18 ドレス
ウルフベリングの使節団が訪れた翌朝。
本日は、夜に使節団を囲んでの夜会が開かれることになっている。
昨日の晩餐会は王族や外交に携わる者たちの内内での物だったが、本日の夜会は竜王国の名だたる貴族を招いての夜会だ。
少し季節を外れているとは言え、王族の主催による夜会であるため、本日は多くの貴族たちが参加する華やかな会になるはずである。
当然、王太子であるエランのパートナーを務めるロザリンドはその横に相応しい装いで参加しなくてはならない。
本日のために用意されたドレスを前に、ロザリンドは湯上りの薄着のまま、眉を潜めて立ち尽くしていた。
「わたくしが用意したドレスは何処へ参りましたの?」
「あちらもございますが…。本日は是非こちらをとおっしゃられまして…。」
不機嫌そうなロザリンドの言葉に、アネッサは困ったように眉を下げた。
今ロザリンドの前にあるドレスは、鮮やかなほど赤いドレスである。
艶のある上質なシルクの上に、その布より少し濃い赤のレースが模様をつくり、その上でビーズがキラキラと夏の日差しを受けて輝いている。
合わせて用意されたアクセサリーは上質なトパーズを使ったもので、もうそれだけでこのドレスを用意したのが誰なのかわかろうというものだ。
十中八九、「是非こちらを」とおっしゃっているのはエランだろう。
男性が、自分の目や髪の色をイメージしたドレスをパートナーに着せるのは、よくある愛情表現の一つではある。この女性は自分の物であると、周囲に知らしめて牽制をするのである。
それはわかっている。そしてこのドレスが、今回のロザリンドの仕事上、必要なものであるということも理解できる。
しかしドレスとは夜会において、淑女の鎧であるはずなのに、こんなものを着た日には身を守るはずの鎧にダメージを負わされるはめになるのではとロザリンドはクラクラとして、横にあったソファにもたれた。
戦場に出る前からこんな先制攻撃をしかけてくるとは、やはり敵は侮りがたい。
ロザリンドも赤はよく着る色ではあったが、このように鮮やかな色合いのものは初めてである。
着れば絶対に似合うとわかっていても着なかったのは、他でもない、エランの髪の色を連想させるのが嫌だったからだというのに。
「…あの、やはりお嬢様が用意されたドレスをお出しいたしますか?」
力なくソファにもたれるロザリンドを心配して、アネッサがオロオロときいてくる。
その後ろでは、王宮の侍女たちが、次の指示を待って固唾を飲んでこちらを見守っていた。
「……いいえ。」
様々な葛藤の末、ロザリンドはゆらりとソファから立ち上がった。
ものすごく恥ずかしいことには変わりないが、だからといってここで違うドレスで出て行っては不戦敗になってしまう。
自分の足でしっかり立つためにも、エランに贈られたドレスを彼の予想以上に着こなして見せる必要がある。
「ドレスはこちらを着ていくわ!あなたたち、今日はいつもよりも気合を入れていきますわよ!」
「「「はい!」」」
ドレスを見た衝撃から立ち直り、堂々とそう言ってのけた自らの主人をまぶしく思いながら、侍女たちが瞳を輝かせる。
そこからは、彼女たちの真剣勝負が始まった。
〇・〇・〇・〇・〇
「きゃああー!」
ロザリンドの支度がほぼ整った夕方頃。
そろそろあのふざけた色のアクセサリーをつけなくてはいけないわね…とロザリンドが憂鬱に考えていた時に、隣室からエリスの悲鳴が聞こえてきた。
ロザリンドが驚いて顔を上げた視線の先で、アネッサがそちらのほうへ足早に去っていく。
ロザリンドの髪の毛に飾りを指す作業をしていたクレアは、驚いたような表情はしていたが、その手を止めようとはしなかった。
「クレア、少しよろしいかしら。わたくしも様子を見に行くわ。」
「はい、承知いたしました。」
ロザリンドが声をかけると、クレアは素直に頷き、それまで固定していた髪飾りが動かないことだけを確認してから身をひく。
彼女が後ろに下がったのを見てから、ロザリンドは立ち上がって悲鳴がしたほうへ足を運んだ。
「何事なの?」
ロザリンドの部屋の隣の侍女たち用の控室に設置された、衣装部屋の前で、アネッサとエリスが何事か話し合っている。
エリスの無事を確認してほっとしながら声をかけると、二人はあわてて礼をした。
「お騒がせをしてしまい申し訳ありませんお嬢様。」
「別にかまわないわ。それよりもエリス、あなた大丈夫なの?一体なにがあったのか教えてくださる?」
謝罪をする二人に首をふり、改めて問いかけると、エリスは少し青い顔をあげて、衣装部屋のほうに視線をやる。
その仕草にロザリンドが方眉を上げたところで、後ろから颯爽と黒髪の女性が現れて、ずんずんと衣装部屋の中に足を踏み入れた。
エリスの悲鳴を聞きつけてきたらしい、ベリンダである。
「わあ、これはひどい!」
あまり緊張感の無い声を上げたベリンダが、何かを手に部屋から出てくる。
その手には、今日、本来ロザリンドが着ようと思っていたドレスがボロボロの状態でベリンダが手にしたハンガーにかかっていた。
「あらまあ。」
思わず、ベリンダにつられてロザリンドも手に口をあてそんな緊張感の無い言葉を発してしまう。
なるほど、逃げたくてももうこちらのドレスは着れなかったわね、とそんなことを考えながら。
「いやぁ、後宮の部屋に侵入してこのようなことをするとはなかなかの不届き者ですね。外は近衛がいるはずなんですけどねえ?」
ベリンダがドレスのボロボロ具合を確かめながら、相変わらず危機感が無さそうな声音でそんな感想を述べた。
「そうですわね、朝はこのようなことはありませんでしたの?」
「い、いえ…。それが、エラン様よりドレスが届きましたので、本日は衣装部屋へ入るのは今が初めてだったのです…。」
「まあそうなの。でもベリンダの言う通り、部外者が入るのは難しいのでは無くって?この部屋にはずっと人が居たのかしら。」
「いえ…。昨日お嬢様が晩餐会に出ていらした時は無人でした。外には近衛の方が警備してくださっていたとは思うのですが…。お嬢様のお部屋はともかくとして、使用人用の部屋はもしかしたら監視の目が薄かったのかもしれません。」
「まあそう…。」
エリスの話を聞きながら、ロザリンドはベリンダの手にぶら下げられた、かつてドレスだったものをまじまじと眺める。
誰がこんなことをしたのかは気になるところではあるが、それを突き止めるのはロザリンドの仕事ではない。
下手にここでロザリンドがあれこれ調べるよりは、エランにでも報告して、然るべき処置をとってもらえばいいだろう。
このドレスはまだ一度も袖を通していなかったのに、着ることができなかったのは残念なことだ。
もう一度同じ形で作りなおしてもらおうかしら…と考えていたところ、ドレスの裾にきらりと何かが光っているのを発見する。
つまんで目の前で確認すれば、それは青銀色の髪の毛のようだった。
「あら、そういうこと…。」
ロザリンドは一つ頷くと、その髪の毛を開いていた窓のほうへひょい、と捨てる。
「まあ、エラン様がわたくしがゴネないように先手を打たれたのかもしれなくってね。ベリンダ、一応ご報告申し上げて。」
「っは、承知いたしました。」
「お、王太子殿下はそのようなことはなさらないと思いますが…!?」
肩をすくめていうロザリンドに、後ろで様子を伺っていたドロシーが目を見開いて物申した。
しかしその言葉に、ロザリンドは「どうかしらね」とだけ答え、さっさと身支度を整えるべく、鏡の前に戻った。
ロザリンドの仕事は、犯人探しでは無く社交である。
今は着られなくなったドレスよりも、今着ているドレスを仕上げるほうがよっぽど彼女には大事なことだった。