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10 約束

 自分の書斎で、そろそろ夕食の時間なので今日の仕事の区切りをつけようかと考えていたラフィル=フェリンドの耳に、階下からにぎやかな声が聞こえてきた。

 その声の主は足音高くまっすぐにラフィルの書斎まで駆けあがって来たかと思うと、伺いもたてずにドアを勢いよく開けた。


「ラフィル!なんだ元気そうじゃないか!」


 ぞんざいに纏められた黒色の髪の毛を散らして、ヘーゼルの瞳を輝かせ自分の名前を呼び、そのままの勢いで突進してくる女性に、ラフィルは腕を広げてなんとかその体を受け止めた。


「ベリンダ!君いつ帰ってきたんだ!」


 驚きのままに問えば、ヘーゼルの瞳が自分を見上げて自慢げに細められる。


「たった今だ!馬を走らせてまずここにきてやったぞ!喜べ!」

「そりゃ喜ぶけど…。」


 自分の胸に顔を埋めてご満悦といった顔のベリンダをラフィルは抱きしめながらも困った顔で見下ろす。

 いろいろと言ってやりたいことがあるのだが、彼女のこの顔を前にすると何も言えなくなってしまうのだ。

 仕方なく立ち上がってベリンダにソファに座るように促し、従者のハウソンにお茶を入れるように指示して自分も座る。

 さきほどまで自分の胸の中に居た彼女をまじまじと見ると、婦人用の乗馬服を着て、どこかすすけた姿は貴婦人という見た目から程遠かった。

 なるほど、たしかに帰ってきたその足でここまで来たらしい。


「ラフィル、お前まだ婚約者が居ないらしいな。まさか本当に待っていたのか?」


 ハウソンが出してくれたお茶を持ち上げながら、ベリンダが感心したように言ってくる。

 ラフィルの元にはこの春先から沢山の縁談が舞い込んでいた。

 にもかかわらず、未だラフィルには決まった相手がいない。

 ラフィルは元来社交好きな性格なので、別に女性が疎ましかったわけではない。


「君が待てと言ったんだろう。おかげでこっちは大変だったよ。」


「それはすまなかったな。お前も大事だが興味が尽きることがなかったから長く留守にしてしまった。お前はどうとでもなるだろうが、私はお前に貰ってもらえないともう何処にも行く当てはないから安心したぞ!」


 さして悪びれもせずに上機嫌で笑うベリンダに、ラフィルは嘆息する。

 ベリンダは母方の遠い親戚であり、彼女の兄のロドリクはルミールを騎士学校に入るまで護衛をしていた。

 ラフィルはそのロドリクと、ある賭け勝負をし、大負けした。

 そしてロドリクに金のかわりに頼むからうちの妹をもらってくれとベリンダを押し付けられたのである。

 その折には、「賭けで女性をやりとりするなんて!」と母には泣かれ弟には殴られ父には笑われた。


 しかも押し付けられたにも関わらず、彼女は「婚約する前に世界が見たい!」と言って飛び出して行ってしまい、今日まで5年も帰らなかったのだ。

 ベリンダは騎士であり、安否は心配していなかったのだがそのかわりいつ帰ってくるのかは謎だった。

 にもかかわらず、この男前すぎる婚約者予定の女性を何故ラフィルが待っていたのかと言えば、彼女の兄との約束もあるが、ラフィルも彼女のことを気に入っていたからだ。

 ベリンダは最初からこんな調子ではあったが、ラフィルのことを好いてくれているらしく、キラッキラと輝く瞳でこちらを見てまっすぐ好意を伝えてくるのだ。嫌いになどなるわけがない。

 さすがに10年たっても帰ってこなかったら諦めようとは思っていたが、思いのほか早い帰りでなによりである。


「しかし本当に何があったんだ?去年の夏頃からお前が死ぬ前にさっさと帰ってこいと父から何度もせっつかれて、とうとう今回は余命一か月だと聞かされて戻ってきたんだぞ。私はお前が病気でもしたんじゃないかと思ってたんだが。」


 本当に大丈夫なのか?とベリンダが身を乗り出してラフィルのほっぺたをぺちぺちと触る。

 ベリンダの父のグレネイル子爵が、そんな連絡をする羽目になった原因に思い当たる節があったラフィルは、ベリンダに頬を触らせるままにしながら内心で子爵に謝罪する。

 しかし余命一か月はひどく無いか。


「従妹のエスコートをしただけなんだけど…。嫉妬深い上に権力を持て余した男がいてね…。」


「ははーん、悪い奴もいたもんだな。しかしお前の従妹ってあれだろ、ロザリンドだろ。私は一回しか見たことはないが、あれではそれも仕方なかろうな!ようするにお前は馬に蹴られて死ぬところだったわけだ!」


 ハハハ、と爽やかに笑うベリンダに、ラフィルは相槌を打つ気力もなくソファに身を預けひじ掛けに頬杖をつく。

 しかしまあ、王太子がせっついてくれたおかげで彼女が帰って来たのなら、案外一年の間ロザリンドの横で彼の冷たい笑顔に耐えたかいはあったのかもしれない。

 男のラフィルはどうとでもなるが、できればベリンダがまだ若い内に花嫁姿を見たかった。

 彼女が着飾ってる姿などまだ一度も見たことは無いが。


「いや、しかし本当に無事で良かった。連絡をもらった時ちょいと遠くに居たのでな。国に戻ってすぐの辺境騎士団に転移陣を使わせてくれと言いに行ったくらいには私も急いで帰ってきたんだ。断られたがな!」


「…そりゃそうだろう。あれは国事じゃないと使えないからね。連絡は何で来たんだい?」


「きいて驚け!魔法達だ!父の本気が伺いしれるだろう?私もびびったぞ!」


「それはまた…。本当に私の命は危なかったのかもしれないな…。」


 この世界において、人にとっての魔法は物語のそれのようにお手軽なものではない。

 緻密に計算された術式を、職人が組み立てることによって発動させるために、起こす事情に対して非常に費用と手間がかかり、緊急時や重要な場面でしか使われない。

 最近、ようやく魔法灯という家庭用光源が、一般用に実用化されて普及したくらいで、まだまだ魔法というものは、一般人にとっては馴染みが少ないものだ。

 そして魔法達とは、手紙を送りたい者へ瞬時に送り届けるいわゆる手紙の速達便である。

 相手への距離が離れれば離れる程費用がかかる。

 遠くにいたというベリンダに届けるのには、ちょっとした馬車一台分くらいはかかっただろう。グレネイル子爵の本気具合が伺えるというものだ。

 娘をさっさと嫁に出したいという焦燥感があったのか、本気でラフィルの命が危なかったのかは定かではない。ラフィルとしては、前者であってほしいところだ。


「今日はこれからグレネイル邸に帰るのかい?御父上も心配しているだろう。」


「まあな、帰ったらたぶん、一晩くらい説教されるはずだからまずこっちに来たんだ。ルミールはどうしている?騎士爵を賜ったときいたんだが。」


「弟は近く近衛に入る予定だ。ちょっと込み入った事情があってね…。」


「そうなのか。私も近衛に編入しろと言われたから会うかもしれないな。」


「ええ!?」


 思いがけない言葉にラフィルが伏せていた顔をあげると、ベリンダは何か問題か?と首をかしげる。

 ベリンダはグレネイル子爵家の娘なので、身分は問題ない。

 しかしこの娘が近衛なんかでちゃんと振舞えるのかラフィルには見当がつかなかった。

 なにせ彼女とは夜会にも出たことが無いのである。


「ベリンダ、君近衛なんかに入って大丈夫なのか?あのへんは礼儀作法も厳しいんだよ?」


「任せろ。これでも礼儀作法は小さい頃から無理やり捻じ込まれたからな。必要な時はふるまえるぞ。夜会にも出られないようじゃお前の浮気を見張れないからな!」


 それは見てみたい気がするが、恐ろしいような気もする。

 というか、浮気されることが前提なのはいかがなものなのか。


「じゃあなんだって私のところに来るまで売れ残ってたんだ。」


「必要な場面が今までなかったからだ。それにあの頃は18だっただろ。まだ絶賛売り出し中だったんだぞ。売れ残ることが確定してただけで。」


 ふふん、とすまして言う彼女を信じていいものか疑わしい。

 彼女にとって、何時が礼儀作法や淑女の振る舞いが必要な時なのか、基準がよくわからないな、とラフィルは嘆息する。


「まあいいや。ここに来たということは観念して婚約を結ぶつもりになったんだろう。今度書類を届けさせるから仕事の合間にちゃんと見てくれよ。」


「ダメだな。」


「ええ?」


 もしかして五年越しに振られたのか?とラフィルが眉を潜めて見返すと、ベリンダはむすっとして腕を組む。


「お前、他では散々甘いこと言ってるくせになんだそれは。もっとちゃんとプロポーズしろ。」


「……いいけども…。」


 振られたわけではないようだが、自分でムードも何もない空気を作っておきながら、要求が高いな、とラフィルはベリンダを見る。

 黒く緩いウェーブがかった頭はぼさぼさで、昔は綺麗だっただろう乗馬服はところどころ埃がついてほつれもある。顔に化粧なんてもちろんしておらず、女性というよりは少年と言われたほうが納得するだろう。

 しかしそんななりでも一応、乙女心は持ち合わせているらしい。

 こんな空気の中でやるとなると恥ずかしいものだな、と思いながらも、ラフィルは彼女の手をとってソファから立たせると、ゆっくりとその前に跪いた。


「ベリンダ嬢、あなたが再び私の腕の中へ舞い戻って下さったことは至上の喜びです。どうかこれからは私の生涯の伴侶として、その羽根を私の横で休めてくださいませんか。」


 そう言ってベリンダの手の甲に口づけを落とし、彼女のヘーゼルの瞳を仰ぎ見る。

 すると彼女は頬をバラ色に染め、口元をほころばせて嬉しそうにその瞳を輝かせた。


「合格!」


 歓喜の音をのせて力強く告げられたその言葉に、彼女にとって淑女としての振る舞いが必要な時とはいつなのか、ラフィルはまた考えこむことになった。


〇・〇・〇・〇・〇


 ベリンダに合格をもらった後、彼女が出されたお茶を飲んでから帰るというのでソファに座りなおしたところで、少し開いていたドアの隙間から、淡い金色の髪の毛が覗いた。

 その金色が少し心配げに揺れて躊躇した後、扉が控え目にノックされる。


「入ってきても大丈夫だよ。」


 ラフィルがその様子をほほえましく見ながら、お茶を手に声をかけると、そっとドアが開いて、そのむこうから彼の妹が顔を出した。


「あの…お兄様、なんだか賑やかでしたけれど、お客様で…」

「ルミールお前えええええええ!!!!!」


 アリィシャが心配げに言い終わる前に、お茶を乱暴に置いてがばっと立ち上がったベリンダが猛然と彼女に突進していく。

 その様子に、アリィシャは怯えたようにすくみ、ラフィルは呆気に取られて反応に遅れた。

 入っても大丈夫だと声をかけたが、大丈夫ではなかった。


「おま、お前!あれだけ私が気を強くもって男らしく生きろと言ったのにお前!!」

「べ、ベリンダ…」


 アリィシャの肩を力強くつかんでゆっさゆっさと揺らすベリンダに、アリィシャは驚きのあまり声も出ない様子でされるがままになっている。

 彼女の空色の瞳が、若干涙目になっているのは気のせいではないだろう。

 なんとか我に返ったラフィルが妹を助けようと呼びかける声も聞こえていないようで、ベリンダはアリィシャを揺らすのをやめて彼女のドレスを調べ始めた。


「どうしたんだこれ!似合いすぎだろう可哀そうに!!!っは、まさか?お前?まさか切っ…」

「ベリンダ姉さん!」


 ベリンダがアリィシャのドレスのスカートを掴んで引きあげようとしたところで、更に廊下から嬉しそうな声がかかる。

 騒然とした部屋に走りこんできたのは、アリィシャと同じ色の髪を揺らして淡い緑色の瞳を喜びで輝かせたルミールだった。


「お?」


 いきなり同じ顔が二つになったことに処理が追いつかなくなったのか、ベリンダが一時停止する。

 そんな彼女に駆け寄ってきたルミールは、嬉しそうに声をあげた。


「姉さん、ラフィル兄さんが嫌で逃げてたんじゃなかったんですか?いつ帰ってきたんです?」


 失礼なことを言う弟には答えず、同じ顔の二人に交互に視線を向けたベリンダは、最後にラフィルに視線をよこした。


「ラフィル!お前の弟が分裂しているぞ!」


「……いや、一人は妹だよ。」


「そうなのか?あまりに可愛かったから分裂したルミールは女になったのか…。」


「ベリンダ姉さん酷い!!」


 奇天烈なことを言い始めるベリンダと、それに抗議する弟を見ながら、どう説明したらいいんだとラフィルがつい遠い目をしていたところ、ようやく恐慌状態から回復したらしいアリィシャがルミールの後ろにそそくさと隠れてからおずおずと挨拶をする。


「あ、あの…わたくし、アリィシャ=フェリンドと申します…。ルミールお兄様とわたくしは別人ですわ。よく似ているので間違われるのです。…ご歓談中、お邪魔して申し訳ありません。ベリンダ様はラフィルお兄様のお知り合いでしょうか?」


 その様子を、ベリンダがまじまじと観察する。

 そして改めてルミールとアリィシャを見比べて、またラフィルに向き直った。


「…もしかしてこれルミールじゃないのか?」


「…アリィシャはフェリンド城ではなくセイルーム城に居たから君とは面識がなかったかもしれないけど、正真正銘私の妹だよ。病気をしていたんだが数年前に快復したんだ。」


「だから女なのか…。」


 ラフィルの再度の説明でようやく理解したらしいベリンダが、もう一度弟と妹に向き直る。

 そしてへにょ、と眉を下げた。


「ルミール、知っていたけどお前女だったらこんなに恵まれてたんだな。」

「ベリンダ姉さん酷い!!」


 さきほどとまったく同じ言葉で弟が抗議する。若干彼の語彙力が心配である。

 ベリンダはそれには構わずルミールの後ろに隠れているアリィシャに顔を向けると、にっこりと微笑んだ。


「はじめましてアリィシャ嬢。私はベリンダ=グレネイルだ。ラフィルの婚約者になる予定だから仲良くしてくれ。」


「婚約者…!?」


 ベリンダの言葉に淡い空色の瞳を普段よりさらに丸くして、こちらを向いたアリィシャがラフィルに本当なのかと視線で尋ねてきた。

 それになんだか申し訳ないような気持ちで頷くと、アリィシャはまたベリンダのほうを凝視する。


「ベリンダ姉さんは僕の護衛だったロドリクの妹だよ。……いろいろあってラフィル兄さんと婚約する予定のまま今まで留守にしてたんだ。」


 アリィシャの耳に賭けの話を入れたくなかったのか、ルミールが事の経緯をばっさりと要約して説明する。

 妹にそのような失態を聞かれるのはラフィルにとっても耐えがたいのでありがたい。

 ルミールの言葉にアリィシャは宙に視線をさまよわせた後、一つ頷いた。


「ロドリク様のことは覚えていますわ。妹君がいらっしゃったのですね。ベリンダ様、お兄様をどうぞよろしくお願いいたします。」


「すごいな、まだ天使っぽかった頃のルミールみたいだな。」


「その天使を乱暴者にしたのは君の兄さんだよ…。」


 感動したように言うベリンダに、ラフィルは可愛かった弟を思い出して頭を押さえた。

 ルミールは、小さい頃はその容姿と相まって、とても可愛らしい男の子だった。

 はかなげで、女の子にしか見えないその容姿に、優しい性格で、みな彼を見て妖精か天使のようだともてはやしたのだ。

 しかしそんな様子を見て、男なのにこれでは将来貞操が危ないと、ルミールの護衛を務めていたベリンダの兄がみっちりとしごいて今の弟になったのである。


「それで、ベリンダ姉さんはもう旅は終わったんですか?」


「ああ、ラフィルの余命が一か月だときいて戻ってきたんだ。でもまだ生きるみたいだからわたしの嫁ぎ先が無くならなくて何よりだな。」


「第三騎士団にはお戻りになるんですか?僕騎士爵を賜ったんですよ!」


「ああ、聞いた!でかしたぞルミール!私はたぶん近日中に近衛に編入だ。お前も近衛になるんだろう?同じ職場だな。」


「本当ですか!じゃあまた会えますね!」


 ベリンダを兄のようにしたっているルミールが嬉しそうに笑う。

 少女にしか見えない青年と、男らしい令嬢というなんとも言い難い光景に、これからにぎやかになりそうだなぁ…とそんなことを考えながらラフィルは今日の仕事に使った書類を片付け始めた。

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