんですの!勝負を挑んできたと思ったらわたくしが負けようかと思う間もなく音をあげられるし、昨日だって根性をお見せになったと思えば泣きそうなお顔をなさっていらっしゃるし!泣きたいのはこっちですわよ!そんな顔されたら怒るに怒れないでしょう!ドレスを破いたりカエルを部屋に投げ込んだりはまだよろしいけど、人がいる場所じゃないと意味がないんですからね!」
「ちょ、ちょっと待って!カエルはなんだか聞いたような気はするけど、私ドレスはしらないわよ!濡れ衣だわ!」
「そんな…!ということはあなた、一番点数が高かった意地悪に関わっていらっしゃいませんの…!?まったくの落第生じゃない!」
せっかくの手柄さえ投げ出すセレスの言葉に、ロザリンドはクラクラとして壁にもたれる。
本当に、この王女には悪役は向いていない。ベリンダの言う通りである。
初日に、セレスから差し入れられたマフィンには、小さく折られた手紙が入っていた。
そこには、彼女が兄である第二王子との対立を望んでいないこと。しかし血統高い彼女を王として押す、保守派の貴族の中に、どうも過激な者がいるらしいことが書かれていた。
もし、そんな者たちが強硬手段に出れば、アリィシャかロザリンドに危険が及んでしまう。
そのために、自分が衆人の前で嫌がらせをするので、それに怒ってほしい、と書かれていたのである。
セレスが公の場でエランに愛の告白をして、その横にいるロザリンドが邪魔だと言わんばかりに嫌がらせをする。
その状態で、もし過激派がロザリンドを害すれば、真っ先に疑われるのはセレスである。
それではセレスを竜王国に輿入れさせることができないので、過激派は、ロザリンドに手が出しにくくなる。
であれば、逆にセレスに少しばかりの被害を被らせて、ロザリンドが邪魔をしてくる恋敵を害したように見せれば良い。
そうやって自分を狙わせて、過激派をあぶりだした上で捕縛したいので、どうか手伝ってほしい、とマフィンの中の手紙には書いてあったのである。
自分を餌にしてでも国の安定を乱す者を捕まえたいというその心意気をロザリンドは買った。
しかし蓋をあけてみればセレスのする嫌がらせはまったく怒るに怒れないものばかりだった。
さすがのロザリンドも、子供のいたずらくらいの嫌がらせや、あってないような嫌みでは衆人の前で怒れない。
しかも、手助けしてやろうと話題を振るのに、この王女ときたら、昨日は瞳を輝かせてこちらの話題に食いついてきたのである。
どこからどう見ても友情が深まっているようにしか見えないではないか。
もう少しやる気を出して嫌がらせをしてほしかった。
ジュースをこぼした時はようやくやったか、と思えば、ごめんなさい、とでもいわんばかりの瞳で見つめてきてロザリンドは違う意味でその場で怒りそうになった。
「まあ…ドレスについてはわたくしも怪しいとは思っておりましたの。でも意地悪らしいものがあれくらいしか無かったのですもの。つい一縷の望みをかけてしまいましたわ…。」
「ご、ご希望にお答えできなくて残念だわ…。でもどうして怪しいとお思いになったの?やはり素人とプロの仕事の違いっておわかりになるものなの?」
なんとか精神的ダメージを克服して、壁から身体を離したロザリンドに、セレスが首をかしげる。
先ほどからプロとは一体なんなのだろうか。
「…破れたドレスが見つかったのは二日目の朝でしたのよ。侍女に聞いたらドレスが破られるような隙があったのは前日の晩餐会中だったという話だったのですもの。あなたあの晩餐会最後までハウンズ公爵に捕まっておいでだったでしょう。」
「そうなのよ。嫌になってしまうわ。長い説教は老化の始まりだと言ったら更に長引いちゃって…」
「…まあ…それで。それにも関わらずドレスにはあなたの髪の毛らしきものがついていましたの。わたくしがその証拠を持ってドレスを破いたのがあなただと騒いだらどうなると思いますの?」
「どうなるの?」
ロザリンドの問いに、セレスは銀の瞳を輝かせて続きを促してきた。
なんだか、寝床で物語を親にねだる子供のような顔である。
この王女、自分が当事者だということを忘れているんじゃないでしょうね…と思わず文句が出そうになったが、話が長引きそうなので、ロザリンドはその言葉を飲み込んだ。
セドリムの苦労が伺い知れるというものである。
「あなたが晩餐会中、そこにいらっしゃったことは皆ご存知なのですもの。すぐに冤罪だとしれますわ。そうしたらわたくし、王女殿下相手に罪を偽装したと疑われて、悪くて投獄、良くても日程中の行事に出席できなくなっておりましたわ。そうなったらもう敵がわたくしを排除する必要はなくなってしまうのですもの。あなたの目的にそぐわないでしょう?」
「まあ、本当だわ!危なかったですわね!」
「…そうですわね、あぶなかったですわね。わたくしあなたが手紙で嘘をついたか、考えが至らなかったのか、敵の仕業なのかと思って、どちらにせよ危なっかしい証拠の髪の毛は捨てたのだけれど…。そう、敵の仕業でしたのね。はあ…。」
感心したように頷いたセレスに、ロザリンドは眉間を抑えてため息をつく。
この王女相手に、一瞬でも策略を疑ってしまった自分の浅慮を思って。
プロと素人とは言わないが、今思えばあのドレスの一件は陰険さが他のそれとは違っていた。
最初の出だしが大変陰険だったので、レベルの高いやり取りを期待してしまったことは反省しよう。
もう少し、初心者向けにロザリンドも対応するべきだったのだ。
「とはいえ、夜会であなたがドレスの話題を振ってくだされば上手くいくかなと思っておりましたのよ。でもマフィンのお話しかなさらないのですもの。しかもまさか勝負で妨害工作もなさらずに、あんなにあっさりお負けになるなんて…。」
「悪かったわよ…。でも安心して。私もう少し頑張ることにするわ。で、参考までにプロにききたいのだけれど、どういった嫌がらせをしたら良いと思うかしら?」
「先ほどから気になっていたのだけれど、そのプロってわたくしのことですの!?人聞きの悪いことおっしゃらないで!わたくし、人に嫌がらせなんてしたことございませんわよ!」
ようやく腹を決めたのか、さきほどまで涙目だった銀色の瞳をきらりとまたたかせて、セレスが居住まいを正して質問してくる。
どうやらやる気はあるようだが、大変内容が聞き捨てならない。
「そ、そうなの?ごめんなさい。お顔が少し怖いからてっきり…。」
「あなたね、顔で人のこと言えると思っていらっしゃるの?」
たしかに、ロザリンドは少々意地悪そうな見た目をしているが、セレスだって黙って立っていれば大変冷たそうな見た目である。
ちゃんと真面目にやれば、随分と意地悪が様になるだろうに、まったく素材がもったいない。
「まあ…そうね。見た目に関しては私もたしかにいい線いってるのよ。でも内容がね…。勉強不足で申し訳ないわ。」
「もう…。そうですわね…。たとえばあなたは身分が高いのだから、それを傘に来て高笑ってやるとか、スープに虫を入れて悲鳴をあげさせたところで無作法を笑ってやるとか…。」
「ひどい…!!!恐ろしいことを考えるわね…!さすがだわ…!!さすが本職ね…!」
「だから違うと言っているでしょう!?わたくしがやったことはありませんわよ。少女小説からの受け売りですわ!」
ロザリンドが上げた意地悪の例に、セレスが震えながらも感嘆の声をあげる。
褒めてくれているようなのだが、まったくもって嬉しくない。
どうも彼女は何かを誤解している節がある。
「わたくしがやるんじゃありませんのよ?あなたがおやりになるのよ?昨日だって、わたくしが気をまわしたからなんとかなったようなものなんですからね。わかっていらっしゃるの…!わたくし、おかげでものすごく恐ろしい思いをいたしましたわ。」
嫌がらせでは無いが、ロザリンドは、エランの横で楽しそうにしゃべるセレスを見て、これは使える、とエランの不実を攻めて見せたのだ。
本来であれば、セレスにももう少しがんばってエランにくっついておいてほしかった。青い顔をして離れるとかこの王女は本当にやる気があるのだろうか。
とは言え、なんとか体裁はたもったので、ロザリンドがこの後セレスに何かを仕掛けても不思議ではない空気だろう。
我ながらよくやったとロザリンドは思う。
しかしその代償に昨日のエランが背負っていた、冷ややかな空気を思い出すと、体がぶるりと震える。
若干、八つ当たりなことは認めざるをえないが、元をたどればセレスのせいだと言えなくもない。
彼女があの後もがんばってエランをその場にとどめ置いていればあんなことにはならなかったのだ。
そんなロザリンドの様子を見て、セレスが青い顔をする。
「まさか何かまた被害でもあったの?ご、ごめんなさい…。」
「あなたが考えていらっしゃる被害ではないけれど…まあ、とにかく反省してちょうだい。」
本当に申し訳なさそうに肩を落とすセレスに、ロザリンドは毒気を抜かれてため息をついた。
まあとにかく、上手く行っているのかいないのかはわからないが、今の所ロザリンドの被害は新品のドレスニ枚と、少々、カエルとエランに取り乱してしまった事以外の被害を被ってはいない。
それはアリィシャも同じで、彼女はいつもどおり、のほほん、とした顔で暮らしている。
一応、セレスがエランの横に座ろうと努力していることに満足して、ドレスの一件以降は過激派も大人しくしているのかもしれない。
「反省はずっとしているのよ。でももう日程的に、あとは最後の夜会くらいでしょう?どうしようかと思っていたの。」
「まあ、たしかにそうですわね。最後の夜会で何かやってもあまり意味がないでしょうしねえ…。」
ウルフベリングの使節団が帰国するまではあと今日を含めて四日間だ。
三日後の夜に最終の夜会があり、四日目の朝にはセレスたちは出立する。
それまでの二日間は、使節団の文官や武官たちは各々視察に行ったり、竜王国との交渉の席についていたりして、それぞれ忙しい。
園遊会をすぎると、もうあまり人目が集まるような行事は無かった。
「そうだわ。ロザリンド様は乗馬はお出来になるの?」
「ええ、まあ。人並みには嗜みますわよ。」
ぱっと顔をあげて聞いてきたセレスに、ロザリンドは頷く。
早駆け競争などはできないが、一応遠乗りくらいであればロザリンドもすることがある。
故郷のウェジントン侯爵領は自然が豊かなので、昔はよく兄と馬ででかけたものだ。
「では、明日一緒に遠乗りにでかけませんこと?」
「…行楽にでもいらっしゃるの?」
なんだかピクニックにでも行くような気軽さで言ってくるセレスに、ロザリンドは首をかしげる。
せっかく仲違いしたところなのに、この王女は何を言っているのだろうか。
「ちがいますわよ。私、思うのだけれどあまり派手な嫌がらせはやはり両国の友好に影を落としかねないでしょう?だから、昨日ロザリンド様がしてくださった方向性はいいと思いますの。明日、私と遠乗りをする予定の後にでも、エラン様を仲直りの名目などで、お庭かどこかにお茶にでも誘ってくださいませ。私がロザリンド様の馬を逃してあなたをお一人残して帰って、かわりにエラン様とお茶をご一緒しますわ。」
「……。」
セレスの提案に、ロザリンドはあからさまに顔をしかめた。
それを見てセレスは慌てたように補足する。
「だ、大丈夫ですわ。演技ですもの!で、でもやっぱりエラン様の横に私なんかがいるのはロザリンド様には不愉快かしら…。」
「いえ、違いますわ。やるならエラン様にもご協力をお願いしないと、あなたが泣くはめになると思っただけですわよ。ついでに私もまた恐ろしい目にあいそうですわ。」
昨日のエランを思い出して、ロザリンドは眉の間をおさえる。
何もいわないで実行したら、まず間違いなくセレスはあのエランの怒気にあてられることになるだろう。
それにこの王女が耐えられるとはとても思えなかった。
「まあ、仲がよろしいのね…。」
「…まあ、そうとも言えるかもしれませんわね。」
しかし露払いが仕事なのに、これ以上セレスとエランの仲を取り持つような真似をしていいのだろうか。
一応、これはエランにお伺いをたてるべきだろう。
どちらにしろ今回こそは相談しないと王女の身が危ない。
「わかりましたわ。一応、エラン様にお伺いを立ててみますわ。もし許可をいただけたら、お知らせいたしますわね。」
「まあ、エラン様のところへいらっしゃるの?私もついていっても良いかしら?」
ため息をついて同意したロザリンドに、セレスが気持ち身を乗り出して聞いてきた。
なんだかんだ言って、この王女はエランのことが好きなようだ。
二ヶ月くらい前の自分なら全力で応援しただろうに、やはりどうにも道を間違えた気がする。
いや、しかしどちらにせよ外交上の問題があるのであればエランは頷かなかったのかもしれないが。
「だめに決まっているでしょう。誰に見られるかもわからないのに。」
「そ、そうよね…。」
連れて行ってあげたい気もするが、どこで誰に見られているかわからない。
ロザリンドとセレスが仲良くエランのところになんか行ったら、それこそ怪しんでくれと言っているようなものだ。
しょぼん、とするセレスにもう一度ため息をついてロザリンドは扉へ向かった。
「とりあえず、お部屋にご案内いたしますわ。グレイン子爵にお約束したのですもの。」
「ありがとう。でも大丈夫よ。私一人で帰れるもの。」
「あら、その間にあなたに何かあったらわたくしが子爵に怒られてしまいますわ。でも少し離れて歩いてくださいませね。仲がよいなんて思われてはいけませんもの。」
「そ、そうね。じゃあお願いするわ。」
素直に頷いたセレスを確認して、ロザリンドは扉を開ける。
薄暗かった室内から、夏の日差しの中に入ると、随分と眩しく感じる。
話が終わったのかと視線できいてくるベリンダに頷くと、ベリンダはちらっと室内にいるセレスに目を向けてから、ロザリンドの後に付き従った。