ドラゴンと片割れの旅立ち
「洞窟のドラゴンと少年」の続編になります。
「ほれ、終わったぞ」
合図の声でディアマンテとルーカスは目を開けた。目の前には小柄な老人、ドラゴンの長カリナンが人型で座っていて、好々爺らしいしわくちゃな笑顔で二人を眺めている。
ディアマンテはそっと自分の耳に手をやって鏡を覗き込んだ。つい今しがたまでは何もなかった両の耳たぶに、透明な石のピアスが一粒ずつ輝いていて、その硬い感触に驚いてしまう。
片割れであるルーカスの両耳にも同じものがついているのが見えた。
「ディアマンテよ、それが片割れ同士としてドラゴンの長たるわしに祝福された証じゃ」
「じゃあこれで――――」
「そうじゃ、人間であるルーカスもドラゴンであるおまえと同じ長い寿命を生きていくことができる」
片割れ同士となったディアマンテとルーカス。二人はドラゴンを探す人間から逃れるために旅に出ることを選んだ。目的地はない旅だが、一か所だけ行かなければならない場所があった。
それが竜の里。
そこに住むドラゴンの長に会いに行くのだ。
長に会いに行くのは長の祝福を受けるため、とディアマンテは言った。それには理由があった。
他のどの生き物よりも長命なドラゴンと、たかだか百年も生きられない人間とでは共に生きられる時間はあまりに短かすぎる。だが長の祝福を受ければ寿命の違う片割れもドラゴンと同じだけの寿命を生きることができるようになる。祝福を受けた証として互いの耳に現れるピアスを通じ魔力がつながるためだと言われている。
「ただ、一度祝福を受けてしまえば元に戻ることはできない。だから慎重に考えるのだ」
そう言うディアマンテにルーカスはあっさりと首を縦に振る。
「俺はディアマンテを置いて行く気はないよ。だから祝福を受けに行こう」
「ま、待て待て! 焦るんじゃない。そうなってしまえば親兄弟に置いていかれるのはおまえなのだぞ、ルーカス」
後悔してほしくない一心でそう言ってもルーカスは譲らない。
そこでディアマンテは条件を出した。三年経っても気が変わらなかったら長のところへ行こう、と。
そうして三年経ってもやはりルーカスの決意は固かった。だから約束通り二人でこの竜の里へ来たのだ。
ドラゴンの長カリナンはディアマンテを一目見るなりしわくちゃの顔をさらにくしゃりと歪めて笑った。
「ほう、ほう。おまえがフロレンティンとオルテンシアの仔かのう」
ディアマンテは目を丸くした。カリナンが言ったのはディアマンテの両親の名だったからだ。
「父と母を知っているのか」
「もちろんじゃ。二頭ともしなやかで優美なドラゴンじゃった。おまえの父フロレンティンは宝石竜ではなかったが強くすばらしいドラゴンでな。ドラゴンの頂点たる我々ダイヤモンドの宝石竜いちの美姫と名高いオルテンシアを見事射止めたのじゃ。片割れとしても、番としてものう」
ほっほっほとカリナンは高く笑ったが、ディアマンテは少しばかり戸惑った顔をしている。
「ん? どうかしたのか?」
「あ、いや――――我は、いや私はまだ雛の頃両親と死に別れてしまったのでわからないことがいくつか……」
「なんじゃ。かまわんぞ、何を知りたいのかのう?」
「我々ドラゴンが片割れを得て魔法が使えるようになったりすることも知っていたし、片割れにしかドラゴンの名前をつけることができないことなんかは知っていたんだ。けれど――――」
ひとつひとつ考えるようにディアマンテは疑問を並べていく。
「まず、宝石竜という言葉自体が初耳だったんだ。確かに母の額には私と同じような石があったが父にはなかった。私にも石があるから、雌のドラゴンだけに石があるのかと思っていたんだが違うのか?
ふたつめ、そのダイヤモンドの宝石竜というのがなんなのか。ドラゴンの中でも偉いと言うことか?
みっつめ、片割れと番は違うのか」
「ほっほ、なるほどのう。まだ幼い雛であったなら知らないことが多いのも道理じゃて。どれ、教えてやろうかのう」
それから聞いた話はディアマンテにとって初めて聞く話ばかりだった。
宝石竜はドラゴンの中でも稀少な種類、額に宝石をもって産まれてくる。一般のドラゴンより知性も高く魔法も桁違いに上手い。ドラゴンたちは本能的に宝石竜が自分たちの上にいるものだと理解しているようだ。
額の宝石はルビーやサファイヤ、あるいはアメジストやオパールなど様々なものがあるが、その中でもダイヤモンドは特に格上の宝石竜として扱われる。なぜならドラゴンの長はダイヤモンド竜のなかから選ばれるからだ。だから人間で言えばダイヤモンド竜は王族のようなもの、とカリナンは説明した。
「じゃがのう、ディアマンテや。わしはドラゴンの王とかそんな偉いもんだとはこれっぽっちも思ってはおらん。ダイヤモンド竜はたまたま他のドラゴンよりも力を持って生まれてきたから、みんなが幸せに暮らせるようにその力を尽くすものだと思っておるよ」
そしてもう一つ、とカリナンは続けた。
「片割れと番とは違うんじゃ。もっとも片割れが番となることも多いのは事実じゃ。じゃが、片割れが同性の場合もあるからのう」
「あっ、そうか」
納得した、という顔のディアマンテにカリナンがまたおかしそうに笑った。
「さて、ディアマンテよ。それでは祝福の儀式を始めようかのう。
じゃがおまえは少しこの竜の里でドラゴンについて学ぶ必要がありそうじゃのう。祝福が終わったら指導役をつけてやるからいろいろと教えてもらうといい。そのあと里に留まるも良し、二人で旅に出るも良し。そこは二人の好きにするといいじゃろう」
カリナンの約束通り、ディアマンテには指導役がついた。
「君がディアマンテか。私はアルマース、君と同じダイヤモンド竜だ。今日から君の指導役を務めることになる――――が」
アルマース、と名乗った指導役は人の姿をしていて、長い黒髪を後ろで一つにまとめた姿の背の高い青年だ。かちっとした雰囲気で、なんとなく背筋が伸びてしまう。そのアルマースがテーブルに座ったディアマンテの隣をじろりと睨んだ。
「おまえは誰だ」
アルマースの視線の先にいるのはルーカス。彼は緑の瞳を細めてにこやかに挨拶をした。
「初めまして。俺はディアマンテの片割れ、人間のルーカスです。せっかくだからディアマンテについてもっとよく知りたいと一緒に勉強させてもらえないかとカリナン様にお願いしたのです」
「――――まったく長は甘い。一族以外の者にも我々宝石竜のことを教えようなどと。だがルーカス、おまえが片割れであるディアマンテのことを理解しようとする姿勢は評価できる。ただ私は甘くないぞ」
鋭い視線で睨みつけてくるアルマースに少し嫌な予感がした二人。
そしてその嫌な予感に違わすアルマースは厳しい教師だった。宝石竜の何たるか、その歴史から習慣、振る舞い、エトセトラ。それらを容赦なく詰め込まれていく。
ただアルマースは怒鳴りつけたり殴ったりはしない。二人が勉強の内容に躓くと眉根を寄せ厳しい顔をして黙り込む。それからどこがわからないか徹底的に問い詰めてくるのだ。
「アルマースさんって実はすごく面倒見がいいよね」
その日の勉強が終わり、あてがわれた私室でくったりとしているディアマンテにルーカスが言った。ディアマンテもソファーにだらしなく寄りかかったまま頷いた。
「最初は嫌なやつかと思っていたがな、ひと月も顔を突き合わせていてわかってきた。実に不器用だが面倒見がいい奴だ」
「うん。真面目すぎるところはあるけど、俺もそう思う。教え方もうまいしね」
「アルマース……アルといえば、さっき言ってたよな。三日後にダイアモンド竜の会合があるとかなんとか」
「だね。ダイアモンド竜はいわばドラゴンにとっての王族みたいなものだっていうから、王族会議になるのかな。ディアにとっては初めての会合なんだから緊張してる?」
「ば、バカを言うな! そんなわけないだろうが!」
「はは、さすがは俺のディアだ。その意気だよ」
「――――そんな気楽そうに言ってるが、ルーカス、おまえも呼ばれてるんだからな」
「わかってるよ。俺は粗相のないようにディアの影にかくれてるって」
「な! 卑怯だぞ、ルーカス!」
ははは、と笑い声が部屋に響く。
やがて面倒臭そうにドラゴンに戻ったディアマンテは床に丸くなり、ルーカスはその横で寄りかかって眠りについた。
このようにディアマンテが初めて出会った宝石竜たちはおおむね彼らに好意的だった。けれどドラゴンにも人間と同じく欲も悪意もあるということを思い知らされることになる。
翌日現れたダイアモンド竜はカリナン、アルマースを含めて六体。どうやら今現存するダイヤモンド竜はディアマンテを含めて七体だけのようだ。
現れたダイヤモンド竜たちは一様に人型を取っている。今回初めて見る四体のうち女性は二体、男性も二体。彼らは一様に気高くプライドも高く、なんとなくとっつきにくい印象だ。特に壮年の男性からは並々ならぬ圧力を感じて近寄りがたい。
「この子はディアマンテ、オルテンシアとフロレンティンの子じゃ。隣にいるのは人間のルーカス、ディアマンテの片割れじゃ」
カリナンが二人を紹介する。集まった者は皆一様に無表情に一礼しつつ自己紹介をした。が、全員が名乗り終わった途端、堰を切ったように険悪な雰囲気に包まれた。
「それで長よ、後継者は決めたのか」
壮年のドラゴンがそう切り出すと、他のドラゴンたちもその話題に同意する。ただ、壮年のドラゴンを長にしたいのではなく自分自身が長になりたいようだが。何しろ自己主張とアピールがすごいのだ。そしていがみ合いが。
「いいや、まだ決めておらんよ」
「ならば俺が」
「いや私が」
初対面のディアマンテにもわかる、彼らはとても力のあるドラゴンだ。知恵も見識も深く、魔力でも経験でも太刀打ちできないだろう。その中にいてカリナンは一際存在が静かだ。そう、静かとしか表現できない。凪いだ水面の下に計り知れない深さがある、という印象だろうか。
「アルマース、次の長は今の長が指名するものなのか?」
ディアマンテは隣にいたアルマースにこっそり尋ねた。アルマースだけはこの自己主張大会に参加せず沈黙していたからだ。
「それについて説明していなかったか。そうだ、基本的には次の長はその時の長が指名する。だが指名しないまま長が亡くなった場合は残されたダイアモンド竜の中から選ばれる。ダイアモンド竜の半数以上が賛成すればその者に長の力が宿るのだ」
「へえ」
現在存命のダイアモンド竜はこの部屋にいるものが全てだと聞いている。もしカリナンが指名前に亡くなったとしたら――――
「これ、指名がなかったら永遠に長が決まらないんじゃないか」
「かもしれないな」
無表情のままアルマースが相槌を打つ。
「アル、アルは長になりたくないのか」
「思わんな。俺はまわりを統率するより陰から支えるほうが性に合っている。お前はどうだ、ディアマンテ」
「なりたくない。面倒だ」
そもそもが引き篭もりなのだから、長になって増える雑事や、こんな風に他のドラゴンからあれこれ言われるのなど面倒以外の何者でもない。
「我は――――私はルーカスと居られればそれでいい。他の者の面倒まで見られない」
そう言って前に向き直ったとき、カリナンがため息をつきながら「その話は終いじゃ!」と強制的に終わらせている姿が目に入った。他のドラゴンたちはむすっと黙り込んでしまい、不満なのがありありとわかる。
本当に後継者が指名されないままでカリナンに何かあったらどうするんだろう。ディアマンテは頭が痛くなった。
そしてそんな不安は往々にして的中するものだ。
カリナンが突然身罷ったのはほんの数日後だった。
もう長いこと生きてきたカリナンはその日眠るように息を引き取ったそうだ。元々心臓が弱っていたらしく、本人も長くないことはわかっていたという。ディアマンテとルーカスは優しかった老竜の面影を偲び黙祷を捧げた。
だが、その夜に事件は起こった。
カリナン崩御の一報を聞き集まったダイアモンド竜たちは、カリナンの葬儀もそこそこに争いを始めたのだ。
自分こそは次の長だと主張するドラゴンたち。
残されたダイアモンド竜は全部で六体、そのうち長になりたいと主張しているのは四体。アルマースとディアマンテを除いた者たちの罵り合いはどんどんヒートアップする一方だ。
どうすることも出来ずその様子を眺めているディアマンテにアルマースがそっと囁いた。
「いいか、いますぐルーカスを連れてここを出ろ。そして禁域へいけ」
「禁域?」
「そうだ、ここから北へ二日ほど飛んだところに強い力のある土地がある。そこは三代前の長が空間の歪みがあるからと禁域に定めたところだ。行けばすぐわかるだろう」
「な、なんで?」
「いいか、長はダイアモンド竜の半数以上が同意すればなれるものだ。つまり我ら残されたダイアモンド竜六体のうち三体以上が同意すればよいわけだ。
だが四体は自分が長になりたい。ということは、長に立候補していないディアマンテと私に自分を次代の長と認めさせれば自分自身を含めて三体が同意したことになり長になれるという計算だ。だが、おそらくそのために私やおまえに頭を下げたり説得しようとするものはいないだろう。なにしろ見ての通りだから」
アルマースの言うとおり、言い合っている四体は見るからに頭に血が上っている。今にもとっくみあいの喧嘩が始まりそうだ。
ぽつりとディアマンテがそう感想を漏らすと「それですめばいいがな」とアルマースが眉を寄せる。
「奴らは私たちを取り込むために暴力に訴えるだろう。だからおまえは奴らから逃げろ。そうすれば私を取り込んだとしても長にはなれない。二人の賛成では長になるには足りないから」
「アル……」
「さあ行け」
四体に気づかれないようにアルマースがディアマンテとルーカスをそっと部屋から追い出す。
「でも、アル」
「早く行け。おいルーカス、おまえはこいつを守るんだろう。急ぐんだ」
ルーカスがディアマンテの手を取り無理矢理引いて走り出す。
「ま、まてルーカス! アルが」
ディアマンテがひき留まろうとするのを無視してルーカスは走り出した。
「ルーカス!!」
走り出した背後からドラゴンの雄叫びが響く。ずしん、ずしんと重量級の暴れる音、何かがぶつかって壊れる音、そして叫び声。ディアマンテには離れていてもわかった。あのダイアモンド竜たちはついに殺しあいを始めたのだ。
殺し合い、最後に残ることができればドラゴンの長になれる。なんと短絡的で刹那的で、愚かしい考えなのだろうか。
「ルーカス、アルを助けなきゃ」
「大丈夫、アルは強いよ。彼一人なら争いに巻き込まれても逃げられる。逆に俺たちがいたら足手まといなんだろう」
ぐ、とディアマンテは唇を噛んだ。それがディアマンテを逃がすためのルーカスの口実なのは冷静に考えればわかるのに、このときの彼女にはひどく堪えた。
が、その時だ。
「待てェっ、ディアマンテ! 戻ってこい! 今すぐ俺が次の長だと認めるんだ!」
後ろから野太く低い怒声が響く。どすん、どすんと重たい足音も近づいてくる。振り返ると背後から巨大な黒いドラゴンが追いかけてくる。さきほどいた四体の内のどれかだろうが、ずっと全員人型をとっていたため一見しただけではどのドラゴンだったかわからない。
けれどその気配は明らかにあの壮年のドラゴン。四体の中でも特にディアマンテが圧力を感じた、あのドラゴンに違いない。
だがそれどころではない。追いかけてくるドラゴンの迫力はすごいがそれ以上にディアマンテ達がショックを受けたのは、ドラゴンが血まみれだったからだ。一見して彼自身が怪我をしているようには見えない。つまり――――
「まさか、他のダイアモンド竜達を」
「半分以上のダイアモンド竜の同意があればいいと言うことは! 俺が最後の一体になればいいということだ!」
「な?!」
「おまえも俺が長になることを認めれば生かしてやる。だが反対するなら他のドラゴンと同じところへ送り届けるまでだ。二度と戻れない不帰路というやつになあ!
さあ選べ! 俺を、このムガルを長と認めるか?」
目の前の相手が喋る言葉に腹の底から怒りが湧いてくる。ディアマンテはそう長いこと竜の里にいたわけではないので、思い入れはそれほどない。
だが少なくともこのドラゴン――――ムガルの言い分では長の資格があるとは思えない。まるで強盗ではないか。
「――――い」
「なんだと?」
「認めないと言っている。私は、おまえを長とは認めないっ!」
「――――そうか、ならば皆殺しだ。このムガルの牙にかかって死ねることを光栄と思え」
巨大な黒いドラゴンが大きく口を開けディアマンテに襲いかかってくる。人型のままのディアマンテは上から襲い来る勢いにのまれて咄嗟に反応ができなかった。
やばい。潰される。
「ディアっ!!」
ルーカスが固まったディアマンテにタックルしてそのまま二人で床に倒れ込むように転がる。と同時に今まで立っていた場所に音を立ててムガルの首が襲いかかった。
長いこと山に引きこもっていたディアマンテはこんなふうに襲われたことなど人間相手にしかなかった。人間はいくら強くても体も小さく、実のところディアマンテの方が強かったので命の危険をここまで切実に感じたことは正直初めてと言っていい。要は戦い慣れなどしていないのだ。咄嗟に動くことができなくても無理はない。
「く……」
けれどその時苦しげにうめく声がしてはっとした。
今ので体を力一杯打ちつけたのだろう、ルーカスが苦痛に顔を歪めながら何とか体を起こそうとしている。
ディアマンテはルーカスが抱きかかえるように転がったのでどこも怪我はない。その事実にはっとしてディアマンテはルーカスにすがりついた。
「ルーカス!」
「大丈夫、だよ。とにかく逃げるんだ」
「逃がすとでも思ったか?」
低い声があざけるように二人を見下ろす。
自分が圧倒的に強者だという優越感からか、余裕さえ見せている。
だが、ムガルのその態度もそう長くは続かない。
「俺は優しいんだ。片割れ同士、共に逝かせてやろう――――があっ!」
言い終わる前にムガルが苦痛に顔をゆがませた。
彼の背後にいつの間に忍び寄ったのか、一回り小型のダイアモンド竜が首に噛みついていた。小型のドラゴンは負傷しているらしく、その黒い体躯は血にまみれている。だがその瞳は力を失わず、ムガルの首から血が噴き出すほど深く噛みついている。
そのまま力任せにムガルを振り飛ばした。どすん、と大きな音を立ててムガルが壁に激突する。
「ディアマンテ、ルーカス。今のうちに逃げろ」
「アルマース?!」
後から来たダイアモンド竜はアルマースだった。深手を負っているようだがそれを気にする様子もなく、二人をかばうようにムガルとの間に立ちはだかった。
「アル!」
「ディアマンテ、ルーカスを連れて逃げるんだ。ムガルは傲慢で冷徹だ、おまえに言うことを聞かせるためにルーカスを人質にすることも考えるような奴だ。さあ、いけ!」
「――――!」
誰より大切な片割れを出されてはディアマンテも認めずにはいられなかった。ルーカスとここから逃げなければ。ディアマンテはドラゴン型に戻り、ルーカスを自分の背に咥え上げた。
「ごめん、アル!」
そのままディアマンテは外へ出た。翼を広げ、空高く飛び上がった。
北へ、北へ。アルマースに言われたとおり北に向かって飛び続け、二日後にはあからさまに他とは気配の違う山へとたどり着いた。
山の中腹にある大きな滝、その裏側から異質な気配がする。滝の裏側には洞窟があって、その奥に何やら景色がゆがんで見える場所があった。ディアマンテは人型になり、ルーカスと二人でゆがみの前に立っていた。
「ここが、禁域?」
「だと思う。そしてこのゆがみの先はこことは別の世界、異世界だ」
「異世界……? ディアはそれがわかるの?」
「うん。というより、これは長の知識だ」
「どういういこと?」
「今の私は、ドラゴンの長だから」
「え?」
一瞬沈黙が二人を支配する。ディアマンテは辛そうに顔をゆがめ、静かに語った。
「ここまでの道中で、急に膨大な知識と力とが私に植え付けられたのを感じた。それは歴代の長が継承してきたもので、新しい長はそれを代々受け取り長になるのだ」
「で、でもディアは長になりたいなんて思ってなかっただろう?」
「ああ。けれど長はどうやらドラゴンに必要なものらしい。長になりたくなかった私が長になったと言うことは結論はひとつ、私が最後のダイアモンド竜になったということだ」
そういえばこの地に向かって飛んでいる間、一度ディアマンテがひどく驚いて止まったことがあった。あのときか、とルーカスは拳を痛いほど握りしめた。止まった後も何もなかったようにここまで飛び続けたディアマンテ。あのときには自分がダイアモンド竜最後の生き残りになってしまったことを理解していたんだろう。
それはどんなに孤独で心細いことだろう。なのに自分は気がついてあげられなかった。そんな後悔にルーカスは顔を伏せた。
「すまない、ルーカス」
「え?」
「騙すようにここまで連れてきてしまった。ムガルから逃げなきゃいけなかったのは確かだが、長を継承した時点で逃げる必要はなくなっていたんだ。なのにここまで来たのは――――」
ディアマンテは目を合わせることができなかった。これから話すことはルーカスにすべてを捨て去る選択を迫る話だから。
「もう、いやだったんだ。みんな死んでしまった。両親も、カリナンも、アルマースも。こんな血なまぐさいドラゴンのいがみ合いも何もかも。この世界自体が! だから、だから禁域にあるこのゆがみから違う世界へ行ってしまいたくなったんだ。だからここまでルーカスを連れて……」
「――――俺を連れて、異世界に行くつもりだったっていうこと?」
「――――っ、すまんルーカス。私のわがままだ。でももうここにはいたくない。
私と共に行けば家族も、国も、それどころか世界もすべてを捨てなければならなくなる。けれどルーカスをひとり置いていけば、片割れとして長の祝福を受けてしまったおまえはただひとりで何百年も生きていかなければならない。ここに来るまで話さなかったのはおまえにそんな選択を突きつけることができなかったから。私は臆病者だ」
滝の轟音が響く洞窟の奥で二人の会話が途切れる。ほんの数秒だったかも、あるいはもっと長い時間だったかもしれないが、ディアマンテには果てしなく長くキツい時間だった。怖くてルーカスの顔を見られない。
やがて真面目な声でルーカスがディアマンテに言った。
「――――どちらにするか、俺が選んでいいの」
「怒って、いるよな?」
「ああ、怒っているよ。けど俺が怒っているとしたら、もっと早く話して欲しかったっていうことだけだよ、ディア」
見上げたルーカスの顔は笑顔だった。そしてふわりと大きな手で頭を撫でられた。
「行くよ、一緒に。家族には竜の里へ行く時に遠くに行くと話して別れは済ましてきたんだし、むしろディアを一人で異世界へ送り出す方がずっと心配でつらいよ」
「ルーカス……ごめん」
「なんで謝るんだ? 君の片割れになって、君と生きていくって決めたときからずっと一緒にいるつもりだったんだから一緒にいくのは当たり前なんだよ」
「ルーカスぅぅぅ」
たまらずルーカスに抱きついて泣き出してしまった。ルーカスもだまってそれをしっかり受け止めてくれた。
「でも、長の仕事はどうするのディア。他のことはいざ知らず、片割れ同士を祝福するのは長にしかできないだろ?」
「そんなもの、向こうからこのゆがみを超えてくればいいんだ。そうだな、私を探し出すことを祝福を受けるための試練とするか。長の存在は宝石竜ならば感知できるだろう」
「え? でもそれだと異世界にいって戻ってこられなくなるじゃないか」
「ああ、行き来は可能だぞ? このゆがみを超えるのに結構な魔力が必要だからそうしょっちゅうは無理だが」
「え? そうなの?」
「ああ」
「――――ディアって時々言葉が足りなすぎるよね」
呆れるルーカスを後目にディアマンテは意識を研ぎ澄ます。竜の里、その全域に聞こえるように思念を飛ばす。
「私は新しい長、ダイヤモンド竜のディアマンテ。これから私は片割れと共に異世界へと移り住む。用のある者は訪ねてくるといい。私のもとへ辿り着く、その試練を超えた者達にのみ祝福を与えることとする」
それだけ伝え、伝達をストップした。
「じゃあ行こうか、ディア」
「ああ、ルーカス」
そして二人はゆがみの向こうへ足を踏み出した。
そこがどんな場所なのかわからないけれど、二人一緒ならなんとかなる。そんな気持ちで。