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16 差し入れ

「なかなかに面白い方でしたね。」


 晩餐会を終え、引き上げた先の談話室で、エランは機嫌よさそうにそんな感想を漏らした。

 夜間用のあまり強くない光量で魔法灯がふんわりと室内を照らしている。

 今は火が入っていない立派な暖炉を囲むように置かれたソファには、一つにエランとロザリンド、もう一つにウルベルトとアリィシャが座り、その後ろにはベリンダとルミールが控え、壁際で侍女と侍従が静かに立って居る。


「昼に拝見した時にはもう少し冷たい方かと思っていましたから…わたくし少し驚きましたわ。」


 一仕事を終えて安心したのか、少し眠そうなアリィシャが、常より重たそうなその淡い金色の睫毛を瞬かせて、そんな感想を漏らす。

 その手はいまだにしっかりとウルベルトの袖を握っていた。


「ウルフベリングは、思ったことをはっきりと言うことを良しとしている傾向にあったからな。まあ、ちょっとあの王女は頭一つ抜けているように思うが。」


 眠そうなアリィシャを、自分の胸にもたれさせながら言うウルベルトに、ロザリンドが首をかしげる。


「ウルベルト様はセレス王女とは面識はありませんでしたの?」


「いや、まああると言えばある。とは言え、顔見せくらいだな。当時は戦時だったから私はさっさと戦場のほうへ赴いたので。よく話したのは今は亡き第一王子のほうだ。面差しは少しあの王女に似ていた。聡明な方で、弟気味と妹君を大事にしているように見受けられたから、兄弟仲は悪くないのでは無いかとは思うのだが…。本当に、惜しい方を亡くしたなウルフベリングは。」


 当時の戦友の顔を思い出したのか、ウルベルトが長い息を吐きだした。

 今は亡きウルフベリングの第一王子が随分と優秀だったという話はロザリンドも知っている。

 彼が死んだのは、本陣で控えていた時に本来降るはずのない流れ矢にあたったからだと聞く。

 優秀な跡継ぎを失ったウルフベリングの混乱は、戦後三年もの間王位継承権の先が定まらなかったことを見れば想像に難くない。


「第一王子殿下が亡くなられた戦場に、ウルベルト殿下もいらっしゃったのですよね…。」


 己の想い人が軍人だということの意味に思い至ったらしいアリィシャが、顔を青くして握ったウルベルトの袖をさらに引き寄せる。

 その様子に、エランがにっこりと微笑んだ。


「大丈夫ですよアリィシャ嬢。ご心配には及びません。この弟は矢で射られたくらいでは死にませんよ。」


「兄上…。」


「ははは、不安に思うご令嬢を安心させてやるのはお前の勤めだぞベルト。」


 少し非難めいた視線をこちらへ投げてよこすウルベルトに、エランは気にした様子もなく笑う。

 その様子にため息をつきながら、ウルベルトはいまだに己の胸に張り付いて青い顔をしている少女を見下ろした。


「その…。アリィシャを置いて死ぬようなことは私はしないからそんなに震えなくても良い。なにより、私はあまり戦は好まないからな。まずはそれが起きぬように努力しよう。」


 竜王国は現在、王子二人が恋愛結婚できるくらいには安定している。

 周辺諸国とも友好関係を築けており、今回のような不安要素を上手く払ってやれば、近い将来に大きな戦が起こるような心配は減るはずである。

 そのような背景もあってのウルベルトの言葉に、彼に背中をぽんぽんと優しく叩かれたアリィシャは、彼を見上げてから、ようやく安心したように頷いた。


「とは言え、あの王女殿下が近隣諸国の軍事国家にでも嫁ごうものならウルフベリングとの戦争となって援軍にまた駆り出されるのでは無くて?できればそんなことは避けたいところだけれど、さすがに他国に嫁がれるのを止めるわけにはまいりませんものね。」


「そうですね…。しかし王女殿下がウルベルトでは無く私に声をかけたということは、少なくとも彼女自信には積極的にそのような事態を招く意志は無いように思いますね。」


「どうかしら。ウルベルト殿下のほうが身軽だというだけで、エラン様は王太子ですもの。軍の総指揮を任されておいででしょう。手っ取り早く頭から取ろうと思っていらっしゃるかもしれなくてよ?」


「ふふ、そうですねえ…。祖国を竜王国に飲み込ませてでも第二王子殿下に国を任せたくないのであればそういう手もありますね。」


 ロザリンドが上げる懸念事項に、エランが楽しそうに相槌を打ちながら答える。

 その様子を眺めていたアリィシャが、おずおずと声を上げた。


「私…。難しいことはよくわからないけれど、あの王女殿下はそのようなことを考える方では無いように思うわ。まっすぐな目をしていらっしゃったもの。」


 言われてロザリンドも今日の王女の様子を思い出す。

 たしかに、彼女の今日の様子をそのまま捉えるなら、あの王女は真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐな性格だ。

 本来王族同士の婚姻というものは周到に根回しをした上で申し出るものだろうに、パートナーであるロザリンドの前で堂々と愛の告白をしたのだから。

 晩餐会の会場に響き渡った、朗々とした声を思い出しながら、ロザリンドは持っていた扇子を口元にあて、首をひねった。


「わたくしその点は少しひっかかっておりますのよ。王族としては、あの言動はいささか迂闊すぎるでしょう。」


「そうだな。しかし彼女が兄上に告白した時の周りの反応を見るに、国ぐるみでの仕込みとは考えにくい気もするな。」


「そうですわね。なにか王女殿下個人でのお考えがおありになるのかもしれなくってね。」


 元々、ウルフベリングは第一王子が王位を継ぐのはほぼ確定していたし、彼が亡くなるまで、彼女はそういう政治の暗い部分には触れず、大事に育てられてきたのかもしれない。

 それでも王族として、最低限の知識くらいはあるだろう。そうじゃなければ使節団になんて危なっかしくて参加させられない。

 そう思ってのロザリンドの言葉に、ウルベルトも頷いた。

 正直なところ、ロザリンドはウルベルトも若干王族としては愚直すぎるところがあると思っていたが、そんな彼をしても今日のセレスの行動には疑問があるようだ。

 ウルベルトの言う通り、セレスがあの場所でエランに愛の告白をしたのは、誰にとっても予想外の出来事だったように見えた。

 もし、あれが仕込みで彼等の驚いた顔がすべて演技だったのならそれはそれですごいと思うが。


「そうなのかしら…。エラン様をお好きになって……堂々と告白されたということは…無いの?」


 ロザリンドとウルベルトの言葉に、アリィシャが淡い空色の瞳をぼんやりと瞬かせながら、首をかしげる。

 その素直な言葉に、ロザリンドは嘆息した。


「考えても見てアリィシャ。エラン様とセレス王女殿下は今日が初対面でしょう。そんないきなりお好きになるなんて…。」


「ローザ。」


 話の途中で、すぐ横から名前を呼ばれ、ロザリンドは何事かとその声の先に振り向いた。

 そこには、いつの間にか身をよせて、間近にせまったエランの甘い蜂蜜色の瞳がある。


「な、なんですの…。」


 薄暗い中、寄せられたエランの顔に、先ほど腰に回された彼の腕の感触を思い出して、思わずロザリンドは小さく身をひいた。

 そんな彼女を追うように、更に近づいた彼の顔が、かすかに横に傾げられて、薄闇の中でも鮮やかな赤色の彼の髪の毛が魔法灯の光の中で揺れる。


「世の中にはね、一目惚れという現象もあるんだよ。」


 深く笑まれた蜂蜜色の瞳を見返して、ロザリンドは方眉を持ち上げる。

 そんな、少女小説のようなこと…とロザリンドが反論しようとした時、それより一瞬早く横から声があがった。


「そうだな。そういうこともあるな。」

「そうね…。あるわね…。」

「ありますねえ!」


 何故かベリンダまで参加しての一斉肯定に、ロザリンドはでかかった反論を飲み込んだ。

 唯一、ルミールだけが首をかしげて事態を見守っている。

 どうやら自分は少数派のようである。


「妬けます?」


 未だに距離が近いせいか、ささやくような柔らかい声で問われて心臓の鼓動が速くなるのを感じる。

 しかし、ここで取り乱すわけにはいかない。

 なにせ今日はもう一回負けてしまっているのである。

 ロザリンドは彼と自分の間に扇をわりこませて、フン、と鼻を鳴らした。


「その燃料がどこにあるっておっしゃるのかしら。」

「それは残念。」


 ふふふ、と楽しそうに笑うエランの顔が遠のき、彼が身を引いてくれたのを知って扇の下で小さく安堵の息をもらす。

 すると視界の端で、魔法灯の柔らかい光に落とされた大きな影が動く気配がした。

 見れば、とうとう寝てしまったらしいアリィシャをウルベルトが横抱きにして抱えている。


「すまん、そろそろ失礼する。一応、私も注意はするが、たぶん何かあるとすれば兄上とロザリンド嬢だろう。もし問題などあれば言ってくれ。出来るだけ対応する。」


 そう言ってアリィシャを大切そうに抱えながら退出していくウルベルトに、ルミールがこちらに会釈をしてから小走りに続いていく。

 その様子を見送ったベリンダが、こちらに視線をよこしてきた。


「私も扉の前で警備でもしていましょうか?」


「どうしてそうなりますの!わたくしたちも部屋へ戻りますわよ!」


「それは残念ですね。良ければもう少し二人で話でもしませんか?あなたとの会話なら今日の天気の話題だって楽しいものですよ?」


 変な気を遣おうとしてくるベリンダにロザリンドがぴしゃりと否を唱えると、エランがくすくすと笑いながら、そんなことを言ってきた。

 ジロリ、とそんな彼の金色の瞳を睨めば、なぜか楽しそうな笑顔がかえってくる。

 この王太子は本当に天気の話題だけでもしばらく話続けることが出来そうで嫌になる。

 後で図書室で天候についての本を借りよう、と考えながら、ロザリンドはソファを立った。


「わたくしも今日は随分と疲れているようですの。とても残念ですけれど、天気のお話はまた次の機会にいたしましょう。」


「そうですか。明日の夜会もあなたが横に立ってくれるのですから、楽しみはとっておかねばなりませんね。」


 エランもロザリンドに続いて立ち上がると、彼女の手をとってその甲に口づけを落とす。

 そしてまた、蜂蜜色の瞳で微笑んだ。


「おやすみ、ローザ。」

「…おやすみなさいませ、エラン様。」


 本当に、この王太子は油断がならない!

 視線を伏せて就寝の挨拶をし、ロザリンドはベリンダを連れて足早に歓談室を後にした。


 〇・〇・〇・〇・〇


「姫、やる気あるんですか…?」


 部屋に戻る廊下の途中で、後ろからついてくるベリンダにそんな呆れたような声をかけられ、ロザリンドは視線を前に据えたまま憮然とした表情をする。


「どういう意味ですの…。」

「あの蜂蜜王太子をイチゴジャムにしてやるんでしょう?今チャンスだったように思うのですが。」

「……。」


 そういえば、そんな話だったような気がする。

 ここ数週間は、あの王太子を前にして平静を保つことに注力していて忘れかけていた。

 ロザリンドの勝ちは狼狽えないことではない。彼を狼狽えさせることである。


「敵が強大だと認めざるえないですわね…。」


 敵前逃亡してしまったことを認め、ロザリンドは嘆息する。

 今はまだ、彼の前で平静で立って居ることで精いっぱいで、攻撃などとてもできない。

 今日だってかなり恋人役として頑張ったとは思うのだが、最後にはアレである。

 あのまま談話室に残ったところで、またエランに遊ばれて終わりだっただろう。

 席を立ったのは戦略的撤退である。


 だいたいにして、ロザリンドは今まで黙っていても男のほうから寄ってくるような少女だったため、色目など使ったことが無い。

 ちょっと笑いかけてやるだけで男たちはその頬を赤くしていたのである。

 しかしエランには笑いかけても彼の笑みが深まるだけで、下手をすれば逆にこちらへカウンターが飛んでくるのだからたまったものではない。

 そもそも、彼は美女なんて見慣れているんだろうから、ロザリンドの美貌くらいではまったく戦力にもならないだろう。

 一体なにをどうやればよいのか、皆目見当もつかず、未だ不勉強であると痛感する。


「わたくし今一つ、経験が不足しているように思いますわ。それもこれも、あの狸がわたくしのまわりの男性を蹴散らしたせいではなくって?」


「まあ、それはそうでしょうね。姫の年齢で手練手管に長けていらっしゃるというのはそれはそれで心配です。」


 素直に反省するロザリンドに、後ろからベリンダの声が同意を示す。


「今度、おばあ様にでも相談しようかしら…。」


 若かりし頃は、男女関係なく虜にしたという自らの祖母の姿を思い出し、ロザリンドが己の不甲斐なさにため息をついたところで、ロザリンドの部屋の前まで到着した。

 ベリンダにドアを開けてもらい中に入ると、中ではアネッサ他数名の侍女が頭を下げて己の主人の帰りを迎えた。


「お嬢様、お勤めお疲れ様でございます。」


 そう言って顔を上げるアネッサに頷いて鏡台の前に座ると、侍女たちはロザリンドの就寝の準備の手伝いに動いてくれた。

 化粧を落とし、湯に浸かって寝間着を着たところで、アネッサがなにやら紙袋につつまれたものを持ってくる。


「なあにそれは?」


「はい、セレス王女殿下の遣いの方がいらっしゃいまして、本日のお詫びにと申されまして。」


 出された意外な名前に、ロザリンドは首をかしげた。

 彼女の今日の様子ではとても詫びの品をよこすようには見えなかった。


「どのような方が持っていらっしゃったの?」


「見事な銀色の髪の女性でいらっしゃいました。」


「……。」


 それはもしかしなくても本人なのでは無いだろうか。

 そんなことを考えながらつつみを慎重にあけると、そこにはころりとかわいいマフィンが一つ入っていた。


「……食べ物ですって…?」


 こんな状況で贈られる食べ物など、普通に考えて食べられたものでは無い。

 まさかそのようなことはしないと思うが、何が入っているのやら、わからないからである。

 しかしさすがに、そんなこともわからないような王女では無いだろう。

 ほんのりときつね色に焼けた生地の上に、銀砂糖がのったそのマフィンをまじまじと眺める。

 そしておもむろに、それを二つに割った。


「あらまあ…。」


 割れた生地の中には、クリームや果物では無い、何かが入っていた。

 それを白い指でつまみだし、顔の前までもちあげて、ロザリンドはその瞳をすっと細める。


「なかなか面白いことをなさりますこと。」


 ふふふ、と笑ってそれを鏡台の上に置き、マフィンをちぎる。


「お嬢様、わたくしが先に!」


 あわてて止めるアネッサの声には答えず、ロザリンドはマフィンの欠片を口に放り込んだ。

 甘さ控えめなその味は、いつか王妃と共にしたお茶会で食べた菓子の味によく似ていた。

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