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20 夜会2

 招待客との挨拶が終わり、自分たちの出番を待ちわびていた楽団が、華やかに最初のダンスの曲を奏で始め、夜会は始まった。


 夜会の最初のダンスは、パートナーと踊るものだ。

 ロザリンドはエランのリードに身を任せながら、ダンスホールの中央で、赤いドレスが翻るのを少し他人事のように感じながら踊っていた。


 エランは王太子なだけあって、礼儀作法は完璧だ。それはもちろん、ダンスに至っても。

 彼はその見た目と同じ、優雅なダンスをする。そのリードに任せれば、たとえポッと出の田舎令嬢であったとしてもそれなりに美しく見えるだろう。

 そんな彼の腕の中にいるのは、今はロザリンドなのである。

 これで素晴らしいダンスが披露できないわけは無い。


 ちらりとダンスを見守る者たちに視線をやれば、皆一様に感心したような視線をこちらに向けている。

 こんな勝ちが最初から決まっているような勝負は楽しくないわね、とそんなことを感じながらロザリンドはエランの腕の中で回る。

 そしてまた、視界の隅で赤いドレスのすそがふわりと宙を舞った。


「退屈そうですね?」


 回った先で、エランの楽しそうな声がする。

 ちらりと視線を上げれば、そこには金色の瞳が自分たちの進行方向を見据えている。

 こちらを見てもいないのにそんなことがわかるのだろうか?


「退屈ですわ。失敗のしようがありませんもの。」

「なるほど、たしかに。」


 素直にそう答えたロザリンドに、やはり楽しげなエランの声が返ってくる。

 そして彼はふふふ、と笑いを漏らしたかと思うと、次の瞬間にはリードのリズムが代わった。

 それまで曲に合わせてあくまでも優美に運ばれていた彼の足が、緩急をつけ、大胆な動きに変わる。

 一瞬、その変化にたたらを踏みそうになったロザリンドはすんでのところでそれをこらえなんとか彼のリードについていった。

 何事かとエランを見上げると、間近で蜂蜜色の瞳がこちらを見下ろしている。


「私だけ楽しんでは、申し訳ないですからね?」


 悪戯っぽくそう言って、相変わらず機嫌の良さそうなエランが、赤いまつ毛を下げ楽しそうに笑う。その後ろで、キラキラと夜会の景色がクルリ、グルリと横切って行き、ロザリンドの胸が鼓動を速めた。

 エランの金の瞳の中に、シャンデリアの輝きが散り、その真ん中に自分がいる。機嫌よく細められたその瞳が、自分とのダンスを楽しんでいるのだと正直に伝えてきて、そのまま自分にまでその気持ちが伝染するような心地がした。

 次に何が起こるかわからないその足運びは、まるで今まで、自分を振り回してくれたエランのようだ。

 もしかしたらこちらのほうが、本来の彼のダンスなのかもしれない。

 そしてそんな奔放なリードなのに、不思議とついていくのは苦では無い。

 一つ一つの動きに、次はどうしてやろうと考えながら一歩踏み出し、その動きが噛み合った時の楽しさは、ロザリンドの胸を弾ませた。

 赤いドレスがシャンデリアの光を反射しながら楽しげに視界の隅で踊る。

 ロザリンドがエランの笑顔から視線を外せないでいるうちに、あっという間に一曲目のダンスは終わりを迎えた。


「楽しんでいただけましたか?」


 ホールドした姿勢のまま問いかけてくるエランに、ロザリンドはふん、と鼻をならす。


「悪くありませんでしたわ。」


 とても楽しかった、という意味である。というか、そう言ったつもりだったが、普段のくせというものなのか、口から出たのはこんな可愛くない言葉だった。

 これでは狸を赤く煮付けるにしても、露払いとしても不合格だろう。もうこの際、意味は伝わらなくても良い。

 まつ毛を下ろし、すまして言ったロザリンドに、エランは満足そうに頷いた。

 それを確認し、ロザリンドは自分の不甲斐なさにため息をつきそうになりながら、ダンスホールから一度身を引こうとエランの手をとっていた手を離そうとする。

 しかしその手は、エランの白い手袋がはめられた手に縫い付けられたように動かなかった。

 何かの間違いかと思って、もう一度手を引こうと試みるが、やはり彼の手が離れない。


「…エラン様、ダンスは終わりましたので一度あちらにもどりませんこと?」


 訝しく思いながらも、人々が歓談するほうへ視線を向ければ、エランは困ったような顔をした後、ちらりと、ロザリンドの視線を追うように周りの人々に金の瞳を向ける。


「…そうですね…どうも手が離れないようで…。もう一曲いかがです?」


 困ったものですね、と他人事のように言うエランに、自分たちのダンスへの人々の反応を伺っていたロザリンドは、驚いて視線をエランに戻した。


「まあ、連続して同じ相手と踊るなんて…」


 淑女として、エランを嗜めようとロザリンドが呆れた声音でそう告げれば、彼の金色の瞳もこちらへ戻ってくる。


「おかしくなんか無いでしょう?わたしたちは今恋人同士ですからね。」


 蜂蜜色の瞳を細めて言うエランに、ロザリンドは口を結んだ。

 たしかに、自分はエランの露払いをするのが仕事なのだ。

 であれば、ここで数曲一緒に踊っておいたほうが、相手への牽制にはなるだろう。

 通常は夜会でのダンスは同じ相手とは一回きりであるが、仲が良い恋人同士や婚約者同士であれば、数曲一緒に踊ることもある。

 横をちらりと見れば、ウルベルトとアリィシャもまだ二人で手を組んでいる。

 そういうことであれば、もう一曲、彼と踊っても許されるだろうか。

 別に、もう一度、彼と踊りたいと思っているわけではない。あくまで仕事だ。そう、仕事である。


「そうですわね…。」

「ロザリンド様!」


 ロザリンドが自分の正当化を脳内で完了し、ダンスの誘いに了承の意を示そうと口を開いた時、横から声がかかった。

 見れば、セドリムにエスコートされ、こちらも最初のダンスを終えたらしいセレスがこちらへやってくる。

 エランでは無く自分に用があるのかと目を瞬かせれば、セレスはロザリンドたちの前まで来て立ち止まり、姿勢を正して胸をそらした。

 そんな二人に、さすがにエランの手がロザリンドをホールドする腕を緩めたので、ロザリンドは改めてセレスに向き直る。


「御機嫌よう、ロザリンド様。昨日、わたくしが贈った物は受け取っていただけたかしら?」


 その涼やかな美貌と、きりりとした口調でそう訊ねるセレスに、ロザリンドはにっこりと笑う。


「御機嫌ようセレス様。ええ、しかと確認いたしましたわ。素敵な物をありがとう存じます。」


 頷きながら、楽しげに言うロザリンドに、セレスはほんの少しだけ、方眉を上げる。


「…ロザリンド様のために特別製でしたの。わかっていただけたかしら?」


「ええ、それはもう。ウルフベリングではなかなか面白いお詫びの仕方をなさるものだと興味深く拝見いたしましたわ。」


「あら、そう。」


 笑顔を崩さずに答えるロザリンドから視線を外し、セレスは少し何かを考えるような仕草をした。

 そしてすっと、視線をこちらに戻し、その怜悧な瞳でロザリンドを見据える。

 そしてぐっと胸をはり、あごをそらすと、ビシっとその細く長い指をロザリンドにつきつけた。


「では、わたくしと勝負をいたしませんこと?そうですわね…、今日、この場において、どちらがより多くの殿方からダンスを申し込まれるかでいかがかしら!」


「まあ、わたくしと勝負を?」


 冷たい美貌に見据えられながら、深い笑顔のままロザリンドは首をかしげてみせる。

 ちら、とセドリムのほうへロザリンドが視線をやれば、彼はもうどこか諦めたような顔をしてこちらを見ている。

 たぶん、止めてもセレスは聞かなかったのだろう。

 ふふふ、と扇子の後ろで笑い声を漏らし、ロザリンドは頷いた。

 姿勢を正し、顔を横にそらして斜に構え、流し目でセレスを見据える。


「わたくしに、勝負を挑むなんて良い度胸ですこと。よろしくってよ。負けても泣いたりなさらないでくださいませね!」


 不適にそう言って高笑えば、バチバチと銀の王女と黒薔薇の令嬢の間で火花が散った。

 しかし、そんな勝負に待ったをかける者が居た。


「許可できませんね。ローザはこれから私とまだ踊らなくてはいけないので。」


 ピリピリとしていた場の空気に似つかわしくない、そんな柔らかい声に見上げれば、エランがロザリンドの横で、柔和な笑みを浮かべていた。

 相変わらず白い手袋をはめた彼の手は、ロザリンドの手を離さない。手をにぎっていないほうの腕は、彼女の腰をぐっと抱き寄せている。

 そしてその金色の瞳は、表情に反して、まるで刺すような冷たさを纏っていた。

 いつかの夜会で、ラフィルに向けられていたような、冷気をまとったその金色の瞳が、ひやり、とセレスとセドリムを見据えている。

 ひりついていたその場の空気を一気に凍りつかせるその瞳に、セレスは少しひるんで身をひいたが、まだ戦う意思は残っていたのかぐっとその場に踏みとどまった。


 その根性は、素直に褒めたい、とロザリンドは思う。


「あ、あら、では不戦敗ということでもわたくしはよろしいですわよ?」


 手で銀色の髪をはらいながら、そうすまして言うセレスに、エランはうーん、と首をまわしてみせた。


「そうですね…ローザが負けるというのは良くないですね。では、少し内容を変えてみては?ダンスを連続で何回踊れるか、でどうです?」

「連続で…?」


 色を競う内容から、一気に体力勝負になったその内容に、セレスが眉をひそめた。

 それを気にした様子もなく、エランは優美に頷く。


「ええ。ああでも、王女殿下は大切にされておいでですから、体力には自信がありませんか?」


 ふふふ、と笑うエランに、セレスは顔を赤くした。


「馬鹿になさらないで!そんなことありませんわ!よろしいでしょう。では何回踊れるかで勝負ですわよロザリンド様!」

「王女殿下、もしかして私もそれ手伝うんですか?別に他の男性を誘っても良いんですよ?私もせっかくですから他にお誘いしたい方が…」


 がしっと自分の腕を抱えられながら宣言されたセレスの言葉に、それまで我関せずといった顔でこちらに視線をよこしていたセドリムが、あわてた様子でセレスを見下ろす。


「もちろんよ!お相手してくださる男性が居なくて失点したらどうするのよ!」

「そう思うのなら最初の勝負から思いとどまってください!」


 もっともな抗議の声をあげるセドリムの後ろから、非情にも二曲目のダンスの曲が流れ始めた。

 逃げる隙もなくホールドをさせられて、諦めた様子でダンスを始めるセドリムを少し憐れに思いながら見ていたロザリンドの腰を、エランが引き寄せる。


「他の男を見ている暇などありませんよ。私は何曲でも大丈夫ですから、好きなだけ踊ってください。」


 久しぶりに見る、ヒヤリとした笑顔をその顔にのせていたエランは次の瞬間にはもう、甘い蜂蜜色の瞳をしていた。

 そのままご機嫌な様子で始まる彼のリードに合わせて、ロザリンドも踊り始める。


「…エラン様、別に連続で踊れば良いのですから、最後まで付き合っていただかなくても結構ですわ。先日も申し上げましたけれど、エラン様にとっては社交もお仕事でしょう。わたくしにばかり構っていてはいけませんわ。」


 セレスと違い、ロザリンドには、ダンスを誘ってくれる男が必ずいるだろうという自信があった。

 今までの夜会でも、エランに散らされて愛をささやくような男は居なかったが、それでもダンスを誘う男は絶えなかったのだ。

 夜会において、ダンスを踊るのは社交の内であるし、ダンスを踊らなくても、エランと話したい人間は男女問わず多いだろう。

 そんな人達と交流を持つのは王太子であるエランの仕事であり、ロザリンドが彼を独占して、疎かにさせて良いものでは決してない。

 彼を赤く煮付けるのはロザリンドにとっては重要なことだが、さすがにセドリムと違って、エランを最後までつきあわせるわけにはいかない。

 そう思ってのロザリンドの言葉に、エランはにっこりと笑みを返す。


「そうですね。でも私には社交の他にもいろいろと仕事があるのです。あなたと踊るのも、十分大切な仕事ですよ。それに……」


 言いながら、ちら、とエランの金色の瞳がダンスホールを囲む人々に向けられる。

 こちらを注目している、様々な人たちの中にはエランを見つめるご令嬢もいれば、ロザリンドに視線を送る紳士たちもいる。そしてその前を、セレスとセドリムが、銀の髪をシャンデリアの光の中に散らしながら、くるり、ふわりと横切っていった。

 さすがに王女と公爵なだけあって、竜王国のダンスであってもその出来は素晴らしい。黙ってそうしていれば、セレスは初日に謁見の間で見た印象のままに、随分と落ち着いた王女様に見える。

 そんな二人に感心しながら目で追っていたロザリンドの視界の端で、赤い髪が揺れた。

 揺れる赤に誘われるまま戻したロザリンドの視線の先には、ダンス練習をした時に見た、少し困ったようなエランの顔があった。


「あなたを他の男に委ねるのはまだ私には耐え難いようです。ようやく私の腕の中にいらっしゃるのですから、少しの間はそこに居てください。」


 そう言って、苦笑するエランに、ロザリンドは返さねばならない言葉を喉に詰まらせた。

 本当は、私情よりも公務を優先しろと嗜めなくてはならない。

 しかし隠すことなく嫉妬しているのだという彼の言葉に、出るべき言葉が、何故か口から出なかったのだ。

 頬が赤くなるのを感じて視線を落とす。

 また、負けてしまった。やはりこの王太子は、侮れない。

 そのままロザリンドとエランは6曲を踊り続け、7曲目を始めようというところで、セレスがギブアップをして勝負はあっさりとロザリンドの勝利となったのである。

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