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21 なか日

「姫、やる気あるんですか…?」


「あるわよ!あるから今こんなことになっているんでしょう!!」


 ウルフベリングの使節団が竜王国を訪れてから三日目。

 セレスは割り当てられた大きく豪華な客室のベッドの中で、呆れたように告げられた侍女の言葉に枕を叩いて反論した。

 昨日の夜会で、ロザリンドに勝負を持ちかけて、6曲も踊ったところで、ふらっふらになって退出したのだが、そのための筋肉痛で、セレスは今日、ベッドから出ることができなかった。

 今日も窓の外では夏の日差しがさんさんと降り注いでおり、散歩にでもでかけたいお日柄であるのに、体を動かすとなんだか軋むような痛みがある。

 今日は、竜王国との社交行事が無いため、一日部屋にこもっていても問題ないことは幸いではあったが、そうでなかったら危うくセレスはその仕事を休むことになっていただろう。

 本当は、この国の市場を視察にいくと言っていた文官たちについていこうと思っていたのに、一人でお留守番するはめになったのも大変口惜しい。


「信じられない…信じられないわあの女…。なんなの…どこにあんな体力があるのよ…。実は軍人なんじゃないの…?」


 昨日最後に見たロザリンドは、すました顔でほとんど疲れた様子は無かった。

 その上で、息も絶え絶えにギブアップしたセレスに「まあ口ほどにもありませんこと」と言って鼻で笑ってくれたのである。

 その様子は、どこからどう見ても少女小説に出てくる意地悪なご令嬢のそれだった。


「おかしいわ、私が意地悪しているんじゃなかったのかしら?もしかしてあっちが本職なの?プロなの?」


 昨日のロザリンドの余裕な顔を思い出し、顔に青筋をたてて手をぷるぷるさせるセレスに、侍女は湿布を張る手を止めて深い溜息をつく。


「というか姫、思うのですが、勝負を挑むだけでは意地悪にはなりませんよ。何正々堂々と戦おうとしているんですか。もっとこう…あるでしょう、ねちっこいかんじの。」


「うるさいわね!私は素人なのよ!あんな歴戦の戦士と比べないでちょうだい!」


「残念ですね…顔だけはそれっぽいのに…。」


 チラ、とセレスの顔に半眼の視線をよこしてから体に湿布を貼る作業に戻る侍女に、反論する気力も無くセレスは黙る。

 できれば、ロザリンドがぎゃふんというような意地悪をしてやりたいところなのだが、いかんせん温室育ちのセレスには難しい問題だった。

 たしかに、意地悪そうな顔だけだったら負けていない。

 セレスは涼しげな美人であるが故に、大抵初対面の相手には冷たそうだと敬遠されるのだ。

 そしてしゃべったらしゃべったで残念そうにされるのである。

 一応、社交の場などでは顔のイメージを崩さないよう注意して振る舞っているし、お偉方へのご機嫌伺いなども台本を読み上げるようなものなので問題ない。

 しかしいざ歓談、となるとついつい地が出てしまうのはいかんともしがたい。


「勉強不足だったわね…。私、ハッピーエンドのお話が好きなのよ。ドロドロした恋物語を横に避けていたのが災いしたわ。」


「ええまあ…。姫がまっすぐ育ってくださったのは私達としても嬉しいところではあるのですが…。」


 意地悪に精通したお姫様なんて目も当てられないものである。

 その怜悧な美貌に反して、素直にまっすぐ育ってくれたセレスは、侍女にとっては自慢の姫だった。

 しかし、今現在の状況ではそれが随分と災いしている。

 本来であれば、大事な姫にこんな役目をさせたくは無いのだが、本人がやるというのだから仕方がない。

 仕方がないのだが、やるならやるでもう少し頑張ってもらわないとどうにもならない。


「そもそも、やはりセドリム様の言う通り、おやめになったほうがよろしいのでは?他にも機会はあるのでしょうから、あんなにおっかないのに挑戦しなくても良くないですか…?」


「だって…ドミヌク伯爵がすごくおすすめしてくるんだもの…。仕方ないじゃない。ウルベルト様は恐ろしすぎるからエラン様にしておいたのに、詐欺だわ。昨日は私、ロザリンド様よりエラン様のほうが恐ろしかったもの。」


 国を出る前に、竜王国の王子二人は婚約者がまだおらず、嫁ぎ先として理想だとにこやかにおすすめしてきていた伯爵の顔を思い出したセレスは、うんざりとした様子で重い溜息をつく。

 婚約者が居なければ大丈夫かと思っていたのに、どちらにも恋人がいるなんて聞いていない。その仲睦まじい様子に、焦って思わずあんな告白をしてしまったのは、セレスのせいばかりでは無いと主張したかった。


 最初、セレスは伯爵一押しのウルベルトに声をかけようと思ったのだが、先の戦での彼の鬼のような活躍を耳にしていたために、ウルベルトの強面もあって、怖気づいたのである。

 というか、匂いからして殺気に満ちていた。まだ17の少女を前にしてにじませる殺気では無いだろうと思うのだが、それだけあの恋人が大事なのだろう。

 まあ、連れてきた武官が横の少女のことを随分気に入っていた様子だったので、正しくはセレスに向けられた殺気ではなかったのかもしれない。しかしあんな妖精のような少女であれば、そんなことはよくあることだろうに。


 ともあれ、今思えばウルベルトの横に居た少女はまだ幾分か打たれ弱そうだった。

 だからこそ排除しようとした時にウルベルトに視線だけで射殺されそうで嫌だったのだが、今にしてみれば失策だったように思う。

 おっかないウルベルトと妖精のような少女か、おっかないエランとおっかないロザリンドなら断然前者のほうが勝ち目がありそうなものだったのに。


 だけど。


「…彼からいい匂いがしたんだもの…。」


 小さくそうつぶやいて、初日の晩餐会で、かすかに香った香りを思い出し、セレスは頬が熱くなるのを感じてまくらにその顔を埋めた。

 優しくて、清廉な香りだった。

 いままで好ましい匂いがすると思った者はこの侍女を含めてたくさんいたが、そのどれとも違う心を高揚させる香り。

 それをかいだらつい、エランのほうへ体が向いていたのである。

 もうこれは半分本能だ。致し方ない。


「ドミヌク伯といえば、あの情報は本当なんですかね?」


 セレスのつぶやきは聞こえなかったのか、それとも聞かなかったことにしたのか、侍女がそんなことを言いながら眉を寄せる。

 それに枕から顔をあげず、セレスは答える。


「知らないわよ!それを調べるのはあなたの仕事でしょうエリス!」


「ええ、まあそうなのですけど…。」


 侍女…エリスは貼り終わった湿布を片付けながら、先日ロザリンドの部屋で見たエランを思い出して嘆息した。


「もう絶対バレてるんですもの…。ちょっと私、動きづらくて…。」


 憂鬱そうに告げられた言葉に、セレスは驚いたように顔をあげて、エリスを見上げた。


「そうなの?じゃあなんで何も言われ無いのかしら?」


「まあ、ロザリンド様には害を加えないとわかっているのかもしれないですね。私やっぱりあの方怖いです…。」


 ロザリンドの部屋で仕事をしていたエリスに、エランは笑顔で「見ない顔だね」と言ったのだ。

 まさか王宮の侍女全員の顔など覚えていないだろうと思っていたのだが、その時の笑顔は冷え冷えとしたもので、エリスは思わず一歩後ろにひいてしまった。

 随分と周到に準備をして潜り込んだのにもかかわらず、一目で見破られてしまったというのが恐ろしい。

 眉をよせるエリスを、同じ顔のセレスが見上げる。

 顔を見合わせ、二人でため息をついた。


 そこに、扉のノックの音が響く。

 顔を見合わせていたまま、セレスがエリスに頷くと、エリスはひょい、と軽い動きで天井裏に消えていった。それを確認してから、「どうぞ」と扉に声をかける。

 ガチャリ、と扉が開くと、そのむこうからは何かを手に抱えた紫銀色の髪の毛の青年が入ってきた。


「王女殿下、具合はいかがですか?」


「見ての通りよ。あなたはよく平気ねセドリム。」


 よそ行きの口調で言うセドリムに、ベッドから動けないまま胡乱な瞳だけ向けて答えると、彼は呆れたような顔をして護衛と一緒に入ってきた。

 そしてぐるり、と髪の毛と同じ銀の混じったフローライトの瞳で部屋を見渡して、顔をしかめる。


「侍女たちはどうしたんだ。」


「静かにしていたいから下がっていてもらってるの。隣の部屋にいるわよ。」


 ぷん、とそっぽをむくと、彼のため息をつく音が聞こえてくる。


「危ないから常に一人はおいておいてくれ。ここはウルフベリングじゃないんだから…。」


 そう言いながら、隣の侍女の部屋にセドリムが声をかけると、いつもの馴染みの侍女が一人、顔を出した。


「まあ、もうよろしいんですかセレス様?」


「ええ、もういいわシンフォット。うるさいのが来たんだもの。」


 うんざりとした口調でいいながら、視線をよこすと、シンフォットはうんうん、と頷いて足早にセレスの横へやってきた。そして、体に張られた湿布を確認して、またうんうん、と頷いてからセドリムが持った物に目を止める。


「あら、果物ですわねハウンズ公爵様。」


「ああ、王女殿下が動けないときいてもらってきたんだ。食べさせてやってくれ。」


「はい、かしこまりました。」


 セドリムが持っていた銀盆の上にのった、竜王国の果物を物珍しげにうんうんと頷きながら覗き込んでいたシンフォットは、にっこり、と笑ってそれを受け取りさっそく一つを剥くために侍女たちの控室のほうへ道具を取りに戻った。


「セドリム、あなた今日は視察についていくんじゃなかったの?」


「ああ、これから騎士団のほうを見学させてもらう。その前に貴方の様子を見ておこうと思って。カミルに報告しないといけないし。」


 シンフォットに銀盆を渡して身軽になったセドリムが、セレスのベッド横におかれた椅子に腰をかける。

 それを見ながら、不穏な言葉にセレスは眉を潜めた。


「…お兄様に?まさか毎日報告しているの?」


「ええ、初日から全部ご報告申し上げておりますよ王女殿下。」


 にっこりと、よそ行きの表情と口調で言ったセドリムに、セレスはボスン、とまくらに顔を埋めた。


「私帰りたくないわ…。エラン様と結婚してここに残る…。」


「できるならな!貴方のせいで俺まで帰ったらお怒りをもらうことは確定だぞ!」


「そう思うなら内緒にしておいてよ!!なんで素直に報告してしまうのよ!!」


 涙目で顔をあげたセレスに、セドリムは長い溜息をはいた。


「嘘を報告したらそれはそれでやばいだろ…。もう、大人しくしておいてくれよ。顔どおりの気取った感じですごしといてくれればいいんだから…。」


「仕方がありませんわ。恋ってどこで落ちるものなのかわからないのですもの。」


 ツン、とセドリムのお望みどおりに気取ってみせれば、胡乱な目で見返された。

 彼は兄からセレスのことを随分口うるさく頼まれているらしく、まあ少し、かわいそうだと思わなくもない。


「あんな怖いののどこがいいのか俺にはわからないな。だいたいロザリンド嬢は貴方よりお姫様してるじゃないか?どう見積もっても勝ち目が無いと思うけど…。」


「失礼ね!!どういう意味よ!!この無礼者!!」


「え、そのままの意味だけど。まったくロランジュ様とカミルがよってたかって貴方を甘やかすからこういうことになるんだ…。」


 自分の王女への無作法は棚にあげて、うなるセドリムに頬を膨らませていたセレスは、彼が口にした名前にその動きを止めた。

 それを見てセドリムが、まずい、といった表情で眉を上げる。


「果物きれましたよ~。…あらやだ。公爵様、あまりセレス様をいじめないでくださいませ。」


「別に虐めていたわけでは…悪かった。悪かったよ。そんな顔するなよ。」


 皿に綺麗に切れた果物をもって、上機嫌で入室してきたシンフォットが、セレスの顔を見てセドリムをにらんだ。

 それを困り果てた顔で見返してから、セドリムはぽんぽん、とセレスの肩をたたく。


「うう、ロランジュお兄様…。」


 今は亡き一番上の兄の名前を呼んで、セレスはまくらに顔を埋める。

 彼が生きていれば、セレスは今ここには居なかったはずだ。本当は、すごく心細い。

 三年前、彼が物言わぬ帰宅をした時の、自分の足元がすっぽりと抜け落ちて、急に落下していくような感覚を思い出し、セレスは震える。

 よく笑い、美しかった兄の見つめる先はいつでも光に満ちていて、彼が居なくなるなんて想像もしなかった。それまで気兼ねなく足を運んでいたカミルの元へもなかなか向かうことができなくなり、自分が生きていた世界は、守られていたものだったと知ったのだ。

 昔は毎日顔を合わせていたカミルは、もうここ最近は一週間に一度、顔を合わすかどうかである。その分会えば口うるさく心配してくるが、昔のように、一緒に過ごしてくれたりはせず、すぐに王宮の奥へ消えてしまう。

 ロランジュが生きていた頃は、血筋なんて言葉は気にしたことも無かったのに。最初はまるで、兄を二人同時に失ったように感じたものだ。


「セレス様、ロランジュ殿下はアースアーズから見守っていらっしゃいますよ。妹君がそのように泣いていらっしゃってはご安心できませんよ。ほら、果物美味しいですよ。よく熟れてます。」


 優しく頭を撫でるシンフォットの手に顔を上げると、彼女はむいた果物をずずい、と目の前に持ってきた。

 一口大に切られた、みずみずしく薄桃色の果実をそのまま口に入れると、口の中に果汁と共に、優しい甘さが広がる。

 やわらかいその果実は、ほどけるように口の中に甘さを残して溶けた。


「美味しい…。」


「それはようございました。たくさんお食べください。ほら、ハウンズ公爵様。そろそろお時間なのではないですか?セレス様はわたくしにまかせてくださいませ。」


 うんうん、と嬉しそうに頷きながら、もう一切れセレスに果物を差し出して、シンフォットはセドリムに退室を勧める。

 それにため息をついてセドリムが立つと、じろり、とセレスが彼をにらんだ。


「いまのことも報告しておきなさいよ。」


「…これは非公式だからいいだろ。」


 果物のおかげで随分元気を取り戻したらしいセレスを見下ろして、気持ちほっとしたような表情のセドリムが、肩をすくめてそのまま退室していく。

 筋肉痛であまり動けないセレスは、それを見送りながら少しだけ身を起こして次は自ら果物に手をのばした。


「これ、美味しいわね。持って帰りたいわ。」


「カミル様にお願いして仕入れていただいたら良いのでは無いですか?夏が旬の果物のようですよ。」


 その様子を、うんうんと嬉しそうに見守るシンフォットの後ろで、エリスが音も無く天井から降りてくる。

 そして足早に皿の上の果物に近づくと、一切れを手にとって口に放り込んだ。


「本当!瑞々しくてこの時期には嬉しいですね!」


 セレスと同じく、瞳を輝かせたエリスに、シンフォットがにこにこと頷く。

 不安なことも多いが、異国の食べ物は知らないものも多くて面白い。

 特に甘いものが好きなセレスには、こういった果物はとても興味深かった。

 兄の死はいつまでたっても悲しいものだが、守られるばかりであまり多くを知らなかった自分が、こうして新しい場所で新しい物を知ることができるのは、そう悪いことではない。


「もう守られているばかりではいられないのですもの。わたくししっかりしないといけないわね。」


 果物の美味しさに頬をそめながら言うセレスに、エリスは苦笑しながら頷く。


「そうですね。でもやる気があるんでしたらもう少しそれっぽい意地悪をなさってくださいよ姫様。このままじゃ本気にしてもらえませんよ。お手伝いしますから。」


「そうね、がんばるわ。馬鹿兄も見返してやらないといけないし…。」


「…カミル様は姫を心配していらっしゃるんですよ。」


「それでもレディに言って良いことと悪いことが有るわよ!!」


 国を出る時に挨拶に行った際、次兄から言われた言葉を思い出してセレスは布団の上で拳をにぎる。

 あの兄に一泡吹かせてやるためにも絶対にやりとげなくては。

 絶対に……。


「でもダメだわ、今日は動けない…。」

「次の日に筋肉痛になるのはお若い証拠ですよ。」


 握った拳を、へなりとふかふかのベッドに沈めたセレスに、エリスはふう、とため息をつく。

 今日はどうやら、意地悪姫の役は休業しないといけないようである。

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