19 夜会1
「まあ、ローザ、あなたもなの。」
「そうなのよ、奇遇ですわねアリィシャ。」
「奇遇でもなんでも無いと思うけど…。」
使節団を迎えての夜会が始まる少し前。
それぞれのパートナーの横で、お互いの装いを確認しながらロザリンドとアリィシャはお互いの顔を見合わせていた。
本日のアリィシャのドレスも、ロザリンドと同じく鮮やかな赤だったのだ。
デザインは華奢なアリィシャに合わせてロザリンドとは随分と違うものだが、同じ生地を使用しており、色素が薄く全体的に白い印象のアリィシャと、黒々とした巻き毛のロザリンドとでは、まるで一対の人形のようだった。
まあ、ウルベルトもエランとまったく同じ髪と目の色をしているので、お互い自分の色をパートナーに着せようと思った結果こうなったのだろう。
偶然色がかぶってしまうというのはあまり嬉しいことでは無いが、あえて偶然ではなく示し合わせているのだということを主張することによって、一種の演出のように見せているのである。
二人を連れた両王子はどちらもご機嫌といった様子で、それぞれのパートナーをしっかりとその腕に抱え込んでいる。
今日、後宮の部屋までロザリンドを迎えにきたエランの弾けるような笑顔を思い出して、ロザリンドは小さく息を吐いた。
「アリィシャはいつも淡い色合いを着ていらっしゃるから、そのように鮮やかな色は新鮮ですわね。よくお似合いだと思いますわ。」
「本当に?ローザにそう言ってもらえると安心するわ。私、朝このドレスを見た時絶対ドレスのほうに着られると思って戦々恐々としてしまったんだもの…。」
たしかに、アリィシャは全体的に色素が薄いために今まで好んで淡い色のドレスを着ていた。
妖精のようなはかなげな彼女が薄い色合いのドレスを着ると、透明感が増して、まわりの光を集めるように輝くのである。
しかし今日の鮮やかな赤いドレスも、意外なことに彼女にはよく似合っていた。
いつもの儚さはあまりないが、彼女の白い肌と淡い色合いの髪の毛に、鮮やかな赤がよく映えている。
たまには冒険をしてみるのも良いものね、とロザリンドが考えていると、アリィシャの腰を抱いていたウルベルトの腕が彼女をさらに引き寄せる。
「私はアリィシャに赤はよく似合うと思っていた。いつものドレスも美しいが、やはりあなたに私の色を着てもらえるのは良いものだな。」
「あ、ありがとうございますウルベルト殿下。このような機会が無いとたぶん自分では選ばなかったでしょうから、私もそう言っていただけると嬉しいですわ…。でも少し、離れてくださいませんか。なんだかいつも以上にその…恥ずかしくて…。」
いつもは素直にウルベルトの腕の中に収まるアリィシャが、今日は顔をそのドレスのように赤くしてウルベルトの体を押し返す。その様子を、後ろでルミールが嘆息しながら眺めている。
やはりさすがの彼女にも、今日のドレスはいささか恥ずかしいらしい。
その姿に近い未来の自分の姿を思い、ロザリンドは居住まいを正しなおした。
そしてチラリと己の横に立つエランを見れば、彼は微笑ましそうな笑顔で彼の弟とそのパートナーの様子を眺めている。
今日の彼は鮮やかな刺繍が入った黒のジュストコールの下に、薄い紫色のベストを着て白い手袋をはめ、襟元は繊細な白レースのジャボで飾られている。この色合は、たぶん、ロザリンドの色なのだろう。
彼の体型にそって丁寧に仕立てられたその出で立ちは、ともすれば少し丸いシルエットに見えてしまいそうなところ、腕や腰のラインがスラリとして見えるからさすがである。
視線を向けてすぐに、ロザリンドの視線に気づいたのか、その金色の瞳はこちらを向いた
そしてロザリンドの視線の高さまで体を傾げると、金の瞳が蜂蜜色に溶けてにっこりと微笑む。
「ふふ、先ほども言いましたが、私もあなたが己の色を纏ってくださりこの上なく幸せですよ?今日のあなたは赤薔薇ですね。」
目が合うなり蜂蜜色に細められたその瞳から視線をそらしそうになるのをこらえて、ロザリンドは扇子を口元に開いて彼に負けないよう、自分に出来うる限りの笑顔でにこりと微笑んだ。
「ありがとうございます、エラン様の本日の装いも大変素晴らしいですわ。わたくしも、このドレスの色に負けない働きをしなくてはいけませんわね。」
ロザリンドの言葉に、エランが笑顔を深くした。
しかしその顔はいつもどおり随分と余裕な気がして、ロザリンドは内心ため息をつく。
やはり、この王太子を狼狽えさせるというのは生半可なものではない。
今日は随分と気合を入れて着飾ったのに、自分の笑顔はどうにも通用しないようだ。なんだかどんどんと自信がなくなってきた。
これは本格的に、おばあさまにお手紙を書いてアドバイスをいただこう…。
そんなことを考えていたロザリンドのアメジスト色の瞳を覗き込んでいたエランが、笑顔のままその身を起こした。
考え事に忙しかったロザリンドは、なんとはなしにその様子を目で追う。
そしてその無駄に美々しい顔が、ひょい、と視界から消えたかと思うと、目線の少し上でちゅっという音が聞こえた。
それと同時に、おでこに温かくて柔らかい何かの感触を感じて、ロザリンドは思考ごと固まった。
また視界に戻ってきたエランのやたらと嬉しそうな顔を呆然と眺めながら、今一度自分に起こったことを振り返る。
視界から消えたエランの顔に、おでこの感触。ぐるぐると回る思考をなんとか立て直したロザリンドは自分の身に何が起こったのかようやく理解して思いっきり身を引いた。
彼女の腰を抱き寄せていたエランの腕が、それに気づいてするりと離れ、ロザリンドを逃す。
結局、自分もドレスの色のように赤い顔をしているに違いない。
ぎりり、と歯噛みするロザリンドの前で、蜂蜜色の瞳をした王太子がその柔らかい声で楽しげに告げる。
「申し訳ありません。今夜の私はどうも、思った以上に浮かれてしまっているようです。」
少しはにかんだように笑うその顔が、なんだか少年のようにも見えて、でかかっていた文句をロザリンドは飲み込んだ。
~ちょっとどういうことですの、狸がかわいいなんてわたくしとうとう化かされすぎておかしくなったんじゃありませんの!?
この狸は、いろんな姿に化けられるようだ。
そんな意味不明な結論に至った彼女は、エランの頬が染まっているという事実を認識するリソースが、残念ながら足りていなかった。
〇・〇・〇・〇・〇
間もなく開場の時間となり、夜会のホールには人が溢れた。
きらびやかなドレスをまとった貴婦人たちや、品よく彼女たちをエスコートする紳士たちが、まずは挨拶をしようとこちらへやってくる。
主催席でそんな彼らに、エランが上機嫌で笑顔を振りまいているのを、ロザリンドは前半は淑女の笑顔こそ保っていたが、ほとんど眺めているだけになってしまった。
先ほどのダメージがまだ尾を引いていたのである。
しかしエランはそんなロザリンドを咎める様子は無い。
今日のエランは、彼が言う通り、随分とご機嫌な様子だった。一人でサクサクと挨拶に来る者たちをさばいてゆく。
普段から笑顔を絶やさない王太子ではあるのだが、今日の笑顔は輝きが違う。
男のくせにその微笑みの後ろに花を背負うとは何事なのか。キラキラと光りが散るようなその眩しさに、親に連れられて挨拶にあがったご令嬢や紳士の横のご夫人までも、頬を染めてうっとりとその顔を眺めている者が多かった。そして去り際に、ロザリンドへ妬ましげな視線や、羨望の眼差しを投げてよこすのである。
ようやく、ロザリンドの思考が冷静さを取り戻して、エランの挨拶に自分も参加できるようになったのは、もう挨拶の列も終わろうかという頃合いだ。
そこへ、壮年の紳士とその奥方、それに灰色の髪をした青年が進み出てきた。
「殿下、本日はお招きどうもありがとうございます。諸事情で少々到着が遅れて申し訳ありませんでした。ウルフベリングとの交流がまた戻ることは大変喜ばしいことです。」
優しい声色でにこやかにそう告げる壮年の紳士を見上げて、ロザリンドは知った顔に眉を上げる。
「デーツ伯爵、本日はようこそいらっしゃいました。なにかと積もる話もお有りでしょう。ぜひ本日は楽しんでいってください。」
エランが柔和な笑顔で答える横で、ロザリンドはデーツ伯爵に礼をする。
「デーツ伯爵、お久しぶりですわ。本日はロイド様はいらっしゃいませんの?」
ロイドとは、つい先日の夜会でロザリンドに踏んでくれと懇願して夜会で転がされたデーツ伯爵の長男である。
今日はその弟のニコルは来ているようだが、彼の姿が見えなかった。
ロザリンドの言葉に、紳士は苦笑をもらし、その横でニコルも笑う。
「ロザリンド嬢、お久しぶりです。兄は少々、仕事がありまして、今は王都には居ないのですよ。先日は兄がとんだ失礼をしたそうで申し訳ありません。」
伯爵のかわりに答えたニコルの言葉に、ロザリンドはほんの少しだけ目を瞠る。
まさか、ロイドは自分の醜態を家族にしゃべったのだろうか?
あの趣味が知られているのだとすれば、随分とオープンな家族なのだなと思う。
「い、いえ…。とんでもありませんわ。」
自分がしたことまでバレているのかわからず、ロザリンドは曖昧な返事をして視線を落とした。
変な要求をされたとは言え、ご子息を床に転がして帰った身としてはどうにもいたたまれない。
その様子に気を悪くした風でもなく、デーツ伯爵たちはにこやかにその場を去っていく。
あんなに良いご家族に恵まれて、なんでロイドはあんな趣味に走ってしまったのだろうか…とそんなことを考えていたロザリンドの横で、ふふふ、と笑い声が漏れた。
その声の主を見上げれば、赤い睫毛を揺らして、エランがご機嫌な様子で笑っている。
「何かおかしいことでもありましたのエラン様?」
ロザリンドが問うと、赤いまつ毛が上がり、金の瞳がツイッとこちらを向いた。しかしその瞳がロザリンドのアメジストの瞳と視線を合わせたのは瞬きの間で、すぐにまた視線を上げて瞳が揺れる。シャンデリアの光が、金の瞳の動きにあわせてキラキラと散るのを見ていたロザリンドに、エランはすっとまた赤いまつ毛を下ろして口角を上げ答えた。
「いえ、すみません。先日の夜会のあなたの可愛らしい姿を思い出しましてつい…。」
「…!?」
言ってまたククク、と楽しげに笑うエランに、ロザリンドは眉を潜める。
そういえば、エランに今回の件を頼まれたのはロイドを転がした夜だった。
しかし今思い出して見ても、エランにこのようなことを言われるような振る舞いをした覚えはない。
エランを追い払うのに失敗し、不機嫌なまま馬車に乗って、随分悪態をついた後に仕事を了承したのだ。
まあたしかに、仕事を了承した時には笑顔を見せた記憶もあるのだが…。
「エラン様…まさかエラン様にもロイド様のようなご趣味がありますの?」
戦々恐々とした心持ちできいたロザリンドの言葉に、エランは眉をあげて振り向き、こちらを見下ろしてくる。
そしてロザリンドの瞳をまじまじと覗き込んで、視線を宙にさまよわせた後、少し難しい顔をした。
「いえ…。残念ながらそのような趣味は私にはありませんね。そちらのほうがよろしかったですか?」
「よろしくありませんわ!」
思わずべしっと扇子でその肩をたたくと、エランはははは、とまた笑う。
やはりこの男は何を考えているかわからない。
変な趣味が無いというのであれば、いったい何が彼にとって可愛らしかったというのだろうか。
~というか、また可愛らしいとおっしゃったわね…。
言い慣れない言葉にいまさらながらどぎまぎとしながら、ロザリンドは次の客を迎えるべく向き直る。
よくよく考えてみれば、ロザリンドがロイドを転がしたことを思い出して笑っていただけで、可愛らしいなどという言葉は彼女をからかうために出た出まかせに違いない。
またからかわれてしまったのかと内心で歯噛みしつつ、前半の遅れを取り戻すため、ロザリンドはその顔に、お手本のような淑女の笑顔を貼り付けた。