2 黒薔薇の憂鬱
「ちょっと、ロザリンドどうしちゃったの。」
侍女に通された薄暗い部屋に足を踏み入れたアリィシャ=フェリンドは、親友の常ならぬ状態にその淡いブルーの瞳を見開いて足早にロザリンドへ近寄った。
ロザリンド=ウェジントンは竜王国で三つある侯爵家で唯一の年頃の令嬢で、その美貌はウェジントンの黒薔薇と評される。
父親譲りの鮮やかな黒髪は綺麗に縦ロールになって巻いており、瞳はアメジストを想わせる少し赤みのある透き通った紫色で、その瞳を縁どる睫毛は長く濃い。
きりっとあがった形の良い眉に、細い鼻梁、鮮やかな紅い唇が彼女の真っ白な肌の色でさらに際立って見え、メリハリのきいた顔の美女である。
ただ、彼女が黒薔薇と呼ばれるのは、父譲りの少しキツメの目元と、そのメリハリのきいた美貌のおかげで、はた目から見て少々、気が強そうに見えるからだ。
美しいバラには棘があるように、彼女のその美貌には悪女のような雰囲気があるのである。
実際、彼女は大変気が強く、常に堂々としており、侯爵家の姫だけあって所作も優美で美しい。
欠点が無いせいでかわいげが無いと思われがちだが、その実彼女は少々言葉がキツイことはあっても、人を進んで害するような真似をしたことはあまり無い。むしろ親友思いのとても優しい少女なのだ。
そんな大切な親友が、部屋のカーテンも開けずに薄暗い部屋でお気に入りのソファに腰を下ろし、どこか所在無げにぼーっと視線を宙にさまよわせている。
常であれば部屋に訪問したアリィシャに、自信に満ち溢れた笑顔で、「まあ、アリィシャ御機嫌よう」とすぐにあいさつをしてくれるのに、今日の彼女はアリィシャの言葉にようやくその瞳を上げた。
「あら…アリィシャ。」
「あらアリィシャじゃないわよ。どうしたのローザ?あなたちょっとどころじゃなく変よ。」
アリィシャは気の無い返事をするロザリンドに呆れながら、部屋のカーテンを引き開けた。
そのとたんに、春の柔らかい日差しが部屋いっぱいに流れ込む。
その日差しに淡い金色の髪の毛をキラキラときらめかせながら困り顔でふりむく妖精のような少女に、ロザリンドはまぶしげに目を細めた。
アリィシャ=フェリンドはフェリンド伯爵家の令嬢で、ロザリンドの今は亡き母、イサイラは現フェリンド伯爵の姉であったため、ロザリンドとは従妹の関係だ。
その見た目は、記憶の中にかすむロザリンドの母と瓜二つの見た目をしている。
淡い金色のウェーブがかった髪に、同じ色の長い睫毛が淡いブルーの瞳を縁どっていおり、白い肌に、薄桃色の唇で全体的に色素が薄く、線が細くはかなげに見え、その姿を見た者はだれしも彼女を妖精のようだと絶賛した。
実際、幼少の頃は病弱で、ロザリンドの母と同じ病で一時は命を落とすのではと言われていたのだが、なんとか快復し、今では健康そのものである。
にもかかわらず、未だに色素が薄く華奢で、儚そうな見た目は変わらない。
その様子はなんとも庇護欲をかきたてられ、キツそうな見た目のロザリンドとは、対極の見た目をした少女だった。
「私のところに伯父様からお手紙がきたのよ。あなたを元気づけてやってくれって。どうしたの?王太子殿下を開華祭で振ったときいてさぞご機嫌だと思っていたのに。」
カーテンを開け終え、自分の向かいに座るアリィシャに、ロザリンドは睫毛をふせてため息をついた。
開華祭とは竜王国の春の社交シーズンの一番はじめに行われる王族主催の夜会だ。
この夜会で、ロザリンドが社交界デビューしてから先ずっとまわりをウロチョロして煩わしいばかりだった王太子が、ロザリンドにはじめてパートナーとして出席してほしいとエスコートを申し出たのである。
「わたくし…今すこし自らを振り返って反省していたところでしたの。」
「そうなの?私も自分のことで一杯一杯だったけれど、ローザの開華祭での振る舞いはそれは見事だったと皆さん口をそろえておっしゃっていたわよ?」
アリィシャは第二王子のパートナーとして出席していたので、ロザリンドがどうふるまっていたのかは自分の目ではあまり確認できていなかった。
しかしそれでも、王太子殿下の横で笑うロザリンドが素晴らしくまぶしかったことは知っている。
礼儀作法においては最強のこの親友が、へまをするとは思えなかった。
「ええ、もちろん。あの狸を煮付けて食べるつもりで臨んだのですもの。完璧だったはずですわ。わたくし、開華祭での自分には満足しておりますの。」
「ちょっと待ってローザ、狸って王太子殿下のことよね?煮付けるつもりだったの?私何もきかなかったことにしていい?」
王太子への狸の煮付け呼ばわりにその形の良い唇をひきつらせた親友のことは構わず、ロザリンドは先を続ける。
「でも…気づいてしまいましたの。わたくし…殿下のことが…」
「殿下のことが?」
「殿下のことが…嫌いかもしれないですわ。」
あふれ出る恋バナの予感に身を乗り出しかけたアリィシャは、ロザリンドの吐き捨てるような言葉に盛大に肩を落とした。
これではまったく甘さとは遠い。
「あの狸…わたくしをウェジントンのタウンハウスまで送り届けた後になんとおっしゃったと思って?」
「な、なんとおっしゃったの?」
肩を落としたままのアリィシャが、その繊細な眉を八の字に下げて残念そうな表情を隠しもせずにロザリンドを見返す。
ロザリンドは話をしながらあの日のことを思い出してまたふつふつと怒りが再燃し、思わず右手にもった扇子をぎりりと握りしめてしまった。
「『あなたの瞳の中の星の輝きに私の心は明るくなる思いです、これから先も、私を照らしてくださいませんか』とのたまりましたのよ!!」
「まあ、『星屑の君』のルーベンス様の台詞ね!わたくしあの本はライバル役のコーネリアス様のほうが好きだったから、どちらに転ぶのかハラハラしたわ!」
『星屑の君』とは最近出版された少女小説の名前である。
ロザリンドもアリィシャも年頃の少女らしくこういった恋を題材にした小説は大好きで、よく二人で本の貸し借りをしたり感想を言いあったりしていた。
「あの狸…!よくもそんな恥ずかしい台詞をあの顔でいけしゃあしゃあと述べたと思いませんこと!?わたくしいたたまれなさ過ぎてクラクラしましたわ!」
「ま、まあたしかに男性に好きな少女小説を朗読されたらちょっと恥ずかしいわよね。でも、あなたが好きな物語の台詞を引用して愛を告白なさったのではないの?」
少女小説というものは、その名のとおり、乙女の夢がぎっしり詰まっており、往々にして現実離れした話が多い。
そこがまた乙女心を惹きつけるのだが、そんな夢見がちな物語を好きだと知られた上で同じセリフを諳んじられるというのは、なかなかに恥ずかしそうだとアリィシャは苦笑しつつ、王太子を弁護する。
しかしその彼女の言葉を、ロザリンドはふん、と鼻で笑った。
「あんな物を読むなんて子供っぽいと笑っていらっしゃったんでしょう?あの狸は狸であることに意義があるのに、他人の言葉を借りるだなんてやっつけ仕事にも程がありますもの。狼狽えるわたくしを見て楽しもうという算段だったのではなくて?だからわたくし『殿下こそ輝いていらっしゃるのですから、ご自分の灯かりで足元を照らされてはいかが』と鼻で笑ったうえから高笑ってやりましたのよ!」
「あらまあ…。」
その様がありありと想像できるようだ、とアリィシャは思わず納得しながらうなずいた。
「すごいわねローザ、王太子殿下にそんなこと言えるのはあなただけだと思うわ。」
「ええ、すっごくすっきりしましたわ。」
社交界にデビューしてからこの一年、王太子が夜会に出る度に真っ先にロザリンドに話しかけにきて、他の男性をけん制するせいでロザリンドのまわりにはまったく男性が寄り付かなくなってしまった。
みな、あたりさわりのない会話をするのみで、恋愛方面では王太子以外彼女に近寄るものはいなかったのだ。
おかげで兄のキースリンド=ウェジントン子爵が仕事で忙しい時に、ロザリンドはエスコート相手を探すのにも一苦労だった。
普通の令嬢ならば、王太子に見初められたのだと心を弾ませるところであったが、ロザリンドはそうは思って居なかった。
なにせ彼女は王太子との初対面の折、わざわざ片道4日以上かけてウェジントン侯爵領に来た王太子に『社交界に出てもいない少女に会いにご足労くださるなんて、王太子殿下も案外お暇なのですわね。お忙しすぎるとお体に障りますからなによりですわ。それともそういうご趣味をお持ちなのかしら?』と述べてさっさと退室したのである。
そのことについては反省している。まだ幼かったのだ。今だったらもう少しうまくやる。
とにかく、初対面からそんな無礼な態度を働いた少女を、幼女趣味でも無いかぎり好きになる要素があるとは思えなかった。
にもかかわらず近づいてきた彼の一連のアプローチは初対面の時の無礼に対する報復だろうと踏んでいたのである。
初対面であんな態度をとった相手に翻弄される気分はいかがですか?とあの胡散臭い笑顔が言っている気がしてならない。
そんな一年にもわたる鬱憤も手伝って、彼の告白を袖にして高笑いながら自分の自室へ辞したのは最高に気分が良かった。
一年の嫌がらせの締めくくりに、ロザリンドがこっ恥ずかしい愛の囁きで狼狽える姿でも見たかったのかもしれないが、あてが外れて良い気味だ。
浮かれていたせいで、王太子がどんな顔をしていたのか確認していなかったのが唯一の心残りである。
「ふーん…。でも、話を聞く限りあなたが落ち込むようなことは無いように思うのだけれど、何をそんなに反省しているの?王太子殿下に無礼な物言いをしたこと?」
そんなの今更じゃない?と言外ににじませながら、アリィシャが不思議そうに首をかしげた。
その前へ、メイドが入れたてのお茶を置く。
ティーカップから立つほのかな湯気を眺めながら、ロザリンドはふう、と息をはいた。
「わたくし、王太子殿下のお心はどうあれ本決まりになれば、王太子妃になる覚悟はあると思っておりましたの。それが侯爵家に生まれた者の義務ですもの。ただ、少し選択肢を残しておいてくださったら…と思っていただけで、王太子殿下のことも別に嫌いでは無いと思っておりましたのよ。」
ロザリンドが初対面から王太子に冷たく対応したのは、別に彼の人柄のせいではない。なにせ当時は挨拶だけしてすぐ退出したのだ。彼の無駄に美々しい顔くらいしか記憶になく、社交界デビューまでどのような人物なのかも伝聞でしか知らなかった。
元々ロザリンドが忌避していたのは、彼ともれなくセットになってついてくる王太子妃という立場と、人に伴侶を決められることだったのである。
「でも、わたくし…このままでは王命があっても先日と同じことをしてしまいそうですわ。そう思ってこうして自分の至らなさを反省しておりましたのよ。」
王太子が己の伴侶の座までかけて嫌がらせを続行するかは疑問だが、ロザリンドは彼の心とは関係なく、現状竜王国にとって一番王太子妃として都合が良い存在である。
国のために王命で指名されることだって十分ありえる。
そして幸いなのか不幸なのか、ウェジントン侯爵家は王命での婚約だったとしても、はねのけるだけの力がある。
しかしもちろん、それには何かとゴタゴタが起こるだろう。
そんなことが解っていながらも、散々嫌がらせをされた鬱憤もあって我儘を言ってしまいそうな自分に、ロザリンドは失望していた。
「ま、まあでも、そのようなことがあったのなら王太子殿下もあなたへのアプローチは控える……かもしれないじゃない?今回だって王命があったわけでは無いのだし、殿下が大人しくしてくださってる間に他のお相手を探したほうがあなたらしいと思うわよ。」
「別に殿下との婚約に限ったことではありませんわ。とっさの時に王と民を優先するのが貴族としての勤めでしょう?その覚悟をもう一度締めなおすのに時間が必要だと思いましたのよ。」
必死に自分へフォローを入れる親友をありがたく思いつつ、ロザリンドは自分の前に置かれた紅茶を一口のんだ。
少しの間と思っていたが随分物思いにふけっていたようで、乾いていたらしい喉に紅茶の温かさが嬉しい。
開華祭から数日間、自分の不甲斐なさにため息をつくばかりで父親にも心配をかけていたとは柄にもないことだ。
たしかにこの親友の言うとおり、そろそろ沈むのはやめにして建設的な事柄を進めたほうが良いのかもしれない。
親友に話をきいてもらい、少しすっきりしたのも手伝って、ロザリンドは視線を上にあげた。
アリィシャが空けてくれたカーテンの向こうは、春の穏やかな昼下がりだ。
社交シーズンは始まったばかりで、これからやるべきことは多い。
「アリィシャ、あなたにまで心配をかけてしまってごめんなさいね。わたくしもう大丈夫ですわ。数日後に、アウランド侯爵家の夜会があるんですの。あなたはいらっしゃいますの?」
「ええ、ウルベルト殿下のお仕事が急に忙しくならない限りは参加するわ。ローザはエスコートをどなたに頼むの?」
「今回はラフィル様にお願いする予定よ。わたくしが狸を振ったという話が広まれば、違う方も引き受けてくれると思うのだけれどね。」
アリィシャは先日、竜王国第二王子のウルベルトから愛の告白を受け入れたらしい。
しかし王太子に婚約者が居ないためにまだ婚約は出来ていないときいた。
その点について少し申し訳ない気もしたが、よくよく考えれば王太子がロザリンドで遊んでいないで適当な令嬢をひっかけておけば良かった話であり、自分の責任では無いだろうとロザリンドは思っている。
「そうね、これから素敵な出会いがあると良いわね。」
春の日差しの中でキラキラと幸せそうに微笑む親友を、少しまぶしく思いながらロザリンドは彼女の言葉に頷いたのだった。