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「まったく何が気に入らないのか…。」


 春が深まる日差しを窓からいっぱいに取り入れた、明るい室内で、竜王国の王太子、エラン=ドラグ=ハズルーンは執務机の上で書類にサインをしながらため息をついた。

 外からは小鳥のさえずりが聞こえ、春らしい、穏やかな昼下がりだ。

 にもかかわらず、常であれば柔和な笑顔を崩さない秀麗な王太子は、今日は王家に流れる赤竜の血を色濃く示すその金色の瞳に、髪と同じ鮮やかな赤色のまつ毛を伏せて、沈んだ様子を隠さない。

 息を吐いた時に彼の首が傾いだことで、濃紺のリボンで緩くまとめられた彼の鮮やかな赤の長い髪の毛がサラ、と揺れる。


 そんな物憂げな王太子の横で、無言でクライム=グレイン子爵が書類の整理を進めている。

 最近側で働くようになったこの金髪に灰色の瞳の青年は、大変優秀で飲み込みが早い。

 派手では無いがよく整った顔をしており長身で、所作も美しい彼はさぞ女性にもてるだろうと思われるが、エランとは共に働き始めて短いせいかまだあまり打ち解けているとはいいがたい。

 今もその綺麗な姿勢を崩さず、黙々と書類の確認をしている。


「…クライム、私になにか言いたいことはないのか?」


 しばらく書類仕事を進めながら、まったく自分のため息に興味を示さない側近に、エランはちらりと視線をやった。

 クライムは、エランのほうには見向きもせず書類にその灰色の目を落としたまま答える。


「お悩みであっても仕事の効率が落ちないのは良いことかと思います。」


 まったく興味なし、といった風情で書類の確認作業を進める側近に、エランは持っていた赤い万年筆をパチリと音を立てて机におき、両手を上げる。


「では仕事を中断するから話をきいてくれ。」


 王太子のストライキ宣言に、クライムは渋々といった様子でこちらにちらりと視線を投げた。

 しかし未だその手には書類が握られたままである。


「…手短にお願いします。」


「手短になんてできるものか。きいてくれクライム、先日かのウェジントンの黒薔薇に愛を囁いたんだが、彼女に鼻で笑われた上から高笑われたんだよ。」


「存じております。」


 つい二日前、春の社交シーズンを開始する開華祭にて、ようやくパートナー役についてくれたウェジントン侯爵家のご令嬢、ロザリンド=ウェジントンにエランは愛を告白したのだが、すっぱり両断されてしまったことは、すでにクライムの耳に入っている。

 そもそも、ロザリンドは常々エランにはあまり良い態度をとっていなかったので、当然の結果かと思われた。

 彼女は元々侯爵家で唯一の年頃の令嬢ということもあり、王太子妃の筆頭候補だったのだが、そこへエランが夜会の度に真っ先に挨拶に行くものだから、他の男が遠慮してしまい、シーズンの終わりには彼女のまわりに男性が居なくなり、ロザリンドは随分とエランに辟易している様子だった。

 これがまだ伯爵家や子爵家のご令嬢であれば、王太子からの申し入れを断るなど畏れ多くてできなかったかもしれないが、相手はウェジントン侯爵家のご令嬢なのである。

 かの家は竜王国でも大きな発言力を有しており、気に入らなければたとえ王命付きだったとしても王太子からの縁談を断ることも出来るのに、伝家の宝刀も持たずに愛だけ囁くからそういうことになるのである。

 実際、彼女の祖母は当時の王太子であった前王をすっぱりと袖にして当時のウェジントン侯爵と結婚したツワモノなのだ。


 短く主人に答えた側近に、エランは難しい顔で腕を組み、机の上を睨みながら話を進める。


「クライム、何が気に入らないのだと思う?私はこのとおり見目もいいし、仕事もできるし、性格も良いし、しかも王太子なんだよ。何もケチのつけようが無いと思うんだが。」


「そういうところだと思いますよ殿下。」


「彼女がデビューしてからここ一年、熱心に話しかけて他の男が近づかないように牽制していたはずなんだが。」


「そういうところだと思いますよ殿下。」


「かのご令嬢がお好きだときいたので、少女小説にならって告白してみたんだがなぁ」


「本当、そういうところだと思いますよ殿下。」


 さきほどから優秀であるはずの側近が同じ言葉を繰り返すだけでまともなアドバイスをしてこない。

 エランは不満げに頬杖をついて、じろりと金の瞳でクライムを睨んだ。


「そういえば、お前も先日失恋したんだったな。」


 エランの言葉に、さきほどまで書類を確認しながらだったクライムが、あからさまに嫌そうな顔をして彼を見返した。

 実のところ、クライムもエランと同じく、開華祭で意中の相手に告白をし、振られたばかりなのである。

 だからこそ、この話に乗り気では無かったのだ。

 できればしばらく、そう言った話からは遠ざかっておきたい、というのが彼の偽らざる本音だった。


「失恋者同士、アドバイスを求めるのではなく慰め合うべきだったか。」

「遠慮させていただきます。」


 ほら、話をきいてやるぞ、と視線で促すエランに、クライムは深い溜息をついて書類をおいた。

 自分の話をこの王太子にするくらいなら、まだエランの話をきいたほうが良いと思ったのだ。

 そんなクライムに、ようやく側近が話を真面目に聞く気になったのを見て取り、エランはうなずく。


「そもそも、常々疑問だったのですが、王太子殿下はロザリンド嬢に、恋慕の思いはお有りだったのですか?無礼を承知で言わせていただくならば、王太子殿下は少々、何を考えているのかわからないところがありますので、お気持ちがまったく伝わっていないのでは無いのですか?」


「恋慕の思い?」


 胡乱な瞳をこちらに向けて問う側近の言葉に、エランは片眉を上げ、ふむ、と掌を目の前に上げた。


「もちろんあるとも。ロザリンド嬢はこれ以上無いご令嬢だろう。家柄もさることながら、かのウェジントンのアメジストと呼ばれたウェジントン侯爵夫人に習って、完璧な淑女であるし、知見も深く、社交上手だ。見目も麗しく誰もが彼女を我が妃の筆頭候補と認めている。良い王妃になるだろう。おかげで彼女に言い寄っておけば他のご令嬢の縁談が少ないのもすばらしい。」


「最後が本音ですね殿下…。」


 長い指を折ってロザリンドの良い場所を数え上げるエランに、クライムは頭がいたい、といった様子で額に手をあてる。

 そんな側近に、手を下ろしてエランは肩をすくめてみせた。


「まあ今少し情報が少ないことは認めるが。」


「殿下は仕事はよくおできになり、私としては助かるのですが、男女のこととなるとポンコツだったのですね。ロザリンド嬢への嫌がらせはなにかお考えがあるのか、本当に恋しく思っているのかと思っておりましたがどちらも外れていたようで自分の浅慮を恥ずかしく思います。」


 とりあえず、クライムが自分をけなしていることは理解し、エランは不本意そうに側近の灰色の瞳を見上げる。


「私は嫌がらせなどしていないぞ?」


「そういうところですよ殿下。」


 またしても同じ返事を返す側近に、エランは眉を寄せた。指摘をするのなら、もう少し具体的であるべきだ。

 ここ一年、ロザリンドに対してエランがしていたことはすべて彼女を横に置くための布石であり、別に嫌がらせをしていたわけではない。

 そもそも、エランは自分で言う通り、その秀麗な見た目と、王太子という地位のおかげでよくモテる。

 国内の貴族は是非自分の娘をと縁談をひっきりなしに持ってくるし、令嬢たちは彼が笑いかけてやるだけで嬉しそうに頬を赤らめるのだ。

 にもかかわらずロザリンド嬢は彼が近づくとそれは美しい笑顔で挨拶をしてくれるのに、その笑顔の裏の「こっちくんな」という心の声を隠そうともしない。そしてほとんどこちらの話も聞かず、顔も見ずに逃げていってしまうのである。

 せめて彼女がこちらを見て話をきいてくれれば他にもやりようはあっただろうに。

 見てもらえなければ顔の造作など意味が無い。この顔の出来だけで彼女が頷いてくれるならエランだってそのように面倒なことはしなかったのだ。

 そのあたりの感覚のすりあわせを、今後この側近とはする必要があるな、とエランは胸中のやることリストに記入した。


 エランがどのように説明すれば理解を得られるだろうか、と考えていると、その前にクライムが新しい書類をおいた。

 そろそろ手を動かせと言っているらしい。


「殿下、その、殿下のおっしゃる「好ましい」はあくまでロザリンド嬢の条件であって人柄ではありません。殿下のおっしゃる「好ましい」理由で彼女を望むのであれば、下手に愛をささやくよりも政治的に取引なさったほうがよろしいかと思いますよ。彼女はそういうことには聡い女性だと思いますので。」


 ようやくアドバイスらしいアドバイスをしてきた側近にうなずいて、エランは彼の言葉を咀嚼しながら前に置かれた書類を頬杖をつきながら眺める。

 この申請書は差戻だ。詰めが甘い部分が散見される。


「つまり、お前は私が彼女を愛していないと言うんだな。」


「殿下は理解が早くていらっしゃり、助かります。」


 うなずくクライムに、エランは少し機嫌を持ち直して横に置かれたペンを持ち直し、積まれた書類をさばく作業に戻った。

 それを見て、ほっとした顔をしたクライムが、また横に置かれていた書類を手にとって確認作業を進める。


「しかしお前のアドバイスは50点だな。それでは彼女に心を返してもらえない。」

「……。」


 自分に心が無いのに相手に求めるのか?と顔に書きながらも、クライムは沈黙を守った。

 こうやって伝えたくないことも素直に顔に出てしまうところはまだ彼は若いなと感じる。

 まあ、もしかしたらエランに察しろと思っていたのかもしれないが。

 エランは書き終えた書類をクライムに渡しながら、不満そうな灰色の瞳をいつもの柔和な笑みを顔に戻して見上げた。


「そういえば、父上が母上を見初めた時、母上が輝いて見えたと言っていたことがあった。竜の血をひく王族は、自分に好ましい者が光り輝いて見えるらしいぞ。」


「なるほど、国王ご夫妻が仲睦まじくていらっしゃる理由はそういうことなのかもしれないですね。」


「お前も王族の血を引いているだろう。件の相手は光り輝いて見えたのか?」


「……黙秘してもよろしいですか」


「だめだ。」


「そうですね、見えました。竜の血のせいかはわかりませんが。」


「どうせ一目惚れなのだろう」


「黙秘し…」


「だめだ。」


「…そうとも言うかもしれません。」


 そこまで言って、クライムは書類を整理する手を止める。

 窓の外へ視線を向け、ふう、とため息をつく彼は失恋の傷をまだ癒せてはいないのだろう。


「…お前は本当にまっすぐだな。」


 スラリとまっすぐな心根は彼の美点だ。

 その美しさが、これから先曲がらねばならない場面で、損なわれ無ければ良い。

 そんな柄にも無いことを考えながら、エランはクライムに積まれた次の書類へ手を伸ばしたのだった。

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