26 機嫌
園遊会が無事に終わった翌日。
クライムは、少し落ち着いた忙しさに安堵しながら、王宮の廊下を歩いていた。
それもこれも、随分とルミールが活躍してくれたおかげである。
彼は昨日、仕事が終わったあとかなり不機嫌そうだったが、お礼に夕食に上等な肉を頼んでおくと言ったところ、ご機嫌になっていた。
「お兄様は美味しいものを食べさせておけば大丈夫よ」とアドバイスしてくれたアリィシャに感謝である。
このまま行けば、無事にエランが望んだ成果を達成できそうだ。
一時はどうなることかと思ったが、やり遂げることが出来そうでよかった。
そんな気持ちで、昨日園遊会で賑わっていた中庭を廊下から見下ろした。
すでに会場の飾り付けがきちんと片付けられた庭は、昨日の喧騒が嘘のように静まっていて、今は花々が夏の暑さを和らげる涼風に吹かれて揺れている。
クライムは参加できなかったが、昨日の園遊会の会場はなかなかに見事な出来だった。
訪れた客やウルフベリングの人々も、皆一様に喜んでくれたようでなによりである。
そんなことを考えながら眺めていた庭のはしに、何かが光ったような気がしてクライムは足を止めた。
不思議に思ってその光の出処に目をむければ、そこにはウルフベリングの王女が、青銀色の髪を夏の日差しに煌めかせて、庭の横に設えられたベンチに腰を下ろしていた。
やはり、今日も彼女の横には護衛や側使えの者が居ない。
~また一人で抜け出してきたのか。
クライムは呆れながらも、ポケットごしに、先日彼女から押し付けられたピアスをさわる。
ここ最近、忙しくて彼女と言葉を交わせていなかった。
丁度良いので、忠告ついでにお返ししよう。
衆人の目があるような場所よりは、人目が少ない場所のほうが彼女のためにもいいはずだ。
自分の考えに頷いて、仕事が一段落しそうだったこともあり、クライムはそのまま足を中庭へ向けた。
「セレス殿下、またお一人でいらっしゃるのですか。」
後ろからかけたクライムの声に、セレスは少し驚いたように飛び跳ねてから、こちらを振り返った。
その顔を見て、クライムはおや、と思う。
「なんだか、お元気がありませんね。なにかございましたか?」
先日、夜の散歩をした時にはキラキラと輝いていた彼女の銀色の瞳が、今は曇天のように曇っているのである。
きりりとあがっていた眉も、いまはなんだか心もとなげに下がっていた。
一体どうしたのかと心配したクライムの言葉に、セレスは銀のまつ毛を伏せる。
「いえ…ありがとう。少し考え事をしていただけなんですの。」
そう言ってまた、顔を正面に戻すセレスの視線を追うように、クライムは彼女が座るベンチの前まで来た。
瞳を伏せて、しょんぼりとしているセレスの様子は、どうも子供が親に怒られた様子に似ている。
そんな彼女を見下ろして、ピアスを返すのはまた次の機会にしようか、とクライムが思案していた時、セレスがふう、とため息をついた。
「人を傷つけるのって、いい気分では無いわ…。こんなことが好きな人とは私、一生わかりあえない。」
つぶやくようにそう言った言葉は、たぶん、クライムに向けられたものではなかっただろう。
いつもの気取った口調とは違うその素直な言葉に、クライムは灰色の瞳を瞬かせる。
「そう思われるのは、あなたがお優しいからですよ。変わる必要はないように思いますが。」
答える必要は無かったのかもしれないが、セレスのまっすぐな性格は彼女の美点だ。
まあ何かと難はあるかもしれないが、かといって、人の痛みを感じない人間になる必要はない。
セレスの顔は黙っていると氷のように冷たいが、その顔に咲く笑顔は、ひだまりに咲いた花のように可憐で温かいものなのだ。
彼女には、あのキラキラとした笑顔がよく似合う。
すっかりと萎れてしまっている彼女を元気づけたくて、つい、言葉をかけたクライムを、セレスがのっそりとした動きで見上げてくる。
「…でも、おかげで私、今回は随分と失敗続きなのよ…。」
王族である彼女は、きっとまっすぐなだけでは何かと不都合が多いのだろう。
今回の使節団の日程は順調にすぎており、今の所は特に両国の友好に影を落とすような大きな事態は起こっていないようには思っていたが、彼女にはそうでは無いようである。
ロザリンドが許したために不問となっていたが、昨日彼女にジュースをこぼしてしまったことでも気にしているのだろうか。もしかしたら王位継承権のゴタゴタで、何か動きがあったのかもしれない。
クライムは、少し考えながらその懐をさぐった。
「セレス殿下のようなお立場ですと、なにかと心を痛められることが多いかとは思いますが…。殿下がそのお優しい心に従って行動したのなら、たとえ途中で誰かを傷つけても、その先にきっと良い未来がありますよ。安い言葉かもしれませんが、失敗は次にいかされてはいかがでしょうか。」
目的のものを胸ポケットから取り出し、彼女の前に差し出す。
それは昨日、ルミールにもらった飴玉だった。
自分にと頂いたものではあるが、この少女がそれで元気づけられるなら、友人も許してくれるに違いない。
セレスは幾分か輝きを取り戻した瞳でクライムの手の中を覗き込むと、少し頬をそめてそれを受け取った。
「あ、ありがとう…。」
少しだけ、さきほどの悲しげな声とは違う声色でお礼をいったセレスは、白い手の中の飴玉をまじまじと見た後、その包み紙をひらいて中に入っていた飴玉を躊躇せずに口に放り込んだ。
その味に、彼女の瞳と頬がほわ、と色づくのを見て、クライムはこっそりと苦笑する。
~機嫌の悪い子供には甘い物が良いとは言うが…。
飴をくれた友人の顔と、セレスの顔を重ねてすこし可笑しくなる。
二人共もう子供という歳でも無いだろうに、ついそんなことを考えてしまうくらいには邪気が無い。
「王女殿下が他人にもらった物を気安くお口に入れてよろしいのですか?」
自分で渡したくせに、笑いをこらえながらついそんなことを言ってしまったクライムを見上げて、飴を口の中でころがしながら、セレスは首をかしげる。
「問題ないわよ。毒が入っていたら匂いでわかるもの。私、特に鼻が良いの。」
「それはすごいですね。ウルフベリングの方は皆そうなのですか?」
たしかに、ウルフベリングの、特に王族に近い貴族たちはフェンリルの血を色濃く残しており、鼻が良いとはきいている。
しかし食べ物にまじった悪意の匂いまで嗅ぎ分けられるとはたいしたものだな、と感心するクライムに、セレスは少し得意げに胸をはる。
「そんなことないわ。私が、特に!いいのよ。」
「なるほど、さすが王女殿下ですね。」
王族の、特に血が濃いセレスだからこその技なのだと理解して称賛するクライムに、セレスはにっこりと微笑んで頷く。
どうやら随分と元気が戻ってきたようである。
飴玉の効果はすごいものだな、とそちらにも感心しながら、クライムはポケットの中からハンカチを取り出した。
「セレス殿下、飴玉を受け取ったついでに、こちらも受け取っていただけませんか。先日の話の続きを白状しますので。」
ハンカチをひらいて、中のピアスを見せながら言うクライムに、セレスは片眉をあげる。
しかし口は飴を舐めるのにいそがしいのか、視線だけで先を促してきた。
「先日も申しました通り、竜王国では、夏の暑い時期になりますと、高原などの涼しい場所に社交の場を移すのです。その際、女性が男性に、ご自分が身につけていた小物を渡すのは、『身軽になった私を捕まえてください。』という意味です。」
にっこりと、よそ行きの笑顔で微笑んで説明するクライムを、セレスは少し首をかしげて、じっと銀色の瞳で見上げてきた。
そして、またあのキラキラとした瞳を細めて、にや、と悪戯っぽく笑う。
「だめですわね。まだ隠していらっしゃることがあるでしょう。それでは受け取れませんわ。」
気取った口調に戻ったセレスの鋭い指摘に、ぐ、とクライムはつまる。
こんな内容では話すのを渋らないだろう、とセレスは踏んだらしい。
まったくもってそのとおりなのだが、勘弁してほしい。
「ふふ、また持っていらして。チャンスは一日一回きりですわ。」
「それは少々、横暴なのでは…。」
「あら!隠し事をなさるのがいけないのではなくって?」
クライムが眉を下げて抗議すると、セレスは楽しそうに微笑みながら立ち上がった。
彼女の青銀の髪が、それを追うように楽しげにはずんで、夏の光を照り返す。
その輝きと、彼女の顔に再び咲いた笑顔に、クライムは目をすがめる。
「クライム様、どうもありがとう。わたくし、随分と元気が出ましたわ。沈んでいてもはじまりませんものね。」
「ええ、お役に立てたのでしたらなによりですが…。」
感謝するならついでにピアスも回収してほしい。
そう視線で訴えるクライムに、セレスはにっこりと笑ってそれを拒否した。
仕方がなく、またピアスをハンカチにつつんでポケットに戻す。
しかし一体どのようにこの少女にこれを受け取ってもらえばよいのだろうか。
正直、紳士として、このように大切に育てられた王女様相手に、あまり下世話な話をしたくない。
後でエランかルミールにでも相談するか…。とため息をつきながら、クライムは他にも彼女に言うべきことがあったことを思い出した。
「セレス殿下、先日も申し上げましたが、王宮内とは言え、お一人で出歩くのはお控えください。何かあっては困ります。」
「そうね…。それは申し訳なく思うわ。」
わかっているのか、いないのかわからない返事をして、したり顔で頷くセレスに、クライムは嘆息する。
「もしやまた迷われたのですか?案内が必要でしたら近衛をつけますが…。」
「まあ、クライム様はついてきてくださいませんの?」
「ええ、私は本日は今少し、仕事がありますので…。」
「そうですの…。」
しょぼん、と残念そうな様子も隠しもしないセレスに、クライムは少し困ってしまった。
どうやら、随分と懐かれたらしい。
なんだか捨てられた子犬を置いていく気分だな、とそんなことを考えていると、クライムの後ろから、鈴を鳴らすような声がした。
「グレイン子爵、王女殿下をご案内するお役目、わたくしが引き受けますわよ。」
振り向くと、そこにはにっこりと優しげな微笑みを浮かべているロザリンドがベリンダをつれて立っていた。
「これは。そうしていただけると助かります。」
ロザリンドとベリンダであれば、王女を任せても問題はない。
そう思ってほっと胸をなでおろすクライムの横で、ガリッと飴玉を噛み割る音が聞こえる。
「く、クライム様…。」
つん、とそでを引かれて見下ろせば、少し涙目な銀色の瞳がこちらを見上げている。
その顔に少し驚いたクライムは、彼女を安心させようと灰色の瞳を細めて微笑んだ。
「大丈夫ですよセレス殿下。ロザリンド嬢は大変お優しい方ですので。」
「優しい…!?」
驚いたように手を離して、一歩後ずさったセレスに、笑顔のまま会釈をすると、クライムはロザリンドにどうぞよろしくおねがいします、と頭を下げてその場を後にした。
まだクライムには、仕事が残っている。その仕事の先に、彼女の笑顔は咲いているのだろうか、とそんなことを考えながら歩をすすめる。
ロザリンドは少々、顔のせいで誤解されがちだが、大変優しい令嬢だということはクライムはよく知っている。
だから大丈夫だろう、と考えたのである。
ロザリンドへの信頼感も手伝って、振り向くことはなかったので、仕事の先の前に、まさに今後ろで、セレスが親とはぐれた子犬のような顔でクライムを見送っていたことには気づかなかった。